「LISTEN」 ~ 知性豊かで創造性がある人になれる ~
ケイト・マーフィ 著
篠田真貴子 監訳
松丸ひとみ 訳
日経BP
2021年8月9日 第一刷発行
8月の発売当初から気になっていたけれど、まぁ、よくある「聴く」の本だよな、と思って読んでいなかったのだが、ここ数週間で繰り返し話題に出てくることがあって、読んみた。
500ページを越える大作。
結論から言うと、内容的に特に目新しいことは無く、従来の日本人の書く「聴く技術」に関する本とあまり変わらないような気がした。
とはいっても、内容は充実しているので、良い本だとは思う。色々とリマインドされることがあったし、視点として、なるほど!も、あった
宗教的な視点が、なるほど!、だった気がする。
著者のケイト・マーフィは、ヒューストンを拠点に活躍するジャーナリスト。もしかすると、アメリカ人にとっては、新しかったのか??という気がしなくもない。
表紙には、「マルコム・グラッドウェルも絶賛」と金ピカで書いてある。
本の目新しさについては、もともと、自分の意見を主張するのに慣れている文化(アメリカ)と、自分の意見を主張することを遠慮する分化(日本)の違いがあるような気がした。まぁ、それも、今の時代においてはステレオタイプで、偏見かもしれないけれど。
改めて、心にとめておきたいと思ったこと、覚書。
繰り返し、言われていることだけれども、やはり大切だな、とリマインドしてくれたのは、人の話を聴く時の注意事項。
・「自分は間違っているかもしれない」という可能性を持って聞く。
・「次に何を言おう」と考えない。
・「なぜ?」は、尋問になってしまうので言わない。
・ 会話をコントロールしようとしない。
・ アドバイスしようとしない。
・「うなずき」や「オウム返し」は、聴くことではない。
「うなずき」や「オウム返し」は、コーチングの世界では推奨されることだ。あいては、聞いてもらえていると思って安心する、というけれど、私はそれはどうかな?と思っている派。どちらかというと、
「うなずき」や「オウム返し」は、聴くことではない。
に、同意!
アドバイスについては、「我慢した方が良いアドバイス」というのも紹介されている。
・どんな気持ちが自分にも理解できると言う
・問題の原因を突き止める
・その問題についてどうすべきかを言う
・相手の心配事を矮小化する
・無理やりポジティブな視点や陳腐な言葉を使って違う見方をさせようとする
・相手の強さを賞賛する
うなずきも、オウム返しも、アドバイスもしない。
沈黙を恐れるな、ってことだと思う。
若いころは、沈黙が怖かったけど、いつからか、沈黙が怖くなくなったなぁ、と思う。
本書の中で、「ほとんどの宗教は沈黙を大切にする」という一文があって、なんとなく、しっくり、腑に落ちた。うまく説明できないけど、取り立てて宗教心のない私にとって、様々な人の宗教を理解したいと思うようになったのと、沈黙が怖くなったのと、同じくらいな年ごろのような気がする。。。。
上手く言えないけれど、沈黙って、べつに怖いものではない。それは確かだ。
沈黙が怖いと、ついつい、沈黙ができた時に何かを言おうとしがち。
くわえて、人の話を聞きながら、自分の思考のスピードの方が速いと、処理能力があまり、ついつい、あれを質問してみようとか、考えてしまいがち。
でも、優れた聞き手は、余っている処理能力を頭の中で寄り道に使わず、相手の話を理解的に理論的に直感的に理解するために全力をあげているという。
相手の言っていることを、理論的に組み立てることに時間を使う。
そうすると、あれを聞いてみようとか、こう意見してみようとか、思考の寄り道を避けられるのかもしれない。
”短い講演を聞いた直後、ほとんどの人は内容の半分以上聞き逃している。”という。
読書も、結構同じことが起きている気がする。
フォトリーディングとか、アクティブリーディングとか、速読法と言われるものの多くは、「自分が何を知りたいのか的を絞って読め」ということを言う。つまり、自分の興味の対象を文字の中から拾って読むようなものだ。
たまには、ゆっくり音読するくらいの速さで本を読むことも必要かもな、、、と、ふと思った。
”人として成長する唯一の方法は反対意見に耳を傾けること”
なかなか、耳の痛い話かもしれない。でも、反対意見を聞くという事と、それに同意するという事は全く異なる。自分と異なる意見にも、ちゃんと耳を傾ける。そうでなければ建設的対話は生まれない。
Humankindの中に出てきた、マンデラとコンスタンドの対話が、まさにそうだったのだろう。話を聞くことでしか生まれなかった、信頼。この二人の場合は、コンスタンドがアパルトヘイトは間違っているということに、反対意見だったものに、同意するようになったわけだけど。
聴くには、環境を整える大切さも言われている。
騒音がないこと。余計な音はないほうがいい。
余計な音があって、相手の言葉が聞こえない時に、脳が勝手に補うから聞き間違いが起こる。
聞き間違いから、誤解が生じる。
そういうことがないように、環境も整えよう、という話。
聞く力を伸ばすために、誰かと話した時に、
「この人はなぜこの話を私にするのだろう?」と考える。
「この人について、私は今何を学んだろう?」とあとから振り返る。
そういう事も、大事だという。
今日は、ちょっと、そんなことを気にしてみようかな、と思う。
目にはまぶたがあって、閉じることが出来るけれど、耳にはみみぶたはない。
聴く、大切にしよう。