『考えるヒント』 by 小林秀雄

考えるヒント
小林秀雄
文春文庫
2004年8月10日 新装版第1刷
2020年2月20日 第23刷
*本書は1974年刊の文春文庫「考えるヒント」の新装版です。

 

言わずと知れた名著、小林秀雄の『考えるヒント』。今、小林秀雄の『本居宣長を読んでいるのだけれど、一向に頭に入ってこない。小林さんの書籍の中で、『本居宣長』ほど私にとって読みづらいものはない。。。でも、勉強会の課題図書なので、読まねばならぬ。。数か月かけても、まだ読めていないので、ちょっと、寄り道。『考えるヒント』を手にしてみた。

 

大学生くらいの頃に読んで、よくわからんなぁ、、、と思った記憶があるが、今、読み直してみると、なんて面白いのだろう!と思う。やっぱり、、、年相応の経験が必要なのだ。

 

裏の説明には、
”「 この本を読む読者は、読むほどに、かつてないようなかたちで、精神が躍動し始めるのを感じておどろくに違いない。」(江藤淳氏「解説」より)。「良心」について、「平家物語」、「花見」・・・。 さりげない語り口で始まるエッセイは、 思いもかけない発想と徹底した思索で、 読者に刺激し新たな発見を与える。 永遠に読み継がれるべき名著。”
とある。

 

実際のエッセイが書かれたのは、昭和34年~38年頃にかけて。雑誌「文藝春秋」「読売新聞」「朝日新聞」などに掲載された。それを本にしたのが『考えるヒント』。シリーズは、いまでは4まであるみたい。

 

目次
考えるヒント
 常識
 プラトンの「国家」
 井伏君の「貸間あり」
 読者
 漫画
 良心
 歴史
 言葉
 役者
 ヒットラーと悪魔
 平家物語
 プルターク英雄伝
 福沢諭吉
四季
 人形
 樅(もみ)の木
 天の橋立
 お月見
 季
 踊り
 スランプ
 さくら
 批評
 見物人
 青年と老年
 花見
ネヴァ河
ソヴェットの旅

解説 江藤淳

 

感想。
あぁ、、、そうだ、こういうの、こういうの。面白い。『本居宣長』に比べたら10倍、100倍、、、いや、もっと読みやすい。

 

昭和34年(1959)からの4年間といえば、、小林秀雄57~61歳くらいのはず。日米安保条約改定が1960年で、まだ戦後15年程度。これらのエッセイの中には、殆ど戦争の香りがしない。ただ、後半になってドイツ・ソ連のはなしになってくると、戦争の色が強い。読んでいて、おもわず、心臓がドクンとするような、、、。実際に、小林秀雄が海外を旅している最中のエッセイは、ちょっと、冷たい香りがする。

 

「考えるヒント」というタイトルは、自分が考えたのではなく、編集者側の提案らしい。でも、まぁ、、いってみれば、あらゆる本というのは「考えるヒント」ともいえる。これを「永遠に読み継がれるべき」といわれると、いやいや、そこまでではないだろう、、という気もしてくる。
でも、確かに、考える切り口が提供されていて、面白い。

 

ただ、その文章を書いたときの社会がどんなだったのかっていうことも、やはり、大事なことのように思う。

 

「読者」というエッセイの中では、誰に向けてかくのか、何をかくのか、というようなことが語られているのだが、私の心に響いたのは、
菊池寛はどんな悲しみをいだいていたか・・・”っていう一文。

 

” 人間の内部は、 外部のものが 規制するという考え方が、 現代では非常に有力であるから、戦争と文学との関係も、 もっぱら そういう展望の下に、 見られ、論じられる。戦前派戦後派という言葉も、 戦争の影響という漠然たる概念から誕生したと言ってよい。それはそれで良いとしてでは戦争の影響力の最も顕著なものは何かといえば、戦争が文学を、 一時 破滅させたことだろう。”

というエッセイの最後に、

” 戦争による分断の崩壊という通念の底にも、同じ流れ(前段で述べられる、目には見えない人々の内面変化の流れ)があるのを感じる人は感じているだろう。 晩年の鴎外が、歴史ものを書いていた時に、 密かに思い描いていた理想的読者を想像してみることはやさしくはない。だが、 多数の現実の読者を掴んだ菊池寛が、これに対して、ひそかにどんな悲しみをいだいていたかを推察してみるのも、同様に、難しいことだと、私は思っている。”

おぉぉ、、、、。うんうん。

 

菊池寛(1888~1948)は、戦時中は軍を支持するような文章をかいた。晩年にそれを後悔していたとも言われる。あるいは、『真珠夫人』のように、読者が熱狂するような小説をつづることが、果たして本当に菊池寛のめざした文学だったのか。。。誰にもわからない。人がどう考えていたかを推察するなんて、難しいことだ。

megureca.hatenablog.com

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そして、この文章をかいていた小林秀雄は、その数年後か1965年から『本居宣長』を新潮社に連載し始める。約12年の歳月をかけてかき続けた。63~74歳。宣長がどういう心でかいたのかを追求しつづけた。

やっぱり、ある年齢にならなりと、成しえないことってある、って思う。

 

「言葉」というエッセイの中では、本居宣長「姿ハ似セガタク、意ハ似セヤスシ」という引用がでてくる。普通に考えれば、見た目の姿を似せるのは簡単だけれど、意味を同じように似せるのは難しい、となりそうなところ、宣長は逆のことをいっている。言葉にこそ魂がやどる。だから、言葉をどう選ぶかが大事で、それは直感である、、と、いうこと、かな?

 

まぁ、どのエッセイも、なかなか、深い。。。ふふふ、と微笑ませる文章の最後が、う~~ん、、、とうならせる言葉だったりして、あぁ、小林節、って感じ。

 

時々開いて、じっくり読んでみるのに向いている本かな。

今回は、図書館でかりた。

今は、蔵書にするつもりはない。

また、気になったときには借りて読んでみよう。

 

さらっと読むのはもったいない。

一エッセイずつ、じっくり読むのに向いている本だと思う。

今回は、『本居宣長』を読むための準備体操だったので、さらっ、、、と。

それでも、楽しい。。。