『Until AUGUST』(邦題:出会いはいつも八月) by  GABRIEL FARCIA MARQUEZ

Until AUGUST
GABRIEL FARCIA MARQUEZ
Exclusive Edition
Translated by Anne McLean
PENGUIN BOOKS (2024)

 

G・ガルシア=マルケスが晩年に認知症を患いながら描いていた作品。今年、新たに英語版、日本語版が出版された。ニュースを聞いて、即座に予約購入。

 

本人はボツにするつもりだった。でも、家族が、秘書が、原稿を残していた。何度も校正されていたらしく、そのバージョンの写真も掲載されている。

また、なぜマルケスの死後10年たって、なぜこの本を出版するにいたったかの話がRodrigoとGonzalo、二人の息子によって語られている。

この、PREFACE、序文を読むだけでも、彼らの父Goboの晩年が思い浮かべられるようで、なんというか、哀愁ただよう、、、。

 

G・ガルシア=マルケスは、百年の孤独』(One hundred years of solitude)があまりにも有名。私は、マルケスの作品は、『百年の孤独』しか読んだことが無い。いつか、他も読もうとおもいながら、、、そして、本書は、英語翻訳、日本語翻訳がほぼ同時に発売された。

おぉ!!マルケスの幻の作品!と思って、勢いあまって、英語翻訳を購入。124ページの単行本。ポチってから、3週間くらいかかったかな、、、しかも、円安の影響もあって、高い。。3,544円。

 

感想。
おぉ、いい感じ。
いい感じで、物語は進んでいく。

あぁ、、、やっぱり、こういう感じ、好き。

 

以下、ネタバレあり。


主人公は、しあわせに暮らしている主婦。夫との生活に不満があるわけではないけれど、母の墓参りに年に一度、8月に訪れる島で、一夜のアバンチュールを期待するようになる。

その、男たちとの出会い、別れ。
夫との生活。
子どもたちの巣立ち・・。

自分は何を求めているのか、、、、。

 

主人公の、Ana Magdalena Bachの母は、この島に埋葬してくれといって、亡くなる。自分の郷里ではなく、晩年に年度か訪れていたこの島に。そして、Anaは、年に一度、墓参りに来るようになるのだ。ラグーンの広がる海。まぶしい太陽。サンタンの似合う町。Anaは、1人でやってくる。
そして、母の墓には、毎年グラジオラスの花束を供える。そして、そこで出会った男たちと一晩限りのアバンチュール。そんなつもりではない、愛しているのは夫だけとわかっていながら、、、。初めてのアバンチュールは、目覚めた時に男の置いていった20ドル札が本の間にあることに衝撃をうける。翌年、翌々年、もうその男にあうことはないだろうとおもいながらも、つい、男を探してしまうAna。そして、声をかけてくるしらない男たち。

 

言ってしまえば「ナンパ」されるのを待っている中年女なのだけれど、なぜか、美しい。男たちの誘いの言葉も、Anaの返しの言葉も、美しい。強く、美しい。

 

数年目の8月、Anaは母のお墓の前に、”an usual heap of flowers” を見つけて驚く。”an usual heap of flowers” 直訳すれば、尋常じゃない量の山積みの花。一体だれが??墓守の話によれば、”The gentleman who always does.”

 

母の墓を訪れ、大量の花を供えていく男性がいたのだ。
母は、この島に、恋をしに来ていたのだと悟るAna.

そして、、、、
物語は、Anaが母の遺骨を連れて帰るところで終わる。

唐突な終わり!!


やっぱり、まだまだ、マルケスとしては推敲したかったのかな。でも、息子たちにとっても、いくつものバージョンの原稿の中から、推敲してこの終わりにしたのだろう。

いやいや、私の英語の理解力の問題か?と思って、結局、日本語も購入してしまった。。。
やっぱり、日本語のエンディングも同じだった。。。。そりゃそうか。

 

英語版も、スペイン語からの翻訳だから、原文ではない。けど、日本語でよむより、英語で読んだ方が、情緒を感じる。それは、私の英語力のなさの所以かもしれない。日本語ほどダイレクトに言葉が頭に入ってこない。色々言葉の意味を想像しながら読むから、、かな。

けど、満足。マルケスの作品を読めたことに満足。
出版する決心をした、家族に感謝。 

 

日本語版
『出会いはいつも八月』
G・ガルシア=マルケス
旦敬介 訳
新潮社
2024年3月25日 発行

帯の言葉。
”見知らぬ男に抱かれたい。
母の眠る、あの島で。”
肉体のなかでぶつかり溶けあう生と死。
圧巻のラストに息をのむ、
ノーベル文学賞作家が最後まで情熱を注いだ未完の傑作

アナ・マグダレーナ・バッハ、四十六歳。
飽きることなく求めあう指揮者の夫との間に、子どもが二人。
満ち足りた暮らしにもかかわらず、
アナは毎年八月の母親の命日に訪れるカリブ海の島で、
一夜限りの男をさがさずにはいられない。

「人には、公の生活、私的な生活、そして秘密の生活がある」
そう語ったマルケスが肉迫した、ひとりの女の、
誰にも知られてはいけない「秘密の生活」とはーーー”

 

翻訳は、わりと淡々としている。もとのスペイン語がわからないけれど、マルケスの作品自体、factが並べ立てられることが多いので、そのまんまの雰囲気なのかな。翻訳者の旦さんは、他にも新潮社からマルケスの翻訳本を出されているようだ。いつか、読んでみようかと思う。

 

ちょっと、スペイン語ので読んでみたいって気もするけど。。。まぁ、Hola!しか知らない私には、遠く儚い夢である・・・。

 

日本語を読んでから、もう一度英語を読み直してみると、また、深く感じるところがある。アバチュールを求めながらも、やっぱり愛しているのは夫。最後のAnaが母の遺骨を自宅に持ち帰るのは、もう、島に行く口実を自分に与えたくなかったから、、ということか。日本語だけ読んでも、すーーっとなじんでしまったAnaの行動が、もう一度英語を読み直したことで、あぁ、、、そうか、、、という、私なりの解釈になった。

 

本も映画も、何度も鑑賞していると、ちがった面が見えてくることがある。英語と日本語で読み比べると、また、ちがった面がみえてくることもある。

 

翻訳って、Translateとはいうけれど、やはりInterpretateが入る。解釈が入るんだな。。。

 

世の中、AI翻訳もあるし、chatGPTもあるし、語学勉強なんて不用な時代はくるかもしれないえけれど、やっぱり、自分で解釈できる言語が増えるのは、楽しみが増えることになるよな、、、って思う。

 

本も楽しかった。

英語も楽しかった。

勉強と思って、英語で読むのも、悪くない。

 

そして、マルケス、やっぱりいい。