『オリンピア』 by デニス・ボック

オリンピア
デニス・ボック
越前敏弥 訳
北烏山編集室
2023年12月15日 初版第1刷発行
OLYMPIA (1998)

 

本のプロの知り合いが、面白そうだよ、と教えてくれたので、図書館で借りて読んでみた。

 

本の紹介には、
” 記憶と鎮魂のファミリー・ヒストリー。 第二次世界大戦をきっかけにドイツからカナダへ移住した家族を描く連作短編集。静かで平和に見える一族の生と死が詩情豊かに語られる。点景としてのオリンピック、断片としての家族の歴史。”とある。

 

著者のデニス・ボックは、 1964年 生まれのドイツ系カナダ人作家。 オンタリオ州オークビル出身。 ウエスタン・ オンタリオ 大学で英文学と哲学を専攻。卒業後、さらに5年間マドリードで暮らす。 本作がデビュー作で、1998年の作品。最新作は、『The Good German』ヒトラーが暗殺された世界とその後を描いた歴史改変ディストピアで、本作と同様にドイツ系カナダ人たちの姿を描いているとのこと。

 

ドイツ系カナダ人という存在が、カナダでどのような社会的立場なのかを理解していないけれど、本作の主人公の両親は、子ども時代に直接第二次世界大戦を経験している、という設定。そして、カナダに移住している。

 

目次
結婚式
オリンピア
ゴーレム
ルビー
荒天
スペイン
マドリード上水道

 

感想。
なんだこれは??
なんだか、不思議な短編集だった。
面白いというのか、ディストピアではないけれど、淡々と生活が描かれる。しかも、悲惨な経験、悲しい経験、空しいような、、、。

途中で、空しくなって読むのを辞めようかと思ったけれど、なんだか気になる・・・。

そして、最後まで読んで、最後の「マドリード上水道」で、一気に盛り上がる!って感じ。あぁ、読んでよかった。


たしかに、短編集。だけれど、全ての話は、主人公ピーターにまつわるエトセトラ。

 

以下、ネタバレあり。

 

主人公のピーターには、5歳年下の妹・ルビーがいる。両親は、第二次世界大戦のあとに、カナダにやってきた。ドイツでは戦争の悲惨を経験している。父の両親、つまりピーターの父方の祖父母は、オーパ(ドイツ語でおじいちゃん)が元オリンピックのセーリング選手。オーマ( ドイツ語でおばあちゃん)が 元オリンピックの飛び込み選手。ピーターのお父さんもヨットを操り、ヨットを造ったりもする。一方で、母の家族は、戦争で極めて悲惨な経験をし、トラウマを抱えているうえ、マスタードガスの後遺症に苦しむ弟がいる。精神的にだけでなく、身体にも障害がのこっている叔父のウィリーは、うっかり湖におちたピーターを救ってくれる。そのことで、ピーターは何かを負ってしまったように感じる。なんとも微妙な心理描写。

 

父の家族と母の家族、それぞれの歴史が、ぽつりぽつりとでてくる。母方の家族は、みんなちょっと変わっている。戦争のトラウマがそうさせるのか。。。対照的に楽天的な父の家族。

 

それぞれの短編は、おおよそは時系列だけれど、ときには前後する。そして、様々な出来事は、オリンピックの年とリンクする。

 

1972年、ミュンヘンオリンピック。運動神経がすばらしく、体操の強化選手にまで選ばれたルビーだったけれど、13歳で、年齢が足りないということで、代表選手にはなれなかった。がっかりして元気をなくしたルビー。でも、ルビーの元気のなさの理由はオリンピックだけではなかった。白血病を発病してしまう。厳しい闘病生活が始まる。

 

その1972年の悲しみの前、1971年、祖父母が結婚式をやり直そうとして集まったパーティーでは、祖母がウエディングドレスのまま湖におちて、亡くなってしまう。本作は、その悲惨な「結婚式」の話から始まる。

 

加えて、1972年のミュンヘンオリンピックは、パレスチナ武装組織によって起こされたテロで、イスラエルの選手やコーチ、11人が亡くなるという悲劇がおきたことも語られる。血塗られたオリンピック・・・。

 

1976年、モントリオールオリンピック。せっかくカナダで開催されたオリンピックなのに、ルビーは闘病している。

 

1980年、モスクワオリンピック。そのころには、白血病を克服したかにみえたルビーだったけれど、再発。。。亡くなってしまう。しかも、、、ピーターから骨髄移植を受けたのちに。HLA(ヒト白血球抗原)がルビーとほぼ同じ型だとわかって移植したのだけれど、移植から一か月後、拒絶反応が起こり、ルビーは亡くなってしまう。

 

ぼくの与えたものがルビーを殺そうとしていた。

そして、、、死んでしまう。。。

 

ルビーを亡くして、変わってしまう母。ピーターも、かわってしまった。。。父も、、、。

 

父は、竜巻観察を趣味とするようになり、ピーターと一緒に竜巻がくると勇んでみに行った。それは、命知らずな、向こう見ずな遊び。ある日の竜巻予報に、ピーターを呼び出して、いっしょに竜巻見学へ行く父。命の危機にさらされながらも、嬉々としている二人、、、。二人が自宅に戻ると、愛想をつかした母は出て行った後だった。家の窓ガラスは割られ、食器類はめちゃくちゃ。でも、割れたガラスは家の外に広がっている。竜巻ではなく、母のしたことだった・・・。

 

そして、スペインに引っ越したピーターの恋愛話。女の子を二股にかけているのか、、、しょうもない29歳のピーター。

 

最後は、マドリッドでのピーターの結婚式。1992年、バルセロナオリンピックの年。物語にでてきた年代と年齢を計算すると、ピーターは34歳くらい。結婚相手のヌリアの祖父も、元ヨットの選手だったとういうことで盛り上がる家族たち。
そこには、ピーターの両親が揃っていた。出ていった母は、父のもとに戻っていた。

 

みんなで歌を歌う。

子供の頃に父が歌っていた歌を、ピーターの結婚式でみんなで歌う。

その歌声が、幻影や亡霊のように死者たちを超えていく。。。

 

ピーターは、ここが自分の場所だと確信する。愛しい人達と共にいるこの場所が・・・。

 

最後だけ、明るく、楽しいい気持ちになれる。

このクライマックスのために、延々と暗く、空しい話が続いていたのか、、、。

 

なんとも、不思議なお話だった。

そして、それぞれの家族、それぞれの人、なにもかもがそれぞれなのだと、、、。

 

234ページの単行本。ちょっと、縦に長い。なぜか下のマージンが大きい。

わりと、あっという間に読める一冊。

 

途中、ドキッとするピーターの言葉がでてくる。

”両親と祖父母は、かつては遥か遠方に住んでいた。オリンピックの国ドイツ。けれどぼくたちは、それがとんでもない犯罪国家であり、先史時代のぬかるみでもがきつづける愚かな野獣だと知った。”

そして、ドイツ語で両親から話しかけられて意味が分かっていても、英語しか話そうとしない子供達。でも、気が付けば、オーパ、オーマとドイツ語を話している子供達。移民の子供の微妙な感情が、せつない。

 

言語は、文化である。その文化を拒否する子供達。。。

 

普通に短編集のようでいて、実はとても深いことを語っているような気もする。移民、文化、医療、、、、。

そして、自分の居場所がここではないと感じる不安。

最後にピーターがみつけた自分の場所。

 

意外と、深い。

不思議な本でした。

しみじみ、あとからじんわり、色々なことを思う。

 

あー、いい本だ。 そう思う。

再読すると、もっと深く感じるような気がする。

 

うん、読書は楽しい。