「米中戦争前夜」 by グレアム・アリソン
2017年11月1日 第一刷発行 ダイヤモンド社
なかなかのボリュームの本だった。
物理的なボリュームもだけど、中身として。
歴史をちゃんと勉強していない私には、とても分かりやすい近代の歴史参考書にもなりそうだ。
友人に借りて読んだ。
そして、読み終わった後、国も個人も、自分に内在する課題と向き合う事の重要性を心に刻むべし、と思った。
米中問題を読んで、「自己責任」という言葉の意味まで思考が飛んでしまった。
ま、いっか。
中国に関する本、複数読んでいると、だんだん、点と点がつながる。
隣の国だけど、やはり、遠い国のように思う。
彼らの時間感覚を、ちょっと恐ろしくも思う。
アリソンさんは、「決定の本質」という著書のある方。私はまだ読んだことがない。キューバ危機をどう回避したか、という話。
戦争が始まるきっかけについて、「トゥキディスの罠」という言い方をしている。
台頭する新興国(ここでは中国)と脅かされた覇権国(ここではアメリカ)との間に生じる巨大な構造的ストレスが、ちょっとした小さな衝突をきっかけに、戦争に発展してしまう罠。本当は、どちらも戦争によって得られるのは、自国戦力の破壊になる可能性を知っているのに。止めようがなくなる。。。
でも、歴史的には、戦争を回避できた事例もある。キューバ危機はその一つだ。ケネディとフルシチョフのギリギリでの理性的判断によって、戦争は回避されたといえるのだ。
キューバ危機での不朽の教訓は、
「何よりも、核保有国は自らの重大な利益を守りつつ、敵に屈辱的な撤退か核戦争かの選択を強いるような対立を避けねばならない」という事。
本著の結論では、キューバ危機の時のケネディにならい、戦争を回避するために必要なことが述べられている。
1 重大な利益を明確にする (重要なことと目につきやすいことは違う)
2 中国の行動の意図を理解する(中国は本気で世界制覇をねらっている)
3 戦略を練る
4 国内の問題を課題の中心に据える
国内の問題を課題の中心に据える。まさに、自分自身の問題を課題の中心に据える、と読み替えることができる。
国の外交は、個人でいえば、個人と個人、あるいは個人と社会とのコミュニケーション。
社会としての課題に向きあうというのは、すなわち、自分の中の課題と向き合うという事で、自分のことを棚上げして社会問題は語れない。
環境問題、教育問題、社会保障費、、、、数々の一般メディアで掲げられる課題に対して、第三者的な評論をするのではなく、自分自身がどう向きあえているかを考えることが民主主義への参加、最初の一歩だと思う。
かといって、自分の行いが満点であるわけもないことも、肝に銘じる。
満点なんて、世の中にはない。
誰もが賛成する政策がないように。
「自己責任」ということば、肯定的にも否定的にもとらえることができるけれど、ここでは、肯定的な意味で、「自己責任」について、頭の整理をしておきたい。
人に対して、「責任は私がとります」と言える大人。内田樹さんがよくそのように表現されている。なかなかいないけれど、私自身は、自分に対する責任は自分で取りたいと思う。
だから、
自分の人生は、自分で考えて、自分で決めたい。
米中戦争にならないことを祈りつつ、自分の人生も戦争に巻き込まれないように、自分が社会に貢献できることを、ちょっとだけでもやってみよう。
トゥキディスの罠に陥らない限り、ちょっとの失敗なら、やり直せばいい。
そう、あきらめないかぎり、私の辞書に「失敗」はない。