『有と無 見え方の違いで対立する二つの世界観』  by 細谷功

有と無
見え方の違いで対立する二つの世界観
細谷功
dZERO
2024年6月24日 第1刷発行

 

新聞の広告で見かけて、すぐに読みたかったので、ポチってみた。 

 

著者の細谷功さんは、 叙述家、ビジネスコンサルタント。 神奈川県に生まれ、 東芝を経て ビジネスコンサルティングの世界へ、 外資系/日系コンサルティング会社を経て独立され、 執筆活動の他、問題解決や思考に関する講演 や セミナーを国内外の大学や企業などに対して実施している。『「具体⇔抽象」トレーニン』とか『 地頭力を鍛える』とか、ご本人の地頭がすごいひと。

細谷さんの本ならば、面白いに違いないとおもって、即購入。

 

届いたのは、可愛いイラストついた、ちょっとマンガちっくな一冊だった。dZEROという会社は、細谷さんの「メタ思考」シリーズを他にも出版していて、他のものも同様にイラスト付きらしい。

本体価格1800円。新書なら、もっと安く済むだろうに、、、なんておもってしまうが、まぁ、1800円の価値はある、かな。

 

帯には、おびただしい文字・・・。

”「ある型」の思考回路は、「あるもの」に目を向ける。
「ない型」の思考回路は、「ないもの」も視野に入れる。
その両者の圧倒的ギャップが世の中を動かしている。
—――――ということは?”

”一体これは何の本なのでしょうか?
一言で表現すれば
「ものの見方の一つを提供する」ための本です。

「無限」は多くの数学者が敬遠して解明が進みませんでした。
 また「ある」を表現する自然数(1,2,3,、、)に比較して「ない」を表現する0は圧倒的にその「発見」が遅れました。
扱うのがきわめて難しいのが「ない」の世界です。
本書でいう「ない型」の思考回路は「自らを客観視する」メタ認知の産物であり、これは意識の問題とも関連して AI がいまだに持てない感覚です。
 これをどう克服するかが AI 進化の人との分水嶺となることは間違いありません。

読み方次第では、何の役にも立たないものにもなれば、ありとあらゆるものに役に立つものにもなりえるのが本書です。”
と。

 

目次
序章  歪みとギャップが世の中を動かしている
第1章 「答えがある」と「答えがない」
第2章 問題解決と問題発見
第3章 カイゼンイノベーション
第4章 レッドオーシャンブルーオーシャン
第5章 具体と抽象
第6章 魚と釣り方
第7章 自分と他人
第8章 「同じ」と「違う」
第9章  安定と変化
第10章 守りと攻め
第11章  受動と能動
第12章  ツッコミ と ボケ
第13章  常識と非常識
第14章 内と外
第15章 閉と開
第16章 部分と全体
第17章 既知と未知
終章 「無の境地」とは何か


感想。
うん、やっぱり、面白い!
そうなのだよ、「無い」に気が付かないと「有る」世界でしか生きられないのだよ。

 

帯にあった「何の役にも立たないものにもなれば、ありとあらゆるものに役に立つものにもなりえる」という言葉は、まさに、「無」=自分の無知に気が付こうとしない人には、この本は何の役にも立たないだろう。でも、「無い」世界に目をむけることを楽しめる人には、楽しい一冊だと思う。

 

目次を見ればわかるように、全ての章は、2つのことの対比で語られる。「有」と「無」だ。

 

言っていることは唯一つ。「無」に目を向けない限り、世界は広がらない。そして、世界を広げようとしない人は、自分には見えていない「無」の世界を見ている人を否定し、非難し、攻撃する。そして、対立、抗争、戦争が起きる。。。

とてもわかりやすく書かれている。
あっという間に読める。
一つのことをあらゆる側面から説明しているので、事例集みたいなもんだ。
いつも、「具体と抽象」で考えろという細谷さんだけど、要するに「具体=有の世界」で「抽象=無の世界」ってことだ。

 

読み進めると、おそらく自分の身近で起きている対立事例を発見できると思う。会社でも、ネットの世界でも、有るものしか見えていない人が、「無」を見ている人を攻める。

 

問題解決というのは、既に問題があることから始まるので「有」の世界のものの見方。それが得意な人を量産しているのが、今の日本の教育制度だし、会社の評価制度のように思う。もっと重要なのは、その問題を発見すること。それは、「無」から発見することに他ならない。

 

最初にワークとして、
”必ず問題に答えてから次に進むようにしてください。
問1:家にあるものをリストアップしてください(30秒)
問2: 家にないものをリストアップしてください(30秒)”

と、出てくる。私も実際にやってみた。


あるものならば、目につくものを片っ端からあげていけばいい。具体的だ。テーブル、洋服、かばん、、、。一方で、ないものと言われると、、、私がリストアップしたのは、ものではなくて、「たいくつ」「他人の介入」「騒音」と、、、、抽象的なものばかりだった。意識したわけではないけれど、「高級車」とか「高級宝石」とか具体的なものは私には思い浮かばなかった。事実、我が家には高級な車も宝石もないけど、、、。

 

細谷さん曰く、
「ある世界」
 ・五感で感じられる具体
 ・高密度
 ・有限
 ・確定している世界
 ・外枠がある
 ・「ない」の後にくる

「ない世界」
 ・五感で感じられない抽象
 ・低密度
 ・無限
 ・確定していない世界
 ・外枠が無い
 ・「ある」の先からある

 

「ない」は、「ある」の前からあるのだ。

「ない」を認めない人は、「正解が無い世界」を認めないので、「自分が正しいと思っていることが正解で、他は間違っている」となってしまう。そして、ネットに限らず、社会でコミュニケーションギャップを起こす。

アンケートを取ったとき、
〇〇と思いますか?
1:そう思う、2:ある程度そう思う、3:どちらでもない、4:ある程度そう思わない、5:まったくそう思わない

という選択肢から選ぶ、というのをよく見かける。選択肢が「ある」ので、そこから選ぶことができる。3:どちらでもに、でもいいのだから。それでも、「ある」から選んでいる。

では、その先に、
「そう選んだ理由をコメントしてください」
となったときは、空欄に自分のコメントを埋めなくてはいけない。
必須でなかったとしたら、どうだろうか?
飛ばしてしまうことの方が多いのではないだろうか。

 

そして、そのコメント欄にコメントを残す場合、多くはネガティブなクレーム的なものの方がよく書かれる。10人に1人がコメントしたとすると、他の人のコメントは「無」なのに、コメントした一人の意見が、「10人の意見」かのように、見えてしまう場合がある。

具体的に見えているものは、わかりやすいのだ。
お客様の意見だとしたら、取り入れやすいのだ。
「お客様が、そう言っている」と。


9割のお客様は、そう思っていなかったとしても、コメントが残された瞬間、代表コメントになってしまう。「有」しかないと思っていると、少数の意見に流されてしまうリスクがあるのだ。

そして、細谷さんは、「有」と「無」とのバランスが大事なのだ、という。「無」の世界だけでやっていくのは難しい。かといって、「有」だけでやっていくと限界がある。スポーツであれば、攻めと守りがあるように、ビジネスや日常生活でも攻めと守りのバランスがある

 

大企業なら持っているものが大きいので守りが大きく、スタートアップなら守るべきものが少ないので攻めが大きくなる。それぞれに適したバランスというものがある。

大企業がアントレプレナーシップを叫びつつも、守りの姿勢から抜けきれないのは、野球でいえば「ミットとプロテクターをつけて、バッターボックスに立っている捕手」状態。バットが振りにくいのは当たり前。やるべきことは、防具類をつけたままで死ぬほど素振りを繰り返すことではない、、、、と。

 

加えて、「前例主義やお役所的な手続きをバカにするイノベーター」にもおなじことがいえる。「Tシャツ、短パンで、時速150Kmのボールを素手で捕球しようとしてる」ようなものだ、と。

 

受動と能動の話では、SNSであっても、コメントやリプライでオリジナル投稿を「論破」しようとする人は、「その場をつくる」ことの位置づけを理解していない。コメントやリプライは、あくまでも受動であって、「無」から「有」を作り出しているわけではないということ。

「社員に必要以上に能動性や経営目線を求める創業社長」というのも、受動的な人の役割を理解していないともいえる、と。


そうそう、これこれ!!!
社員でそろって経営目標を考えましょうっていう社長なら、要らない、と私は思っている。それは、リーダーシップとは言わない。やはり、決めるのはトップの経営判断であり、その責任を負うのがトップの役割。中間管理職的なリーダーに、経営に参画しているように勘違いさせている、、、って大企業にありがちな、一つの搾取。。。だと思う。サラリーマンのときは薄々感じていたけれど、外から見ていると、結局は社長以外はみんな受動なのだよ、、と思うようになった。まぁ、会長以外は社長も含めて受動、、っていう会社もあるけどね。

 

まぁ、色々な事例で話してくれるので、わかりやすい。

「無」から作り出すことの重要性。かつ、「有」がないと「無」だけでは世界は抽象だらけになってしまうということ。

 

私がかつて微生物に関わる研究所で、有用物質の探索をしていた時、研究室の壁に書いてあった言葉がある。

「ないものはない」

無いっていったら、無いのよ!とも読めるし、「無いものは無いので必ずどこかに有る」とも読める。
当然、私たちは絶対に「有る」を信じてスクリーニングをしていた。そして、世界初の物質や酵素を見つけて、商業化をめざしていたのだ。

 

ないものはない。

 

「無」があることを忘れないでいよう。

やっぱり、楽しい本だった。