『お金のむこうに人がいる』 by 田内学

『お金のむこうに人がいる』
元ゴールドマンサックス金利トレーダーが書いた予備知識のいらない経済入門
田内学
ダイヤモンド社
2021年9月30日 第一刷発行


先日、田内さんの『君のお金は誰のため』が面白かったので、図書館で田内さんの本を探して借りて読んでみた。

megureca.hatenablog.com

 

『君のお金は誰のため』が物語仕立てで「大事なのは愛」と語られていたけれど、本書はストレートに経済について、わかりやすく解説している本、といえる。これもまた、よくできた本だ。

 

表紙の裏には、
お金を取っ払って人を見れば、とたんに経済はシンプルになる”とある。

 

経済といえば、お金、、、と思いがちだけれど、お金を抜きにして、人、もの、サービスの流れをみてみれば、そこに社会があるということに改めて気づかされる。そして、その流れを動かすためにお金があるだけのこと。そう、社会はお金があるから成立するのではなく、人の活動があるから成立する!そんなシンプルなこと、気づかされる一冊。

 

目次
はじめに 経済の専門用語は「ごまかす時」につかわれる


第1部 「社会」は、あなたの財布の外にある。
 第1話 なぜ、紙幣をコピーしてはいけないのか?
 第2話 なぜ、家の外ではお金を使うのか?
 第3話 価格があるのに、価値がないものは何か?
 第4話 お金が偉いのか、働く人が偉いのか?


第2部 「社会の財布」 には外側が無い
 第5話 預金が多い国がお金持ちとは言えないのはなぜか?
 第6話 投資とギャンブルは何が違うのか?
 第7話 経済が成長しないと生活は苦しくなるのか?


第3話 社会全体の問題はお金で解決できない 
 第8話 貿易黒字でも、生活がゆたかにならないのはなぜか?
 第9話 お金を印刷しすぎるから、モノの価値があがるのだろうか?
 第10話 なぜ、大量に借金してもつぶれない国があるのか?
最終話 未来のためにお金を増やす意味はあるのか?

 

感想。
おぉぉ!
これは、また、わかっていたようで、目からウロコが、ポロポロ。

お金を使うということの意味を考えさせられる。


先に読んだ、『君のお金は誰のため』では、お金そのものには価値が無くて、その後ろで働いてくれている人がいるから、お金の使用価値がある、って話が物語仕立てだったのだが、本書をよむと、もっとシンブルにわかりやすい。まぁ、どっちがわかりやすいかは人によるかもしれないけど。

 

まずもって、お金を使って交換できるものが無ければ意味がないという話。同じモノでも、Aさんにとっては5万円の価値があっても、Bさんにとっては価値が無いモノがあるということ。だから、価格と価値は違う。命の危機の状態で、砂漠で1杯の水には価値があっても、ダイヤモンドには価値が無いっていうのと一緒。

 

そして、お金が減ったり増えたりすると思うのは、自分のお財布の中だけを見ているから、っていう話。わかりやすいのが、食べ放題の店の話。

 

食べ放題のレストランに行ったとき、「元を取るまで食べてやる」と、意気込んだことはないだろうか?と。
あるある。
そりゃ、あるでしょ。
元をとるために、たくさん食べるでしょ。あるいは飲み放題の店で、元が取れると思うから飲み放題にするでしょ。
でもね、本当に元を取ることなんてできるのか?って話。

そもそも、「元」って??


ステーキが100g、500円という価格のレストランだとする。その、500円というのは、レストラン目線の原価に基づいている。その肉をレストランに降ろした肉屋の原価は、もっと安い。肉屋の仕入先である食肉工場では、もっと安い。そして、生まれた子牛までさかのぼると、自然界でうみだされた子牛の原価はゼロ。そこに、人件費や、牛の飼料代、輸送費用、設備費用、冷蔵庫の電気代などなどが積みあがって、100g、500円のステーキが売られている。

食べ放題500円で800gのステーキを食べたとしても、目の前のレストランを儲けさせないことに成功するだけで、「元が取れた」と思うのは幻想なのだ!!と。

 

つまり、「すべてのモノは労働によってつくられている」というのが、生産活動の大原則。古代エジプトだって、令和の現代だって、お金があればモノができるのではなく、労働があって、はじめてモノができる

 

で、労働してもらうためのコミュニケーションツールが、「お金」ということ。人様に働いてもらうために、お金を払っている。水道代だって、水にはらっているのではなく、水道水を家庭に届けるための設備を作ったり、仕組みを作ったりしてくれている人たちにお金を払っている。日本の場合は、水は天然資源で、別に、飲料メーカーが水を買っているわけではない。むむ??と思うけど、権利は買うとかあるか?土地だって、本来は誰かがつくったものではなくて、勝手に自分の土地だとか言っているだけだ・・・。で、勝手に人間が土地に値段をつけている。よく考えれば、みんなの共有の財産のはずなのに、、、ねぇ、、、。そう、自然にあるものの原価はもともとタダなのだ。

と、話が、ちょっと本の内容からずれてきた、、、、。

 

戻ると、お金がコミュニケーションというのは、例え言語のつたわらない外国にいても、相手が提示した価格を払えば、他の人に働いてもらうことができる、ということ。
実際、それが、貿易だ。

なるほど、なるほど、貿易赤字は、お金をはらって外国に働いてもらっているということ。貿易黒字というのは、その分たくさん外国のために働いてあげているということに他ならない

 

あなたが消費しているのは、お金ではなく、だれかの労働だ”、ということ。

 

蕎麦屋さんで、天ぷらそばを1500円で食べているのは、お蕎麦屋さんだけでなく、蕎麦粉を輸入した人、蕎麦打ちの台と麺棒をつくった人、お鍋をつくった人、お皿を作った人、はたまた、お店のテーブルに椅子、店舗そのものを立てた人、、、いろーーんな人の労働があって、、の結果。お蕎麦屋さんに払った1500円は、お蕎麦屋さんからどこかに流れる。お蕎麦屋さんのお財布に収まっておしまい、ではない。

 

そう、経済とは、お金の流れそのもの。その時起きているのは、
お金は増減せずに、移動する」ということ。

 

自分のお財布だけをみていると、お金は増えたり減ったりする。でも、実は、売買するというのは、お金の持ち主が変わっただけなのだ・・・・。

 

これは、株式も同じことだという。上場している株を売買したところで、そのお金は応援したい会社に流れているのではなく、株式投資家の間で動いているだけ。転売というのは、持ち手が変わるだけなのだ。新たに発行された株を購入したときだけ、その会社へお金が流れる、ということ。

え~~~!!
会社を応援するつもりで、株をあれこれ買っていたけれど、、、、なんてこと!!
でも、よく考えてみると、、、確かにそうなのだ。。。

 

あるいは、アイドルのコンサートチケットも。ダフ屋が高値で転売しようと、主催者の売り上げは変わらない。誰かとダフ屋の間で、お金の行き来があっただけ・・・。
お~~~~!!

とまぁ、、、目からウロコなのだ・・・。

 

そして、政府の借金、国債の話もおなじことで、その国債を持っている人がいるから、その借金が成立している。お金の移動が起きているだけ。で、「政府が借金をすると、将来の国民を働かせることになる」というのも、幻想なのだ、と。将来ではなく、今の人が働いているから借金ができる。

 

ギリシャ政府は、財政破綻しそうになり、ギリシャ国債が大暴落してギリシャ危機がおきた。でも、日本危機はおきていない。なぜか?なぜなら、政府の借金は、そのお金が誰かのお財布からきている。その誰かのお財布を見ると、日本の場合、政府の財布・個人の財布・企業の財布をあわせれば、その借金を上回っている、ということ。日本という国の中で、お金の移動が起きているだけなのだ。もちろん、日本国債は海外にも買われているけれど、その割合は10%程度に過ぎず、圧倒的に日本国内で持っているのだ。

 

1500億円の国立競技場をつくったということは、1500億円の借金は将来の国民に受け継がれると同時に、将来の国民は1500億円の預金も受け継いでいるということ。国立競技場建設のために動いた1500億円は、誰かのお財布に入ったのだ。もしかすると、私の知り合いの建設会社社員に入ったかもしれないし、インテリア備品屋さんにはいったのかもしれない。

 

日本政府が借金をしても、働いてくれた人が日本の中にいるならば、国の中にある財布から財布へ、お金は移動しただけ、ということ。

 

国のお財布は、「政府のお財布」「個人のお財布」「企業のお財布」からなっている。国内で使ったお金は、そのどこかに移動しているだけ。お金の移動とともに、だれかの労働があるはず。誰かの労働が無い時には、お金の移動がおこらない。

つまりは、借金をする人がいるということは、その分働く人がいるということ。そして、お金はそこへ流れる。

 

社会全体でみると、政府が借金を増やすとき、誰かが同額の貯金を殖やしている。繰り返しになるが、1500億円をかけて国立競技場をつくったということは、1500億円が誰かのお財布に入ったということ。

あら不思議。1500億円、だれかのお財布のお金が増えたのよ!!!
だれも、そんなこと、教えてくれない。
だって、働いてお金が入った人は、それが当然と思っている。

払うのはしぶしぶ、貰うものは拒まず、、、。

 

国の借金を受け継ぐのはいやだけど、親の資産は相続して当然と思うのは、自分のお財布のことしか考えていないということ。自分も社会の一員であれば、自分も国民のひとりであれば、借金も預金も、両方受け継いでしかるべきなのだ。


最終話が、秀逸。
未来のためにお金を増やす意味(自分のお財布の)はあるのか???
さて、どう思うか?

老後のために必要なのはお金なのか??

お金があっても、働いてくれる人がいなければ、お金の移動は発生しない。というか、お金は役に立たない。

 

将来の老後の不安を解消するために、私たちがやるべきことは??

お金を貯めることではなく、、、、、働く人を守るということ。私たちが、社会全体で子どもを育てること、というのが、一つの答え。そして、「私たち」ってだれ???

 

お金で解決できると思っているのは、「私たち」の範囲が狭いときだけ。うちの家族だけが、私たちの世代だけが、、、ではなく、社会全体、と思ったときには、「お金」をためることより大事なことが確実にある。

「問題を解決してくれる人」に思いを馳せれば、私だけがよければ、とはならないはず。


「私たちの範囲」を大きくしよう!それが、本書の一番のメッセージ。 

 

さらっと読んだだけだと、わかるような、わからないような、、、平易な言葉で語られているけれど、なんか丸め込まれたような、、、気がしなくもないのだけれど、第3部だけでも、じっくり読むとよくわかる。

 

お金は増減せずに、移動する

 

お金があっても、働いてくれる人がいなければ、そのお金は使いようがない。

そんな、当たり前のこと、わすれちゃっていたかもしれない。

 

お金をどう使うか、それが大事。

お金のうしろにいる人に思いをはせる、それが大事。

 

お金をどう使うか、それも、自分の頭で考えて、自分で決めよう。

 

うん、なかなか楽しい本だった。

個人的には、本書の方が、『君のお金は誰のため』よりもおすすめかな。

 

読書は楽しい!