「佐藤優さん神は本当に存在するのですか?」
宗教と科学のガチンコ対談
竹内久美子 佐藤優
2016年3月15日
文藝春秋
図書館で見かけて借りてみた。
正直言うと、私は、竹内さんの著書というのはあまり得意ではない。何か一方的に彼女の主張を押し付けられてるような感じがして、読者と対話しているというより、一方的な竹内さんの主張を読むのがあまり得意ではない。かつ、自然科学の観点からもちょっとずれている、、、と思う事が多いからだ。
でも佐藤優さんとの対談だし、、、と思って、本図書館の棚から取り出してみた。すると表紙にあったのはヨシタケシンスケさんのイラストだった。
あら、出会ってしまった一冊、、、という感じ。
なので借りてみた。
255ページの単行本。まぁまぁ、の厚さ。
第1章 神様はホントにいると思いますか? 宗教と科学のデスマッチ
第2章 聖書っていいかげんではないですか? 天才イエスと悪人パウロの合わせ技
第3章 愛する隣人って誰のこと? 血縁と非血縁のはざま
第4章 人はなぜ浮気をするのですか? パートナーと愛人の選び方
第5章 将来のこと動物に訊いていいですか? 人間と動物の合わせ鏡
面白かったのは、やはり、第1章。
プロテスタント神学者である佐藤さんと、無神論者でリチャード・ドーキンスの主張に共感しまくる竹内さん。
神、という視点では、まったく、立ち位置の異なる二人。
だから、宗教と科学のデスマッチ。
結論から言えば、佐藤さん曰く「立場が違う」ので、科学で説明したいのでしたら、どうぞそうしてください、私はそれを否定も肯定もしません。。。って。
佐藤さんは、基本として、
「全知全能の神によって作られたこの世界を、それ自身に制約がある人間の理性によって解明することはできないと考えている。」と言っている。
人間の理性の限界。
たしかに、人間が考える自然科学も限界がある。
竹内さん自身も、
「科学というのは、その時点での真実であって、明らかな反証ができるまでの真実に過ぎない」という事を認めている。
だから、佐藤さんは、森羅万象、神までもを人が説明しようとすること自体に限界があるのだから、それでもやりたい方はどうぞ、、、と、そいういう事のようだ。
なるほど、と思う。
分かる。
ただ、今の私だからわかるのであって、若いころの私なら分からなかった。
自然科学が絶対だと思っていたから。
世のなかには一つの真実があって、それ以外は間違っていると思っていたから。
でも、そんなことはない、、、と、歳を重ねると、理解できるようになるものだ。
佐藤さんは、リチャード・ドーキンスがその著書「利己的な遺伝子」や「神は妄想である」のなかで、徹底的に神を否定しようとしている姿勢は、そうすること自体が神のことを一生懸命考えているからである、として、特に、否定も肯定もしない。
いや、そういわれちゃっちゃぁね。
愛しているの反対は、嫌いではなく、無関心。
そういうこと。。。かな。
今回、佐藤さんのいう事を否定しまくろうとする姿勢の竹内さんと、それをいなしつつ話をすすめる佐藤さんとの対談で、プロテスタント神学というものの立ち位置への理解が、また少し深まったような気がする。反証したがる竹内さんへの佐藤さんの回答は、わかりやすい。
プロテスタント神学にも、古プロテスタンティズムと近代プロテスタンティズムがあるという事。
古プロテスタンティズムというのは、宗教改革当時の「イエス・キリストに戻れ」という復古主義。
近代プロテスタンティズムというのは、宗教改革以降の啓蒙主義の出現とその後の世界大戦における大量殺戮という矛盾を克服するために、あらたに生まれてきた、「宗教の本質は直感と感情である」、というシュライエルマッハーによる解釈。
シュライエルマッハーの「神は心の中にいる」という考え方ができてから、地動説のような宇宙観、自然科学も受け入れることができるようになった。
祈りの言葉である「天にまします我らの神よ」の天というものも、神が心の中にいるのであれば、それで地動説があることによって神が否定される必要はない。
私の思考では、地球は丸くて、地球が動いていても、上は上で、宇宙を、空を、上と思っていればいいじゃないか、、、という気がするけれど、、、。地球が丸いという事より、地球が動いているという事の方が、当時はセンセーショナルだったのかもしれない・・・。
二人の対談を通じての、私なりの解釈は、
「神様がいると思う人には神様はいる。」
それは、心の中かもしれないし、森の鎮守の神様かもしれないし、、、。
そして、
「結局、特定の宗教でなくても、人は何かを信じている」
という、事のような気がする。
佐藤優さんのいう事を信じる、佐藤教かもしれないし、
神様はいないという事を信じる、無神論教かもしれないし。
あるいは、絶対的に自然科学が世界を主導すると考える自然科学主義教。。。
佐藤さんのことばを借りると、
「人間というのは本質において宗教的な生き物」
動物の行動は、本能。
人の行動は、本能+理性。
その、理性の根拠になっているもの、原理原則を作っているものがその人にとっての宗教みたいなものなのかもしれない。
そして、時にそれが、ブレインブロックを起こす。
よい、ブレインロックと、外した方がいいブレインロックがある。
何かを信じ込んでいるだけかもしれない、
と、自分の思考を時々疑ってみるのは大切だ。
思考の転換のためにも、やはり、異なる意見の人の話を聞くっていうのは大事だ。
竹内さんの出てくる本だから、といって一瞬避けようかと思った本書だけど、読んでみて良かった。
この本も、一種の反証主義がもたらす、解説本ともいえるかもしれない。
タイトルは、「宗教と科学のガチンコ対談」なのだが、
神学と宗教学は違うのだ、、、ということをちょっと垣間見た一冊だった。
面白い。
やっぱり、読書は楽しい。
話は飛ぶけど、ヨシタケシンスケさん、好きだ。
彼のイラストがあることで、やもするとケンカ腰な竹内さんの主張が、やわらげられている気がする・・・。