ロバート・オッペンハイマー
愚者としての科学者
藤永茂
ちくま学芸文庫
2021年8月10日、第1刷発行
映画を観た後、オッペンハイマーについて、もっと知りたくなって、図書館で検索して出てきた本。
いくつか予約が入っていて、借りられるまでに時間がかかった。2021年と比較的新しい。単行本は、もっと前の様だけれど。
著者の藤永さんは、1926年、中国長春生まれ。九州帝国大学理学部物理学科卒業、京都大学で理学博士の学位を取得。九州大学教授を経てカナダ・アルバータ大学教授就任。現在同大学名誉教授。これは、戦争を経験した物理学者が書いた、オッペンハイマーの本。藤永さんのお兄さんは、長崎で被爆している。
裏の説明には、
”理論物理学者のロバート・オッペンハイマーは、ロス・アラモス研究所初代所長としてマンハッタン計画を主導し、広島、長崎に災厄をもたらした原子爆弾を生み出した。その結果、「原爆の父」と呼ばれるようになるが、彼自身は名声の陰で原爆のもたらした被害、さらに強力な兵器「水爆」の誕生につながる可能性があることに罪の意識を抱き、その開発に反対の意思を表明していた。本書は、これまでに数多く書かれたオッペンハイマー伝をつぶさに再検討し、その多くに異を唱える。豊富な史料をもとに、彼の足跡を丹念に辿り、政治に翻弄され、欺かれた科学者の実像に迫る。”
とある。
目次
序 オッペンハイマーを知っているか?
1 優等生
2 救いと物理学
3 美しき日々
4 核分裂連鎖反応
5 ロスアラモス
6 トリニティ、広島、長崎
7 プルーデンスに欠けた男
8 核国際管理の夢
9 戦略爆撃反対
10 オッペンハイマー聴聞会
11 物理学者の罪
12 晩年
おわりに
感想。
う~ん、すごい!
最初に、これを読めばよかった。
たしかに、これまでに読んだオッペンハイマーの本とは、ちょっと違う。本当に、つぶさに資料を確認しているところ、そして、オッペンハイマーを語る上で欠かせない当時の物理学の発展と原子爆弾開発にいたった経緯。そして、その後。。。
これは、一番、参考になったかもしれない。映画を観る前に読んでおくべきだった。
中沢志保の『オッペンハイマー 原爆の父はなぜ水爆に反対したか』よりも、
アブラハム・ パイスの『物理学者たちの20世紀 ボーア、アインシュタイン、オッペンハイマーの思い出』よりも、、、ダントツに、しっかり、オッペンハイマーを客観的に評価している、ような気がする。
著者の藤永さん自身が、物理学者として、科学者の運命というのか政治的関わりというのか、「物理学は悪くない」と言っていいのか??と疑問を持ちつつ、だからこそオッペンハイマーを擁護するのでもなく、悪魔にしたてるのでもなく、冷静に歴史的事実を見つめている。
文庫本で、447ページ。決して薄い本ではない。でも、序をよんで、この本はしっかり読もう、って思った。
序で、映画『ジュラシックパーク』でいやな野郎としてでてくるネドリーという男が、オッペンハイマーの肖像写真を飾っているシーンがあるという話から始まる。
そして、
”オッペンハイマーの科学者の社会的責任が問われるときには、ほとんど必ず引き出される。必ずネガティブな意味で、つまり悪しき科学者のシンボルとして登場する。オッペンハイマーに対置される名前はレオ・シラードである。シラードは、科学者の良心の権化、「あるべき科学者の理想像」として登場する。このお決まりの明快な構図に、あるうさん臭さをかぎつけた時から、私の視野の中で原水爆問題を必要に積み込んできた霧が少しずつ始めたのであった。”
と、あるのを読んで、おぉぉ、なるほど!と思った。
そして、誰かひとりを悪者に仕立てて、貶める必要はどこから生じるのか、という問いに対して、
”私たちは、オッペンハイマーに、私たちが犯した、そして犯し続けている犯罪をそっくり押し付けることで、アリバイを、無罪証明を手に入れようとするのである。”、と。
まさに!!膝を打った。私の中のモヤモヤを明文化してくれている!!
私自身、何か事が起きた時に、誰かを犯人にしようとする執拗な人間の本性というのか、犯人捜しを楽しむ人に嫌悪感のようなモノを感じている。もちろん、悪は悪として裁かれる必要はあるかもしれないけれど、誰かを悪者に仕立てる時、私たちは「自分は悪ではない」という認識の甘美に溺れていないだろうか、と思うのだ。だれにでも、嫉妬心や妬みのこころはあるだろうし、他者から見れば「悪」の側面だってあるかもしれない。でも、「〇〇さんは悪い人です」ということで、自分は悪い人ではないということとすり替えて「善き人」である自分で酔っているというのか、、、、しかも、社会的に「〇〇さんは悪い人です」といわれれば、、、そういわれていな自分に、社会的安全を思ったり、、、してないだろうか。
と、読み進めていくと、まさに!という著者の言葉に出会った。
”「人は人に対して狼なり」と言う西洋の古い格言がある。人間が人間に対して非情残忍であることを意味する。しかし狼は非情残忍な動物ではない。狼に対して失礼と言うものである。「人は人に対して人なり」と言うべきであろうと、私は思う。人間ほど同類に対して、残酷非情であり得る動物はない。人間が人間に対して加えてきた筆舌に尽くしがたい暴虐の数々は、歴史に記録されている。それは不動の事実であり、人間についての失うことのできない確かな知識である。
オッペンハイマーの生涯に長い間こだわり続けることによって、私は、広島、長崎をもたらしたのは、私たち人間であると言う簡単な答えに到達しました。私にとってこれは不毛な答え、責任の所在を曖昧にする答えでけしてなかった。むしろ私はこの答えから私の責任を明確に把握することができた。”
とある。
う~~ん、この序を読んだだけでも、読んでよかったと思った。
そして、1から12まで、オッペンハイマーの生涯のはなしと、当時の物理学、量子力学の発展のはなしが続く。
量子力学の話の中では、どのようにして核分裂の現象が確認されたのか、原子爆弾はどのような仕組みなのか、といった科学の専門的話も含まれる。原爆は「核分裂連鎖反応」によって、巨大なパワーを生み出すのだが、その仕組みについても詳しく解説されている。わりと、わかりやすいと思う。爆弾としての構造についても、イラスト付きで説明されている。
そして、オッペンハイマーの生涯にわたって友だった人たちの様子や、友から敵に変わっていった人、あるいは、敵になるつもりはなかったのだろうけれど保身に走ったために敵になったひと。まっすぐで素直で、頭脳明晰で、出会った人を虜にしてしまう魅力がオッペンハイマーにはあったこと。本書を通じて感じられるのは、オッペンハイマーは、やはり、1人の優秀な物理学者だったのだということ。それに対して、テラー(水爆推進に走った)やシラードについてはかなり批判的な事が書かれている。世間では、良心の権化といわれるシラードが、自己保身に走っただけ、という表現をされている。たしかに、シラードは、原爆が落とされる前に「原爆反対」を訴えた。「フランク報告」に連盟をつらねた。でも、軍に無視されると、あとは保身に走った。かれがやりたかったのは「物理学者とし原爆使用に反対した」という記録を残すことだけだった、と。それに比べて、フランクは、拒絶されても拒絶されても、様々な形で政府、軍へ原爆反対を訴えた。地道な活動は、多くは知られていない。だから、ひとは、シラードを良心の権化と信じてしまう。。。。
うわぁ、、、、、と、考えさせられることがいっぱいあった。
そして、高校生からハーバード大学への進学過程で、一年病気で療養していたこと、ヨーロッパに渡って、ニールス・ボーア、ラザフェード、パウリ、ハイゼンベルクと共に、物理を語り合った日々のことなど、オッペンハイマ―の青春と当時の物理学の発展が語られる。
オッペンハイマーがゲッチンゲン大学で学んでいた頃、同大学の哲学はフッサールに続いてハイデッガーの時代に入ったころ。1920年代、世の中は大きく動いていたということ。
1929年アメリカに帰国、1936年、オッペンハイマーは32歳でバークレーとパサディなの正教授の地位となる。
1939年フリッシュは、核分裂を物理学的実験でたしかめ、はじめて分裂(fission)
という用語が使われた。だれもが、不可能だと思っていた核分裂が可能なものと認識された。
そして、原爆開発が始まる。1941年10月9日、アメリカが原爆を製造する運命が決定された。実は、日本でも、1941年、航空技術研究所長安田武雄中将が理化学研究所に「原爆の研究」を正式に依頼している。
しらなかった、、、。幸か不幸か、、、、。
そして、ロスアラモスの話へ。そこで、広島に投下された「リトルボーイ」(ウラン原爆)も長崎に投下された「ファットマン」(プルトニウム原爆)も開発されることとなる。ロスアラモスの有刺鉄線の中で働いた人の数だけでも、6000人。
著者は、ハンア・アレントの「悪の陳腐さ」が、ここにもあるという。そして、有刺鉄線の中で働いた人間たちには原爆地獄への想像力が欠けていた、と。
”人間は想像力の欠如によって、容易にモンスターになる。このことが他人事ではないという自覚から、私はオッペンハイマーという「モンスター」について書き続けているのである。”と。
うむ。
人間は想像力の欠如によって、容易にモンスターになる。
まさに・・・。
そして、実際には「原爆開発中止」とならなかったのは、だれもが心のなかに「原爆が果たしてうまくいくかどうか見届けたい」というファウスト的な焦がれる想いがあった、という証言もでてくる。それを愚者という、、、のか。
実は、ナチス・ドイツが敗北したとき、ロスアラモスからさった科学者が一人だけいた。ジョセフ・ロートブラット。ポーランド出身の科学者は、戦争には加担したくないと、退所を申し出た。最初は、ソ連スパイと接触する恐れありとして、退所させてもらえなかったが、条件付きでアメリカを去っていった。その後、ロンドン大学の物理学教授となり、核兵器と戦争の廃絶をめざす科学者たちのパグウォッシュ会議の書記長を17年にわたって務め、1995年ノーベル平和賞を受けた。
しらなかった。そういう人もいたんだ。
でも、多くは、ドイツ降伏後も、原爆開発を続けた。最初は、ナチスより先に開発することが目的だったはずなのに、そのナチスがなきものになったのに・・・。科学者のエゴ。悪魔。想像力の欠如。でも、それは、本当に、誰にでも起こりえる。
オッペンハイマーが最終的には、社会から排除されてしまう理由について、「彼は徹底的に正直だった」と表現している。ロスアラモスで一緒に研究した人の多くは、オッペンハイマーに感謝している。オッペンハイマーは、決して保身に走るような人間ではなかった。最後まで、負け戦と分かっている裁判も、正直に戦った。愚直なまでに正直だったのだ、、、。
また、色々いわれている妻のキャシーについても、「彼女に身に備わった魅力とその率直さを愛し、彼女の数々の長所を愛でた人も多かった」との話も。
戦後のアメリカの原子力政策を支配した原子力委員会の成立にまつわるメイージョンソン法案(オッペンハイマー、フェルミ、ローレンスなどが賛成)とマクマホン法案(レオ・シラードなどが賛成)の対立では、軍管理なのか民間管理かということで意見がわれた。この時、オッペンハイマーは、軍管理に賛成をしているのは、管理法がさだまらないよりはましだから、という理由だったらしい。本当は、開かれた開発を望んでいた。それは、ニールス・ボーアの思想と同じだった。
ニールス・ボーアは、コペンハーゲンの研究所を拠点として、世界中の物理学者が分け隔てなく開かれた国際的コミュニティ―をつくることをに意識的な努力を傾けてきた。それは、核開発とて同じこと。国家権力の政治理論が要求する「秘密の壁」を受容することはできない、と考えた。オッペンハイマーは、ボーアと同じ路線で国際的な核の管理をめざしたのだ。しかし、ことは、そう簡単にはすすまなかった。
そして、現在に至る、核の脅威。。。
愚かさ。
それもまた、想像力の欠如によるのだろう。。
読み応えのある良い本だった。
人間は想像力の欠如によって、容易にモンスターになる。
戦争の話だけではない。
う~ん、良い本だ。
物理学を学ぶ若者に、科学者をめざす若者に、読んでほしい。