京都~兵庫への旅 1日目: 伊根の舟屋@京都

明石の友人に誘われて、『伊根の舟屋』へ行ってきた。

文化庁が、重要伝統的建造物群保存地区に指定している、京都府与謝郡伊根町の伊根地区。

船の収納庫の上に住居を備えた、この地区独特の伝統的建造物で、海の上におうちが建っている感じのところ。太平洋側に住んでいる私にとっては、アクセスは決して良くない。でも、重要伝統的建造物群保存地区に指定されていることもあって、いつかは行ってみたい、、、と思っていたところだった。

 

外国人にも人気の日本の観光名所なので、意外と宿をとるのが大変なところなのだが、コロナでインバウンドが少ない今、友人が宿が予約できたので都合が合えば来ないか?と誘ってくれた。ラッキー!とばかりに、ご一緒させていただき、行ってきた。

 

いやぁ、なかなか壮観。台風14号の後だったこともあって、普段よりは波が高かったけれど、小さな湾をぐるっと囲むように舟屋が並んでいて、水が綺麗。日本海にあっても、南向きの伊根湾なのだ。そして、その伊根湾の南には、湾への入り口をふさぐかのように、青島という小さな島がって、更に波を穏やかにしている。

 

そんな、伊根の舟屋の街並みへ、、、2022年9月、2度目の関西への旅。

 

出発したのは、9月20日台風14号の影響で、前日には東海道新幹線山陽新幹線、のきなみ影響をうけていたので、無事に到着できればいいや、、、くらいのつもりで東海道新幹線に乗り込んで、京都へ。

友人は、明石から車で現地に向かうので、現地集合の予定だった。

朝、9時に東京駅をでて、京都からは、特急電車で福知山経由で宮津駅にむかい、宮津駅から1時間強の路線バスで15:00過ぎに約6時間の旅で伊根集落へ到着、、、のはずだった、、。。

 

だが、しかし、、、、。

新幹線は、順調だった。

前日の運転キャンセルの影響もあって、多少混んではいたものの、満席ではなく、予定通りに11:00過ぎに京都駅に到着。さて、特急へ乗り換えるか、、と思ったら、社内で、「福知山行の特急電車は、午後16:00過ぎの再開の予定です、、、」と言ったような気がする。むむむ???

京都からJRで宮津まで行くのに特急でも2時間かかる。宮津から伊根までバスで1時間ちょっと、、、18:00の晩御飯に間に合わないじゃないか!!!

 

京都駅、新幹線から在来線への乗り換え口で、JRの駅員に「特急以外の在来線の状況はわかりますか?」と聞いたら、みどりの窓口へいってもらうのが一番だ、というのでいったん改札をでて、みどりの窓口へ。長蛇の列・・・。特急券を購入済みだった人の払い戻しなどもあったのだろう。。。

 

携帯の乗り換え案内でみると、在来線なら動いてるっぽい。でも、、次の京都発は12:08で、宮津に15:02着とでる。まぁ、これなら、18:00の御飯には間に合う。

一方で、高速バスで天橋立まで行って、路線バスに乗り換える、という手段もあるとでてきた。高速バスも楽ちんでいいか、と思って、バスのチケット売り場へむかった。

「伊根まで行くつもりなんですけど、一番早く着くバスを」と言ったら、窓口のお兄ちゃんは

「台風の影響で、次のバスは18:00発ですけどいいですか?」

・・・・いかー--ん。

「電車でいきます・・・」

 

すごすごとバスをあきらめ、一応、みどりの窓口に並ぶ。在来線、ちゃんと動いていなかったら間抜けだし、どうせ待ちぼうけなら、京都で時間をつぶした方がいい。

みどりの窓口で、

宮津まで、一番早く行ける方法で」とお願いすると、

「特急が16:25発で、宮津につくのが19:02です。」

え・・・・

「在来線はどうですか?」と聞くと、

「あ、在来線の方が早いですね。」

窓口のお姉さんが教えてくれたのは、

12:08 京都発、山陽本線快速 園部行 

12:44 園部着

12:46 園部発、山陽本線 福知山行

14:04 福知山着

14:17 福知山発、京都丹後鉄道宮福線 宮津

15:02 宮津

3時間かかるけど、一応、携帯で調べたのと同じ経路をいわれたので、

「在来線は、動いているんですね?」

「はい、動いています」

 

と、言うから、、、、在来線に乗った。

12:08 京都発の園部行。

園部というのがどこなのかもよく知らないけど、まぁ、福知山の手前まで、まずは電車に乗る。

 

そして、園部駅に着くと、

「XXXXXX 午後、15:00以降の再開XXXXX]

ん?よく聞き取れないけど???

なんと、、、、園部から福知山に向かう在来線は動いていなかった・・・・。

がー--ん。。。。

窓口のねぇちゃん、動いているっていったじゃないかぁぁぁ!!!

こんな、何にもない駅で、3時間も待てっていうのかぁ!!!

と、、、怒る相手もなく、、、、。

「京都駅で、在来線動いていると言われてここまで来たんですけど、、、、」と、一応、駅員さんに訴えてみる。

園部駅の窓口の駅員さんも、「すみません、一旦改札出ていただいてよいので、、、そこに、ベンチがあります、、、京都駅には言っておきます」と。

「台風だもん、しょうがないですよねぇ、、、」と、、笑うしかない、私。

園部の駅のベンチで、途方に暮れる。

同様に、途方に暮れていた数人の乗客たちは、それぞれ、どこかへ散っていった・・・。

 

とにかく、最速で伊根につく方法を調べると、どう頑張っても19:00過ぎ。

友人に、

「園部で電車止まっちゃったんで、先にご飯食べていて」と連絡すると、

「いま、宮津近くにいるのだけど、園部までピックアップに行く」と。。。

なんてこと、、、いったい何Km戻ってくることになるのか?!?!土地勘のない私はよくわからず、、、とりあえず、お言葉に甘えて友人の到着をまつこと、2時間。。。

 

愛車でピックアップに来てくれた友人に救われ、一路、伊根へ。

 

天野橋立のあたりからは、海岸線をひた走る。海抜0mと思われる海岸道路。波は、まだ台風の影響があるらしく、ざっぶー--ん!!まさに、東映の映画宣伝のような、白波が、時々車道にまで、、、。ひゃ~~~~!!

ちと、コワイ。。。

これは、明日予定している釣りは無理かも、、、と言いながらも、伊根へ。

 

伊根の海は、打って変わって、穏やかだった。

 

おぉぉ!!これが、伊根の舟屋かぁ!!!

と、感動。

彼女は、数年前にも来たことがあるそうだが、私は初めて。おぉ!これが、舟屋!

 

無事に、17:00前にはチェックインをし、ちょっとだけ、町を散歩。台風の影響がのこっているのか、ちょっと風が強くって、肌寒い。スマートウオッチの温度計は、17℃だった。ほんとに小さな地区なので、ふらふらと地図なしに海岸沿いを散歩。

 

古代米を使った、「伊根満開」という赤い色をした日本酒を醸造している向井酒造も歩いて5分くらい。小さな小さな町。醸造所は、既に閉店の時間になっていたのだけれど、前を通りかかると、「100m先の、○○商店でうちのお酒あつかってもろてます」と、醸造所からでてきたおばちゃんが教えてくれた。

夜の部屋の飲み用に300mlの小瓶を一本、ほかにも日本酒「ええにょぼ」、ビールなどを仕入た。

 

友人は、早朝からのイカ釣りを楽しみにしているので、散歩がてら釣りのできそうな場所もチェック。岸壁や堤防に、イカ墨の後をみつけて、「おるおる!」と嬉しそう。そう、彼女は、本当はこの日も早朝に明石をたって、午前中はイカ釣りをするつもりだったのが、台風で断念していたのだ。

 

よっしゃ、明日は、日の出の前から朝釣りだ!と。

 

泊まったのは、WATER FRONT INN 与謝荘

WATER FRONT INN 与謝荘 | 伊根浦地区農泊推進地区協議会

部屋は、座卓と蒲団のみ。畳のお部屋の舟屋。おそらく、8畳・二間続きを二人で使わせてもらった感じ。部屋はふすまで仕切られていて、なんと、外からは鍵がかからない、、、。ま、寝る時も別に鍵もかけなかったけど。大きな一軒家の和室に泊っているみたいな感じ。

連休の合間ということもあってか、私たちの他は、3組のお客様。若いカップル2組と若い女子1組。私たちが、断然平均年齢をあげている。。。

 

食事は、まさに、WATER FRONTのダイニングで。

 

お魚三昧の晩御飯を堪能した。お刺身、焼き魚、煮魚、、、珍味、まさに、お酒のためにあるようなお料理を地酒とともに満喫。

 

食後は、舟屋ならではの外のラウンジで、目の前の海をみながら、伊根満開を堪能。まぁ、ちょっと甘くって、女性向けって感じだろうか。話のネタにはなるかな?っていうお酒。日本酒好き女子の私たちには、ちょっと物足りなさを感じるけど、ま、古代米の赤いお酒という珍しさで星3つって感じかな。ちなみに、杜氏は女性。

外で海風に吹かれながら、のんびりと過ごす時間は至福だった。

空は、満天の星空。

久しぶりに見た、星、星、星、。。。あぁ、、、星だ。

 

翌日からの釣りに備えて、お酒はほどほどにして、おやすみなさい。

 

あぁ、、来てよかった。

秋の虫の音と、静かな波の音が静かな眠りへいざなってくれる。

至福の夜。

 

波の音を子守歌に眠れるのって、至福だ。

 

『日本国史の源流  縄文精神とやまとごころ』 by  田中英道  (その2)

日本国史の源流
縄文精神とやまとごころ

田中英道 
育鵬社
2020年10月1日 初版第一刷発行

 

昨日の続きを。。。

megureca.hatenablog.com

 

ローマ帝国から追放されたユダヤは、ディアスポラの旅に出る。ディアスポラとは、「離散」や「離散した民」という意味。そして、ディアスポラの旅に出た人の中には、シルクロードを通り、中国、朝鮮半島を越えて日本にやってきた人たちもいた。そういう人たちは、大秦国(ローマ帝国)からきた「秦氏」と名乗っていた。漢民族とはことなる「秦人」がいたのだ。秦氏とは、当時は柵外の人々、すなわち万里の長城の外に住んでいる民族と言う意味があった。「秦」は「ハダ」と呼ばれていたが、もともとは「ヤハダ」であり「ユダ族→ヤハダ」となってきたのでないか、、と。

で、「秦氏」というのは日本の歴史に重要な役割をはたしてきたのだ、と。


第七章では、「秦氏」が創建したのが「八幡神社」になっている、と言う話が出てくる。「ハタ」が「ヤハタ」神社を作った、と。

秦氏」ね。あまり気にしたことがなかったけれど、日本における「秦」はユダヤ人と言う信仰の人として受け入れられたのではなく、日本人と同じ人間であり、その能力の高さから社会で活躍できたから受け入れられたのではないのか、と。

へぇぇ。。。


「秦」という名字の友人がいるのだが、もしかしてその能力の高い祖先をもった「秦さん」だったのか?!?なんて、ガッテンしてしまった。

 

 

ユダヤと日本の関係については、遺伝学からも言及されている。遺伝学で扱っているのは埴輪の時代とはちがうものの、様々な年代で何度も渡来があったのだろうと。
引用されているのは、崎谷満氏の『DNAが解き明かす日本人の系譜』(勉誠出版 2005年)。
・日本人と中国人や韓国人と、Y染色体(父系遺伝)がかなり違う。
Y染色体で分類すると、日本人と地中海の人々が同じ系統になる。
・特殊なD2系統は、日本人にしか存在しない。
・YAPという特殊な変異があるのは、DE系統のみ。
・E系統をもつのはユダヤ人。

これらのことから、著者は、ユダヤ系(秦氏)が日本にきて、天皇をたてまつりながら活躍し、全国の大半の神社をつくったのだろう、と。
ユダヤ人埴輪は、ローマを追われ、日本に渡って日本を愛したユダヤ人たちの想い「やまとごころ」をかたどった像といえるでしょう。”
と。

 

ちょっと、飛躍している気もしなくもないけど、ありえなくもない。。。藤原氏のように権力にまかせて日本を牛耳ったのではなく、天皇をささえ、神社をたてた秦氏。なるほど、そんなひとたちがいたのか。知らなかった。

 

第九章では、神道を国家のもとにしたのは、天武天皇、と言う話。そして、天武天皇から聖武天皇はすでに国家概念をもっていた、と。陸続きのヨーロッパの国々で「国民」という意識が目覚めたのはフランス革命以降、と言われるけれど、島国の日本では近代どころか7,8世紀にすでに「国民・国家意識」が成立していたのだ、と。海と言う自然の国境があったのだから、あり得る。かつ、川という境界線もたくさんある日本だもの。

 

第十章では、『古事記』にある日本神話とギリシャ神話の類似性について。親近性の例として、イザナギイザナミは、オルフェウスとエウリュディーケに。アマテラスオオミカミスサノオノミコトの姉・弟の関係は、デメテールとポセイドンに。。。
かつ、日本神話と旧約聖書の類似性は、ギリシャ神話との関連性より高いのだと。
面白い視点。

以前、伊勢のホテルに泊まったとき、聖書と一緒に『古事記』が置かれていて、さすが、伊勢!と思ったことがある。いつか、『古事記』をちゃんとよんでみたいな、とおもいつつ、結構えげつない描写が多くて、、、。『古事記』って、神話と言いつつ、グロテスク。適当に子供用に簡単に書かれたものの方が面白いかも。

 

十四章の疫病に勝った「やまとごころ」では、天皇光明皇后の時代から福祉事業をしていて、仏教に帰依された光明皇后が、東大寺国分寺の設立を天皇に進言したこと、貧しい人に施しをするための施設、医療施設などを設置して慈善を行ったことが語られている。そして、光明天皇が福祉活動に心を注ぐようになった要因は、我が子を亡くしたことにあったのだ、と。母として子を思う気持ちが、皇后として国民を思う気持ちになったのだろう、、と。
それは「やまとごころ」の原型だったのかもしれない。。。 

まぁ、子を思う母の気持ちと言うのは、世界共通だと思うけど、、、。

 

「やまとごころ」と一言で言っても、いろいろな受け取り方があるだろうし、特に定義づけをする必要もないのかもしれないけれど、日本人ならなんとなくぼんやりと、思いやりとか、だまって奉仕する心とか、、、そんな表現をされても、分かるような気がする。無償の愛。

「死ねば仏になる」それが、「やまとごころ」の原型だったというのも、なんとなくわかるような。

 

縄文の時代から、死者を弔い、自分たちの居住地の近くに葬ったことは、死者への思いがあったのだろうし、苦しむ人のために仏像をつくったり、神社を建てたり、、、。

縄文時代から、いつのまに古事記の神話の世界にとんだのかはよくわからないけれど、お墓、古墳、八百万の神、、、その時代の人の中では繋がっていたのかな。

 

まぁ、結局のところ、日本の源流は縄文時代にあり、その時代から死者を弔っていたということは、その時代から「やまとごころ」がめばえていたのだ、、、という話のようだ。

 

歴史というのは、新しい発見によってどんどん解釈が変わっていったりする。三内丸山遺跡の6本の柱の跡、、、ちょっと見てみたくなった。

日本中で見られる古墳も、日本独特のものだったということは、日本の中で人々が移動していたということなんだろう。

すごいなぁ。。。

面白いなぁ。。。

 

また、解釈が変わるときが来るかもしれないけれど、縄文が原点であることには間違いないらしい。

日本人の起源をDNAで明らかにしようとおもえば、きっとできるのだろうけれど、知らなくてもいいこともあるかなぁ、、、なんて。

 

にしても、縄文時代の人は言葉は話していたのだろうか。。。文字がないと後世に伝わらないというだけのことで、なんかすごい文学の話をしていたり、、してたら面白いのにな。歌を歌っていたりしたかもしれない。

 

妄想は自由だ。

妄想は楽しい。

 

 

 

 

『日本国史の源流  縄文精神とやまとごころ』 by  田中英道 

日本国史の源流
縄文精神とやまとごころ

田中英道 
育鵬社
2020年10月1日 初版第一刷発行


とある勉強会で、「とんでも本と言われているかもしれないけれど、面白いから是非」と紹介されていた本。面白そうなので、借りてみた。

 

著者の田中英道さんは、昭和17年(1942年)東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また日本独自の文化歴史の重要性を提唱し日本国史学会の代表を務める。

なかなか派手な表紙。大きな文字が踊っている。


帯には、
「日本国は、どのようにして作られたのか?
日本人は何をよりどころにしてきたのか?
 『縄文精神』と『やまとごころ』の二つのキーワードから日本国史の本質を読み解く」 
と。

「やまとごころ」と「やまとだましい」は違うのだ、、という話は、長谷川櫂さんの『和の思想 日本人の創造力』にもでてきたけれど、日本人とは?をかんがえるときに「やまとごころ」は一つのキーワードなのだろう。

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最初に、ドイツの哲学者カール・ヤスパースは、人間の思想というものができてきたのはプラトンアリストテレスブッダ孔子の時代であるので、日本人は思想形成に関わっていない、と言ったようなことをいっていたということが言及されている。でも、作者は、夏目漱石は日本人の文化では美術が一番優れている」といった言葉を引用し、日本人は美術によって形象美をつくり、そこに思想もあったのだ、と言っている。形象美は、縄文の土器にも見られる、ということだろうか。
そして、ヤスパースも日本人の思想をよく理解していなかったかもしれないけれど、広隆寺の「弥勒菩薩」に、「人間存在の最高に完成された姿の表徴」の美しさを見出していることから、日本人は文字にせずとも人間実存の最高の理念を「美」で語ることをしてきたのだ、、、と。思想を表現するのは、言葉だけでない。ということらしい。

 

目次

第一章 縄文精神とは何か
第二章 『祝詞』の「大倭日高見国」とは何か
第三章 「日高見国」から「大和国」へ
第四章 神道としての縄文土偶・土器
第五章 神道の基本となる皇祖霊信仰
第六章 人物埴輪からわかるユダヤ人の「やまとごころ」
第七章 これまで無視されてきた秦氏の活躍
第八章 聖徳太子と「やまとごころ」
第九章 「やまとごころ」文明開化
第十章 稗田阿礼が語った『古事記』の世界
第十一章 奈良仏教と「古典文化」
第十二章 日本のミケランジェロ・国中連公麻呂の登場
第十三章 歌の殉死「海行かば」の歌人大伴家持
第十四章 疫病に勝った「やまとごころ」


どの章も話がバラエティーに飛んでいるというのか、話題が豊富。でも「日本という国は何なのか?」という大きな命題に挑んでいる?ので、広く長ーーい視野で考えると、なんとなく共通の視点があるようで、面白い。

 

第一章では、縄文時代に焦点。やはり、日本の文化の原点、ということだろう。今、日本中で発見される縄文遺跡は、地球が氷河期から温暖化が進んだピークの約6000年まえのものが多いのだという。著者はそのころから日本には、「国家」があったのだという。名前は、「日高見国」で、後に日本神話のなかで高天原(たかまがはら)」と呼ばれるようになる、と。その時代から、日本には豊かな自然があり、土器をもちいた加熱調理もしていた縄文人四季の移ろい、日本独特の美しい自然の風景が、縄文人を心豊かにし、日本人のDNAに刻まれていったのだと。
たしかに「火焔型土器」や「土偶」は、ただ機能性を求めただけでなく「美」の追求があったのだろう。

 

三内丸山遺跡では、お墓が見つかっている。死者を埋葬したというのは、死ぬと「仏になる」という神道の思想に繋がっていったのだろう、と。死体は動かなくても、御霊はそれと共に生きているという信仰は、死者の霊を祀るということとなり、それを村全体で共同事業でやっていなのだから、社会、国家があったのだ、、と、考えられなくもない。

また、三内丸山遺跡でみつかった6本の大きな柱は、考古学者は「物見やぐら」と考えているけれど、著者は「聖なる建築」であって、祭壇であったのだろう、と。日本では神を「柱」と数える。この柱は神に関係していたのだろう、と。
ちょっと、突飛だけれど、そう考えるとそうかもしれない、、、と言う気がしてくる。
神のもとに集まった人々。亡くなった人を祀っていた人々。
それは、一つの村であり、国だった、、と。

 

国民国家」という言葉は、フランス革命以降、、などと言われるが、縄文時代はすでに「国民国家」だったのだ、と。
なるほど。
大陸から稲作がつたわったことで日本が形成されたわけではなく、縄文時代から日本は国として形作られていったのだ、と。


第五章では、死んだ人がなぜ神様なのか??神道と皇祖霊信仰の話。日本の歴史でならう「古墳」も死んだ人のためにつくられている。死んだ人を、ただの動かなくなった肉体、とおもったならば、お墓を作ろうとなんてしなかっただろう。
死者の御霊を大事にするようになったのは、「神武天皇が死ぬと神になる」と人々がしんじたから、だそうだ。そもそも、「神武」と言う名前は、神になると信じていたから付けられた名前なのだ、と。
また、日本の前方後円墳のような古墳は、日本独自の建造物で、中国にも朝鮮半島にもないのだそうだ。そうか、それは、びっくり。古墳は、山を模したものであり、そこにも日本人が自然に神をみいだす思想がみられる、と。自然霊信仰と祖霊信仰はつながってきたのだ、と。

 

松本清張の言葉が引用されていて、面白い。二見ヶ浦の「夫婦岩」や吉野の「妹尾山」のように、似たようなものが二つの並んでいるものをみると、「一組の自然に畏敬の念を払う日本の風土にある原初的な信仰対象になるのだろう」と。
確かに、二本並んだ杉を「夫婦杉」として拝んだりするのは、日本人っぽい。

 

ちなみに、仁徳天皇陵が有名であるために古墳は近畿地方に多いと思われているけれど、実は、古墳の数は、1位は千葉県12750基もあるのだそうだ。奈良の9617基、大坂の3424基よりずっと多い。数で言うと、関東の方が関西よりずっと多いのだそうだ。

 

著者は、三内丸山遺跡や関東の古墳の数を言及していて、どうやら日本の始まりは東日本が重要な役割をはたしてきたのだ、という思想っぽい。

また、古墳だけでなく、人物埴輪も、関西より関東で多く見つかっているという。でもって、高天原は関東にあった」と考えているらしい。

 

人物埴輪は、すごく鼻の高いものがあったり、帽子をかぶっているもの、耳元には鬢(美豆良みずら)がついていたりするものがある。美豆良は、日本神話にでてくる神とか聖徳太子の神の特徴になっている、耳のところでおさげにしているみたいなやつ。でも、みずらがあるからと言って、日本人なのか??
著者は、帽子、あごひげ、みずら、、というのはユダヤ人の姿なのだ、と。古代ユダヤ教徒の独特の髪型がみずらとそっくり。「ペイオト」といって、耳の前の毛を伸ばしてカールさせるのだそうだ。

古代、大陸からの人々はお隣の朝鮮半島や中国から来たのではなく、もっと西からやってきたのだ、、と。

 

ユダヤ人が埴輪になっていたのは、ユダヤ人が日本にやってきていたからだ、と。

古墳時代に?!?!

ちょっと、突飛な気もするけれど、そうであったとしてもおかしくないかも。。。ユダヤと日本の類似性は、結構たくさんの説がある。

 

と、ユダヤ人に関する続きはまた明日。

 

 

『大阪ことば学』 by  尾上圭介

大阪ことば学
尾上圭介
岩波現代文庫
2010年6月16日第1刷発行
*本書は1999年3月創元社より単行本として、2004年講談社より講談社文庫として刊行された。


とある勉強会の課題図書だったので、買ってみた。

表紙の裏には
”客のややこしい注文には「惜しいなぁ、昨日まであってん」と切り返す。動物園の檻の前の立て札には「かみます」とだけ書いてある。距離を取らずにさっぱりと、聞いて退屈せんように、なんなと工夫して話すのでなければ、ものを言う甲斐がない。誤解されがちな言葉の意味と背後にある感覚を、鋭く軽快に語る大阪文化論。”

 

著者の尾上圭介さんは、1947年大阪市淀川区生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。学生時代は落語研究会に所属。専門は日本語学、特に文法論。日本笑い学会理事。 

 

はじめに、金田一春彦さんの「大阪商人の秘けつがわかる『ことば帳』」という序文が付いている。これは、単なる文法の本ではなく、生きた大坂の言葉の本である、と。著者の尾上さんは、金田一さんの東大の教え子なのだそうだ。 

 

感想。
じつに、楽しい。愉快だ。おおさか弁、愛すべし。。。
関西の人にとっては、大阪、京都、神戸、、、赤穂、、、どこにいってもそれぞれの言葉は違うのだろうけれど、やはり関東人にとって、代表的関西弁といえば、大阪弁だろう。なんせ、大阪のおばちゃんパワーは、、、、言葉にはできないすごさがある。吉本新喜劇の影響もあるかな。

 

文法論や、発話論のような真面目な解説もあるし、ほんまかいな!と突っ込みたくなるような、笑いもある。ほんと、なかなか面白い。
そもそも、課題図書として薦めてくださったのが、元官僚で東大の教科書も書かれているような方だったので、どんな難しい本かと思ったら、、、楽しく読める一冊だった。

 

目次
第一章 なんなと言わな、おもしろない
第二章 せっかくものを言うてくれてるのやから
第三章 ネンが足らんは念が足らん
第四章 言うて、言うてや、言うてんか
第五章 理づめで動くが理くつ言いはきらい
第六章 よう言わんわ
第七章 ぼちぼち行こか
第八章 待ってられへんがな
第九章 大阪弁は非能率的か
第十章 大阪弁は非理論的か
第十一章 笑い思考と饒舌の背後にあるもの①
第十二章 笑い思考と饒舌の背後にあるもの②

 

最初に、平成7年1月、阪神大震災での被災者の言葉が紹介されている。恐ろしい経験をした後、そのことを電話口で一生懸命話してくれたのだが、文字にしてみるとどこかにユーモアがある、と。暗い話を暗くしてもしかたがないではないか、、と言う感覚が、この地域の人々にはあるのではないか、と。

 

「なんや急に体がほり出されて、まっ暗な中で一体なにがどないしたんかいな思て、ゆっくりみたら、二階で寝てたはずが一階で寝てまんねん。はぁ、一階がのうなったんですわ。」

と、そんなエピソードから、なんとなく本書は面白そうな予感。

セアカゴケグモとかいう毒グモが発生しているというニュースの中、街頭インタビューでは、
「毒グモがいたら、どうしますか?」との問いに、
「そら、たたき殺すわ」と応える年配の主婦。

そんな、殺すにきまっている。そんな当たり前のしょうもないこと、聞いてくれるな、と言う思いが、「そら、たたき殺すわ」という一言になった、、、と。「きゃ~~こわ~~い」とか「どうしよう」とか、面白くもない答えさせんといて、、、って感じ。

たしかに、同じ質問を都内でしても、「こわいですねぇ。。」というつまらない答えしか帰返ってこないかもしれない。。。


また、
「いてる、いてる」
「聞いた、聞いた」
「あった、あった」
など、大阪弁は、二度繰り返すことが多いのは、一回ではあいそがないという気持ちが働くのだろう、、と。

「今日は暑いなぁ」
「暑いねぇ」

より、

「今日は暑いなぁ」
「暑い、暑い」
の方が、あいそがある感じ、、わかる気がする。

簡単な言葉でも二回くりかえすことで、なんとなくあいそを感じる。


「ごめんください」
「はい」
より、
「ごめんください」
「はい、はい」

言いようによっては、あいそと言うより、おざなりな感じもしなくもないけど。
高いトーンで、「はい、はい」と言われるとなにか親し気な感じがしなくもない。

 

第五章の理屈言いはきらい、の話の中では、大阪の人はシンプルに要点をいってもらうのが好きだと。

どこの動物園でも、トラなどのオリの前には
「危険ですから手や顔を近づけないでください」等と書いてある。
これが、関西に来ると、
「かみます」
となる、と。

そりゃ、かまれるんだったら、近づかないわ、、、、。

電車の扉にはられた「戸袋にご注意ください」も、関西に行くと
「指づめ注意!」となる、、と。

駅のホームには、「のりば」と書いてあると。
乗るところなんだから、のりば、、、でも、関東ではあまりみかけない文字かも。


「よう言わんわ」という言葉は、大阪の知人が結構よく使うのだけれど、なんとなく「よくそんなこといえるねぇ」とか「ばかいっちゃぁいけないよ」とか、そんなニュアンスなのかと思っていたら、これは、
「当事者離れ」という技なのだと。

二人の会話で、なにか見当違いなことがあったり、そんなのむしがよすぎる、、、みたいなときに、相手を責めたり非難するのではなく、第三者的な立場になって発するのが「よう言わんわ」だと。
ほほぉ、、何かわかる気がする。

「よう言わんわ」ということばによって、自分の能力不足を引き取って、「何も言えない」とギブアップしてみせ、「当事者離れ」をおこして見せる。天真爛漫な相手の要求におたおたしている自分自身を第三者の位置に飛躍させてしまう。

「あつかましいやっちゃな」
「おいおい、ええ加減にせいよ」
「そんなあほな」
ではなく、
「よう言わんわ」が、当事者離れになって、かどがたたない、、、って感じだろうか。

なんか、わかるからおかしい。

 

言葉のテンポの良さがあるのも大阪弁
なんせ、大阪の人はイラチで敏捷でダイナミックに動くのがすきなのだ、と。

 

まぁ、あくまでも一般論であって、全員が全員、、ということではないのだろうと思うものの、たしかに、うんうん、なるほど、、、と言うことがいっぱい。

 

関東育ちの私が読んでいると、どれもがなるほどそうなのかぁ!!と感心しきりなのだが、これをこてこての大阪人が読むとどうなんだろう??なんて、思いつつ、楽しく読んだ。

 

言葉に関する話は面白い。

日本は、日本語と言う言葉を話す人がほとんどだけれど、日本人同士でも理解できていない方言はたくさんある。それでも、一応、なんとなく通じる。

直接、YES,NOと言わなくても通じる会話もある。

 

人間の言葉によるコミュニケーションというのは、すごい能力だ。

相手の言わんとすることを読み取る能力。

 

面白いなぁ。

言葉とリズム。

早口で話すのは、思考のスピードアップも必要だ。

まくしたてるような大阪弁も、思考スピードの速さを語っている。

 

関西人が、ボケと突っ込みがうまいのは、思考スピードも速いということなんだろう。それは、子供のころから「おもろいこと」をいわなきゃ、という環境で育ってきたということもあるのかもしれない。

 

実は、日英の通訳をしていても、言葉が聞こえても思考スピードと発話スピードがついていかないと、同時通訳はできない。活舌よく、スピードをもって話すというのは通訳にとって必須のスキルなのだ。逐次通訳であっても、英語と同じスピードで日本語を話せば倍の時間がかかってしまう。聞きやすく、早口で話す技術、実はとても重要であり、トレーニングのいることなのだ。

大阪弁の人が、大阪弁で日英の通訳をしたら、テンポよくなるのではないだろうか、、なんて思ってしまった。

 

言葉は、文化だ。

面白い。

 

ちなみに、帯にあった

「惜しいなぁ、昨日まであってん」

というのは、梅田の地下街の店で、好みのお財布を事細かに説明してくる客に対して、店主が返したというセリフ。

「黒のカーフの札入れで、マチが無くて、、、、の手触りのええの、ないやろか」

「惜しいなぁ、昨日まであってん」

ほんとは、最初からそんな財布はなかったのかもしれないけれど、無下に「ちょっとおまへんな」でおさめないあたりが大阪文化なのだと。

 

おもろいなぁ。 

 

 

 

 

 

『脳の毒を出す食事』 by  白澤卓二(医学博士)

脳の毒を出す食事
白澤卓二(医学博士) 著
小野真規子(料理研究家・栄養士) 料理
ダイヤモンド社
2021年1月26日 第1刷発行

 

Facebook の広告で出てきた。栄養とか食事とか、そういったカテゴリーの話が好きなので出てきたのだろうと思う。まぁ要するにこれに関した講座の広告だった。時間を割いて講座に出るつもりはないけれど本ぐらい読んでみるか、、という事でポチってみた。無料の講座だけど、結局有料講座への入り口ビジネス。引っ掛かる前に、本で確認。

 

まあ派手な表紙。
帯には、
”世界最先端治療を実践する脳のカリスマが農と食の密接な関係を明らかにする!
認知症
うつ病
肥満
原因不明の不調
糖尿病
高血圧症
コレステロール血症
認知症の革命的治療「リコード法」対応
普段の食事を変えるだけで、脳がみるみるよみがえる!
脳が浄化され、全身の機能が上がる!
様々な病気の予防・改善に効果!
「究極の健康体」になる7日間実践レシピ付き”

とまぁ、よくこれだけ並べ立てるわ、、、、という感じだ。

 

帯のうしろには、「はじめに」からの引用が。

”残念ながら現代人の脳には、「毒」が溜まっています。
それは脳内を撮影した画像を見れば
わかるほど明らかな事実です。
そして脳に溜まった毒は、
すぐに病気に発展しないまでも、
脳が本来の力を発揮しにくい状態を作っています。” 

だそうだ。

 

感想。
よー-いうわぁ、、、。
医学博士でしょ????
よー--いうわぁ、、、。
って感じ。
多分、正しいこともあるのだと思う。
けど、やたら不安を煽っている感じが、、、そして、7日間の食事で健康な体になれるわけなかろが!!!と、突っ込みたくなる。
もちろん、7日間の食事で健康になれると書いているわけではないのだけれど、ただ「健康レシピ」とかしておけばいいものを、、、、とか思ってしまう。

 

1400円(税別)
ま、話のネタには面白い。


そして、これを読んで、体に悪いものは控えておこう、、と言う気持ちになるのも正しいのだろう。


私だって、食事に気を付けよう、、、という気にはなった。読んだ、、一瞬は。。。
だいたい、レシピとかいてあるけれど、これを「レシピ」というんかい!!という突っ込みもしたくなる。

 

例えば、

「玄米おにぎり」
材料(2人分):玄米ごはん・・・100g
作り方:玄米ごはんを二等分して、おにぎりにする。

以上。。。。
え??
ん??
たしかに、材料が書いてあって、作り方が書いてある、、、、
でも、、、え???、、、
ま、いいけどね。
玄米が体にいいっていいたいのね、、、

でも、本当は玄米は消化も良くないし、胚芽を含むために無農薬でないと農薬を摂取することになるし、、だれでも玄米食がいいってもんでもないと思う。

ちなみに、私は玄米は、食べるなら自分で発芽米にしてから圧力なべで炊く。夏場なら、2日位水につけておくと、発芽する。玄米って生きてるんだぁ、、、って思うし、芽ってかわいい。

 

本書による「脳の毒を出す食事 7つのルール
1 一日一回「毒だし小皿」を食べる
2 主食は「かさ増し玄米」に変える
3 油脂と調味料を厳選する
4 魚は小型~中型の天然モノを選ぶ
5 肉・加工品は産地と原料を精査する
6 色の濃い野菜をたっぷり食べる
7 よく噛んで食べる

だそうだ。
私なら、「7 よく噛んで食べる」を薦めるかなぁ。

 

たしかに、体に悪そうなジャンクフード、保存料だらけの加工食品は、取りすぎれば良くないだろうけれど、かといって、毎日「玄米」なんてつまらない。。。

と、なんだか、出だしから突っ込みたくなること満載で、かなり、批判的な眼で読みつつ、読了。

 

一応、農学博士・健康管理士一般指導員の立場から、これは、理にかなっている、とおもったことだけ、覚書。

 

アルツハイマー病は、脳が防御反応として脳にアミロイドβを蓄積する。増えすぎると、認知機能が低下する。つまり、防御反応としては正常ということ。防御しなくてはいけないような環境になれば、過剰に蓄積してしまう。

 

・食事で気を付けるべき毒。
 加工食品の添加物 (保存料だけでなく、防虫剤・防かび剤なども)

 

サプリメントも添加物である。目的とする栄養素をサプリメントに加工するためのカプセル剤、賦形剤。もちろん、安全であるものが使用されているけれど、サプリメントで摂取しなければ、体に入れなくてよい物質であるという点では、余計なもの。

 

全ての毒素は、肝臓・腎臓で解毒されるしかない。解毒しきれなければ、体内にたまっていく。。。。そして、解毒しても尿や便で体の外に出さないと、、、これまたたまっていく、、、トイレに行くって、大切!!

 

卵は「平飼い」が一番。ケージに閉じこめられた鶏が生む卵より、「平飼い」の卵は確かに美味しい。ケージの鶏は病気にならないように抗生剤を使用されていることが多いので、卵にも抗生剤が含まれる。
10個で1000円したって、毎日10個食べるわけではないと思えば、プチ贅沢。スーパーにあればいいけど、、、手に入れにくいのが玉にキズ。

 

脳の毒は、食べ物で出せる! って、脳だけではない。人間の身体は食べたものでしかできない。しかも、年を取ったって、一応新陳代謝というものがあるので、体の組織は必ず入れ替わる。毒でないものを取れば、いずれは入れ替わる。ちなみに、一番組織再生速度が遅いと言われている骨でも、1年くらいでは入れ替わる。今日の食事は、来年の自分の身体をつくるのだ。皮膚、筋肉ならもっと早い。

 

・毒だし習慣
 食前の「レモン&しょうが水」。果汁で売っているレモンではなく、しぼりたての、酵素が失活していないレモンレモンの酵素が肝臓の機能を高める。しょうがは、血管を広げて血流をよくする。解毒&血流UPで、、、たしかに、すっきりしそうな気がする。


最後に、さきほどの「玄米おにぎり」を含む、レシピ集がある。あまり、、、美味しそうと思えるものは、、、ない。

「さば缶とごぼうのみそそぼろ」は、ちょっとやってみてもいいかな。
さば缶は、健康食材としてよく知られている。脂肪酸だけでなく、ビタミンB6,B12なども豊富だし、安い。そのさば缶とささがきにしたごぼうをごま油で炒めて、味噌と甘酒で味付けをする。ま、ちょっと美味しそう。今度作ってみよう。

材料:
さば水煮缶 2缶(水を切って300g)
ごま油 大さじ1
ごぼう 1/2本 (50g)
みそ 大さじ2
甘酒 大さじ4

まぁ、甘酒を大さじ4だけ用意するなんて面倒だから、三温糖とみりんを適当に使えばいいと思う。最後に、七味とかかけても酒のあてにいいかも。。。

 

と、そういえば、お酒については、
「一日にグラス2杯までの赤ワイン」がおすすめ、と書いてある。
糖質が多いビール、日本酒、紹興酒、梅酒などは避けるべき、と。糖質を含まない焼酎、ウイスキー、ジンなどの蒸留酒のほうがいいと。
これも、、、ねぇ、、、いかがなものか。


お酒なんて嗜好品。自分が美味しいと思うものを飲みすぎない、それでいいと思う

食事でいえば、過剰摂取してしまえばどんなものだって毒だ。要するに、肝臓・腎臓で処理できない量を摂取してしまうことで、なんでも体に負担になる。塩だって、絶対に体に必要だけど、取りすぎればよろしくない。おんなじことだ。

 

時々、健康のための絶食のすすめ、、みたいのがあるけれど、食べすぎの現代人は、何を食べるかを気にするかより、何を取らないか、、を考えるのが大事なんだと思う。

美味しくない「毒だしレシピ」を実践するより、食べ過ぎた、、と思ったら、食べるのを控える。それが一番安上がり。 

 

色々な健康神話があるけれど、大事なのは自分の身体の声をちゃんと聞くこと。

どうしても過剰に甘いものやアルコールを欲してしまうのだとすれば、それは、身体ではなく心が欲している。心のストレスが原因だ。

 

自分の身体に耳をすませよう。

美味しくないと思って食べるものは、たとえ健康に良いと言われていたとしても、心の健康に良くない。

体が喜ぶ美味しいものを食べよう。

それには、自分の身体の声を聞こう。

 

 

 

 

『合戦で読む戦国史 歴史を変えた野戦一二番勝負』 by  伊藤潤

合戦で読む戦国史
歴史を変えた野戦一二番勝負
伊藤潤
幻冬舎新書


2022年5月25日 第一刷発行

図書館で歴史で検索して出てきた本。新しかったので借りてみた。

 

裏の説明によれば

桶狭間の戦いは信長の天才的用兵による「大勝利」だったのか。大阪の戦いにおいて豊臣家の滅亡は必然だったのか。備前国平戸藩主・松浦静山の名言「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」は、果たして真実なのか。
人気歴史作家が戦国史の転機となった12の野戦に着目し、新史実を踏まえて勝因・敗因を徹底分析する。「優位に立つ者は奇道に走ってはならない」「実際の戦場は誤算と失点だらけ」「どんな戦いも勝負は紙一重」など、ビジネスにも人生にも役立つ教訓を導き出した画期的な戦国合戦史。”

 

感想。
面白い。けど、マニアック。。。
そんなに歴史に詳しいわけではない私には、ちょっとついていけないところも、、、。理解というより、そもそも、そんな合戦を知らなかった、、と言うものもある。
マニアではないので、買って手元に置いておきたい、、、という程の本ではないけれど、歴史を勝負の原因から探る、と言う点でみているので、面白い。

何より、本書は、もともと陸上自衛隊の隊内誌「修親」に、2020年3月号~2022年2月号までに隔月で掲載されていたものをベースにしているそうだ。なので、読書の対象は、自衛隊の指揮官を想定して書かれていたもの

なるほど、だから合戦毎に、最後のまとめには勝因や敗因の説明、教訓のような言葉が並んでいる。

読み物として、なかなか、面白い。

戦争でこの知識を活かすような時代は来ないことを祈るけど、、。

 

目次

第一章 北条氏康と河越の戦い 埼玉 天文15年(1546) 4月
第二章 毛利元就厳島の戦い 広島 天文24年(1555)10月
第三章 織田信長桶狭間の戦い 愛知 永禄3年(1565)5月
第四章 上杉謙信川中島の戦い 長野 永禄4年(1561)9月
第五章 武田信玄三方ヶ原の戦い 静岡 元亀3年(1572)12月
第六章 武田勝頼長篠の戦い 愛知 天正3年(1575)5月
第七章 明智光秀山崎の戦い 京都 天正10年(1582)6月
第八章 柴田勝家賤ヶ岳の戦い 滋賀 天正11年(1583)4月
第九章 龍造寺隆信沖田畷の戦い 長崎 天正12年(1584)4月
第十章 伊達政宗摺上原の戦い 福島 天正17年(1589)6月
第十一章 毛利輝元関ヶ原の戦い 岐阜 慶長5年(1600)9月
第十二章 徳川家康と大阪の戦い 大阪 慶長19年(1614)1月 慶長20年(1615)5月

 

正直、名前を聞いても、戦いの名前を聞いても、ピンとこないものも、、、、。
でも、なぜその戦いが起こったのかというお家騒動などの説明もあって、一応、エピソードとして分かりやすい。

 

やはり、有名どころとしては織田信長今川義元を破った桶狭間の戦いについての解釈はなかなか面白い。織田信長も、やっとのことで勝ったのであって、最初から計算づくでうまく行っていたわけではなかったのだ。
桶狭間周辺の地形と道についても詳しく解説されている。桶狭間の周辺、南にのびる知多半島のあたり、西は伊勢湾に面している場所。低いところに行けば見通しがわるいし、伊勢湾に流れる扇川と手越川によって、土地はあちこちで分断されており、味方内であっても連絡は取りにくい地形であったのだ。あちこちの合戦で、信長側も多くの死者をだしている。もともと、2000 vs 25000 で、圧倒的に今川勢が数で勝っていた。だから、今川は合戦で勝ち続けたところに油断が生じた。だからこそ、信長の背水の陣での敵地攻撃は、勝利となった。

この戦いは、緒戦の勝利によって義元と今川勢に油断と慢心が生じ、それが軍紀の弛緩につながり、そこを信長につかれたことで、今川勢は一気に崩壊した
のだと。

粘り勝ち。

桶狭間の戦いは、信長の天才的用兵が大勝利を引き寄せたのではなく、互いに誤算と失点をかさねながら、なんとか義元のミスにつけ入った信長の辛勝だったのだ、と。

なるほどねぇ。


とまぁ、こんな具合に、合戦を解析している。
あえて、負けた武将の視点をメインにかたられているものもあり、敗者に共通しているのは、やはり、「油断」なのかな、、、と思う。
希望的観測、油断、慢心、、、、。

確かに、ビジネスや人生にも通じる教訓かもしれない。

ちなみに、著者によれば、日本三大奇襲戦は、桶狭間厳島、河越、なのだそうだ。しらなかったなぁ。。。。 

 

厳島は、第二章になっている毛利元就陶晴賢(すえはるかた)に勝った戦い。厳島は、平家の時代から様々な歴史の舞台になっているので、なんだか時代がわからなくなるけれど、ここでいう厳島の戦いは戦国時代。足利家、大内氏、毛利氏、の関係が入り乱れていていた。背景が、、、わかりにくい。が、この戦いも、劣勢だったはずの毛利軍が勝利をおさめた。

予想外の暴風雨、という展開はあったものの、やはり、元就の周到な作戦計画が勝因になった、という。一方の陶晴賢は、不必要な作戦で自滅した、、と。

教訓は、どんな状況でも、”できる限りの準備をする”っていうことの大切さ、かな。

 

よく、「緊張しない方法」というHow toでも言われる。

大事なのは、しっかり準備する事。

基本なんだよね、準備する事。

受験も、面接も、大事な商談も、プレゼンも。

希望的観測ではなく、あらゆる事態を想定して、準備、練習すること。

運だけに頼っていると、油断につながる、、、、。

結構、重要な教訓だ。

 

もう一つの三大奇襲戦、河越ってまた、地味、、、だけど、第一章で取り上げられている。これは、何回かの戦いの集積ということらしいが、激戦の果てに北条氏が山内・扇谷両上杉氏、古河公方に勝利し、その後の関東制圧へとつながっていった、ということ。また、この時代の上杉家がややこしい、、、。山内上杉、扇谷上杉、、、。そして、地味な、、、と思ったのだが、やはり、この戦いはわずかな史料しか残っていないらしい。ポイントは、河越の地形。河越は今の川越だ。武蔵国の中心で、河川が氾濫しやすいものの、肥沃で農業生産性が高く、栄えていた。戦国時代になると、南北関東を結ぶ河川交通の中心として注目されるようになっていく。そして、太田道新・太田道灌親子をはじめ、多くの武将が城を建てる。北条氏は、あとから城を奪った勢力だった。河越の戦いでは、北条氏はやはり敵の油断のすきをついている。北条氏は、河越城を打通するという戦いの目標が明確だった。一方、攻められた側の山内・扇谷上杉勢は寄せ集めの部隊で統一が取れていなかった。

上杉勢は、味方同士の連携がうまくいっていない隙をつかれ、恐怖が恐怖を呼んで逃げ腰になってしまったのが、敗因ではないのか、と解説している。

 

人数だけいても、統一がはかれていなければ組織としての強みはないも同然。。。

「結局、河越合戦における連合軍は、だれが主将か不明確で、それぞれの部隊も明確な目標を設定されていないまま戦いが始まったため、その弱みを露呈した」と、結論づけている。

 

なるほどね。

 

組織における「目標の共有」は、大事だ。

ほんとに。

VISION」や「MISSION」を繰り返しメンバーと共有するのは、無駄じゃない。

 

方法論はともかく、目指すものを共有しておくことが大事。

 

うん、なかなか、面白い本だった。

歴史好きなら、もっともっと面白いのだと思う。

 

戦い、という視点で見てしまうとただの歴史になってしまうけれど、これらのことから今の自分にどう生かすのか、と考えながら読むと、なかなか学びもある。

 

・粘り勝ち

・周到な準備

・目標の共有

 

なるほどね、と思う一冊。

 

 

「ダンマパダ」法句経:恨みに報いるに恨みをもってしたならばついに恨みのやむことはない。恨みをすててこそやむ。これは永遠の真理である。

今朝のZoom坐禅会でのお話。

 

「ダンマパダ」法句経

恨みに報いるに恨みをもってしたならばついに恨みのやむことはない。恨みをすててこそやむ。これは永遠の真理である。

 

ダンマパダは、お釈迦様の言葉、そのもの。

法句経といわれているけれど、お教でもなければ、教義でもない。

ただただ、、、言葉。

 

坐禅は、お腹に力を入れること。お腹に力を入れることで、全身の力が抜けてくる。腹式呼吸をして座ることで、お腹、つまりは腸の部分が温かくなる。腸は「第二の脳」と言われている。

こころもそこにあるのだ、というつもりで坐ると、お腹、丹田が温かくなって、全ての原点がここにある、と言う気になる、という話。

 

原点は、心にある。 

 

神仏習合の日本の心と言うが、お教や教義に重点があるのではなく、お腹にある心にすべての重点がある。

 

今朝は、以前にも教えていただいた言葉を再び。

「恨みに報いるに恨みをもってしたならばついに恨みのやむことはない。恨みをすててこそやむ。これは永遠の真理である。」

 

そして、もう一つ。

 

「おのれこそ、おのれのよるべ おのれをおきて、だれによるべぞ よくととのえし、おのれにこそ まことえがたき、よるべをぞえん」

 

恨みを捨てられるのは、自分の心しかない。

 

坐禅をしていても、お腹が温かくなると感じたことは無かったのだけど、お腹に心があるっておもったら、もしかしたらもっとお腹を感じながら座れるかもしれない、、、と言う気がした。

 

心を温めると、原点が温まるっていうことなのかもしれない。

 

持ち続けている「恨み」なんて、私にはないけど、「心」を温めておくのが大事なのは、なんとなくわかる。

 

北風ぴゅーぴゅーより、温まったときのほうが、優しくなれる。

 

腹式呼吸丹田

基本に戻って、坐るのも大事だ。

 

お腹を温めて、心を温めよう。

 

今朝の新聞によれば、インドのモディ首相は16日、訪問先のウズベキスタンサマルカンドでロシアのプーチン大統領と会談して、「いまは戦争の時ではない」と言ったとのこと。ロシアの孤立が、さらに高まっていくのか。。。ウクライナも、ロシアの人も犠牲者だ。。。彼らの恨みはいつやむのか。。。

プーチンも、坐禅でもしたらいいのに、、、、。

はやく、戦争が終わりますように。