「 渋沢栄一」 天命を楽しんで事を成す
鹿島茂 監修
2021年1月15日
別冊太陽 日本のこころ 285
大河ドラマは見ていないのだが、大河ドラマのおかげで、今年は渋沢栄一さんに関する本がたくさん出版されている。
最近、明治維新のころの本を数冊よんだこともあり、改めて、渋沢栄一の本を手にしてみた。
やっぱり、すごい人だなぁ。。。というのが、感想。
すごい。
家庭人としては問題あり?!だったかもしれないけれど、
これだけ、社会に貢献しているのだ、やはり、偉大だ。
バリバリの起業家だったわりには、柔和な顔立ちで、お札になったとき、、、どんなかんじだろう?!?!と、、思わなくもない。。。くまさんみたい、、、な、、、優しいお顔。
別冊太陽の一冊。A4よりちょっと大きい、29cm、写真が満載の本。
最後には、渋沢栄一略年譜が付いている。
1840年2月13日の誕生から、1931年11月11日 永眠まで。
監修が鹿島茂さん。
最初に、「いまこそ渋沢栄一」というタイトルで、出口治明さんが執筆されている。
改めて、その生い立ちを復習として引用、
”渋沢栄一は、1840年(天保11年)埼玉の豪農の家に生まれた。
7歳の時に従兄の尾高惇忠(じゅんちゅう)の下で、四書五経を呼んだという。
渋沢は、一時、時代の風潮を反映して尊王攘夷運動に身を投じるが、縁あって徳川慶喜に仕えることになった。そして幕臣として1867年(慶応3年)慶喜の弟、徳川昭武(あきたけ)の随員としてパリの万国博覧会に出向き、その後ヨーロッパ各地を昭武と共に視察した。いわば、岩倉使節団の先駆けを行ったようなものである。
この経験が二十代後半の若き渋沢栄一の目を開かせたのであろうことは想像に難くない。
渋沢の生涯を貫く合理的精神は、おそらくこの度で培われたものであろう。そのままパリで留学を始めた昭武一行は、明治維新後、新政府から命じられ1868年(明治元年)に帰国した。”
幕末の時に、日本にいなかったことが、渋沢栄一にとって自分の価値観形成に大きく影響したと思われる。
そして、帰国後に一度は大蔵省に入省するものの、大久保利通や、大隈重信と対立して大蔵省を退官。そして、数々の民間企業の設立にかかわるわけである。
その数、500社以上というのだから、そりゃ、日本の資本主義の父と言われる訳だ。
渋沢さんの 著書といえば、一番有名なのは、「論語と算盤」だろう。10数年位前か?私自身がサラリーマンの一人として管理職となり、経営という事に興味を持ち始めたころに読んだ。
富をなす根源は道徳であり、道徳があって経済がある。道徳経済合一説。
初めて読んだ時、私なりに至極「がってん!」したものである。
拝金主義とか、儲け主義とか、稼ぐことが悪いことのように言われることがあるけれど、稼いでそれを社会に還元することが、何よりの社会価値創造。稼いだものを私利私欲に使ってしまうのは違うけれど、社会のために稼いで還元するのは、それこそが徳である。
と、私は思っている。
内村鑑三だって、『後世への最大遺物』で、お金を残せと言っている。
私利私欲ではなかった渋沢栄一。
出口さんは、だから、渋沢は、岩崎弥太郎や安田善次郎のような財閥めいたものは残さなかったのだろう、という。
言行一致。
それが、渋沢栄一の魅力なのだと。
本書のなかでは、渋沢の数々の業績が記されているのだが、中でもそうだったのか、と印象的だったのは、大蔵省時代に、「公債証書発行」という発案で、廃藩置県を達成したという事。
確かに、それまでバラバラだった財政を国として一つにするのだから、それは、、、いったいどこから手を付ければいいのやら??だっただろう。借金だらけの藩、そこそこ蓄えている藩、、、そういう課題があったという事ですら、私にとっては、新たな気づきだった。
数々の起業もすごいことだし、後世まで会社として残るのだから、業績としては分かりやすい。でも、仕組みをつくったということが、実な何よりすごいことなのではないだろうか?
鹿島さんの解説によると、フランスで学んだ「サン・シモン主義」の循環理論に、渋沢が知らず知らずのうちにならっていたのではないか、という。
渋沢流にいうと、「細流主義」。
それぞれの家のタンスに眠っている滴のようなお金でも、銀行に集められ、そこから大きな流れとなって新事業に投資されれば、お金は循環し、日本経済の血液として大きな活力を作り出すに違いないという考え方。
銀行や証券会社が普通に身近にあって、個人も株式投資などで運用することが一般的になっている今では当たり前のことかもしれないけれど、銀行という仕組みがあって、初めて成り立つこと。そして、銀行を成り立たせる紙幣制度のためには、紙と印刷技術が必要だから、製紙会社、印刷会社を作った。
なるほど、そういうことか!と「がってん!」。
鹿島さんは、渋沢栄一の「道徳経済合一説」は、現代の行き過ぎた新自由主義のグローバリズム、そしてコロナがさらに助長するナショナリズム的保護貿易主義を克服し、私たちがこれからの第三の道へ進む、その道になるのではないか、と言っている。
必要なものを、必要なところへ届ける。
それが、経済活動というものだ。
それが、グローバルになり、届け先の顔がだんだん見えなくなる。
顔の見える経済って、大切だな、と、ふと思う。
小さくても、循環をつくる一員でいたいな、と思う。
渋沢栄一の新一万円札は2024年度から流通予定だ。
あと、三年か。
聖徳太子から、福沢諭吉。そして、渋沢栄一。
聖徳太子が、諸説あるが574年ころ生まれ。
福沢諭吉が、1835年生まれ。
渋沢栄一が、1840年生まれ。
次の次の一万円札には、1900年代生まれ位になるかな?
さて、だれになることやら。
個人的には、白洲次郎さんのようなイケメンになってほしい、、、。
くまさんのような、優しいお顔の渋沢さんもいいけどね。
渋沢栄一を改めて読んで、やっぱり、経済を回すのって楽しいことだと思う。
経済活動、しよう。
一生、フローで生きるために。
ストックにこだわらない。
フローで生きよう。