『世界は「見えない境界線」でできている』 by  マキシム・サムソン

世界は「見えない境界線」でできている 
マキシム・サムソン
染田屋茂、杉田真 訳
かんき出版
2024年6月3日  第1刷発行
Invisible Lines: Boundaries and Belts That Define the World (Profile Books 2023; House of Anansi Press 2024)

 

2024年7月27日の日経新聞朝刊書評で紹介されていた本。 面白そうだったので 図書館で借りて 読んでみた。紹介は、上智大学教授・岡部みどりさんから。

 

記事では、

”「見える」境界線と「見えない」境界線はどのように世界に併存しているだろうか。「見える」境界線だけで構成されているならば、世界は平和だろうか。あるいは、平和のためには境界線のない世界が目指されなければならないだろうか。本書は、政治、経済、社会(文化)の各領域における(見えない)境界の存在を認めつつ、かつ分断のない世界を創る重要性を説いている。・・・・”と。

 

白黒の表紙をめくると、
” サッカーチームのサポーター 立ち入り禁止区域から、 不可解な進化の分岐点、 デトロイトの悪名高き”8マイル・ロード”に沿って根強く残る人種分離、今はもうない”鉄のカーテン”を超えるのを拒む鹿の群れまで、 地球上に存在する30の見えない線を探る。”とある。

 

読みながら、これは社会科の参考書みたい、と感じた。書いたのは、地理学者にちがいない、、とおもって、著者紹介を確認すると、やはりそうだった。

 

著者の マキシム・サムソンは、 シカゴ・デポール大学の地理学の講師。 イギリス信仰学校の入学方針、インドネシア津波への対応、1933年~34年のシカゴ万博博覧会など様々なテーマの学術論文を発表。「 宗教と振興体系の地理学」(GORABS)研究グループの議長。近年、『ユダヤ教育ジャーナル』の副編集長に就任、とあった。

ちょっと、不思議な経歴、、とおもって、デポール大学のHPを検索したら、
”・・・特に、宗教学校から街の通りまで、さまざまな空間における宗教的アイデンティティの構築と争いに関心があり、これらの力学が市民権や帰属意識に及ぼす影響について研究している。” とあった。GORABSとは、Geography of Religions and Belief Systemsというらしい。紹介されていた文献は、2018年以降。写真も若々しい。ユダヤ人なのだろう。


目次
まえがき
第1部 「見えない境界線」が地球を理解するのに役立つ理由
第2部 「見えない境界線」が地球環境に影響を及ぼしている
第3部 「見えない境界線」が人間に「領有権」を主張させている
第4部 「見えない境界線」は、私たちと彼らをどう分けているか
第5部 「見えない境界線」は文化を守る砦

 

そして、それぞれ事例を紹介してくれている。時には地図もあったり。その数、30。

 

感想。
うん、これは、地理学副読本。そして、地政学もちょっとはいっているかも。
面白い。けど、純粋に地理学的に面白い項目と、政治や歴史がからむちょっと難しい項目とがある。目次に1~30まで、掲載されているので、自分のきになるところだけ読んでも楽しいかもしれない。境界線というのは、どこにでもある。実際に線がなくても、国境はあるし、立ち入り禁止区域の看板があれば、なんとなく、ここから先はだめなんだな、、、って境界線がわかる。

 

私たちは、あらゆる境界線の中で暮らしているのだそうだ。自分の部屋と家族の部屋との境界。自宅の玄関の内と外の境界。会社という組織の境界。地域社会、国、、たしかにね、、、。確かに、近所の買物ならTシャツとサンダルで出かけても、電車に乗るなら襟付きシャツに着替える、、、どこかで自分のなかで境界をひいている。あるいは、、時間だって、お風呂に入った後はもう寝る時間という境界をこえているかもしれない・・。たしかに、見えない境界線を越えて毎日暮らしている。

 

表紙裏にあった”今はもうない”鉄のカーテン”を超えるのを拒む鹿の群れ”というのは、西ドイツと東ドイツとを分断したベルリンの壁はもうないにもかかわらず、餌の状況がことなることから、シカはその境界線を境に分布がちがうのだそうだ。

 

生物学者が動物の生態を調べることで引かれた境界線、気候の差異から引かれた境界線、人びとがグローバルに動き始めて、共通の時間概念が必要となったことから引かれた 日付変更線などなど、、、。なかには、初めて聞く名前の線や地名もたくさんでてきた。

 

富裕層と貧困層をへだてる壁、黒人と白人をへだてる壁、地雷の危険区域を示す線、海峡、山脈、、、、本当に色々な境界線が紹介されていた。日本人の私にとって身近に感じるものはあまりなかったけれど、第5部の文化にまつわる話題のなかで、ブルターニュ地方の言語境界線」では、ブルトン語について紹介されていた。滅びつつあるブルトン語が、今見直されているという話。これは、先日読んだ、『ブルターニュの歌』の中で廃れ行く言葉があることを知ったばかりだったので、ブルトン語がもつ文化的意義が見直されていることがなんとなくうれしく感じた。ブルトン語は、ヨーロッパ 本土で唯一残っているケルト語系言語 だそうだ。

megureca.hatenablog.com

 

日本でも話題になりそうなのは、「マラリア・ベルト」だろうか。マラリアを媒介する蚊が生息する地域は、マラリア・ベルトと言われるけれど、地球温暖化でその地域が広がってくる可能性がある、という話。境界線は一度決めたらおしまいではなく、日々変化するものもあるということ。

 

チェルノブイリ立ち入り禁止区域というのは、福島第一発電所の被災地と思い起こす。なぜか、同心円状に放射能強度による管理区域が広がるのではなく、地理的条件や人間の活動によっても、ホットスポットは発生するのだそうだ。

 

第4部と5部は、差別、文化と、人が作り出した境界線。まぁ、実際には全ての 境界線は人間が作り出したものではあるけれど。国境とかね。

 

ニンビー主義による、心の境界線。ニンビー主義とは、NIMBYismで、Not In My Back Yard. うちの裏庭ではなくてね、ってこと。 自宅から遠く離れた場所であれば、 発電所、病院、娯楽施設などの建築を容認も黙認もしない市民を代表した言葉。家の庭じゃないなら、関係ないってね。差別がおこっていようが、いじめがおきていようが、うちのことじゃないなら、、、っていう意味で使われる。我関せず。。。そして、そういう態度が差別を助長することがある、、、ということ。

人は誰でも自分の安心ゾーンをおかされたくないもの、、、。

 

戦争勃発は、多くは領有権争い。第一次世界大戦ボスニア・ヘルツェゴビナ第二次世界大戦、、、そして、ロシアのウクライナ侵攻、、、。ロシアは、ヨーロッパで一番広い国とされている。まぁ、ロシアをヨーロッパというのか、、、というのはあるとして、、、、。そして、2位は、カザフスタン、3位がウクライナ。そんなに広いところで、なぜに、、、。それは、境界線の争いだから、ということなのだろう。

”境界は単なる行政上の線ではなく、文字通り 生と死を分けるものにもなり得る。”というのが、いたるところにあるということ。

 

ロサンゼルスのストリート・ギャングの話というのは、もう、過去のことかと思ったら、そうでもないらしい。そして、マフィアを表す名前によく13が使われているのは、メキシカン・マフィアを現すMが、アルファベットで13番目だから、、だそうだ。そういうの好きだね、、アメリカ人。。。

 

貧富の壁では、アメリカだけでなく、パリ周辺、中国、、、、世界中のいたるところにある現実。住む場所がアイデンティティになって良い場合と、悪い場合と、、、怖いのは、そうした場所の差で、「自分たち」と「他者」を区別する事なんだろう。。。そして、ひとたび治安の悪い所になってしまうと、都市開発は進まず、荒廃した町を整える金銭的余裕もなく、人もよりつかず、、、と負のスパイラルに陥っていく、、、と。悲しいかな、過去には、壁をつくることで線引きをして、不動産業者がいいように土地を開発したという事例も多数。。。まちづくりって、ある意味そこからはずれた地域を「他者」にするという危険もはらんでいる・・・。 

 

海という境界線があったことで、独自の生物が守られたオーストラリア。アンダマン諸島の西にある北センチネル島は、いまだに現地の人しか住んでおらず、外部からの人を拒み続けているそうだ。

 

読んでいると、そんなに政治的な意図は感じない。分断のない社会を!と著者が叫んでいるようには聞こえない。でも、負の遺産になっている境界線はたくさんあり、いまも続いているものあるということ。海外に行ったら、夜に一人であるいちゃまずいな、という境界線を私の本能が嗅ぎ取る。境界線を感じ取る能力は、危険領域を嗅ぎ取る能力でもあるかもしれない。本物の地雷がうまっている場所は、嗅ぎ取れないから怖い・・・。

 

うん、面白い本だった。地球上にはさまざまな境界線がある。いまや、それは宇宙にもひろがっているのかもしれない。人が作り出した境界線。こちらとあちらを分ける線。境界線は、たしかに分断をうんでいるかもしれない。でも、まったくなければ、世界はもっとカオスなんだろう。。。

 

ご都合主義ではない境界線は、必要なのだと思う。飛行機のビジネスとエコノミーだって、カーテンで仕切られた境界線。新幹線の自由席と指定席だって、車両を隔てた境界線。私たちは、境界線の中で生きている。じぶんがどっち側にいるかを気づかずにいることもたくさんある。ちょっと、意識してみると、世界が違って見えるかもしれない。

 

見えないカーテン。見えない柵、見えない天井。

 

日付がかわるのだって、境界線だね。

8月15日という境界線が、今年ももうすぐやってくる。

 

今日も私は、見えない境界線を跨いで生きていく。

そういうこと。