『嫉妬論 民主主義に渦巻く情念を解剖する』 by 山本圭

『嫉妬論』
民主主義に渦巻く情念を解剖する
山本圭
光文社新書
2024年2月29日 初版 1刷発行

 

日経新聞、2024年3月9日の朝刊、書評で紹介されていた本。

記事では、

大リーガーの大活躍は素直に喜べるのに、同僚のささやかな出世を妬むのはなぜだろう。「比較があるところに嫉妬がある」からだ。本書は政治思想を参照し、嫉妬感情を解剖する。民主主義は平等に価値を置く。だが平等の要求には、出る杭を打ちたいという負の感情も潜む。嫉妬は「民主主義の宿痾(しゅくあ)」だと著者は指摘するが、行き過ぎると分断を招き、民主主義を壊す。うまく飼いならすため、この情念と向き合うしかない。(光文社新書・946円)” と、紹介されていた。

 

嫉妬、ねたみ、ルサンチマンシャーデンフロイデ、、、逃れられない人間の心。出る杭は、打たれるどころか、たたき壊されることすらある社会。民主主義もそうだし、資本主義も、新自由主義も、、、、。なぜか生きづらい世の中は、だれもが感じたことがあるはず。面白そうなので、図書館で予約してみた。数か月待って、順番が回ってきたので借りて読んでみた。

 

表紙の裏には、
” 嫉妬感情にまつわる物語には事欠かない。古典から現代劇まで、あるいは子どものおとぎ話から落語 まで、この感情は人間の愚かさと不合理を演出し、物語に一筋縄ではいかない深みを与えることで、登場人物にとっても思わぬ方向へと彼らを誘う。
それにしても、私たちはなぜこうも嫉妬に狂うのだろう。 この情念は嫉妬の相手のみならず、嫉妬者自身をも破滅させるというのに。(「プロローグ」より)
私たちは、 なぜ嫉妬という感情を手放すことができないのか。嫉妬感情は、政治や社会生活、とりわけ民主主義にどう関わっているのか。嫉妬にかんする古今東西の言説を分析しながら、この「厄介な感情」を掘り下げて考察。”とある。

 

著者の山本さんは、 1981年、 京都生まれ。 立命館大学法学部准教授。 名古屋大学院国際言語文化研究科単位取得退学、博士(学術)。 専攻は 現代政治理論 民主主義論。他にも、著書や訳書がある。

 

目次
プロローグ
第一章 嫉妬とは何か
第二章  嫉妬の思想史
第三章 誇示、あるいは自慢することについて
第四章 嫉妬・正義・コミュニズム
第五章 嫉妬と民主主義
エピローグ

 

感想。
面白い!!!
理論、理屈はわかっていても、やっぱり、面白い。この厄介な感情。嫉妬心のない人なんて、、、いないと思う。人間は3歳くらいから嫉妬心を抱くのそうだ。兄弟姉妹にお母さんをとられちゃって嫉妬心を感じる幼児の心は、当たり前すぎて、そういわれると、なっとく。でも、そうやって、自分の心の動きをどうにかしようとすることも学んでいくのだろう。

著者が言うのは、嫉妬心を持たないように平静な気持ちになろう、なんていう自己啓発コメントではない。嫉妬はあってやむなし。世の中が平等になればなるほど、嫉妬心をかんじやすくなるのだという。まさに、大谷翔平には嫉妬しないけど、同僚の出世に嫉妬したり、隣の家の高級車に嫉妬したり、、、。

 

そして、一番心に響いたのは、エピローグにある三木清の言葉。嫉妬心を克服するために「物をつくれ」ということ。

” 嫉妬心をなくすために自信を持てと言われる。 だが自信はいかにして生ずるのであるか。 自分で物を作ることによって。 嫉妬からは何物も作られない。 人間は物を作ることによって自己を作り、 かくて個性になる。 個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福が存在しないことは、この事実からも理解されるであろう。
三木清『人生論ノート』)”

 

まさに!膝を打つ!!

 

そうか、私が「ものづくり」を好きなのは、自信を持ちたいのかもしれない。もちろん、サイエンスとテクノロジーを駆使したいという夢もあったけれど、研究職をやめてもなお「生産」にこだわっていたのは、ものをつくることで達成感を感じられていたからかもしれない。そして、脱サラしても、やっぱり料理をしたり、裁縫をしたり、陶芸をしたり、、、物を作ることが楽しくて仕方がないのだ。ものづくりに向き合っているときは、「嫉妬」なんて感じることはない。私より上手な人がたくさんいて当たり前だし、人のことより目の前の自分の作業に熱中していると、他人のことなんてどうでもいい・・・。

が、しかし、ひとたび作品が出来た時、隣で作業していた人と並べてみた時、もしかすると、嫉妬心を感じることもあるかもしれない・・・・。けど、まぁまぁ、健全な、嫉妬心かな・・・。そして、憧憬にも通じる。そこにルサンチマンのような感情が出てくることはない。

いやぁ、面白かった。

 

印象的なところを覚書。

・『ビリー・バッド』 ハーマン・メルヴィルからの引用・
”嫉妬とは怪物だろうか? まぁ、咎を受けたものの多くは、刑罰の軽減のため、己のおぞましい行為について有罪を認めるわけだが、はたして嫉妬を告白したものなどいただろうか? 嫉妬に潜む何かが、重犯罪よりも恥ずべきものとさえ世間では思われるふしがある。”

 

・人は、嫉妬心の存在を認めようとしない。「あいつは大したことない」とか、相手の価値を否定することで自分を慰める傾向がある。

 

・ジェラシーは「喪失」に関わるのに対し、嫉妬は「欠如」に関わる。ジェラシーは、ライバルが自分のものを奪おうとしていると考えるのに対し、嫉妬は自分が欲しているものをライバルが持っている、考える。

 

ルサンチマン:ある特定の感情を抑圧することで生じる、復讐心、憎悪、敵意、嫉妬、猜疑心。嫉妬感情は、ルサンチマンを引き起こす一つの要因。

 

・インドのカースト制のような環境より、政治的に形式的平等のある社会の方が、ルサンチマンが生じやすい。

 

・愛も嫉妬も、持続性を持つために、人間を苦しめる。

 

三木清:「嫉妬は、すべての公事を私事と解して考える」。
勝手に、自分ごと化して、嫉妬を感じる、、、、。

 

他人の自慢話が不快なのは、聞いてて不快なだけでなく、それを賞賛するように聞き手に強いるからでもある。
聞き流していいなら、他人の自慢話もさして苦にならないだろう。でも、「へぇ、すごいねぇ」とか、さらに相手を喜ばせる言葉を求められている空気が、、、余計に不快にさせるのだ。たしかに、、、そうかも。

 

・自慢話は、避けるに越したことはない。
問題は、語っている人は、それを自慢話と思っていないことかもしれない・・。

 

ドラえもんの「ビョードーばくだん」。なにをやってもさえないのび太が、ドラえもんに泣きつく。そして、「ビョードーばくだん」登場。標準にしたい人(ここではのび太)の爪の垢を煎じた汁を爆弾につめ、打ち上げて爆発させる。その灰をかぶったひとは標準(のび太)と同じになる。学校の先生を含む全員が、遅刻はするし、宿題をわすれ、算数の問題が解けなくなる。
さて、それを平等とよぶのか?!?!
マンガの世界だけでなく、不平等の是正を求めるというのは、のび太が感じた嫉妬心もふくまれているのではないだろうか?と。正義と嫉妬の不穏な関係。。。

 

・ジョン・ロールズ『正義論』。「原初状態」において、人々は「無知のヴェール」をかぶる。この状態では、人々は一般的事実(お金はあった方が人生の選択肢が増える、、など)については知っているが、社会における自分の立場を知らない。なにが、有利とか不利、ということを知らない。そして、正義の諸原理に合意することができる。そこには、嫉妬はない。
ロールズの理論では、嫉妬はあまり重きをおかれていない。

 

・「正義という地獄」:同期入社の同僚より、自分の地位が低かったり給料が安いのは、意地の悪い上司の不当な 査定のせいならば 自尊心は保たれる。正義がないので、やむなし、、、と思えば、劣等感を感じずに済む。それが、正義という地獄。本当のことほど、公平なことほど、、、、厳しい現実。

 

ヒューム『人間本性論』「妬みを生み出すのは、我々自身と他人の間の優劣がかけ離れていることではなく、むしろ逆に優劣が接近していることだ。
近しい人にこそ、嫉妬を感じる。

 

・映画『ルルドの泉』(ジェシカ・ハウスナー監督):多発性硬化症を患い車いす生活をおくるクリスティーヌは、巡礼の旅の最後の日に、自分の足で歩き出す。奇蹟を目にした他の巡礼者は「神よ、どうして私ではなく彼女なのか?」という複雑な思いを抱く。そして、映画の終盤、クリスティーヌは再び動けなくなる。その時の人々の嫉妬感情とルサンチマン、、、。人の不幸は蜜の味・・・。こわい。

 

アテナイの「陶片追放オストラシズム)」は、嫉妬の過度な表出を抑えるための制度だった。(嫌な奴を追放する仕組みとして、思いのはけ口になっていた)。

 

トクヴィルアメリカのデモクラシ―』:人は、平等であることに気づくや否や、お互いに比較を始める。民主主義が要求する平等の理念が、嫉妬心を呼ぶ

 

・ガッサン・ハージ(オーストラリアの人類学者):「移動性への妬み」。人生がうまくいっていると感じられるためには、その人が「どこかに向かっている」つまり、前進しているという感覚(ハージは「想像的な移動性」と呼ぶ)が不可欠である。人生のコマを順調に前に進めている感覚。そして、自分にはそれを感じられず、他者が「前進している」と感じることが、嫉妬心を生む。
「ドツボにはまる」のは、まさに、前進できずにいる状態・・・。

 

・メガロサミア:優越願望。

 

・アイソサミア:対等願望。

 

自由民主主義のもとでは、メガロサミアが禁止され、アイソサミアが前景化する。そして、優越願望は地下に潜伏し、対等願望が幅をきかす。それが現代の民主社会の特徴。

 

嫉妬心に何らかの意味があるとすれば、それはその感情が「私は何者であるか」を教えてくれる。私は何に嫉妬しているのかを見つめることは、客観的に自己を見つめることにつながるかもしれない。

 

嫉妬心、だれもがもつ、厄介なもの。でも、自分の嫉妬心の元を見つめることは、案外、自分発見につながるのかもしれない。そう思うと、無理やり嫉妬心を押し込めようとするより、むくむくと湧いてくる嫉妬心を分析してみるのも楽しいかもしれない。

 

最後にマイケル・サンデルメリトクラシー批判として『実力も運のうち』が紹介されている。

megureca.hatenablog.com

メリトクラシーは、能力による支配を正当化するイデオロギーであり、多くの場合能力の有無や成績の出来不出来によって格差を認めさせようとする。そして、我慢は嫉妬となり、いつか爆発・・・それが、今、アメリカで起きているトランプ現象につながった。トランプは、人々の嫉妬心を煽って、上手く使っている。

嫉妬心。この厄介な心を、一歩さがって見つめてみよう。。。

 

それにしても、脱サラしたら、そういう嫉妬心を感じる機会がほぼ無くなった。だって、比べる同僚もいない。若い時は良きライバルがいるのは成長の源になるけど、人生折り返したら、誰かとの競争なんて、もういらない。戦線離脱宣言。 

 

人生後半が楽しいのは、「社会での成功」ということに対する嫉妬心から解放されるからかもしれない。

 

面白い本だった。

結構、お薦め!