『野性の経営 極限のリーダーシップが未来を変える』 by  野中郁次郎

野性の経営
極限のリーダーシップが未来を変える
野中郁次郎
川田英樹
川田弓子
株式会社KADOKAWA
2022年4月1日初版発行

 

今年7月2日の日経新聞、書評に出ていたので図書館で借りてみた。 

 

記事によると、
”行き過ぎた科学主義と分析主義によって、人間が本来持つ洞察力や創造性などの野性味が劣化しているのではないか。著者はそう論じ、想定外の困難に直面しても自己変革を続けられる「野性の経営」が今こそ必要なのだと主張する。

実践例として挙げるのが、タイの「ドイトゥン開発プロジェクト」だ。ケシ栽培で荒廃していた地域を、30年計画でコーヒーやマカダミアナッツの産地として再生させた。立役者である1人の男性に焦点を当て、成功の要因を分析する。

村を徹底的に歩き回ることで課題を把握し、疑心暗鬼の村人とは対話を繰り返し、大胆な発想と行動力で次第に共感を得ていく。変革を導くリーダーに必要な条件とは何かが見えてくる。”

 

私自身が、2000年代、タイで仕事をしていたとき「ドイトゥン開発プロジェクト」だけでなく、貧しい東北の村の村おこし活動が一時?流行っていたことが記憶に残っている。一村一品運動、っていったかな? ちょっと面白そう、と思って、読んでみた。

 

表紙の裏には、「はじめに」からの抜粋が。
”「生き抜く知恵」は人間の直感や潜在能力から生まれる。
そして生き抜くことにより、
人間が生まれつき有している「野性」が磨かれる。
本書は混迷深まる社会を「野性」を発揮して生き抜く必要があること、それは、人間の営みそのものである「経営」でも例外ではないことを述べる。
この「野性の経営」の実践例として紹介したいのが、タイ王国メーファルアン財団によるソーシャル・イノベーション(社会的変革)だ。”

と。

 

感想。
面白かった。
これは、私の好きなタイプの話だ。後半のタイでの実践の話はともかく、「野性」に着目しているところが好きだ。社会には、理詰めで考えてもどうにもならないことが沢山ある。そのとき、本当に究極の時、「野性」の勘?!というのか、生き物としての根本というのか、そういうものが大事なように思う。

 

ブラック・スワンは、いつでもどこでもやってくる。次々と変化や危機が訪れる複雑性に満ちた世界。予測不可能な世界。臨機応変で迅速な判断・実行をしていくには、「生き抜く知恵」が求められているのだ。

 

トーマス・エジソンの言葉が紹介されている。
失敗は積極的にしていきたい。なぜなら、それは成功と同じくらい貴重だからだ。失敗がなければ、何が最適なのかわからないだろう。

たしかに。とはいっても、取り返しのつかない失敗は困る。だからこそ、解のない中で最適解をもとめるには、人間が生まれつき有している「野性」に基づく、人間の直感や潜在能力から生まれる「生き抜く知恵」を磨き続けなくてはいけないのだ。

うんうん。
共感することがいっぱいだった。

 

目次
第1章 人間にとって「野性」とは何か  サイエンスがもたらしたもの、奪ったもの
第2章 「野性」の経営の本質  SECI モデルとフロネティック・リーダーシップ
第3章 革命は「思い」から始まる 荒れ果てたドイトゥンを蘇らせた一人称の力
第4章 二人称で「共感」を生み出せ ケシの栽培者から森の労働者になった村人たち
第5章 世界に広がるドイトゥンモデル  クンチャイの終わりなき挑戦の物語
終章 「野性の経営」のその先へ 「クリエイティブ・ルーティン」を回し続けよ

 

第1章と第2章が理論編で、著者の基本的な考え方が述べられている。第3章から5章が物語り編で、実際にその理論に基づいて成功したナラティブ(物語)が具体例として語られている。このような本の構成自体、よく考えられていると思う。

 

最初に、「野性」についての定義が確認される。「野性」は、「野生」とか「野蛮」とは違う。

本書の中では、「野性」とは、「野生の動物に備わっている本能、行動様式」「動物としての本能に基づいた強かに生き抜こうとするたくましさ、そのための闘争心」「生き抜くための強靭さ」などの意味で使われている。

わかりやすい例として、2011年3月11日の東日本大震災で、大きな被害をうけた岩手県釜石市において、市内の小中学生の生存率が99.8%だったことがあげられている。「てんでんこ」。釜石東中学校の生徒たちは、自己判断で避難をはじめ、隣接する鵜住居小学校子どもたちの手をひいて指定避難場所へと走り、そこが危ないと察知したら更に高台に移動し、さらに危ないとより高いところへ逃げた。全員が助かった。

ちょっと、鳥肌がたつ物語りだ。当時もだいぶ話題になったけれど、今こうして文字で読んでみると、鳥肌が立つ。中学生、小学生の「生き抜くための強靭さ」に感動してしまう。

そう、そのような野性が、経営にも必要というのが本書の主旨。誰かがつくった流行りのフレームワークでは、本当に持続性のある善き経営はできないのだ。ホントにそう思う。強く共感。

 

「危機が引き出すのは人間の最悪の部分ではなく、最善の部分である」という、オランダ生まれの歴史家、ルトガー・ブレグマンの言葉が引用されている。第二次世界対戦でのロンドン大空襲時の人々のレジリエントな反応や、2001年9月11日に起こった米同時多発テロの時の高層ビルで命の危険にさらされながら避難する人々が「お先にどうぞ」と譲りあった姿など。ブレグマンは、ウィリアム・ゴールディングの『蝿の王新潮文庫)で描かれた無人島に残された少年たちの悲劇的な結末に疑問を呈した。 

このあたりの引用は、ルトガー・ブレグマン著『Humankaind』にあり、私が好きな考え方だ。

megureca.hatenablog.com

 

megureca.hatenablog.com

 

私は、性善説を支持したい。
だからこそ、「野性」を大事にすることに共感するのだ。

五感の大切さのはなしで、レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダーも引用されている。

megureca.hatenablog.com

 

カーソンは、「人間が本来備えている力の一つである神秘さや不思議さに目を見張る関西をいつまでも失わないでほしいと願った」。

 

阿吽の呼吸も、野性の最たるものだという。「啐啄同時」 という禅語も紹介されている。禅語としては、師匠が弟子の悟りを助けることを意味するが、元々の言葉の由来は、卵からかえろうと、内側から殻をツンツンするヒナを感じた親鳥が、卵の外側からツンツンと殻を割るのを助けてやることだ。野性そのもの。。

 

野性をうしなってしまった経営の要因として、「三大成人病」と呼んでいるのが面白い。PDCAのような品質管理のためのツールを経営にまで持ち込んだこと、BPR、KPI、ERPバランススコアカードのような、流行りのフレームに飛びついたこと、それらは客観性まかりを強調させ、主観の力を弱めてしまった。結果、おきたのが、経営の三大成人病。
「オーバープランニング(過剰計画)」

「オーバーアナリシス(過剰分析)」

「オーバーコンプライアンス(過剰規則)」

思わず、お見事!!と、笑ってしまった。

 

まさに、、、、私が勤めていた部署でも、このオンパレードだった気がする。。。

サラリーマン生活の最後の数年は、私は、管理部門で予算策定も担当していた。4月に始まる次年度予算をつくりはじめるのは、11月ころ。はっきり言って、5か月かけて1年分の予算をつくる。 予算、予算、予算、、、。当然、通常の月次活動もある中で、予算を作るので時間が余計にとられる。そして、何度も何度も会議をしては修正、修正。。。
しまいに私は、「たかが予算」といって、部下たちに、「そんなに根詰めなくていいよ」、、というようになった。だって、予算だ。極めて重要な予算から、そんな細かいことは、枠でいい、、、という予算があるのに、何でもかんでも完璧主義で、、まさに過剰計画。そんなことに自分の時間を費やすことに飽き飽きしていた、、というのは正直なところだ。

実際、その予算実行のレビューの方が大事のはずなのだけれど、、、「レビューをしないからだれも不幸にならない」なんて、意地の悪い言い方をしていた。財務上、全体で黒字であれば、その中身がどうであったのか、どこまで細かくレビューできていたものか、、怪しいもんだ。

 

過剰分析は、財務指標の分析でも良く起きていた。やたら細かく分析して、、、誰も使わないレポートをつくったり、、、。まぁ、作っている人は仕事をした満足感はあるのかもしれないけれど、、無くても困らない分析値。。。

 

過剰規則は、ハラスメントの例をとるとわかりやすい。おいおい、それはハラスメントじゃなくて、普通に職務としての指導だろう!と思うことすら、「パワハラと言われたらコワイ」といって、部下指導を放棄する管理職。。。

 

著者は、これらも、「野性の経営」をしていれば、陥らないですむ、というのだ。

そして、提唱しているのが、SECIモデル。これは、著者らが考えた言葉だろうか?初めて聞いた。そう思って、ググってみたら、やはりそうだった。
「SECIモデル」で検索すると、でてくるので、図解を参照するとわかりやすい。

例えば、以下のリンクとか。。

SECIモデルとは?企業におけるナレッジマネジメントへの活用と具体例

 

S:共同化 Sorcialization
E:表出化 Externalization
C:連結化 Combination
I:内面化 Internalization

 

Sで、現実を感知したり相手の視点に立って暗黙知を獲得する
Eで、対話などで本質をつかみ、暗黙知言語化形式知にする
Cで、あらゆる知を自在に組み合わせ、体系的な集合知を生み出す
Iで、理論や物語を実践し、組織知を身体化し、自己変革する

これらのプロセスを停滞しないように回し続けるのが駆動するリーダーシップ。ソニーマイクロソフト等の事例が挙げられている。
実践知を得ながら、最善の判断と行動を組織的に実践していく。その力をフロネティック・リーダーシップと呼んでいる。

その本質要件は、
①良い目的を作る
②現場で本質直観する
③場をタイムリーに作る
④本質を物語る
⑤物語実現に向けて政治力を行使する
⑥実践知を育む、組織化する

ということ。  

 

本質は現場にある。まさに、会議室ではなく現場に・・・。

 

MBAが会社を滅ぼす、と言われるようになったのはここ数年。コロナも含めて、予期せぬ出来事が次々とやってくる複雑性の世界において、既存のフレームワークだけで対応しようと思っても、迅速さ、的確さに欠ける。みんな、だれかの真似っこではうまくいかないことに気が付きつつ、自分だけ他と違う路線を行くことを怖がり、世の中で評判のプロセスに飛びつきたくなる。

 

いやいや、、、、物の本質は、現場だよ。フレームに当てはめようと思っても、そんなにきれいにはまることなんて、そうそうない。はまったとすれば、それは何かを見落としている。。。

 

斬新というよりは、基本に戻れというのが野性の経営、のような気がした。スティーブン・ピンカーの『人はどこまで合理的か』のなかで、合理的な代表として取り上げられていたのは、世界最古の狩猟採集民、サン族だった。やっぱり、野性の勘があるということほど、合理的なことはないのかもしれない。

megureca.hatenablog.com

 

タイでの成功物語も、NHKプロジェクトXみたいで、面白い。まさに、泥中の蓮華だな。。。

 

megureca.hatenablog.com

 

本書の第1章、2章を読むだけでも、経営に限らず社会全般の教養として参考になる話がたくさん引用されている。野中さんは、『失敗の本質』の著者でもある。

なかなか、内容も充実していて、かつ、読みやすい。よくできた本だと思う。

 

過剰計画、過剰分析、過剰規則につかれていたら、そうだそうだ!と共感したくなること間違いなし。

ドイトゥン開発プロジェクト」は、まとめていってしまえば、クンチャイという一人のタイ人が、ケシ栽培で荒廃した人々をその土地を、みんなの共感を得ながら健全な村に再興していった成功物語。物語としてもドキドキ・ワクワク、面白い。

 

結構、お薦めの一冊。

読書は、楽しいね。