『父から子に伝えたい 戦争の歴史』 by  半藤一利

父から子に伝えたい 戦争の歴史 
半藤一利
SB新書
2022年6月15日

 

新聞の広告か、何かの書評か、忘れてしまったのだが、半藤さんの言葉を集めた様な本で、面白そうだったので、図書館で予約して借りてみた。

 

裏表紙の説明には、
”明治に幕を開けた「日本の近代化」の歴史は、そのまま「あの戦争」へ向かう歴史でもあった。終戦から77年。二度と過ちを繰り返さないために、私たちは歴史から何を学ぶべきか。。  作家・半藤一利の著作には、令和の日本人が心に刻みたい珠玉のメッセージが星の数ほど書き記されている。その180冊以上の著作のエッセンスを凝縮した決定版”

 

半藤さんは、1930年東京生まれ。2021年1月12日に亡くなられている。

はじめに、の言葉を借りれば、 
「歴史探求」を自称し、幕末・明治期の「近代日本史」や、半藤さんが共に生きた「昭和史」と向き合い続けてこられました。歴史の生き証人たちへの徹底した取材と、細部にわたる資料の検証に基づいて紡がれた著作は180冊以上。首尾一貫して、「昭和」とは何だったのか「あの戦争」とは何だったのか、という本質的な通りに取り組み続けた一生でした。
その膨大な著者の著作のエッセンスを抜き出し、再編集させて頂いたのが本書です。”

ということで、180冊を読まずとも、半藤さんの言葉に触れることができる一冊。
これで、半藤さんの想いが理解できるとは思わないけれども、心に響く言葉が詰まった一冊。

 

目次
第一章 日本人は、歴史から何を学ぶべきか
第二章 幕末・明治日本と戦争への道程
第三章 「あの戦争」とは何だったのか
第四章 私は歴史とともにいかに生きたか
第五章 過ちを二度と繰り返さないために、知ってほしいこと

 

感想。


うん、エッセンスだ。前後の文脈もあってほんとの意味が通じることもあるから、抜き出されたエッセンスだけでは伝わってこないこともあるけれど、膨大な文章の中から、しぼって、しぼって、しぼった、、、のだろう。
ふと忘れてしまいがちな、私たち、日本人の犯した過ちを、思い出させてくれる。

戦争を知らない私たちは、こうした言葉たちを時々文字として読み返すことで、歴史に学ぶことを、自分たちにリマインドしないといけないような気がする。
だって、やっぱり、平和ボケしている。。。 それはそれで、幸せなことではあるのだけれど、、、。

読み終わったときには、付箋だらけになっていたけれど、中でも、心に響いたものを覚え書き。

 

・”アジアを忘れたとき、悲劇が起こる” (『今戦争と平和を語る』)

 日露戦争が終わった明治40年ころから、日本人はアジア人たちを日本から追い出しにかかった。そして、アジアというものを軽蔑し、欧米諸国を相手にしようとしはじめる。つまり、日本の近代史は、アジアとの関係をどんどん失っていくものだったのだ、、と。
なるほど、、、。日露戦争に負けていたら、、、、、、と思わずにはいられない。
歴史に、たら、れば、はないけれど、、、。

 

・”川崎展宏さんの句に「戦艦大和 (忌日・4月7日)一句」と前書きのある誰もがあげる代表作がある。
 「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク”  (『歴史のくずかご』)

ヨモツとは、黄泉の国、あの世。ヒラサカとは平坂とかいてあの世とこの世の境にある坂
戦艦大和が撃沈される前に、ひっそりとその命が消えていくのを感じ取っていたのではないかと。。。
そうか、ヒラサカって、坂、って、そういう言葉だったのだ。
先日、白洲正子さんの『鶴川日記』を読んだ時には、気が付かなかった。「サカ」と言うものには、あの世とこの世の境、、っていう意味が、元々あったんだ、、。

megureca.hatenablog.com

 

”12月8日は何の比か、と問うて正しく即答できる若者が近頃は少なくなった。”(『歴史のくずかご』)

愚かな開戦であった、真珠湾攻撃の日だ。
 日野原重明さんの『95歳・私の証 あるがまま行く』 の中でも、12月8日が言及されていて、わたしは、半藤さんのいう若者(ではないけれど)の一人だった。真珠湾攻撃の日なんて、記憶にとどめていなかった。。。

megureca.hatenablog.com


こうして短期間の間に、2回も出会った「真珠湾攻撃の日、12月8日」。多分、今年は思い出すと思う。。

 

・”当時ウィルソンが言ったという言葉が、妙によみがえってきます。20世紀の名言の中に入るのではないでしょうか。
勝者なき平和でなければならない。勝者も敗者もない平和だけが長続きするのだ」”
(『世界史の中の昭和史』)

最近、ウクライナのゼレンスキーさんがスピーチのなかで、「これまでは、この戦いの目的は平和だ、といっていたけれど、今は「Victory」と言おう!」と言っているのを聞いて、、、ズキンと胸が痛んだ。。。当事者になっていれば、難しいけれど、、、勝者がいるというのは敗者がいるということなのだ。。。痛いなぁ。。。

 

・”映画「独裁者」のなかのチャップリンの名セリフがわたくしの胸に再び突き刺さった。それは「一人殺せば殺人者となり、百万人殺せば英雄になる」というものだった。”(『昭和と日本人 失敗の本質』)

悲しいかな、、、今も、、、そう信じている人がいるかもしれない、、、。

 

・「戦後」の六段階
拙著『昭和史 戦後編』のまとめで、「戦後」を大きく6つに区分しました。
第1期 昭和20年から26年 占領の時代
第2期 昭和27年から35年 政治闘争の時代 独立回復から60年安保まで
第3期 昭和36年から40年 経済高度成長前期 東京オリンピックまで
第4期 昭和41年から47年 経済高度成長後期 沖縄返還まで
第5期 昭和48年から57年 価値観見直しの時代
第6期 昭和58年から現在 国際化の時代

ここに、平成と令和を足すと、、、どうなるのかな、、、と思った。
国際化は、グローバリゼーションとなり、失われた○○年となり、、、後に、コロナ前、コロナ後、、となっていくのか。


そして、改めて自分が生まれた時代は高度成長期だったのだなぁ、、、と思う。そして、時代としては恵まれた世代だったと思う。バブル期が学生だったおかげで、人生間違えるほどの道の踏み外しはなく、、、それでいて、就職には困らず、、、。私たちが年金をもらう頃には国の年金制度は破綻しているかもしれないけれど、それに備えるまでの時間が一応ある、、、ともいえる。

 

「あの戦争」を振り返るのは、決して心地よいものではない。ズキン、ズキンと、、、痛むものがある。だから、毎日の様には振り返れないけれど、時々は、思い出そう。

 

半藤さんの文章を読んでいると、司馬遼太郎よりは、吉本隆明さんを思い出す。歴史を美化することなく、自虐的になりすぎることもなく、、、淡々と向き合っているからかなぁ。

 

こういう、編集本は、手に取りやすいし、読みやすい。

一冊ずつ読む時間はないけれど、半藤さんの言葉に触れたいひとに、お薦め。

 

亡くなった後も、こうして言葉にふれることができる本と言うのは、ホントにすごいなぁ、、、。

読書は、こんな風に時間を巻き戻してくれる。

 

やっぱり、読書は楽しい。

 

 

善人なおもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。 歎異抄

歎異抄で、もっとも有名な言葉だろう。

「善人なおもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」

 

分かるような、わからないような、、、言葉だな、と思うので、ちょっと、深堀。

 

歎異抄は、親鸞の没後20数年が過ぎた正応元年(1288)頃に書かれた書物で、著者は親鸞の弟子であった唯円(ゆいえん)と言われている。親鸞の教えの手引きとして書き記したのが、『歎異抄』。

親鸞は、阿弥陀仏への絶対的信仰を往生の要義とした浄土真宗を広めた人。その、親鸞の教え。念仏さえとなえればいいって、、、ま、そういうものが求められた、混乱の時代だったのだ。

親鸞については、いつか、もっとじっくり読んでみようとおもいつつ、、まだ読んでいない。

megureca.hatenablog.com

 

「善人でさえ往生できる。まして悪人ならなおさらや。」と、直訳すると、善人より悪人のほうが救われる、、となってしまうのだが、そういうことではない。

 

「悪人」とは、仏様の眼に映る、苦しみの中で生き抜いているすべての人のこと。

「善人」とは、かりそめの幸せに溺れ、阿弥陀様にすがるほどの苦しみに気が付いていない人のこと。

 

ここでいう悪人というのは、極悪非道な悪いやつではなく、自分の中に悩み、苦しみ、悲しみを抱えて苦しんでいるひと、つまりは普通の人々

だれでも、何かしらの悩みを抱え苦しんでいるもの。程度の差こそあれ、苦しんでいる人にほど、仏様は手を差し伸べてくれるのだ、と。

 

本当に幸せになるには、自らの姿を正しく知ることが大切だ、と言う教え、、、だそうだ。

 

目の前で起きている苦しみ、悲しみから目を背けて、なかった振りをしてしまえば、それはそれで楽に生きられるかもしれない。でも、正しくその悲しみと対峙して、それでもなお、前に進もうとする人にこそ、慈悲のこころが注がれる、と。

 

そもそも、「阿弥陀様を信じていれば必ず救われる」という教えの考え方は、私の生き方とはちょっと違うのだが、「善人なおもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」という言葉は、なにか、心をざわざわさせる感じがするのだ。

 

なんというか、人生うまくいかないことがあって、当たり前だよね、って言われている感じ。

 

そうなんだよね。

思い通りに行くこともあれば、そうでないこともある。

自分自身の人生とは直接関係が無くても、ウクライナ侵攻のように「そんなことは起きてほしくない」という人災が起きることがある。

コロナだって、起こる。

海難事故だって起こる。

子供が虐待されて亡くなる、車に放置されて亡くなる、、、痛ましくて、痛ましくて、、、心を痛めずにはいられないことは、起きてしまう。

 

そういう世の中で起きていることに一喜一憂して、振り回されてはいけないのだろうけれど、自分に関係ないこととしてみて見ぬふりをするのも違うのだよな、、って気がしている。

 

かといって、自分に何ができるわけでもないのだけど。。。

自分の無力さと向き合いつつも、寄り添う、それでいい、ってこともある。

 

よくわからないなりに、

「善人なおもつて往生をとぐ。いわんや悪人をや」

 

起きていることは、すべて起きているという事実として正しい。

それをどう解釈するかは、自分次第。

 

一つの言葉をどう解釈するかも、自分次第。

 

やっぱり、

自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。

 

無の時間と、考える時間。

どっちも大事。

 

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

 

歴史に関するある新書をぱらぱらとめくっていたら、最初に目についた言葉。

備前国平戸藩松浦静山(まつらせいざん)の著書、『常静子剣談』の中の言葉。

野村克也さんが好んで使っていた言葉だそうだ。

 

この言葉の解釈には、様々な意訳があり、

「負ける時は負けるべくしてまけている」

「敗因をしっかり分析することが大事だ」

などなど。。。

 

直訳すれば、

勝ちにはたまたま勝った不思議なものもあるが、負けにはたまたま負けた不思議はない。

つまり、

勝者に勝因はなくとも、敗者には必ず敗因がある、ということ。

 

なるほど。

確かに。

 

勝ち負けにもいろいろあるだろうけれど、、、、。

負けたのには理由があるのだから、ちゃんと分析しないと次も負けちゃうよ、、、ってことか。

でも、勝ったのが偶然であった、と言う自覚が必要ということでもあるよう思う。

 

勝ち負け、と言っているけれど、成功と失敗もそうだ。

失敗には原因がある。

受験に失敗したり、事業に失敗したり、、、はたまた結婚生活に失敗したり?!

まぁ、失敗と言うものの定義も難しいのだが、少なくとも合格しようと思ってうけたもんが不合格というのは、その時点においては失敗、、自分の負けだろう。でもって、合格すれば成功。

でも、忘れがちなのは成功したときにその要因解析をしないことだ。

 

うまく出来たときの解析ができると、次もうまくいくかもしれない。

なんだかわからないけれどうまくいったことは、、、次はうまくいかないかもしれない。

 

なんでもそうだ。

お料理だって、仕事だって、人間関係だって。。。

 

うまくいっていると油断しがち。

 

失敗したときの原因解析は大事だし、同じ失敗は繰り返したくないから、それなりに色々考える。

でも、なんか運よくうまく行っちゃったことは、ラッキー!だけど、次もラッキーとなるかはわからない。けど、希望的観測で、次もうまくいくような気がしてしまう。。

 

謙虚が大事、ってことかな。

無になって考えない時間も必要だし、よく考える時間も必要。

 

明石の漁港から、淡路島を眺めて風に吹かれつつ、そんなことを思った遅い夏休み。

 

 

 

 

 

『和の思想 日本人の創造力』 by  長谷川櫂 (その2)

和の思想 日本人の創造力
長谷川櫂
岩波現代文庫
2022年7月15日 第1刷発行

 

昨日の続きを。。。

 

ちょっと、重いなぁ、と思った話題から。

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』の問題点、それは日本人を卑下したような表現も含まれているということ。
白人の中に交じって談笑している日本の女性は、すぐに見分けがつく、と書いている。
「皮膚の底に澱んでいる暗色」を消すことができないから、、、と。
それは、
「白紙に一点の薄墨のしみができたようで、、、」と。
日本人女性を、汚物であり、目障りとまで言っているのだ。。。

西洋化を成し遂げることは、白人になることであったとでもいうのか。。。。
著者は、「愚かな自尊心」と言っている。
ここに描かれている人種観は、ナチの人種観とおなじものである、、、と。
結構、考えさせられる。

そういう時代だったのか、、、、、、。いや、未だに、西洋コンプレックスはあると思う。


少なくとも、私にはあると思う。仕事で、アジアもヨーロッパも、北アメリカ、南アメリカ、、どこに行っても、、、「東洋人のちっこい女」であるというコンプレックスがなかったと言えば、、、ウソだ。そして、アジアにいるとそのコンプレックスが薄れるのは、、、悲しいかな、、事実だ。だって、白人に比べれば、見た目には似ている。
まぁ、やっぱり体の大きさが違う。。。ブラジルやアメリカなんて、体の大きさで圧倒されそうになる。。。とはいえ、仕事上でコンプレックスを感じたことはないけれど、なんというのか、間違いなく違う人種であり違う文化で育ってきた人たちであり、だからこそ全身全霊で仕事をした、、ともいえるかも。
コンプレックスで卑屈になるようなことはなかったけれど、必要以上に片意地はって頑張っていたかもしれない。。。振り返ってみると、思う。

時代の価値観なのかな。
谷崎も、ガングロが流行る時代が来るとは、まさか思っていなかっただろう、、、、。
そして、やはり、ガングロは長くは続かなかった、、、ね。
流行りといえばそれまで。


そして、「和」について。
「世間では似たもの同士が仲良くやっている状態を和と呼んでいます。逆に自分たちと少しでも違うところのある人が現れると、和を乱すものとしてイジメたりします。(中略)はたして、似たもの同士の和気藹々を和と呼んでいいかどうか。それは和ではなくただの馴れ合いに過ぎないのではないでしょうか」
と。
強く共感する。
馴れ合いを、仲良しと勘違いしている人は、会社によくいる気がする・・・。

先日、仕事仲間から、「○○さんは、外様だから」と言われたことがある、という話がでた。。。外から役員としてお仕事された方が、社内の人からそういわれたことがある、と。

「和をもって尊し」って、なんだろうねぇ、、、。


「間」の文化について。
「西洋画の場合、余白があれば未完成の作品とみなされる」
長谷川等伯の「松林図屏風」では、松をかいたのではなく、霞をかいたのではないか、、と。あぁぁ、、、それ!!、日本画にはよくある。空気、風、霞を描くために、木を描く。波を描く。。。
そして、セザンヌのサント・ヴィクトワールの絵と比べて、それは、輪郭こそ朦朧となっているけれど、全てが埋めつくされている、、と。
日本画と西洋画の違い。そう考えると、日本人が描いても、なんか白っぽくても、藤田藤嗣の作品はやっぱり洋画なのだ、なんて思った。

松林図屏風は、以下のリンクから。。。

emuseum.nich.go.jp

 

そして、話の間、人と人との間、行間を読む、、、「間」というのは、空白であり、でも空白はその周りがあって空白になる。。。

生け花も言及されている。そうなのだ。西洋のフラワーアレンジメントは、空間を埋め尽くす。日本の「華道」の基本は、「空間」を作り出す。天地人を基本として、空間を作るのが華道。

日本人の人と人との「間」の取り方は、西洋とは違う。であっても挨拶して頭を下げるくらいで、西洋のようにハグしたりしない。その「間」をとる習慣は、日本の蒸し暑い夏をいかに快適に過ごすか、という「夏」の過ごし方の工夫から来たのではないか、と。たしかに、べとべと汗かいているところでハグはしたくない・・。

冬より夏に、日本をみているところが面白い。でも、確かにそうかも。

 

歴史のミニ知識。
・9世紀前半の「三筆」空海(774~835)、嵯峨天皇(786~842)、橘逸勢(たちばなはなやり)(782~842)。

平安時代中期の「三跡」小野道風(894~967)、藤原佐里(944~998)、藤原行成(972~1028)

先日、歴史の勉強をしていて、「三筆」と「三跡」がでてきて、そんな人しらんわ、、とおもったのだけど、こんなところでさらっとでてくるとは、、、。

書の話の中ででてきた。

 

そして、得意の俳句の話の中では、
「古池や蛙飛こむ水の音」 (芭蕉

もう、誰もが聞いたことがある俳句だろう。

この句は、いままで、「古池に蛙が飛びこんで、水の音がした」と解釈されてきたけれど、著者は、そうではないと解説する。

この句は、
「蛙が水に飛びこむ音を聞いて、心の中に古池の面影が広がった」
と言う意味なのだそうだ。
ほほぉぉ!!なるほど。

蛙が水に飛び込んだのは、現実の世界
それに対して、古池は芭蕉の想像力が出現させた幻影、つまり心の世界の出来事。

この句の後の芭蕉の俳句は、多くが現実と幻影の世界を重ねているのだという。この句をつくったころから、心の世界を開いた句をつくるようになったのだ、と。 
なるほど!!

 

いやぁ、面白い。

 

桜の話では、日本で桜と言えばもともとは山桜だ、と言う話。そうなんだよね。先日、本居宣長の勉強会でも、話題になった。桜が満開、といわれるとソメイヨシノを思い浮かべてしまうけれど、かつての日本人が魅了されたのは、山桜なのだ。ソメイヨシノのように、花が満開になってから葉がでるのではなく、葉も花も同時に出るし、色合いも花びらも、、ずっと地味だ。

でも、それが、昔の桜だった。

桜の風景と言えば、山桜だったのだ、、、。

「サクラチル」も、満開が散るのではなく、もっと儚く、、地味に散ったのだ、、、。

 

「しきしまのやまとこことを人とはば朝日ににほふやまざくらかな」(本居宣長

 

大和心とは、闘いに挑む大和魂とは真逆のものだったのだ。本居宣長は戦争に散る命を賛美したことなどない。最近の宣長研究では、そういう意見の方が多い。

 

やまざくらは、果敢に散って行ったりしない。

地味に、、、静かに、、、ちっていく。

 

最後の章に、著者の「和」に対する想いの総括のような文章がある。

 

日本と言う島国は、昔から何もない空間に、さまざまな異質の外来文化を受け入れ、そこからこの国の夏にふさわしいものを選び出し、さらに人々の生活にあわせて作り変えてきたこと。この受容、選択、変容という一連の運動こそが和の創造力であること。

純日本風といっても、すべてはこうした創造力から生まれた産物であり、結果に過ぎないのだ、と。

 

「和風パスタ」とか、「和風デコレーション」とか、、、「和風」と言う言葉を何も考えずに使うことがあるけれど、「和の思想」の創造力と言う視点で考えると、なるほどなぁ、と思う。

 

和菓子が、江戸時代末期までに日本で完成されたお菓子、、、という定義はちょっとびっくりだったけれど、「時」で区切らないといけないくらい、曖昧なものでもあるのかもしれない。

100年後には、和菓子は、「昭和末期までに日本に完成されたお菓子」とかなっているかもしれない。。

 

不易流行

いつの時代も、時は前に向かって流れている。

 

今を大切にしよう。

「和」を大切にしよう。

 

なかなか、良い一冊だった。

日本を誇りたいと思う人に、お薦め。

 

 

 

 

 

 

『和の思想 日本人の創造力』 by  長谷川櫂

和の思想 日本人の創造力
長谷川櫂
岩波現代文庫
2022年7月15日 第1刷発行


*本書は、2009年6月中央公論新社より刊行された。岩波現代文庫に収録するにあたって新たに第1章を書き下ろし大幅に加筆を施した。

とある勉強会で隣に座っていた友人が読んでいて、面白そうだった。すぐに読んでみたくて、彼に会ったその翌日に本屋さんに寄った。岩波のコーナーで平積みになっていたので買ってみた。

 

帯の背中には
和とは、日本とは何か

表には
”羊羹は
瞑想の菓子
春の雪
異質のものの共存こそ、和の創造力である
解説:中村桂子

 

帯にある本文抜粋には、
和を創造的運動と定義すれば、峠の霧が晴れ渡るようにたちまち視野が開けるだろう。それは漱石谷崎が考えた「江戸時代以前のもの」などではない。江戸時代以前か以後かにかかわらず、それは古代から未来まで日本人がいるかぎり、この国に生き続ける巨大なエネルギーの坩堝なのだ。”

 

裏には、
”日本文化は涼しさの文化である。それは、この蒸し暑い日本列島に暮らす人々が、外来文化を夏を基準にして、作り変えてきたものだからである。異質のものを受容し、選択し、変容させる力を具体的に考察し創造力に満ちる「和」という運動体の仕組みを解き明かす。それは同時に、日本文化についての名随筆、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』がはらんでいた問題に迫る新しい『陰翳礼讃』論でもある。”
と。

 

感想。
面白かった。


『陰翳礼讃』は、確かに、日本の美と言うか、わびさびというか、随筆として素晴らしいし、旅先で「ここは、谷崎が『陰翳礼讃』にも描いた美を表現しているんですよ」なんて言われると、ほほぅ、日本の美だな、、、なんて思う。
でも、著者の長谷川さんは、『陰翳礼讃』での谷崎の視線を、ばっさり切り捨てたりもする。
ほんと、面白い。


オリンピックのシンクロナイズドスイミングで、歌舞伎をテーマにしたけどダメだったから次は忍者にした、というエピソードから、歌舞伎や忍者が今の日本人の和の心のわけないだろぉ!みたいな、突っ込み。歌舞伎よりは忍者の方が海外での認知度は高かったみたいだけれど、今の日本人の日常に「忍者」はない・・・。外国人が日本っぽいとおもうだろうという、、、なんて卑屈な、、、と。

へぇ、、、面白いひとだなぁ、って感じ。

 

著者の長谷川櫂さんは、1954年生まれ。俳人、俳句結社「古志」前主宰。「きごさい(季語と歳時記の会)」代表。朝日俳壇選者。俳句に関する著書も多数。

 

しらなかった。
実のところ、著者の経歴をみないで本書を読み進め、随分と俳句や短歌にくわしいかただなぁ、、、、と思って、、、時々でてくる俳句の下には、「櫂」とあって、、、それでも著者本人の作品とは気がつかずに読んでいた。。。
そして、本書の後半は、いよいよ言葉、俳句、に関する言及が専門家らしくなってきて、むむ??この著者は一体どんな人なんだ??とおもって、著者紹介をよんでみたら、俳人だった。。。

本を読むときは、著者のことを知ってから読むようにしているのだけれど、本書は、友人が言った「和菓子の定義ってしってた??」の言葉に惹かれて、最初から貪るように読んでしまった。

でも、面白かった。

 

「日本」とか、「和」とか、、、いいとか悪いではなく、日本人であることに漠然と感じる誇りのようなもの、ちょっと、言語化されているような気がする。

「日本人」であること、「和」を大切にしたいと思っているなら、おすすめ。なにかしら、腹落ちするものがあると思う。

 

目次
第一章 和菓子の話
第二章 和の誕生
第三章 なごやかな共存
第四章 取り合わせとは何か
第五章 間の文化
第六章 夏を旨とすべし
第七章 受容、選択、変容
第八章 桜の話

 

友人がいった、「和菓子の定義ってしってた??」。第一章が和菓子の話。
ほんと、和菓子の定義って、しってた???
カステラは?金平糖は?
両者、和菓子なのだそうだ。

著者は、長年の疑問を、日本の食文化研究者らとの座談会できいてみたのだそうだ。
答えは、
「江戸時代の終わりまでに日本で完成していたお菓子が和菓子です」
と。
へぇぇぇ!!
明治42年に東京麻布十番の浪花屋総本店が考案して売りだした「たい焼き」は和菓子ではないらしい。

あんこをつかっているとか、寒天をつかっているとか、、、関係ないのだ。

と、そんな「和菓子」を引き合いに、「和」をかぶせた和服、和食、和室、「日本」をかぶせた日本庭園、日本建築、と言う言葉、全てにおいて、「和」とは何か?「日本」とは何か?という本質の問題をはらんでいる、と。

皿の上の一切れのカステラが、和とは何か、日本とは何か、という大きな問いを投げかけている。”と。

ふふふ。
そうかもね。

 

そして、夏目漱石(1868~1916)が『草枕』のなかで「羊羹」を絶賛するくだりが紹介される。ここで「『草枕』は、明治以降進んできた西洋文明化によって滅んでいく東洋の楽園の物語」として説明されている。
そこでの羊羹の描写。
あの肌が滑らかに、あの緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青みを帯びた練上げ方は、玉と蠟石の雑種のようで、甚だ見て心地がいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い練羊羹は、青磁の中から生まれたようにツヤツヤして、思わず手を出して、撫でてみたくなる。
素晴らしい、羊羹への賛辞。

これは、「和」ということか。

そして、谷崎潤一郎(1886~1965)の『陰翳礼讃』。 そこには、この漱石の羊羹の描写を引き写しているともいえる描写がある、と。

 

そして、著者は「羊羹」の由来を調べてみたところ、もともと「和」どころか「お菓子」ではなかったのだということが判明。羹とは、もともと肉の煮込み料理のことで、羊の羹は、モンゴル人の郷土料理だった。十四、五世紀、鎌倉時代から室町時代にかけて中国文化が渡来僧や留学僧によって京都や鎌倉に伝わり、その一つが羊羹だった。でも、肉食をしない禅僧や仏僧は、肉の代わりに小豆をつかって、羊肉もどきをつくった。それをそのまま羊羹とよんだのだそうだ。そして、小豆、砂糖、寒天、、、、と羊羹の材料の中で、日本古来の材料は、実は寒天だけだ、、と。小豆については諸説あるようだが。

和から羊羹から、随分と面白い話に飛んだ。
面白い。

 

羊羹だけでなく、饅頭、煎餅、最中、大福、、、いずれも「和菓子」ではあるけれど、日本で生まれたのではなく、海外に起源があるそうだ。
言われてみれば、本当に日本で発生したものなど、、、縄文土器くらいか??

 

著者が言いたいのは、日本人は古くから海外からの様々な物を受容し、自分たちが持つものと融合させて「和」を作ってきたのだということ。そういう、創造的運動をし続けるのが老舗と言うものであって、ただ「伝統」をかたくなに変えないということではないのだ、と。

神仏習合もそうだけれど、日本人は何かを取り入れて自分たちの文化になじむようにするのがうまいのかもしれない。
島国だからこそ、「外から来たもの」というのが分かりやすいだけかもしれないけれど。


と、なかなか、視点が面白いのと、今の時代のことと昔のこととを対比させた表現が多いので、わかりやすい。

面白い一冊。

 

続きは、また、別途。

 

 

時代の変化点: Queen Elizabeth II エリザベス女王

2022年9月8日、英国の女王エリザベス2世が亡くなった。

安らかにお眠りください。

 

エリザベス女王の生涯

1926年:即位前の英国王ジョージ6世の長女として誕生

1947年:フィリップ殿下と結婚

1952年:ジョージ6世が死去し25歳で即位

2007年:英国史上最高齢の君主に

2015年:在位期間が英君主として最長に

2022年9月6日:トラス氏を新首相に任命

2022年9月8日:英スコットランドのバルモラル城で96歳で死去

 

 

二日前に、トラス新首相を任命し、女性二人の姿がニュースの映像になっていて、イギリスも、また新しい時代だな、、、と思っていた矢先のこと。

エリザベス女王が亡くなってしまったのは、一つの時代だなぁ、、、って思った人は多いのではないだろうか。英国王室も、ダイアナ妃が亡くなってしまったり、チャールズ皇太子は再婚したり、、、色々なことがあったけれど、エリザベス女王は常にエリザベス女王だった。

最近のご様子だって、いつも、ご自身の足でしっかりと立って、綺麗な色の洋服に帽子。96歳とは思えない、肌艶とかわいらしい笑顔。

イギリスの人たちは、時代の交代を感じているのだろうな、、と思う。

 

まぁ、イギリスのように制度のしっかりした国は、王が変わっても、国民の生活が変わるわけではなく、淡々と日常は続いていくのだろうけれど・・・。

 

在位70年7か月、歴代の英国君主で最長。96歳なのだから、大往生だし、二日前まで普通にトラスさんと一緒に立って握手していたのだから、ほんとに、、、苦しまずに静かに逝かれたのだろうと思う。けど、寂しいなぁ、、、という感じ。

 

昭和天皇崩御は、私はまだ大学生だった。だから、寂しいというのか、なんというか、、私には、時代が変わって、新しくなるんだ、という前向きな気持ちの方があった気がする。しばらく体調がよくないことは報道されていたし、自粛モードだったこともあり、みんな、いつ訃報があっても、、、という心の準備もあったように思う。

そして、「平成」が始まった。バブル崩壊の足音と共に、、、、。

 

エリザベス女王の訃報は、96歳だとは言え、、、突然だったなぁ、、、。

時代の変化点は、ある日突然やってくる。

 

でも、もっと、時代の変換点を感じたのは、実は、先日Mikhail Gorbachevさんが亡くなったこと。最近では全く姿を拝見することは無かったけれど、ゴルバチョフさんと言えば、おでこに模様のあるソ連のおじさん、、、だった昭和世代の私にしてみると、あぁ、、時代は流れる、、、と思わずにいられない。

長い間、つらい闘病生活だったらしい。お疲れさまでした、安らかに。。。。

 

ゴルバチョフさんは、ロシアのウクライナ侵攻に対して懸念を表明されていたらしい。プーチンさんは、お葬式には参加せず、前日に個別にお別れをしたとのこと。ゴルバチョフさんが終わらせた東西冷戦。その人が亡くなってしまい、その思いを無視したようなウクライナ侵攻が続くロシア。。。

 

同じ過ちは、繰り返してはならない。

 

自分より年上の方が、先に逝ってしまうのは、順番なのだから仕方がない。

そういうものだ。

 

先人が築いてきたものを、私たちは、守り、発展させていかなくてはいけない。

それが、世代交代ってものだろう。

 

時代の変化点は、後から振り返って、あぁ、あれがそうだった、って思うものなのかもしれないけれど、何かをきっかけに変化のスタートを切ることもあるだろう。

 

イギリスの人たちにとっては、首相交代、国王交代がいっきにやってきた。

これから、どういうイギリスになっていくのだろうか。

そんなにすぐには変わらないだろうけれど、変化は始まっているのかもしれない。

 

時代は、前に前に、進んでいる。

時代の変化点をきっかけに、どう進んでいくのかを決めるのは今を生きている人たちだ。

 

まずは、身近な人の幸せから。。。平凡ながら、そう思う。

エリザベス女王の死を嘆いても、ゴルバチョフさんの死を嘆いても、明日はやってくる。。

 

ふと、半藤一利さんの言葉を思い出す。

「でっかいことをやった人物と言うのは、あまりでっかいことを考えていなかったのではないかと思うようになりました。勝(勝海舟)の場合は徳川慶喜の命を救うため、鈴木貫太郎さんは戦争終結を求めた昭和天皇の願いを実現するため。『この人を助けたい』と本気で思った。そういうことではないのですかね。その1点に集中してやったことだったように思えるのです。でっかいことを大義名分にして、ことを成そうとすると、きまって途中で腰くだけになる。そんな気がしてならないのです。」

(『歴史に「何を」学ぶのか』

 

私は、私なりに、自分のできることを粛々とやっていこう。

私にとっての時代の変化点は、既にやってきている気がしている。

明日は、明日の風が吹く。

いや、明日は、明日の風を吹かせよう。

 

国民に愛され続けたエリザベス女王の死に、新しい時代の始まりを感じつつ、前を向いていこう。

寂しいけれど、そんな元気をくれる女王だった気がする。

 

同じ時代に生きていたことに、感謝。

安らかにお眠りください。

禅の言葉: 赤鬼青鬼と火の車

赤鬼青鬼と火の車

 

今朝教えていただいた、禅の言葉。

 

地獄から、赤鬼青鬼が、火の車を引いて出てきて、
「さあ乗れ」と言ったらどうするか?
公案 雑則(和語の公案

 

公案雑則というのは、インド、中国から日本に伝わった禅が、日本型禅となって行く過程で、日本でつくられたもの。江戸時代の白隠禅師の時代に多くつくられた、日本語の公案

 

坐禅は呼吸を整えて座ることが全て。

公案は、一つのカリキュラムで、気づきを早めたり、深めたりするもの。ということは、公案と言うのはヒントに過ぎない。頭で考えるものではなく、単なる問答でもない。頭と口で対応するものではない。


赤鬼青鬼が、閻魔大王の命令で、前世で悪事を働いた者を閻魔大王の前につれていき地獄で懲らしめるため、死にそうな人の前に、火車という「火焔燃えさかる車」を引いて駆け足で迎えに来ることがある。

さあ、その時どうするか!

 

これは、あれこれ考える暇のない、修羅場。
考えるのではなく、さっと答える。

 

前頭葉で色々考える時間はない。
死の直前、どう対応するのか??

 

考えてもウソになる。
その場で、さっと対応する。
考えることをやめて、対応する。

 

う~~~ん。
前にも紹介いただいた公案なのだけれど、やはり、よくわからない。

megureca.hatenablog.com

 

考えることをやめる。
坐禅をつづけていると、そういう日は来るのだろうか。

無になろうと思えば、無になれない。
考えないとおもえばおもうほど、考えてしまう。

 

ここは、よくわからないけれど、言われるままに坐禅をし続けてみよう。
頭で考えないなら、体で感じるしかない。

 

我流であれこれ考えるより、師匠の言葉をそのまま受け止めて体現する方がよいこともある。

 

考えるのではなく、さっと答えなきゃいけない場面。

死の直前に限らず、人生ではそんな事態に出くわすことはある。

そんな時、さっと答えられるか。。。

 

”惑わず”答えらえる日がくるのかはわからないけれど、これだと思うことを続けてみよう。

 

考えている暇があったら、動いてみよう。

赤鬼青鬼が迎えに来る前に。。。