『坂の上の雲 二 』 by 司馬遼太郎

坂の上の雲 二
司馬遼太郎
文藝春秋
2004年4月10日 新装版第一刷発行

 

坂の上の雲 一』の続き。

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一では、病気をおして子規がむりやり従軍して戦地に行ったところで終了。日清戦争である。

 

目次
須磨の灯
渡米
米西戦争
子規庵
列強
十七夜
権兵衛のこと
外交
風雲
開戦へ
あとがき

 

感想。
あぁ、、、確かに、司馬歴史観なのだよな。。。二巻では、日清戦争から日露戦争にむけて世界の動きの話が中心。秋山兄弟の話の色は薄い。子規はついに没する。好古の話があまり出てこなくて、貞之が海軍にとって貴重な人材に育っていく様子が綴られる。

 

佐藤優さんは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』でロシアを学んではいけないというけれど、歴史としてのロシアを含む世界の動きは学べる。

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いまさらながら、そうか、そういう歴史の流れか、という発見がたくさん。私は、本当に歴史をしらないで生きてきた、、、と思う。

 

子規は、戦地から戻ってくる船の中で喀血が始まり、帰国早々病院に担ぎ込まれる。そして、少し回復してから、松山に戻る。ちょうど夏目漱石が松山にいた時期で、漱石が住んでいた家の敷地に転がり込む。体調を回復させてから、再び大阪、奈良をめざす。

その時に詠んだ歌が、
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

なんだか、子規を偲んで、法隆寺も行きたくなった。

 

そして、貞之もまた戦地から戻って、子規を見舞う。貞之は、戦地の様子を知りたがる子規に対して、病人にあまりにひどい惨状の話をしても仕方がないと思い、「坊主になろうと思った」と語る。帰国した貞之は、学友の広瀬武夫とともに、それぞれ航海長となる。広瀬武夫について、岡藩の士族出身との解説があるのだが、「岡藩」は、ちょうど今、日経新聞の朝刊連載小説で始まった物語、諸田玲子『登山大名』の舞台。思わぬところでつながった。岡藩なんて、架空の藩かと思っていたら、違った・・・。

 

貞之は、渡米し、アメリカの海軍について研修することとなる。「戦略と戦術」を学ぶ、と宣言した貞之は、米西戦争の実践を間近にみながら、要領よく学んでいく。貞之は、
得た知識を分解し、自分で編成し直し、自分で自分なりの原理原則をうちたてること」が得意だったようだ。

これって、すごく大事。学校のお勉強ができても、これができる人って、意外と少ない。貞之、かっこいいなぁ。

 

そして、しばらくは、米西戦争の背景や、日清戦争のときにいかにシナが一丸となっていなかったか、ロシアがなぜ南下してきたのか、義和団の登場、北満事変による各国の対応など、世界の動きの話が続く。

 

ロシアが一度手にしたアラスカを、経営にこまってアメリカに720万ドルでうっぱらっちゃった話とか。

 

日清戦争後の三国干渉については、ロシアの無茶ぶりではあったけれど、日本は遼東半島返還をせざるをえなくなり、日本の中での反ロシア感情がたかまったいきさつが説明されている。当時のニコライ2世についても、日本を毛嫌いしていたこと、日本を「猿」とよんでいたことなどがのべられていて、子どものケンカに近いような感情論から日露戦争へとつながっていく様子がわかる。

 

そうこうしているうちに、子規は亡くなる。子規は、漱石と貞之とどちらとも友だちだったけれど、漱石と貞之は直接の交流はあまりなかったようだ。同じ、大学予備門に通ったなかではあるけれど。子規は、貞之が日本に戻っている間で、漱石がイギリスに行っている間に亡くなっている。

 

子規の訃報をきいて駆けつけた貞之は、子規が研究しつくした俳句と短歌の世界に関する革新論を読み、「子規の闘志は、そのあたりの軍人などが足もとにもよりつけるものではない」と理解する。子規は、本当にすごいひとだったのだ。

子規は、戦地では戦わなかったかもしれないけれど、論壇と闘った。。

 

最後に貞之が子規に語った言葉が深い。
「 どうせ あしの思うことは 海軍のことじゃが。 それと思い合わせながらいま升サン(子規の本名)の書き物を読んでいて、きもに答えるものがあった。升サンは俳句と短歌というものを 既成概念をひっくり返そうとしている。あしもそれを考えている。
「海軍をひっくり」
「 いや概念をじゃな。 例えば 軍艦というものはいちど遠洋航海に出て帰ってくると、 船底にかきがらがいっぱいくっついて船足がうんと落ちる。 人間も同じで、 経験は必要じゃが、 経験によって増える知恵と同じ分量 だけのかきがらが頭につく。 智恵だけ採ってかきがらを捨てるということは人間にとって大切なことじゃが、 老人になればなるほど これができぬ

う~~ん。30代の貞之の言葉。
深い。
司馬遼太郎が、勝手にいわせているセリフかもしれないけれど、智恵だけ取ってかきがらをすてるのは難しい、、、って。ほんと、共感。

 

好古については、天津領事にいた間、日本人だけでなく、多くの人に好かれていた様子が描かれる。伊集院領事が、毎日好古に会いに来るだけでなく、欧州各国の軍人、清国の官民にも人気があったという。大酒のみだけど、独特の外交の才があり、気が付くとどんな厄介ごともなんだかうまく丸め込む技にもたけていたようだ。加えて、精神力や忠誠心などといった抽象的なことは語らず、客観的事実をとらえ、軍隊の物理性を論じていた。かっこいい!! 弟の貞之は、天才だけど愛教がないタイプ。私は、貞之タイプより、好古タイプの方が好みだな。。。阿部寛か、本木雅弘かといわれれば、、、やっぱり、阿部ちゃんか?!?!

 

権兵衛のこと」では、日本海軍の父、山本権兵衛について。彼は、実は「花車」というシコ名をもつ相撲取りだったそうだ。西郷隆盛の弟である西郷従道(つぐみち)海軍大臣のもとで働き、海軍に居座る老獪を大リストラした。

 

桂太郎が活躍する時代になると、四人の口やかましい姑として、山形有朋、 伊藤博文松方正義井上馨が描かれる。伊藤博文に至っては、日本が日英同盟を結ぼうとしているときに勝手にロシアと交渉するという、はた迷惑なこともしてくれていたらしい。

 

伊藤博文って、知れば知る程、とんでもない人だったのだ、、という気がする。1000円札の人なんだから、すごい人であるにはあるのだろう。でも、津田梅子に留学の道を開いたり、日本に憲法を持ち込んだり、とすごいことをしている一方で、酒癖の悪さ、思い込み行動の多さ、、、、今の世なら、女性スキャンダル含めて、ダメダメ政治家ではないか、、、と、、、。まぁ、昔は、妾を囲える財力あってなんぼのもの、って世間だったのかもしれないけど・・・。

 

そして、二巻の最後では、日露戦争へ、、、。

 

ロシアが、どれほど惨い態度で日本に接してきたか。それでも、日本政府は、戦争をしたくなかった。でも、対露交渉をゆるやかにすれば、国民は憤慨し、好戦的になっていった。

戦争を起こしているのは、政府や軍人だけではない。国民、メディアもあおっていたのだということを忘れてはならない。。。

 

日露戦争が、1904年。それから120年というから。好古なら、今の日本をどうみるのかな。。。

また、ゆっくり三巻を読んでみよう。

 

やっぱり、読書は楽しい。