『ミチクサ先生』(上)(下) by 伊集院静

ミチクサ先生(上)(下)
伊集院静
講談社
2021年11月15日 第1刷発行

 

初出「日本経済新聞」朝刊。
2019年9月11日から2020年2月20日
2020年11月11日から2021年7月22日


日経新聞の連載小説。連載中は全く読んでなかったのだけれど、、、時々目に入る文字から夏目漱石のお話なんだなぁ、とは思っていた。先日、新聞の広告で本書が文庫化されたと出てたので、単行本なら図書館ですぐに借りられるかとおもって、借りてみた。

 

本の広告には、

”ミチクサが多いほうが、人生は面白い!
てっぺんには裏から登ったって、足を滑らせたっていい。あちこちぶつかったほうが道は拓ける。
夏目家の「恥かきっ子」金之助は生まれてすぐに里子に出されたり、年老いた父親にガラクタ扱いされながらも、道楽者の祖父の影響で子供ながらに寄席や芝居小屋に入り浸る。学校では異例の飛び級で頭角をあらわし、心のおもむくままにミチクサをして学校を転々とするように。その才能に気付いた兄に英語を仕込まれ、東京大学予備門に一番で合格した金之助は、そこで生涯の友となる正岡子規と運命の出逢いを果たす――。
伊集院静がずっと共鳴し、いつか書きたかった夏目“漱石”金之助の青春
日経新聞」大人気連載、待望の書籍化!”
と。

 

感想。
面白い!!
やっぱり、夏目漱石の話は、面白い。
どこまでが本当の事なのかわからないけれど、これまでの私の中の夏目漱石に関する情報が、覆されたり、点と点がつながったり!これは、面白かった。
奥さんの鏡子さんの人柄、正岡子規との友情、寺田寅彦との師弟関係、、、ほんと、どれも楽しいお話だった。時代は、明治維新のころだから、ちょいちょい、日本史で勉強したことともつながるのがなお面白かった。


伊集院静は、以前『白い声』を読んで、なんだ中年おじさんの妄想か、、と感じたことがあって、あまり読んでいなかったのだけれど、本書は、面白かった!

megureca.hatenablog.com

 

夏目漱石に関心があるけれど、すごく詳しいわけではない、という人には面白いと思う。いやいや、事実とは違うよ、と突っ込めるくらいの情報がある人には、あれれ?と思うこともあるのかもしれないけれど、私には面白かった。
単行本2冊、ほぼ、一気読み。

 

物語は、時々、著者の解説がはいりつつも、夏目金之助が生まれた時代、そして、金之助がどの様に育っていったのか、教師をしながら小説を書くにいたった背景、自分で小説を書きながらも、自身が編集者のような活躍もしていたということなどが、綴られる。

 

(上)のページをめくると、いきなり、”『ミチクサ先生』登場人物一覧”と、見開き2ページにわたって人の名前がでてくるので、え~~~~こんなにたくさんの人がでてきたら、なんだかわからなくなっちゃうよぉ!とおもったのだけれど、そんなことはない。登場人物も、「夏目家の人々」「正岡家の人々」などとグループ分けしてくれていて、わりと親切。読み進めながら、特にこの一覧に戻って確認せずとも、内容はするすると頭に入ってくる感じだった。

 

登場人物一覧には出てこないけれど、夏目家に居着いた黒猫も登場する。うそかほんとかわからないけれど、夏目漱石は、勝手にいついた野良猫に、決して名前はつけなかったそうだ。だから、吾輩は猫である。名前はまだない。のだ。

 

以下チョットだけ、ネタバレあり。

 

パリでは、第5回目万国博が開催されていた1867年、この年の1月、物語の主人公である夏目金之助が東京・牛込で初声を上げた。

 

父親の小兵衛は51歳、母親のちゑは42歳の夫婦に生まれた金之助は、”恥かきっ子”として生まれ、生まれる前から里子に出すことが決まっていた。しかも生まれた時間が、庚申の申の国であった。庚申に生まれた子は、出世をすれば大いに出世するが、1つ間違うと大泥棒になるという言い伝えがあった。その言い伝えの大泥棒の筋を断ち切るには、名前に金の字を入れるといいと言うので、金之助と命名された。実際、金之助は泥棒にはならなかったが、実家にしても、漱石の家にしても、たびたび泥棒に入られることがあったようだ。

そして、生まれた金之助は予定通り里子に出される。ただ、夏目家の長男、次男が若くして亡くなった後に、夏目家に戻ってくることになる。養母は実の息子のように金之助を可愛がっていたのだけれど、養父が外に女をつくったことで、離縁してしまう。養父との間は、あまり良好な関係ということではなかったようだ。夏目漱石として売れっ子作家になった折には、度々金をせがみにきて、最初は金を渡していたが、最後には絶縁状をわたしたということ。養父については、あまりいい人物としては描かれていない。

 

話は並行して、伊予、松山で生まれた正岡升(のぼる)について。後の正岡子規だ。幼名が「のぼる」だったことから、大人になってからも「ノボさん」と呼ばれる。

金之助も、ノボさんも、幼い頃から、芸術や文学に親しく触れて育つ。それが後にこの2人にしか通じないような、漢詩によるやりとりになる。互いに、互いの漢詩への博識に驚く。才能を認め合い、なぜかタイプは違うのに、心から畏友といえる二人だった。正岡子規は、漱石がロンドンに留学している間に若くして病死してしまうのだが、漱石が子規におくった詩がある。

 

見つつ行け旅に病むとも秋の不二  漱石

 

本書の中でも度々出てくる。病の体をおして、静養していた松山から東京へ行く子規に送ったのがきっかけだけれど、なにかのおりに、度々、二人の友情の証しかのようにでてくる。子規は、漱石から送られたこの詩を自筆で書き、壁に張っていた。詩の力に、ちょっと感動する。

 

金之助は、実の兄である大助に、小さい時から徹底的に英語を仕込まれる。それが後に、武器となって、日本でも、海外でも活躍することとなる。英語の教師になるほどに、英語力がついていたのだ。金之助は、最初は英語を毛嫌いしていたけれど、自分で気がつかないうちに実力をつけていた。継続するというのはやはり、力なり・・・。

 

成績優秀な金之助だったけれど、あちこちと遊び歩いているうちに、落第も経験する。

漱石の若き日の1番のミチクサは、実は自分が何を学ぶべきか、何をする人を目指せば良いかという道程でのミチクサだった。”とある。

 

金之助は、大学に入る前の予備門で、秀才、米山保三郎と出会う。のちに、ノボさんと出会うきっかけとなったのが、米山だった。この米山も、若くして突然亡くなってしまう。米山保三郎に限らず、この時代はまだまだ若くして亡くなってしまう人も多かったのだ。現代なら治せる病気も、この時代には不治の病だったのだ。子規も病気でなくなるのだけれど、食いしん坊で大食漢だったようすが、なかなかユーモラスで楽しい。鰻を何杯もたべたり、お団子、お饅頭も10皿をぺろりとたいらげる姿は笑っちゃう。

 

と、家族、友人と、結構悲しい別れを人生に背負いながら生きていた漱石だけれど、小説家として活躍するに至る物語は、明るくて楽しい。鏡子との結婚。10代だった鏡子は、2回も流産してしまう。それでも後に、子だくさんに恵まれた二人。漱石は鏡子と結婚してから、教師として生計をたてていく。熊本での教師生活にあき始めた漱石は、教師をやめることも考えるけれど、仕事を紹介してくれた人への恩もあってなかなか、やめることもできない。そんな時、留学の話が舞い込む。それを受けた漱石漱石がロンドンへ留学したときには、鏡子のお腹にはもう一人の娘も宿っていた。娘の命名について、あーだーこーだと手紙を送っている。

 

そして、ロンドンから子規や鏡子へたくさんの手紙を残している。漱石は、ロンドンで神経症になって、強制送還のように帰国させられたかのように言われているが、この物語の中では、「神経症で精神衰弱なら、教師に戻らずにすむかも」と、あえて友人にそのような診断書を書いてもらった、と描かれる。時に、鏡子と諍いがあることもゼロではないけれど、修善寺で喀血したときの鏡子の献身的な介護を考えても、二人の仲はずっとよかったと考えた方が自然だ。

 

ロンドン留学中にみた、ミレイの『オフィーリア』の印象や、漱石自身が旅先でお風呂に入っている間に、その家の娘がお風呂に入ってくる裸体を目撃したことが草枕につながっていることなど、漱石の作品の背景が、物語に盛り込まれている。

 

吾輩は猫であるの執筆きっかけとなった猫との出会いと、子規を通じての高浜虚子との出会い。「ホトトギス」への執筆のきっかけ。若者を応援したいとして書いた三四郎、とびっきりの美人を描きたいとして書いた虞美人草などなど、、、。名作が生まれた背景が、物語におりこまれていて面白い。超売れっ子作家となって忙しすぎたことが胃潰瘍の原因だったのではないだろうか、、、、と思う。

 

寺田寅彦については、私にとっては夏目漱石の門下生で、随筆家、、という認識だったのけれど、そんなものではなかった。何より物理学者で、若くして妻をなくしていて、正岡子規とは正反対のような影がありつつも、子規と似ている素直さがあって、漱石にとって特別の門下生だったということ。

 

と、書いているときりがないのだけれど、最後は、漱石『明暗』を完成させることなく亡くなってしまうところまで。”巨星墜つ”。

漱石の最後に駆けつけた、芥川龍之介『こころ』について寺田寅彦と語り合う。寺田寅彦は、熊本時代からずっと漱石の側にいたのだ。”巨星墜つ”どころではなく、その喪失感は、察するに余りある。。。

 

1967年に生まれ、1916年までを生き抜いた夏目漱石明治維新日清戦争日露戦争。その時代と重なるということがなかなか想像できない。でも、そういう時代に生きた人だったのだ。正岡子規がいて、秋山兄弟とも時代がかぶる。内田百閒もでてくる。辰野金吾日本銀行本店。まるでフィクション物語のような豪華キャストだ。うん、たしかに、物語なんだけど、ホントに同じ時代を生きていた人々なんだ。最初の作品、『吾輩は猫である』が最初にホトトギスで発表されたのは、1905年1月。日露戦争の最中だけど、、、戦争については描かれていただろうか?こんど、読み直してみよう。たとえ戦争の背景が出てきたとしても、明るく楽しい作品だったから、大ヒットだったのだろう。

 

また読みたい本が増えちゃったな。。。

 

ミチクサ先生の一番の教えは、「人生ミチクサせよ」かな。

そうだそうだ!ミチクサしよう!

人生は、ミチクサだぁ!

 

 

本のうしろの猫ちゃんも、かわいい。