『 ビアトリクス・ポター物語 ピーターラビットと自然を守った人』 by キャティ・ウーリー

ビアトリクス・ ポター物語
ピーターラビットと自然を守った人
キャティ・ウーリー 文
ジニー・スー 絵
中井はるの 訳
河野芳英 監修
化学同人
2023年9月4日 初版第一刷発行
Beatrix Potter:Victoria and Albert Museum, London, 2022

 

 図書館で子ども本のコーナーのなかで、平置きで飾ってあったのが目に入った。 福音館書店ピーターラビットシリーズは、 読み終わったものの、著者のビアトリクス・ポターについては良く知らなかった。可愛らしい表紙には、女性の姿のイラストが。だいたい、女性であるということも知らなかった。。。なので、手に取って読んでみた。

 

表紙をめくった裏にも、すみれ?パンジー?可愛らしいお花たち。そして、
世界中で愛され続ける「ピーターラビット」を生み出した ビアトリクス・ポター
 女性の社会進出が難しかった時代、彼女は困難にもめげず、大好きな自然と関わって生きていくことを決してあきらめませんでした。
そんななか、友人の子供を励まそうと出した絵手紙が「ピーターラビット」を生むきっかけになります。
作家として成功した後は、作品の舞台になった自然を守る活動に身を捧げました。 
自分の行動が、 未来の社会に役立つ。 そう信じて生きた一人の女性のたくましい人生の物語を紹介します。”と。

 

出版元が化学同人というのが面白い。化学同人といえば、科学分野の教科書でさんざんお世話になった出版社。自然というテーマが、合致したのだろう。

 

 ヘレン・ビアトリクス・ポターは、1866年7月28日、 英国のロンドンで、とても金持ちの家に生まれた。両親とも商いから得た財産を相続していて、お父さんは弁護士、お母さんは芸術好き。ビアトリクスは、乳母に育てられたお嬢様だった。

子供の頃から絵を描くのが得意で、ペットや植物ををよく描き、9歳になるころには大人も感心するほどの腕となり、14歳ごろには文章を書くことも好きになっていた。

夏休みには、家族でスコットランドまで大旅行。自然の中で、時間のある限り目にする丘や谷、野の花、キノコ、動物を描いてすごしたビアトリクス。お気に入りのうさぎを飼っていて、ベンジャミン・バウンサーとピーター・パイパーという名前だった。この2匹こそ、ベンジャミンバニーとピーターラビットのモデル!

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1893年9月、ビアトリクスは病気で寝込んでいた家庭教師アニー・ムーアの息子ノエルに、ピーター・パイパーから思い浮かんだお話を書いて送った。アニーの家族はみんなお話に夢中になり、ビアトリクスは書いてはアニーの子供たちにお話を送り続けた。そのうち、ビアトリクスはこのピーターラビットと仲間たちのおはなしを本にしようときめた。でも、6つの出版社にもっていっても、全部断られてしまう。それでもあきらめなかったビアトリクスは、最初は250部を自主出版。すると、すぐに全部売り切れ。そして、とうとう、フレデリック・ウォーン社が『ピーターラビットのおはなし』を出版することを決定。ただし、挿絵はカラーで描き直すことを条件として。

 

ビアトリクスは条件に合意した。ただ、「子どもの手で持てるサイズ」という条件はゆずらなかった。

そうか、それで、今でもピーターラビットはあの可愛らしいサイズなのね。なるほど!!
値段も、1シリングとお手頃だったそうだ。

 

その後、全部で23のお話を書き上げる。あれ?福音館書店のシリーズは24だったけど、、、。1930年の『こぶたのロビンソンのおはなし』が最後の作品だったそうだ。

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ビアトリクスは、湖水地方に魅せられ、『赤りすナトキンのおはなし』のアイディアを思いつく。リスのナトキン、ハリネズミのティギー、うさぎのベンジャミン・バニー
などが生まれてくる。最初は、湖水地方に暮らす親しみのある登場人物の作品をかいていたけれど、だんだん飽きてきたので、「いやな登場人物」も描くようになる。キツネのトッドや、アナグマのトミー。

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グロスターの仕立て屋』のお話は、実際にあった出来事がもとになっている。もちろん、実際に作製途中のチョッキを仕上げたのはねずみたちではなく、仕立て屋の弟子たちだったのだけれど。

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こうして、絵本作家として成功していくビアトリクスは、ただの作家ではなく、ビジネスセンスも持っていた。だから、ピーターラビットのキャラクターをおもちゃやゲームなどとして商品化、ぬいぐるみは商標登録することで、ビジネスを上手く回した。

へぇ、、、すごい。

 

ビジネスで成功したビアトリクスは、湖水地方のニア・ソーリー村にあるヒルトップ農場を購入し、小道をつくったり、花を植え、羊や牛をかうようになる。ビアトリクスが育てたハードウィック種の羊は、品評会で賞をとるほどだった。

 

ビアトリクスは、 編集者のノーマン・ウォーンからプロポーズされる。でも、両親に反対されてしまい、二人だけでひっそり婚約をする。しかし、プロポーズの一か月後にノーマンは急に白血病で亡くなってしまう。その失意の中の作品が、『はりねずみ ティギーのおはなし』だった。

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ノーマンの死から7年後、ビアトリクス は、湖水地方の自然保護活動を一緒にしていた弁護士のウィリアム・ヒーリスにプロポーズされる。この時も両親に反対されたものの、二人は意思を貫いて結婚。そして、二人は、ナショナル・トラスト(1895年設立の環境保護団体)の共同設立者と共に変わりつつある自然を守る活動をつづけた。

晩年は、目が悪くなって、物語を書くのがつらくなってしまい、農場の経営や、そこで働く人たちと一緒に過ごすようになる。1918年に流行ったスペイン風邪流行時には、感染者を助けるために、看護士たちのための設備を提供したりもしている。

 

最後は、ほとんどベッドから起き上がることすらできない状態となり、1943年、77歳で亡くなる。


ヴィクトリア & アルバート美術館には、今でも、ビアトリクスの手紙、スケッチ、諸藩本などが大切に保管されていて、だれでも見ることができる。

女性に発言権がなかった時代であっても、作家として成功したことで経済的な自立を手に入れ、自分の願っていた暮らしを手に入れたビアトリクス 。そうか、そんな格好いい女性だったのか。

 

最後の解説では、実は、ビアトリクス は、「キノコ」博士でもあったらしい。でも、女性だというだけで、学会への参加は許されなかった。それでもキノコ研究をつづけたビアトリクス 。まるで、南方熊楠を彷彿させる。

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たくさんのキノコの絵もかいていて、それは、『道ばたと森のキノコ』というキノコ図鑑に収録されているという。

へぇ、、、そういうひとだったんだ、って新鮮な驚き。


ビジネスマンであったというところから、あのシンプルでいて、現実を直視したストーリーに納得がいく。夢見る少女ではない。夢を現実にする力のある女性だったのだ、と思った。
読んでみてよかった。

 

湖水地方、一度いってみたいな。。。 

自然が人を育てる。

それは、世界中で共通なのかもしれない。