「コロナ後の世界を生きる」から話題提供 隈研吾さん

「コロナ後の世界を生きる 私たちの提言」

村上陽一郎

岩波新書

2020年7月17日第1刷発行

 

P.172 「コロナ後の都市と建築」 隈研吾、から、覚書。


隈さん、言わずと知れた建築家。 オリンピックのために建て替えた、国立競技場のデザインをした人。自然と調和する建物を作ってくれる人。

 

 

隈さんのメッセージは、ハコ(巨大なビルなど)を飛び出して、公共の空間をのびのびと歩こう!それが、自分のためにも地球のためにもやさしい。

 

”疫病は都市や建築を何度も大きく転換させ作り変えてきた。
ペストによって中世の密集した町と狭い路地は嫌われ、ルネサンスの整然とした都市と幾何学が支配する大振りな建築が生まれた。パンデミックは、都市も変える。”


”【ハコからの脱却】
20世紀に人々はハコに閉じ込められた。ハコの中で仕事をする方が効率が良いとされて、超高層ビルに代表される大きなオフィスビルや大工場に一定時間閉じ込められて働かされた。出産や子育ての時期にはハコに通うことが難しい女性に大きな犠牲を強いた。”

通えないから、働けない。働けないなら、離職、、、という。

そして、コロナでは多くの人がそのハコに通うなと言われた。

 

ハコのない時代。

 

古代ギリシャアリストテレスの一派は歩廊で歩きながら講義を行い、逍遥学派と呼ばれた。歩きながら思考するという方法は、アリストテレスの師プラトン、その師であるソクラテスから学んだと言われている。

歩くということは、いつも一人でいるということであり、自由であるということである。

公園は空調しなくても十分に気持ちがいいがハコは空調し続けなければならない。
ハコの文明は空調文明でもあった。 それは同時に石油文化でもあった。そして今それは長く続かないということに人々は気付き始めている。

ハコからの脱却は室内からの脱却ということでもある。”

 

たしかに、隈さんの言う通りだ。私が勤めていた会社も、全館空調だった。窓も開けられない。全館空調で、自分たちで温度設定ができず、決して快適な環境ではなかった。まさに与えられた空間に閉じ込められて、仕事をさせられていた、、、ということだったのか。

ガンガン空調にエネルギーを使い、それでいて、SDGsだ、環境保全だ、とかいうのだから、足元をみつめよう、、、という感じ。

ハコからの脱却、大賛成!

歩くの大好き!

歩きながら考え事をすると、じっとしているより頭の整理になる。

この一年、旅に出られない分、散歩が増えた。

仕事をしない一年、歩くことで内省する時間が増えたので、一日の充実感が仕事をしているより大きかった気がする。

 

”【『密』空間の増殖】
昔は多くの人がもっと多くの時間を外で過ごしていた。誰もがアクセスできる空間を地図上の白とすると、東京においては道路もまた車という「私」によって占有されている黒い空間であり、白は限りなく小さく、その小さな空間に人がひしめきあってコロナの温床の密空間が生まれたのである。
白い場所すなわち誰でもアクセスできるパブリック空間の中で、どう振る舞うか、その問題も今日のコロナによって新たに我々に突き付けられた。”

 

”【ホールの距離感】
人間と人間の距離については、エドワード・ホールの「かくれた次元」という名著がある。ホール自身は文化人類学者であるがこの本の面白さは、動物同士の距離 ー 敵からの逃走距離、仲間とコミュニケーションを行う際の距離 ー のスタディから論を始めていることである。生と死の境に立たされて、我々は自分たちが動物であることと向き合わされ、動物として、他の個体と距離をに神経をとがらせている。”

 

エドワード・ホールさんのことは知らなかったけど、人によって不快と感じる距離感が違うのもはよくわかる。イタリアではあっという間に感染拡大したけれど、あれだけ、スキンシップが多く、会えばすぐにハグしてチューしていれば、そりゃ感染もするだろう。その点、日本は、人と人との距離が大きい。普通、人とあっても、せいぜい、握手くらい。その時点で、感染リスクはだいぶ違う。だけど、満員電車には乗れる。日本人の七不思議?!

 

”【筋肉の参加が生み出すもの】

ホールも指摘しているのが、アメリカ人と日本人の距離に対する繊細さの相違。アメリカ人の触れるか触れないかという極めて単純な基準でつくられたのが、超高層オフィス、すなわち巨大なハコ。

日本人は、踏石や段差などで筋肉に働きかけながら、空間の中に様々な場所を作り、様々な種類の距離をつくる。それが日本庭園。日本人が感じる快適さ。”

 

歩くことを前提とした空間。

”歩くことによって空間を認識する時に、筋肉感覚が動員されることになるのだ。”


歩くことの大切さ。

なるほど、歩くこと、そして発想がうまれる。

 

”【偶然の産物だった屋根のない国立競技場】

建て替えられた国立競技場。第1回のコンペで選ばれたザハ・ハディドの案に対して、最終的には当初予算の倍近くの工事費がかかるデザインであることが明らかとなり彼女の案はキャンセルされた。 第2回目のコンペでは工事予算の絶対厳守がうたわれ、屋根は載せないという条件での提案が求められ僕(隈さん)の案が選ばれた。

風通しの良いスタジアムが木でできていることもそれが一種の庭園的方法によってデザインされたこととつながっている。

疫病の後に世界は庭をめざすのか、それとも重装備の大きいハコを作りより完璧なエアコンを完備して無菌の世界をめざすのか、その二択が我々の前にある。コロナへの様々な対応を眺めていると、大きなハコがすぐに消えるとも思えない。少なくともハコはハコとして残るだろうハコが急に消滅するわけではない。”

 

そして、隈さんの最後のメッセージは、

”僕はハコの隙間を一人で、慎重に距離を測りながら、歩き続け、歩きながらはたらこうと思う。そのように歩き始める人間が増えた時、ハコの隙間は十分にひらかれた白い場所(誰もがアクセスできる場所)、十分に風の通る庭へと変身していることであろう。”

 

建築家の視線からの、安全な白い場所(誰もがアクセスできる場所)をふやすこと、そして歩こう!とい、提言。

 

私も歩くのが好きだなので、大賛成。

都内に出かけると、気持ちよく歩ける道は、なかなかない。

でも、たしかに、そんな場所が増えたらうれしい。

緑があると、なお嬉しい。

 

パンデミックから、町のありように視点がいくというのが、建築家視点。

これまで、パンデミックに関する本は何冊もよんできたけど、都市のありようというのは、新しく気づかされた点だった気がする。

 

人によって、視点はことなる。

それぞれの人の立場。

エッセンシャルワーカー側の立場。

支援される側の立場。

 

色々な立場があるけど、全てに思いをはせることはできないかもしれないけど、

色々な立場の人がいるという事を忘れずにいよう。

 

歩くのが気持ちい街づくり。

協力したくなった。

自分ができることを考えよう。

 

自分の頭で考える。

それが、大事。

 

 

かたつむり 登らば登れ 富士の山 by 山岡鉄舟

今日教えていただいた禅の言葉は、

 

かたつむり 登らば登れ 富士の山

山岡 鉄舟

 

全体をみなさい、という教え。

 

かたつむりが1時間で 50㎝進むとして、1 日10時間登ったら5 m。1 年間で1825 m。3776 m の富士山の山頂まで756日。ゆっくりの歩みでも、2年前後で登頂に至る。

 

ということ。

 

 

とある資格試験を目前にして、これまで勉強をきちんとしてきていない私には、いたたたた、、、の言葉。でも、ちょっとずつでもやってきたことは、多少は身についているか?と、良きに解釈したりして。

毎日1時間の積み重ねでも、毎日続けていると、前に進むはず。。。

 

そこへ、次の言葉が刺さる。

 

着眼大局 着手小局
「着手小局と希望的観測」ばかりが目につき、「着眼大局」が欠如してないか?

 

あぁ、希望的観測ばかりかもしれない。

試験まで、あと16日。

全体の学習計画を見直して、死ぬ気で頑張ろう。。。

 

と、一方で、頑張ることはよくない、というのもある。

でも、今は頑張り時なので、がんばろう。

そもそも、好きで始めた勉強だ。

人に言われて頑張るのではなく、自分が頑張りたいことに頑張れる。

その時間があるという事だけでも幸せなことだ。

学習できる幸せ。

 

しかし、着眼大局 着手小局

という事で考えると、そもそも、私はなぜその資格試験を受けようと思ったのか?

その資格をとって、何をしようとしているのか?

大局が足りていないのかもしれない。

決して、資格マニアではない。

純粋に、その知識をもっと身に着けたいと思ったから。

身に着けることで、もっと人生楽しめると思ったから。

そうだ、楽しむためだ!

楽しんでがんばろう。

 

よく、習慣化させることの強みが言われるけれど、毎日でもこつこつと続けていると、体に染みついてくる。

 

この数か月、一日、10分でも勉強は続けてきた。

きっと、なにかは身についているはず。

あとは、試験までにもっと体系化して全体をつかんで、、、反復学習しよう。

 

昨日、ふと手にした田口佳史さんの本に、

「100%成功する大人の勉強法」というページがあった。

勉強したい分野の最高の参考図書を見つけて、何ページあるのか調べる。一日1ページしっかり読んで頭に入れていく。200ページの本なら、200日。

ポイントは、一日1ページ。それ以上進んじゃいけない。

 

あぁ、これを、もっと前に読んでいたら。。。。

今、私が勉強すべき参考図書は、195ページ。。。

試験まで、あと、16日。。。

 

千里の道も一歩から、、、、。

 

学習法を学習したくなった。

やはり、大局を失わずに、計画的に、、、が大事だと思う。

 

反省しつつ、今日は、雨。

8時間は勉強しよう。

 

余談だが、

山岡鉄舟は、銀座のパン屋さん、「木村屋」の看板の文字を書いた人。達筆なのである。あの「木村屋」の文字は、いかにも美味しそうではないか!!

山岡鉄舟の書は、膨大な数がある。数を書いた分だけ、達筆になっていったという事かもしれない。

 

続けるって、大切。

継続は力なり。

 

 

 

「コロナ後の世界を生きる」から話題提供 出口治明さん

「コロナ後の世界を生きる 私たちの提言」

村上陽一郎

岩波新書

2020年7月17日第1刷発行

 

P. 198~「人類史から考える」。出口治明さんの項、覚書。 

 

出口さんのメッセージは、いつものように歴史に学ぶ感じ。具体的な歴史の事例をもとに、今起きていることと対比させ、これからのことを語ってくれている。

【コロナ後の日本の働き方】
コロナがもたらした明るい面の一つは、ITリテラシーが高まったということ。出口さんのつとめる立命館アジア太平洋大学(APU)では子連れ出勤と同時にテレワークを広げ、やってみると意外と子連れ出勤も問題なくできるということが確認できたと言う。

テレワークへの慣れは、私も感じている。2020年4月、首都圏で本格的にステイホームが始まったときは、私もまだサラリーマンで通勤していたけれど、結局そのあと6月末に退職するまで、出勤しなくても問題なく仕事はできた。会社が数年前から誰でもどこでも仕事をできるようにと、モバイル端末や携帯電話、ネット環境がすでに整っていたことが大きかったと思う。とはいっても、全員がWeb会議に慣れるまでにはそれなりに時間がかかったけれど、今は、会議設定=Web会議が当たり前になっている。

この一年、ちょこちょこ入る仕事は、全て、自宅で済んでいるのは、Web会議のおかげ。

 

【全世界が直面している課題】
1.ワクチンや治療薬が見つかるまではステイホーム以外の方策はない
2.ステイホームが可能になるのはエッセンシャルワーカーと言われる人たちが働いてくれているから。それを全ての人が理解するべき。
3. ステイホームによる収入減。

 

本書が出版された2020年の夏の段階では、その通りだったろう。

2021年6月末の今、課題は少し異なるかもしれない。

2021年のゴールデンウィークも、日本の政府が国民に求めた対応は2020年と何ら変わらなかった。ステイホーム・・・・。

1年かけて、何をしてきたのか???と、思わざるを得なかった。

助成金なども、何がどうなっているのか、よくわからない。

全国民一律10万円、はあったものの、その後、一般の人たちには何が支援になっているのだろう???

今のところ、私は、旅行・外食がなくなったことで、支出が大幅に減ったので、お金には困っていないけど、、、、。

 

【三つの課題から何が示唆されるか】
コロナは、全世界で共通の敵。共通の敵に対してはバラバラに戦っては勝てるはずがない。一時的に、ナショナリズムの盛り上がり、国内回帰があるかもしれないが、中長期的にはグローバルに依存する動きは止まらないはず。

 

同感。人の往来は減るかもしれないけど(無駄な出張とかなくなってよかった)、モノ・カネ・情報のグローバルな流れはこれからも続くはず、と思う。人は、一度手に入れたものを失う事に、強く抵抗するから。

 

パンデミックが生み出したもの】
14世紀のペストは、結局ルネサンスを生んだ。死ぬことばかり思っていても、いくら敬虔になっても神様は助けてくれない。それだったら人間を大事にしようとそれがルネサンスを生んだ。
15世紀のコロンブスの新大陸発見は、ヨーロッパ人ンを通して感染症が持ち込まれ、旧大陸の病原菌に対して全く免疫を持たない新大陸の人々の9割以上が死に絶えた。でも、その代わりに、ジャガイモ、トウモロコシ、サツマイモなど、色々な食糧が均霑(きんてん)して、世界は豊かになった。

1918年のスペイン風邪は、第1次世界大戦を終わらせたスペイン風邪はもともとアメリカがヨーロッパに持ち込んだもの。人がバタバタ死んでいくのを見て戦争なんかしている場合じゃないということになって、国際連盟を生み、各国は仲良くやっていこうということになった。
過去3度のパンデミックは全てグローバリゼーションを加速し国際協調を生み出してきた。

パンデミックは自然現象なのでいつ終わるかはわからないけれどもいずれは必ず終わる。今できることは被害を最小限にとどめること。

 

なるほど。確かに、次につながる何かが起きているんだ。

 

コロナパンデミックの後は、何が生まれるのだろうか。

 

私は、もっと一般の人の「感染症」に対するリテラシー、健康に関する意識が向上すればいいと思っている。海外でも、マスクをしている人が悪者扱いされなくなったのは、よかったことだと思う。手洗い・うがい、で多くの感染症は予防できる。ストレスの少ない生活を送って、ちゃんと休息して、免疫力を高めておくことが、個人ができることの一つではないだろうか。

 

 

ということで、私は私なりに、ストレスフリーの生活を目指して、免疫力を弱化させないようにする。

だから、外出自粛期間であっても、楽しむべきことは、楽しむ。

 だいたい、国に勝手に不要不急を決められたくない。

何が不要不急かは、個人の人生にによって違うはずだ。

 

出口さんが、また、お薦めの本を何冊も出してくださっていたので、また、読書の楽しみがふえちゃった。

読書も、外でするのが好きだったけど、自宅でも楽しめることの一つ。在宅でできることは在宅でする。

 

人生、楽しんだもの勝ち。

図書館で借りれば、お金もかからないし。

読書ほど、コスパのよい時間の使い方はないと思う。

 

そうそう、新しい言葉に出合った。

均霑(きんてん)

 

広辞苑によると

均霑 きんてん: 

(生物が等しく雨露の恵みにうるおうように)、各人が平等に利益をえること。

 

だそうだ。

いやぁ、使わない言葉だ。

英語でなんて言うのだろう?とおもったら、ただの ”Equal” だった。
なんか、違うよ。。。

日本語って、漢字ってすごい。

 

本を楽しもう。

楽しめば、それも、免疫力向上につながる!

 

 

 「コロナ後の世界を生きる 私たちの提言」からの話題提供、ヤマザキマリさん。

 「コロナ後の世界を生きる 私たちの提言」
村上陽一郎
岩波新書
2020年7月17日第1刷発行


コロナ禍によって照らし出された社会の現実、その深層にある課題など、今何を考えるべきなのか各界の第一任者24名の提言を、村上さんが編集された本。

村上楊一郎さんは、1936年生まれ。東京大学名誉教授。国際基督教大学名誉教授。科学思想史・科学哲学専攻。

 

図書館で、ヤマザキマリで検索した時に 出てきたので借りてみた。


P.80 「我々を試問するパンデミックヤマザキマリ


ヤマザキさんは、もともと、海外を転々と暮らしてきた人だが、当時、イタリア、パドヴァで家族と暮らしていた。2020年の2月、仕事でミラノに滞在した後、家に戻ろうと思ったら、教員をしている夫から、パドヴァには帰ってこない方がよいのでは、と言われた。日本からの移動を含めて、それまで不特定多数の人たちと毎日無意識に接触してきたことを考えると、自分が感染をしているかもしれないからということで、自宅に帰らずそのまま日本に帰ってきた。
そして、ヤマザキさんは2021年6月の今なお、日本にとどまっている。
その、ヤマザキさんがみた、パンデミックが人々に考えさせたこととは?

家族と会えないヤマザキさんには申し訳ないが、そのおかげでヤマザキさんの日本での発信をたくさん得られたのは、私には、幸いなことである。


彼女の一番のメッセージは、

”自分で判断できる智恵を身に着けられる社会をつくっていくには?”という事のように感じた。


他の本でも、ヤマザキさんはドイツのメルケル首相の対応、国民に向けて行なった演説を高く評価している。本書でも、メルケルさんを演説上手の代表として取り上げられていた。 メルケルさんは、「自分たちの政治的判断と行動の根拠の透明感が大事であり、国民それぞれの知識の共有と協力によって成り立つのが民主主義であると説き、国民からのパンデミック対応への指示を得た。」とある。内容も、演説そのものもうまいのがメルケルさん。

イタリアのコンテ首相も、国民の命と健康は何より優先順位で守られるべきであると告げて国民を納得させた。


ここまで読んで、私の頭に浮かんだ問いは、

「ドイツ、イタリアの二人が演説によって国民の協力を得たのに対して、日本は?!?!そもそも、自分の考えを伝える訓練ができていないのではないか?」

ということだ。

 

欧州では子供の時から弁論に慣らされていくので、自分の考えを自分の言葉で伝えることを学び、質問があっても臨機応変に答えるという訓練がされている、という。
その辺が、演説上手の背景になる。日本の教育では、そういう訓練の場が少ない。


もう一つ、海外と日本の教育の違いとして、過去の疫病や戦争について、どのように子供たちに考える機会を与えるか、ということ。

イタリアでは、一般教育の段階で習得の機会があるという。


疫病についていえば、小説「いいなずけ」(アレッサンドロ・マンゾーニ著) が中学校での国語の授業における課題図書となっているそうだ。17世紀に発生したペストの流行の様子が記述されている小説。私も読んだことはないけれど、読んでみようと思う 。


また美術の授業時間にも黒死病の大流行を絵画を通じて学ぶ機会があると言う。

日本においては、戦争や震災のような風景を変えてしまう史実はともかく、疫病大流行のようなものが、あまり記録として残されていないらしい。ヨーロッパの旧約聖書に根付く人間至上主義的な考え方は日本にはなじみが薄く、疫病にしても自然現象との共生の一つととらえる日本的な考え方があるのかもしれない、とヤマザキさんはいう。


「水に流す」というのは、日本に特徴的な文化の一つだと、以前、キリスト教聖職者だった知人がいっていた。
ちょっと、重なるところがあるかもしれない。

 

そして、疫病や戦争など、苦しい悲惨な時を経た時に人々はどうなるか。それは、昔から現在まで、おおきくかわらないのでないか?でもこれから選択していくのは、私たちなのでは?というのが、ヤマザキさんの問いかけ。


以下、気になったところ、要約&抜粋。


「ヨーロッパにおいては、ローマの時代から戦争やパンデミックが起こると、自己顕示欲しかないような愚帝が権力を掴み、一方で民衆の間ではキリスト教信者が増えるという現象が起こっている。第1次世界対戦の最中に発生したスペイン風邪では、人々が生き延びるための精神の拠り所として、復興への強い思想と演説によって、圧倒的なカリスマを備えたヒトラームッソリーニのような人々を信望し始めた。人々から自分で物事を思考する力を奪い神や指導者などへの神奉に自分の命の責任を委ねる心理を発芽させる。パンデミックの性質はこうした歴史の中からも認識できる。」

 

不安が発芽すると、絶対的なカリスマリーダーに、自分の未来を委ねたくなるのが人間なのか?


本書の中でのヤマザキさんの最後の問いかけは、以下の通り。


メルケル首相の言葉通り、『国民それぞれの知識の共有と協力によって成り立つのが民主主義』であるのなら、人類の歴史上において何度となく繰り返されてきたこの疫病による混乱も、そして終息後の世界も、今までとは違う水準のものに変化していく可能性があるはずだ。個人の意識と行動力次第だが、逆に自分の頭で考えた言葉を待たず、政府や権力者の判断や指示のみにすがって生きていく方向を選ぶのであれば、そんな展開への妄想は抱かない方がいい。
2世紀のアントニヌスのぺストや前世紀のスペイン風邪のような国力や社会衰退への顛末を歩むことになるのか、それとも14世紀の黒死病代流行を経て文化も経済も繁栄を極めた ルネッサンス のような世界を迎え入れることができるのか、その答えもまたこのパンデミックが教えてくれるだろう。」

 

このパンデミックの後どういう世界にしていくかは、わたしたち一人一人の判断そして行動によっているのだ。


2020東京オリンピックは開催まで3週間となった。
ただ「開催反対」というのか、開催するならば、自分はどう行動するかを決めるのは、自分である。

 

自分の頭で考える。

それが、大事だと思う。

手洗い、うがい。

自分の身は、自分で守る!

 

 

 

橋頭堡 きょうとうほ

橋頭堡 きょうとうほ

 

最近、本を読んでいて、何回か出会った言葉。

聞きなれない言葉だった。

 

広辞苑によると

橋頭堡 きょうとうほ】

①橋梁を直接掩護(えんご)するために、その前方などに築く陣地

②渡河・上陸作戦の際、その地点を確保し、後続部隊の作戦の足場とするための拠点。また比喩的に、拠点・足場。「橋頭堡を築く」

 

普段の生活ではなかなか使わない言葉ではなかろうか?

新聞でも見かけない。

私の「バカの壁」かもしれないけど。

 

最初に、この言葉が目についたのは、

「石の花」(坂口尚)の中。

megureca.hatenablog.com

バルカン半島を舞台にしたユーゴスラビア、チトー率いるバルチザンが、まさに、橋を渡れるか渡れないかの時に出てきた。

本の中での脚注には、「上陸点を確保し、相手を攻撃するためのよりどころ」となっていた。

 

他にも、歴史の本の中で、領土拡大の中で出てきたりしていたので、戦争とか、土地の奪い合いの時に出てくるのかなぁ、くらいに思っていた。

 

そして、最近、もう一つ目にしたのが、とある本の中。

商売の上での「橋頭堡」といった意味での使い方。

 

なんにしても、「大事な拠点」、という事なのだろう。

 

実際の土地や橋のことではなく、比喩として使うと文学的になるから新聞などでは見かけない言葉なのかもしれない。

 

と、思って、日経新聞電子版で検索してみたら、出てきた。

2021年6月25日 朝刊 (以下、抜粋)

自由追求する橋頭堡だった」(台湾、蔡総統が投稿)

台湾の蔡英文(ツァイ・インウェン)総統は、24日、香港紙・蘋果日報(ひんかにっぽう、アップルデイリー)の廃刊を受け、フェイスブックに「残念でならない」とコメントを発表した。「香港人にとって蘋果日報は単なる新聞ではない。権力にあらがい、民主化を目指し、自由を追求する橋頭堡(きょうとうほ)であった。

 重要な拠点であり、最初の一歩、っていう感じだろうか。

一つ、おりこうになった。

 

気になる言葉は、都度調べていると前に進めなくなるけど、何度か出会ったときに調べてみると、理解しやすい。

 

カタカナ言葉も、よくわからない言葉はあるけれど、日本語も知らない言葉、使い慣れない言葉は山ほどある。

 

それでも、日本語で、且つ漢字だと読み方がわからなくても、なんとなく想像がついたり、類推できるから、漢字というのはすごい文化だ。

 

一つ一つの言葉の意味が分からなくても、文章全体として、なんとなくニュアンスが想像つくこともある。

それは、日本語も、英語も同じ。知らない言葉出てきても、全体の流れからなんとなく、ぼやっと理解する感じ。

 

本をたくさん読んでいると、知らない言葉や、読めない漢字もよく出てくる。でもそれを気にせずに読み進めると、そのうち、ああぁ、そういうこと?と、ふとつながるときがある。

そして、知らなかった言葉に何度か出会うと、アンテナが立つ。

わからないことをすぐに調べることも大事だけど、都度調べるより、頭の中で想像しつつ、複数回出会ったときに調べてみると、モヤモヤが一気に解消される感じが、それはまた楽しい。

 

今度、橋頭堡という言葉に出合ったら、どんな使われ方をされているのかメモしておこう。

 

本を読んでいると、新しい発見がある。

読書は楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「世界史の10人」 by 出口治明

「世界史の10人」

出口治明 著

文藝春秋

2015年10月30日 第一刷

 

「この一冊、ここまで読むか!」で出口さん自身が薦めていたご自身の書。

「世界史の10人」を読んでみた。

出口さん、もう、勘弁してください。

スケールが大きすぎます!!

出口さんの頭の中って、どうして横(地理的に)にも縦(時代的)に縦横無尽に広がるのだろう。

って感じ。

でも、ついていけないけど、ついていってみたい、出口さんの頭の中の地図に。

 

タイトルの通り、10人のリーダーがでてくる。

とても、全部は要約しきれないので、読んでみてください、としか言いようがない・・・。

ま、Megurecaは、読書の記録と言っても、要約しているわけではないけど。。。

 

取り上げられているのは、各時代、各地から以下の10人。

【ユーラシア大草原から】
1. バイバルス: 奴隷からスルタンに上り詰めた革命児
 1483~1530
 モンゴル軍を破ったエジプト、イスラムの英雄。

イスラムというと私には、インドネシアとか東南アジアが身近なのだが、そうだよ、エジプトなんだよね。そして、ヨーロッパ各地の羊のチーズは、イスラムの置き土産。羊を連れて彼らは、領土拡大の戦いに出ていったから。歴史は食の文化につながる・・・。


2. クビライ: 5代目はグローバルなビジネスパーソン
  1215~1294
  モンゴル帝国第5代皇帝→元王朝

 彼らの移動の発端も、宗教。クビライの母親は、ネストリウス派の敬虔なキリスト教徒。ユーラシアの話でキリスト教がでてくるとは。。。


3. バーブル: 新天地インドを目指したベンチャー精神
 1483~1530
  ティムール帝国の一族。戦争の天才。

 

【東方の世界から「南北朝」】
4. 武則天: 「正史」では隠された女帝たちの実力
 623~705
 一度は道教の尼寺に入っていたが還俗して唐の国で皇后となる。女帝!


5. 王安石: 生まれるのが早すぎた改革の天才
 1021~1086
 中国市場、最も変化が大きかった宋の時代。庶民のための政治を実行。
 

【ヨーロッパから】
6. アリエノール: 「ヨーロッパの祖母」が聴いた子守歌
 1132~1204
 フランス、アキテーヌ地方の王女様。男関係が激しすぎて、子供もたくさんいて、、、だから、ヨーロッパの祖母。
ワインの勉強していると必ず出てくる、ボルドー地方の歴史に欠かせない人。


7.フェデリーコ2世: ローマ教皇を無視した近代人
 1194~1250
 ドイツ語でいうと、フリードリヒ2世。イタリアで活躍したときは、フェデリーコとよばれていた。家系図が複雑すぎる。。。


8.  エリザベス一世: 「優柔不断」こそ女帝の女王の武器
 1533~1603
 連合国王、16世紀に君臨した女王。
 ここも、家系図複雑、、、。母は斬首刑、姉からは命を狙われる、、、。そして、多くを語らない女王となった。何もしないで何かを達成する無類のリアリスト。

「沈黙は金なり」といったところか、、、。


9. エカチェリーナ2世: ロシア最強の女帝が見せた胆力
 1724~1796
12人の愛人。34年間の帝位。すごすぎて、何も言えない。。サンクトペテルブルクエルミタージュ美術館にいくしかない。。。


10. ナポレオン3世: 甥っ子は伯父さんを超えられたのか?
 1803~1873

ナポレオン1世は、伯父にあたる。
間抜けな皇帝の代名詞のように言われるが、出口さんは、そこそこ評価してもいいのではないか、と。
国民主権+帝政+社会主義」をミックスした皇帝民主主義を20年間つらぬいた。民衆に寄り添う政治をしようとした。かつ、今のパリの美しい街並みを造ったのだから、それだけでも評価に値する、と。

 

と、10名の活躍する時代と、そこにいたる背景を説明している本なので、とても歴史の勉強に良い本だと思う。

確かに、お薦め。

 

だがしかし、、、私の頭はそれについていけない。

 

読みやすかったのは、アリエノールと、ナポレオン3世のところくらいか。

ナポレオン3世は、よくわからない。相当な放蕩ぶりで、阿保っぽくもあるけれど、一応は、20年も政治をしたのだから、何かはあるのだろう。

カール・マルクスが、酷評したナポレオン3世だけど、これはやはり、「ルイ・ボナパルトブリュメール18日」を読んでみなければ。

 

歴史の本は、時々読むと、近視眼的な思考をしなくなるので、頭の体操によい。

しかし、この本は、体操になりすぎる。

適度に、さぼりながら読まないと、スタックしてしまう。

飛ばし読みも大事。

 

また、いつか、読み返してみたい本。

マインドマップも、1ページではおさまらなかった。

こんど、復習してみよう。

 

あと、こんな時、そばにあってありがたいのは、

「情報の歴史21」松岡正剛監修 (編集工学研究所)

本当に、すごい本。

今年購入した本のなかで最強。

7480円(税込み)で、世界中へ、どの時代へも、飛んでいける。

 

読書は、読書が味方してくれる。

 

 

 

 

 

「おそめ 伝説の銀座マダムの数奇にして華麗な半生」 by 石井妙子

「おそめ 伝説の銀座マダムの数奇にして華麗な半生」 

石井妙子 著

株式会社 洋泉社

2006年1月24日

 

楠木建さんのお薦めだったので、読んでみた。

(「この一冊、ここまで読むか!」から)

あぁ、こういう時代があったのね。

文豪があつまる銀座のバー。

白洲次郎川端康成大佛次郎、、、、

そんなお店なら、私も働いてみたかったかも?!?!

 

 

著者の石井妙子さんは、最近だと「女帝 小池百合子」の著者。

ノンフィクション作家。

本書は、石井さんの初めてのノンフィクション。

5年の年月をかけて出版に至った。

確かに、巻末の参考文献一覧は13ページに及ぶ。

当時の週刊誌等が多いけど、たくさん調査したのだろう。

インタビューも百名近い方々だったと。

匿名を希望される方が多かったという事で、全員の名前が匿名となった。

 

おそめ、本名 上羽秀、の半生をつづった本。

伝説の銀座マダムだったそうだ。

映画「夜の蝶」の主人公のモデルだと言われた人。

実際の映画に出てくる女は、本人とは異なる点も多かったようだが。

本書を読む限り、本人のほうがよほど人間的で魅力的に思う。

 

京都木屋町に炭問屋に嫁いだ母、よしゑの長女として大正12年1月15日に生まれる。

翌年、秀の妹、掬子が生まれる。

しかし、幸せな家庭ではなかった。

よしゑは、嫁ぎ先での舅、夫からの様々な嫌がらせ、暴力から逃れるように、秀と掬子を連れて、家をでる。

一生、呪ってやる、と心に誓って家をでた母よしゑ。

でも、時代が時代。出戻り娘が簡単に実家に戻れる時代ではない。

そして、よしゑは、掬子を義兄夫婦の養子としてもらい、秀を一人で育てることとなる。

小学校を卒業した秀は、進学は望まず、新橋の花柳界に出ることとなる。

さいころから、「芸妓さんか、女優さんになりたい」といっていた秀は、夢の第一歩を15歳で歩み始める。

15歳で、一人、東京の知り合いのところへ居候しながらの芸者修行。

秀は、楽しかった。東京も気に入った。このまま東京でお座敷にでたかった。

でも、修行が終わって、さぁ、お座敷へという頃に、3年も離れて暮らしていたことに耐えられなくなった母に京都に連れ戻されることになる。

そして、祇園へ。

芸妓 おそめ 誕生。

日本人形のように美しい秀は、すぐに売れっ妓となる。

外見の美しさだけでなく、その人となりも人気だった。

祇園の客は、当代一流の人たち。

裏表なく、子供のように素直でいて、日本人形のように美しい秀。

一流の人たちが、秀に夢中になった。

そしてそんな中、旦那がつく。

そして、19歳の時に、落籍される。

要するに、旦那の妾になって、お座敷を降りたということ。

でも、秀が好きになった相手ではない。

相手は秀にぞっこんだけど。

そういう時代。

 

旦那は、とことん秀にやさしかった。

戦時下にあっても、何一つ不自由のない暮らしをさせてもらっていた。

でも、それは秀の望んだ生活ではなかった。

そして、昭和二十年。終戦

街に活気が戻ってきたころ、秀は、街に出て、恋をする。

旦那を裏切っての恋。

それでも、旦那は、秀にやさしかった。

そのあと生活に困らないであろう手当も渡して、秀を自由の身にする。

そして、秀は、恋した相手の娘を生む。

 

俊籐浩滋。

秀が、最後まで人生の伴侶として添い遂げることになる男。

でも、「おそめ」で活躍する秀の稼ぎで生きる男。

ろくでもない男にしか思えないけれど、秀が惚れて惚れて尽くした男。

後に、任侠映画の父と言われるまでになり、秀を最後まで守り抜こうとした男。

 

俊藤と暮らすようになって、働かない俊藤の代わりに、楽しんで働く秀。

昭和23年、自宅の一部を改造して「OSOME」会員制ホームバーを開店。

お客は、祇園時代の数々の名手。

小さなお店は大盛り上がり。

東京からのお客さんも付くようになる。

そして、昭和30年、「おそめ」は銀座に店を開く。

 

栄枯盛衰・・・・。

時代の流れ、行き過ぎた店の拡張、俊藤の勝手なふるまい。

 

東京に出て23年、1978年に「おそめ」はひっそりと閉店となる。

 

そのころになって、俊藤は任侠映画のプロデューサーとして名を上げ始め、秀は家庭に入って夜の街を引退する。結局は、最後まで支え合い続けた二人だったのだろう。

 

日本の高度成長期の夜の店。

その一つの栄枯盛衰の物語、と言えばそうだけれど、秀の天真爛漫な性格が伝説のマダムと呼ばせるのだろう。

俊藤には、実は本妻がいた。子供までいた。それでも、秀は俊藤との生活を続け、本妻や子供の面倒まで見続けた。

晩年に、本妻百合子と離婚した俊藤は、秀に結婚してくれと頼む。秀は、籍を入れることには全く興味を示さなかった。

秀は、お金にもあまり興味がなかった。

だから、店を拡張しても事業には無関心。

ただ、お店に出ていることが楽しかった。

お金は、持つものではなく流すもの。

そんな、さっぱりして、執着しない性格が、伝説のマダムのなのだろう。

 

そういう時代があったのだと、思い起こす。

今よりも限られた女の人生の自由。

でも、自由に生きた秀。

 

なにも、衰退の話なんか書かなくてもいいのに、という気もしなくもない。

でも、お店を閉じたからと言って、いじけるわけでもなく、

晩年にも「また、お店をやりたい」と言い続ける秀がいい。

 

名誉やお金に執着しない生き方。

それが、伝説なのだろうと思う。

 

執着しなければ、人生は楽になる。

お金は、流しているば、流れてくる。

そんなことを、信じたくなる一冊。

 

そして、ちょっと信じているから、まだまだ、私もなんとかなるかも、と思っている。

執着せずにいこう。