『坂の上の雲 四』  by 司馬遼太郎

坂の上の雲 四
司馬遼太郎
文藝春秋
2004年5月15日 新装版 第1刷発行
*本書は 昭和46年(1971)6月に刊行された『坂の上の雲 四』の新装版です。

 

坂の上の雲 三』の続き。日露戦争の戦況がメイン。三巻と同様に、時々、秋山兄弟がでてくるけれど、もっぱら日本軍とロシア軍の動きについて。

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目次
旅順総攻撃
二〇三高地
海濤
水師営
黒溝台

 

感想。
そうか、バルチック艦隊って、、、日本軍と戦ったときは南洋の海からはるばるやってきて、疲労困憊で戦うどころではなかった、って、、、こういうことだったのか。
って、ことがわかった第四巻。

そして、司馬さんの容赦ないダメ軍人への批判の言葉。そこに、「女のように・・・」とか、「ロシア人の病的な・・・」とか、いまなら、差別的だといって、出版社からNOといわれそうな言葉が並ぶ。でも、だから、なんというか、それぞれの人のキャラがわかりやすいともいえる。もちろん、司馬さんにとっての個人の印象ではあろうけれど。

個人の特徴を際立たせることで、話を分かりやすくする、司馬さんマジックかな。

 

乃木軍司令部が、いつまでも二〇三高地を攻めようとしないことで、日本軍は死傷者の数を積み上げていく。

無能者が権力の座についていることの災害が、古来これほど大きかったことはないであろう。”って、乃木批判がすごい。

 

かつ、乃木軍の参謀長伊地知幸介への批判もすごい。

伊地知は、そのような客観性のある視野や視点を持てない性格であるようであった。さらにはつねに、自分の失敗を他のせいにするような、一種女性的な性格のもちぬしであるようだった。”と。

おいおい!!
他のせいにするのを、一種女性的な、、とは、、、、とほほほ、、、。
ま、司馬さんだから、みのがしてあげよう、、、。
こんなこと、今の人が書こうものなら、ぼこぼこにされるであろう、、、。

 

そして、旅順で苦戦していく日本軍。いつまでたっても二〇三高地を攻めようとしない乃木軍。しかも、中途半端に攻めたことで、ロシア軍に「二〇三高地こそ、大要塞の弱点だ」と気づかせてしまう。中途半端な乃木軍の行動は、ロシアに智恵をつけたようなものだった。司馬さんは、これを、
乃木軍がやった無数の失敗のなかで最大級”といっている。

 

本格的に動かない乃木軍にしびれを切らした総司令部の大山巌は、児玉源太郎に乃木にかわって指揮をとらせることを許可し、児玉を乃木の元に送る。これは、乃木と同郷の長州人である児玉が、みずから、「乃木の尊厳を傷つけずに、乃木に進言できるのは自分しかいない」と、かって出たものだった。

乃木軍は、旅順でロシア軍に攻撃をしかけるのが、なぜか〇月26日だった。だから、ロシア軍は、次の攻撃も13日か、26日だろう、と予測することができた。これについては、乃木軍に科学的な計算が合ったわけではなく、たんに、最初に南山を突破した日が26日で縁起がいい、とか、偶数だから割り切れるので、要塞が割り切れるとかいっていたらしい。
そりゃ、
”兵も死ぬであろう”、、、と、司馬さん。

 

でも、そうして死んでいった兵たちに対して、
”かれら死者たちのせめてもの幸福は、自分たちが生死をあずけている乃木軍司令官が、世界戦史にもまれにみる無能司令部であることを知らなかったことであろう。”って。

知らぬが仏。
せつない。

 

そして、児玉が乃木のところへ。あくまでも、乃木をたすけ、日本軍をたすけるためにやってきた児玉は、とても善い人のように描かれている。そして、うまく乃木から指揮権をうばい。そして、伊地知らのとった作戦を痛烈に批判する。
無能、卑怯、頑固、鈍感、無策、、、、と。いわれた伊地知は、怒りで血の気を失うほどだった。

そして、批判の言葉の中には、
「おまえは女か」
ということばもでてくる。

う~~ん、まぁ、戦地だと、、、、わからなくはない表現・・・。
ただ、その後に解説が続く。

自己中心的な視野しかもてないという意味で、児玉はそういったのであろう”と。
あちゃちゃ、、、。
ま、、よかろう、、、。

 

そして、児玉は、二〇三高地を砲弾で攻めまくる。そして、とうとう、ロシア軍は降伏。旅順の勝利は、児玉の活躍によるものだけれど、児玉はあくまでも乃木の手柄となるように、現地で指揮者がかわったことを現地の兵士たちに「他言無用」と、いうのだった。

乃木と児玉の友情のあつさは、
”後世の人間の想像を越えたものがあるようであった。”と。

 

ちなみに、児玉は幼いころに佐幕派に一家を惨殺された経験があり、乃木は吉田松陰とともに玉木文之進の教えをうけていて、二人とも明治維新の激流を身をもって経験した仲だったそうだ。でもって、ちょっとだけ、
”乃木の性格も、良質な柔順さがあり、、”と、褒めている。

 

と、旅順で日本とロシアが攻防している間に、バルチック艦隊は、日本海にむけて出港する。それは、リバウという、ロシアの西方の港。ニコライ二世の寵臣だったロジェストウェンスキー指揮するバルチック艦隊は、ロシアの西から、スペインの西を通って、アフリカを超え、喜望峰を超え、マダガスカルを通って日本海へ向かう。途中、ドイツから供給されるはずだった燃料の石炭が、日英同盟下にあったイギリスによって妨害され、なかなか思うようにすすまない。

二〇三高地が落ちたのは、マダガスカルのあたりで石炭を待っているときだった。しかし、情報はなかなかつたわってこない。暑さになれていない兵士たちは、疲労困憊、、、マダガスカルの湿気は、士気を失わせるに十分だった。もう、引き返した方がいいのではないか、という意見すらでていた。

そうか、そんな状態のバルチック艦隊だったんだ・・・。

 

本書を読んでいると、ロシアの軍人たちが戦っていたのは日本ではなく、ロシアの中での権力の座だった、、ということもつたわってくる。まぁ、日本軍もそれににたところがあったのだけれど。

 

旅順の戦いが落ち着いたあと、海軍の秋山真之は、一旦日本に戻る。そして、バルチック艦隊といかに戦うか、、を毎日考える。

一方の陸軍好古が、旅順攻略以降に、苦戦することになる。クロパトキン采配のミシチェンコ軍、コサック奇兵隊と戦う。
その様子も、凄惨。。

 

季節は、12月から1月という極寒。じっとしていれば、足元から凍ってしまう。そんな寒さの中、総司令部はロシア軍も攻めてくるはずがないと思った。好古は、ロシア軍に動きあり!となんども警告をだしていたにも関わらず、総司令部にはことごとく無視される。。

この、総司令部の危機感のなさ、、、。

 

児玉も、児玉が信頼する松川俊胤大佐も、ロシアが攻めてこないと思っていたばかりではなく、「日本の騎兵になにができる」と、味方の能力に不信感をもっていた、と。

好古は、とにかく、居座って戦い続けた。


「騎兵はな、馬のねきで死ぬるのじゃ」と。
ねき、というのは、伊予のことばで、そば、という意味。
馬と共に要所をまもり、一歩もひかない・・。
と、これまた、ブランデーを飲みながら語る好古。いい男だ!!

と、黒溝台の戦いで四巻は終わる。 

 

司馬遼太郎で、ロシアを学んではいけないというけれど、やっぱり、歴史の勉強になる。すごく、勉強になる。しかも、楽しく。

 

次は、五巻だ!