エビデンスを嫌う人たち
科学否定論者は何を考え、どう説得できるのか?
リー・マッキンタイア 著
西尾義人 訳
国書刊行会
2024年5月25日 初版 第1刷発行
HOW TO TALK TO A SCIENCE DENIER:Conversation with Flat Earthers, Climate Deniers, and Other Who Defy Reason(2021)
2024年7月13日の日経新聞 書評 で紹介されていた本。図書館で借りて読んでみた。
記事は、大阪大学名誉教授・仲野徹さんからの著書紹介だったのだが、なんとも関西弁まじりで、おもしろおかしく書かれていた。
”トンデモ説に惑わされる科学否定論者がいる。神がすべてを創ったという創造説や、信じられないことに地球は平坦だというフラットアース説なんぞを本気で受け入れている人すらおるらしい。アホとちゃうか、科学リテラシーなさすぎやろ、と、科学を生業としていた私などは切り捨てたくなってしまう。だが、それでは一切問題は解決しない。
そんな訳のわからない輩は放っておけばいいという意見もあるだろう。しかし、放置しておけば、それ以外の人たちに迷惑がかかりかねない。反ワクチン論者や地球温暖化否定論者が一定数を超えた状況を考えればわかりやすい。ではどうすればいいのか? それをわかりやすく説いていくのがこの本だ。”と。
著者のリー・マッキンタイアは、 1962年生まれ。哲学者。 ボストン大学 研究員(科学哲学・科学史センター)、著書多数、とのこと。
目次
第1章 潜入、フラットアース 国際会議
第2章 科学否定とはなにか?
第3章 どうすれば相手の意見を変えられるのか?
第4章 気候変動を否定する人たち
第5章 炭鉱のカナリア
第6章 リベラルによる科学否定?
第7章 信頼と対話
第8章 新型コロナウイルスと私たちのこれから
感想。
なかなか面白い。だけどあんまり身近な問題という気がしない。第1章のフラットアースの話があまりに突飛すぎて、アメリカンすぎて、、、、日本ではこういうことは起こらないだろう、、、と思ってしまったからかもしれない。
でも、 地球温暖化を否定する人、 ワクチンの効果を否定する人、GMO食品を忌避する人、、、、それは、日本にも多くいると思われる。著者は、実際に科学的証拠を受け入れずに「非科学的」なことを信じている人たちの集会に参加したり、直接インタビューをすることで、その人たちがなぜそのような事を信じるにいたっているのか?あるいはその考えをかえさせることはできるのか?をからだをはって調べている。
そして、読んでいるうちに、これは「エビデンスを嫌う人」ということではなくて、あらゆることの信念し思想についても共通のこととして考えられる、、、と感じた。それは何かと言えば、「信頼」できる人から聞いた話なのかどうか、ということ。そして、それを信じることが自分にとって「メリットがあるか」どうか、、、ということ。
「女性活躍として、管理職の30%を女性にする」とか、「多様性を維持するためにアファーマティブアクションを適用する」とか、ある思想や方針について、それを支持するかどうかというのも、エビデンスに基づいて決めているというよりは、感覚的な判断によるのではないだろうか、、、ということ。まぁ、一般的には、そういったアファーマティブアクションが効果的であることは一定のエビデンスに基づいて語られているので、エビデンスを受け入れて支持しているという場合もあるだろうが、反対論者が賛成に変わる時というのは、エビデンスに基づくというよりは、「信頼」に基づく事の方が多い気がする。
だいたい、「エビデンス」だと言われても、そのデータの提供者を信用していなかったら、信じないだろう・・・・・。たばこ産業が、煙草と肺がんの関係を否定するデータをだしてきたら、そりゃ、怪しい、、、と思うし、化石燃料関係会社が地球温暖化は人間の活動によるものではない、というデータをだしてきたら、そりゃ、怪しい、、、。
エビデンスで人の考えを動かすのは、そう簡単なことではないのだな、、というのが、本書の一番の感想。正しいことを伝えるのが、正しい戦略とは限らない・・・ってこともある・・。
第1章で、著者が潜入したのが、「 フラットアース 国際会議 2018(FEIC)」という、「地球は平だ」と信じている人たちの会合。国際会議というのだから、アメリカだけでなく世界各国からあつまっているのだろう。NASAは嘘をついている、NASAは悪魔の手先で、神の真実を隠蔽している、、、のだそうだ。。。もちろん、月に人は着陸していないし、南極もないらしい。
はぁ。。。。
第2章では、科学否定論者の5つの類型が紹介されている。
1 証拠のチェリーピッキング:自分に都合の良い証拠だけを信じる
2 陰謀論への傾倒:エビデンスデータは、だれかの陰謀
3 偽物の専門家への依存:偽物の信者になる
4 非論理的な推論:誤ったアナロジーや飛躍した結論
5 科学への現実離れした期待:証明できないことを証明されていないといって信じない
こういう人を相手にしていると、疲れる、、、と思うのだが、著者は頑張って対話をしようとする。
そして、でたらめ科学の信念だとしても、それが社会的アイデンティティやイデオロギーと一緒になると、たとえエビデンスがあったとしてもその考えをかえさせるのは極めて難しいということ。それを自覚しておかないと、科学否定論者の考えをかえさせることはできない。
哲学者のピーター・ ボゴジアンと数学者のジェームズ・ リンゼイの『 話が通じない相手と話をする方法』という本からの言葉が 紹介されている。
” 自分と意見が異なる相手を説得したい人に対して、 事実を避けよ というアドバイスを送っている”
” 証拠に基づいて意見を決めようと努める人にとって、 誰もがそうやって自分の意見を決めているわけではないという考えは受け入れがたい。 証拠に基づいて意見を決める人が犯す間違いは、対話の相手も何らかの 証拠を手に入れたなら、現在のような意見は持たないはずだと考えることである” と。
なるほど、なるほど。。
相手を説得できない時、足りないのは情報ではなく信頼なのだ!!
では、どうすれば相手の意見を変えられるのか。
「信念の形成には、情報と感情の両方が関わっている」ということは、研究で明らかになっている。認知的不協和を修正したいという感情が生まれない限り、新しい情報は過去の信念を覆すことがない、、、ということなんだろう。
第4章の気候変動を否定する人たちの話は、イデオロギーというか政治の世界に強くかかわってくる。そして、第5章の炭坑のカナリアは、文字通り炭坑で働く人びとの話。
石炭を掘っている人たちは、別に、気候変動を否定しているわけではない。知っている。化石燃料の使用によって、地球が温暖化しているということを認めている。でも、、、だからと言って、、、、他に働き口が無く、家族を養うために粉塵吸引という危険を冒してでも、石炭を掘り続ける人たち。。。だって、中国はもっと石炭を使いまくっているではないか、、、と。
だれが、彼らを責められるか・・・・。グリーンエネルギー転換を方針にしたとして、、、そこにどれだけの魅力を感じられるか・・・。う~~ん。この章は、エビデンスの問題とはちょっと離れて、思想の話になっていた気がする。
また、モルディブの人びとは、海面上昇によって国が消滅するかもしれない危機が迫っている。それでも、「モルディブの外では、そんなことは誰も気にしていません」といってしまうモルディブの若者。。。悲しいかな。。。
GMOについては、GMO食品が人体に有害であるというエビデンスは、一つもない。それでも、GMOを未知のものとして嫌う人がいる。アメリカの規制は緩やかだが、EUの規制は科学的に不可能に近い証拠の提供を求めている。品種改良されたイネや小麦が認められれば、多くの飢饉を発生させずに済んだかもしれない。飢餓で亡くなる人を救えるかもしれない。だけど、、、国のリーダーがGMOを否定することによって、せっかくのテクノロジーは活かされない。
リーダーの科学否定は、悲劇的な結果につながることがある。あるいは、親の科学否定が子どもに悲劇をもたらすかもしれない。
「フラットアース」の集会で、「子どもが学校でいじめられるのをどうすればいいか?」と質問した信者(?)がいたそうだ。答えは「学校の外で、フラットアースを普及させよ」ということ。この言葉に著者は怒り心頭した、、、と。
こうなると、統一教会といっしょだな、、、、。
なんとなく、後味があんまりよくない一冊だった。けど、なるほどなぁ、と考えさせられる。体に悪いとわかっていても、暴飲暴食を辞められないとか、煙草を辞められないとか、、、エビデンスではない何かがないと、人びとは変われない。。。
人間とは、なんとも不合理な生き物か・・・。
まぁ、だから、楽しいんだけどね。
読んでみると、自分が何かの意思決定をしているとき、エビデンスに基づいていることばかりではないという事実を気づかされる。一応、私もサイエンティストなんだけどね。。。
読書は楽しい。