『坂の上の雲 三』 by 司馬遼太郎

坂の上の雲 三
司馬遼太郎
文藝春秋
2004年5月15日 新装版 第1刷発行
2009年10月30日 新装版 第4刷発行
*本書は 昭和45年(1970)6月に刊行された『坂の上の雲 三』の新装版です。

 

坂の上の雲 二』の続き。

megureca.hatenablog.com

 

日露戦争の戦況がメイン。時々、秋山兄弟への言及もあるけれど、もっぱら日本軍とロシア軍の動きについて。

 

目次

砲火
旅順口
陸軍
マカロフ
黄塵
遼陽
旅順
沙河

 

最後の方のページには、連合艦隊および第三艦隊編成表(日露開戦時)が載っている。作品中にでてくる主な登場人物だけ抜粋すると、次のような感じ。
連合艦隊司令長官東郷平八郎(中将)
第一艦隊(旗艦三笠)
 司令長官:東郷平八郎
 参謀長:島村速雄
 参謀:有馬良
 参謀:秋山真之
第二艦隊(旗艦出雲)
 司令長官:上村彦之丞
第三艦隊(旗艦厳島
 司令長官:片岡七郎

 

明治37年2月6日、日本がロシアに対して国交断絶を通告。ロシアの宣戦布告が9日で、日本は10日。そして、日露戦争が始まる。始まる前から、戦いが長引けは日本の戦力は干上がってしまうことは明らかだった。

 

陸では秋山好古らが、コサック騎兵を含むロシア軍と戦っていた。好古は、日清戦争のときと同じように、やはり戦場でも酒をのんでいた。日露戦のころには、ブランデーをたのしんでいた。そして、ロシア軍がどんどん攻めてきても、好古は退却もしなければ攻め込みもせず、現場に居続けた。砲弾がぶんぶん飛んできても、なんでもないかのようにブランデーを飲み続けた。部下が、退却しましょうと進言しても、「敵もくたびれてくるはず」と、ひたすらその時が来るのを待った。そして、たしかに、敵はだんだんと北へ退却し始めて、好古らのピンチは去っていく。

 

「鈍感」になることで、ピンチを抜けた好古。のちに、退却を進言してきた部下に対しては、「聞こえぬふりをして寝てやった」と語っている。。。さすが、豪傑好古!やっぱり、かっこいい!

 

マカロフは、ロシアの海軍中将で、軍の士気を高めるのが得意で、水兵たちのあいだで、「マカロフじいさん」という歌がはやるくらい、人気者だった。海軍戦術がすごいというより、人のこころを掴むのが上手いっていう感じ。マカロフは、自分の戦略・戦術を末端の水兵たちにまで語って聞かせた。当時、そのようなリーダーシップは極めて斬新だったらしい。下っ端は、トップの考えはしらんでもいい、っていうのが当たり前だった中、マカロフは違った。隅々まで自分の考えを伝えることで水兵たちの心をつかみ、組織を一つにすることができる人だった。老齢ではあるけれど、人に好かれたマカロフも、旅順で戦死。

 

当時、名将が無くなった際には、敵艦隊に弔辞を送るという習慣があり、マカロフの死に対して弔辞を送るかと部下にいわれた東郷は、「やめよ」とだけいった。後に、ただその気が起こらなかった、といっている。冷静だった。マカロフの死のあと、東郷の日本軍も同じように大勢の死者をだす。海上戦で主力になるべき戦艦を失っても、東郷は動揺することが無かった。悲報に「みな、ご苦労だった」とだけ言って、そこにあった菓子皿から菓子を食べるように艦長たちにすすめた。そういう人だったらしい。

リーダー、動じないって大事。好古にしても、東郷にしても、そこは群を抜いている。

 

それに比べて、、、残念な人物として描かれている人たちもいる。

本書の中では、山形有朋について、けちょんけちょんにけなされている。人望無し、、、の人だったらしい。器が小さい、「子供じみた大人」と書かれている。「権力好きな、そしてなにより人事いじりに情熱的で、骨の髄から保守主義者であったこの人物の頭脳に、あたらしい陸軍像などという構想が浮かぶはずがなかった」って。でも、山形は陸軍の長老であり続けた。実力のない人間が組織に居座ることによる、全体への悪影響。なかったわけがない。ついでにいうと、日露戦争をすすめた陸軍の最高幹部は、多くは長州人だった。山形しかり。まだ、明治維新後の薩長藩閥の影響が大きかった。

 

「人事いじりに情熱的」な人間ほど、組織にとってがんはない。それは、今の時代も同じ。。。。

 

動じないといえば、真之についても、好古以上に異常なまでの大胆さが表現されている。軍の規律とは無関係に、真之は活動したり、寝たりしていた。なぜか、それが許された。いきなり寝たかと思うと、不意に起きてコンパスと定規をもって思ったことを学理的に具体化してみせたり、その様子はまるで狂人だった、と。

 

黄海海戦は、ロシアも日本も散々な海戦となった。どちらにとっても、失敗。つまり、失った命が多すぎた。ロシアは、旗艦ツェザレウィッチの司令塔が爆撃で死んだまま、船がすすんだので、他の船はそれぞれどこへ向かえばいいのかわからなくなってしまう、という事態に陥る。逃げるロシア。それでいて、日本としては1隻も沈めてはいない。このままロシア船に逃げ切られると、今度は、日本艦隊が危うい・・・。真之もまずい!と呆然となる戦だった。それでも、真之は、自分の「神秘的幻覚」のようなもので、天賦のかんにたよるところがあった。晩年、真之は心霊的世界にこってしまったのは、戦時中の経験がそうさせたのではないか、と。へぇ、、出家したいといっていた真之は晩年に心霊的世界にこったのか、しらなかった。

 

物資としてはほとんど勝ち目がなかった日本だったけれど、僅かに有利な点は、「下瀬火薬」と呼ばれる、爆発すると発生するガスが3000度にもなる火薬をつかった砲弾だった。また、日本海軍はロシアよりも砲弾を命中させる技術も高かった。日本軍とロシア軍の位置関係から、日本側が太陽を背にして攻撃していたことも命中率を高めることに寄与した。運の強さ、、、。

 

一方で、陸軍はこの時代から、「戦いは作戦と将士の勇敢さによって勝つ」という伝統的迷信に犯されていた。必要な砲弾の量すらまともに計算できない参謀本部だったのだ。だから、好古は、攻撃できる弾もなく、ただ、相手が疲れるのを待つしかなかった・・・。そのいい加減さは、あまりに、あんまりだ・・・。

そして、「膨大な血がながれたが、官僚制度のふしぎさで、戦後たれひとりそれによる責任をとった者はない」、と。。。

 

遼陽では、ロシアのクロパトキンが大山巌児玉源太郎率いる軍に敗北する。しかし、この時、日本側の死傷数は2万を超えた。そんなこともあって、遼陽会戦における日本軍は、世界には勝利者とはうつっていなかった。お金の工面にヨーロッパに飛んでいた日銀副総裁の高橋是清は、日本の公債を買ってもらうのに苦労する。そこを救ったのは、ユダヤ人のヤコブ・シフだった。ロシアはユダヤ人を迫害していたことから、ヤコブは日本に肩入れしてくれたのだった。でも、当時の日本人には、そういった「人種問題」というのはあまり実感できていなかった。でも、アメリカで奴隷になったことのある高橋にとっては、「ロシアにおけるユダヤ人を救うために日本を応援する」ということが理解できた。

 

ここで、ロシアが、19世紀に方々を侵略征服した歴史が語られている。ポーランドフィンランド、、、そして、それは今現在のウクライナにもつながっているということか・・・・。

 

山形有朋と同様、けちょんけちょんなのが、乃木希典自分の手柄を立てたいがために、かたくなに海軍と協力することを拒んだ・・・。203高地を攻めてくれという大本営海軍の懇請は、陸軍側も同意していたのに、現地の乃木軍ががんとして動かなかった・・・。

 

乃木希典というと、私にはそういう悪いイメージしかないのだけれど、ずいぶん昔に「〇乃」という名前の女子が、自己紹介で「乃木将軍の乃なの」と嬉しそうにいっていたことにすごい違和感を感じたのを思い出した・・・。

 

日本の作戦で苦笑してしまったのが、ロシア軍が外との交信に「伝書バト」を使っているということが明らかとなり、長岡というやはり長州出身の参謀本部次長が、「鷹をとばして鳩を襲わせる」という案をおもいついたって話。実際に、大本営鷹匠を呼んで作戦人事に加えた。ところが、鷹は鳩を襲う習性が無いという。で、「隼なら鳩を襲うかも」ということで、野生の隼をつかまえて訓練することから始めた、、とか、、、。この隼が旅順の空を飛ぶことはなかった・・・。松の根の油で飛行機を飛ばそうとしたのと、どっちもどっち、、、。

megureca.hatenablog.com

 

そして、沙河会戦。ここでもまた、日本軍は、2万人を超える死傷者をだす。陸軍は、砲弾を生産するということも忘れていた。

日本陸軍はというのは、要するにそのような智能上の欠陥としかいいようのない体質を最初からもってうまれついていた。」の一文で三巻は締めくくられる。 

 

そして、日露戦争はまだ続く・・・。

う~~ん、上手く書くなぁ。読ませるなぁ。って感じ。

当時、スパイとして活躍したと言われている、明石元二郎についても、ちょっとだけ出てきた。佐藤優さんに言わせると、本当のスパイではないらしいけど。

megureca.hatenablog.com

 

また、続きを、、ゆっくり読んでみよう。

読書は、楽しい。