『人類精神史 宗教・資本主義・Google』  by 山田仁史

人類精神史 宗教・資本主義・Google
山田仁史
筑摩選書
2022年12月15日 初版第1刷発行


知り合いが「日本人と日本語」に関する論文の中で本書を引用していて、気になった。筑摩選書は勉強になることが多いし、彼が引用する本であれば、読む価値があると信じて、買ってもよかったのだけれど、図書館にあったのでまずは借りて読んでみた。

 

2022年と、比較的最近の本だけれど、目にしたことはなかったように思う。山田さんの著書を読むのも多分初めて。

 

表紙カバー裏の袖には
Gott(神)、Geld(お金)、Google(情報)という3つの「カミ」(3G)と、対応する3つのリアリティー(3R)。本書はこのフレームをもとに、狩猟採集民の時代から情報化社会の現代にいたるまで、人類の精神のあゆみを考える。そうすることで、人類精神史を貫く原理や転換点が見え、未来へ向かうための座標を獲得することができるだろう。危機の時代に生きる人びととに向けた、博覧強記の宗教民族学者による最後の書。
”とあった。

 

え?最後の書?

目次の後に、筑摩書房編集部からのメッセージがある。
”本書の著者、山田仁史氏は惜しくも2021年1月に逝去されました。本書は完成間近であった遺稿をもとにしています。残念ながら第一章、第九章などに未完の部分があります。。。。”
と。

あらまぁ、、、、。

 

著者の山田さんは、1972年 宮城県生まれ。宗教・民族学者、神話学者。 東北大学文学部 卒業、京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程満期退学。 ミュンヘン大学大学院修了。 東北大学大学院文学研究科准教授を務めた。 2021年に逝去。

 

最後には膨大な量の文献と未完の「あとがき」。加えて、解説・角南総一郎の、著者の略歴や本書についての説明があった。解説によれば、執筆中であったが前年より体調を崩していて、突然亡くなってしまった・・・ということだったようだ。残念なことだ。ふと、『僕は君たちに武器を配りたい』の瀧本哲史さんのことを思い出す。惜しい人ほど、早くに逝ってしまう・・・・。


【目次】
第1章  三現実史観
第2章 二種類の宗教
第3章 4つのイズム
第4章 動物からヒトへ
第5章 狩猟採集民の世界観
第6章 定住化と自己家畜化
第7章 農母性と牧父性
第8章 ユーラシア大陸と〈軸の時代〉
第9章 日本語のコミタートゥス
第10章  未来へ進んでいくために
あとがき (未完)
解説・ 時空を超えて 山田仁史が伝えたかったこと  角南聡一郎
引用・参考文献
索引

 

感想。
あぁ、、、 やさしい。易しいではなく、優しい。
これは、、何ていう本でしょう。。。 感嘆。ため息が出ちゃう。歴史から、未来への入り口の本だった。 著者が亡くなってしまったのは、 いかにも惜しい。。。

 

私たち人類は、どうやって その心や精神を進化させてきたのか。「古層」 という言葉が使われている。1000年、 2000年、 もしかすると もっとその前から、縄文、弥生の頃から、 脈々と私たちの DNA に刻み込まれてきた、精神の古層が、あるのかもしれない、とそう感じ、納得してしまう一冊。

本居宣長』に関する本をを読んでいると「古層」という言葉によく出あうのだが、すごく特殊な言葉なのかと思っていた。本書でも「古層」ということばが何度も出てくる。広辞苑では、「時代の奥行きを新古の階層に分けた時の古いほうの層」とあった。なんとも味気ない説明だけれど、、、本書や本居宣長でいっている古層は、もっと、、深く厚い層のように思う。

 

タイトルにある通り、「人類精神史」の古層を旅して、最後の10章でようやく未来への入り口にたどり着いた、、という感じなのだ。そして、その内容が、、、心にしみる。

著者の世界認識のしかたが興味深く、かつ共感する。

 

そもそも、本書の目的地は現代の日本で、日本人とは何者か?その問いに答えを見つけるための道行だという。だから、第1章で、急ぐ読者は第9章から読んでくれ、、、といっている。「日本のこころの源流」をテーマにしている私にとっては、とても良い参考書になったように思う。

 

山田さんが「現実」ととらえている物のなかには質の異なる位相のものがあるという。
そのことを意識し始めたのは、故・外山滋比古『思考の整理学』(1983)で世界が一次元(物理的現実)と二次元(頭の中の現実)があるという一節に出会ったときからだった。山田さんは、そこに第三の現実(R:リアリティー)を追加して説明する。

 

R1(第一次現実): 生身のヒトが自らを取り巻く自然環境に依存し、 自他が直接に対峙してきた無文字の時代 

R 2(第二次現実): 人間が作り出した人工環境の占める度合いが非常に大きくなり、文字を介してコミュニケーションが増加した時代 

R 3(第三次現実): 人の脳の究極の外部化としての仮想環境が増大し、情報の伝達における速度と量が加速度的に増しつつある時代 

 

文字の出現がR1とR2を分け、聴覚から視覚が重要になった。デジタル情報の出現がR2とR3を分け、視聴覚どころか嗅覚や触覚も薄れていく。

そして、それぞれの現実は、
R1→ 宗教的な神(Gott)
R2→ お金(Geld)
R3→ 情報(Google
と、3つのGと対応している、という仮説。

そして、第2章、宗教の話につながっている。

宗教のとらえ方も、興味深い。宗教には心理的面と社会的面があるとして、その対応を
心理 社会
内面 制度
信仰 組織
個人 団体
として説明。

たしかに、宗教というのは個人の内面的なものからはじまったかもしれないけれど、現実の世界ではそれが集団の組織となって社会活動をすることで、社会、制度、組織、団体というかたちをとり始める。日蓮宗創価学会公明党なんて、最もわかりやすい図式かもしれない。時代とともに変質してきてはいるだろうが、、、。

 

そして、こういう側面を持つ宗教が、
実存する(こちらの世界)と超越した(あちらの世界)
をつなごうとする。

 

神も、お金も、Googleも、それぞれのR世界に対応する(あちらの世界)なのだ。

「こちら」と「あちら」をつなぐのが宗教。目に見えない内面の信仰、目に見える教会という社会、どちらも「こちら」と「あちら」をつなぐためにある。

 

第三章以降では、さらに4つのイズムでそれぞれのイズムの関係性が「こちら」と「あちら」がどうつながっているかを図解するに至っている。

フェティシズム(fetishism):フェティッシュ=人造物
・シャマニズム(shamanism):シャーマン=人間
・トーテミズム(totemism):トーテム=ドデム(父系氏族)の崇拝。トーテムポール。
アニミズム(animism):動植物

それぞれのイズムで、崇拝する対象が変化する。それは、狩猟民族から定住するようになって変化してきた。

こちらの世界と、アニミズムの世界をつなぐのが、フェテシズム、シャマニズム、トーテミズムといったメディアだ、という解釈。なるほど!である。

 

原始の人類の精神は、生活の仕方が変化することによって、変化してきたという。

定住すると、死者をおいて移動することができないので、死者から逃れられなくなる。あるいは、その集団の中でのいやなことからも逃れられなくなる。そして、ルールができる。

面白いのは、人類に定住が定着してくると、動物を家畜化するのと共に、「自己家畜化」も始まるということ。

 

狩猟採集から定住化がすすむにつれて、技術革新や環境変動だけでなく、精神的にも変化が生じてきたというのだ。定住化によって、人同士でも「敵」と「味方」をわけるようになる。「首狩り」という習慣も、「敵」から「味方」を守るための儀式であり、豊穣をもたらすと信じられていたのだ。

 

ルールに従う、自己家畜化。日本のサラリーマンの「社畜」という言葉は、原始時代からはじまっていたのかもしれない。

 

自己家畜化という言葉は、「人間・動物学者」の小原(おばら)秀雄の言葉だそうだ。

 

そして、定住し、家畜をかうことから感染症の発生、人新世へとつながる。リスクに備えて蓄えるようになり、資本主義へとつながってきた。

定住化による食料生産の開始は、暴力の激化をもたらした。自分たちのなにかを守るために、暴力がつかわれたのだ。それは、今も変わっていない・・・・。

 

そういわれてみれは、そうかもしれない、、、という話がたくさん出てくる。

 

そして、第10章では、未来に向けての言葉。私たちは、R1、R2、R3の現実の中で生きてきたわけだが、さらにシンギュラリティの世界(コンピューターが人を上まわる)に突入するのか?

本書での答えは、否、だ。

 

山田さんは、「シンジュラリティが来るぞとAI開発を進めるのは、火事が来るぞといいながら火をつけて回っているのと変わらない」、というガナシア、ジャン=ガブリエルの言葉を引用している。

 

また、数理論理学が専門の新井紀子さんの言葉も。新井さんは、シンギュラリティなどあり得ない、とずっと言い続けている。

 

「重要なのは柔軟になることです。人間らしく、そして生き物らしく柔軟になる。そしてAIが得意な暗記や計算に逃げず、意味を考えることです」

との言葉を引用し、「私も賛成である」、と言っている。

 

「人間らしく」という表現に強く共感する。漠とした言葉ではあるけれど、私が自分自身の原理原則にしているのも「人間らしく」かもしれない。

山田さんは、トランスヒューマニズム計画宇宙への移住計画にも不自然なイメージをいだくという。私も、そうなのだ。

 

われわれ人類は、地球とともに生きてきた生き物の一員であり、今後もそれが基本となる、地球が滅びる時、運命をともにして地にもどるのが自然ではないのか、、、と。

 

持続可能性についての責任と決意をもって、日常に向き合って暮らしていくことは大事である。一方で、有限である生を引き受け精神があるからこそ、責任と決意がうまれてくる、と、そんな山田さんの考えに共感する。

 

残念ながら亡くなってしまった山田さん。解説の中で、
「神話は時空を超えて存在し継承されるものだ。著者の思いも本書を通じて、神話のように広く長く読み継がれることを期待したい。」とあった。

本当に、そう感じる一冊だった。 

 

豊かなコンテンツなので、とても表現しきれないけれど、良い一冊だった。

新しいであいだった。

ホントに、読書は、楽しい。

 

今回のアメリカ大統領選のトランプ再選と、こういった人間の精神史を重ねてみると、人が守りたいのはまず自分である、という原始的欲求と重なるような気がする。