「アーロン収容所」西欧ヒューマニズムの限界  会田雄次著

「アーロン収容所」西欧ヒューマニズムの限界 会田雄次

1962年第一刷発行、 2016年第92版

2018年1月25日 改版発行

中公新書

 

著者の会田さんは1916年(大正5年)生まれ。1940年京都大学文学部史学科卒業。1943年、ビルマ戦線へ送られ敗戦を迎える。戦後、1年9カ月にわたりビルマのラグーン(現ヤンゴン)のアーロン収容所にて、英軍捕虜として強制労働の日々。その経験が記されたのがこの本。

 

友人のお勧めの一冊だったので読んでみたのだが、人に薦めたくなるような明るい本ではない。でも決して悲惨なまでに暗い本でもない。「激しい怒りとユーモアの見事な結合がここにある」と裏表紙に書かれているのだが、私にとってはそんなにユーモアと思えなかった。やっぱり戦争は戦争だ。

 

戦後の捕虜としての話であるから、当然、無惨の話も沢山出てくる。ただ悲惨な話として記してあるのではなく、捕虜としての生活の中でも、いかにして日本人たちが生き延びてきたのかを、当事者としての視点からつづられている。

確かに、強制労働という悲惨な環境の中でも、いかにして自分たちの生活に楽しみを見出すか、物を手に入れ(盗んで)工夫するか、ユーモアといわばユーモアだけれど、、。経験したいことではない。

 

この本から、私が得たものは?と言えば、やはり戦争はしたくない、という思い。

でも、それぞれの文化の違い、信仰の違い、信念の違いから、、、ひょんなことから、達磨式に広がってしまうのが戦争なのかもしれない、ということ。

「トゥキディスの罠」は、どこにでも潜んでいる。

罠に陥らないためには、何より理性的な判断、相手との価値観の違いを冷静に見極める理性的な判断、という気がする。

「トゥキディスの罠」で、あらゆる紛争は説明できるのかもしれない。

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英軍捕虜となった著者としては、イギリスというのは世界が褒め称えるような、近代化・民主主義・言論の自由ヒューマニズムの国ではなく、「イギリス人を全部ここから消してしまったら、世界中がどんなにすっきりするだろう」と思わせる憎しみの対象でしかなかった。かといって、この本の中で、とことんイギリス兵を蔑んでいるわけでもない。そこが、恨み節の本にはなっていない所以かもしれない。

 

会田さんの考察でなるほど、と思ったのが、屠畜と飼育。

イギリス兵が、倒れているビルマ人に対して「finish」と言って何もしようとしない。屍体に対してですら残虐に慣れるのは、屠畜に慣れているからだと、彼は言う。

「日本人は食料として家畜を飼うことはしていなかった。中国人・ビルマ人、特にヨーロッパ人はそれに慣れているのである。」 

確かに、昭和初期の日本は、今の生活ほど肉食ではなかっただろうし、食べるために家畜を飼うというよりは、家族の一員のように家畜を飼っていたのかもしれない。80歳以上の方で、今でも鶏は食べられない、なぜなら、子供の時に裏庭で絞めて食べていた記憶が、、、という話は聞くけど。

牛や羊を屠畜して食べる、という習慣は、確かに日本の一般の家庭ではなかっただろう。。。

屠畜に慣れていないというのは、すなわち、亡骸を見ることにも慣れていない。。。

 

イギリス兵や、インド兵を見て、彼らの責任感に関する考察をしている。会田さんが引用している文章が興味深い。

「インド人の心はまず自然を憎むこと、それから脱却を発出発点として成長する。日本人の心は自然崇拝と自然への帰依に終始する。ヨーロッパ人は自然と友達になり、時には自然を支配しようとする方向に発展する」

 

日本のこころの源流には、やはり、自然崇拝があるのだろうか。

 

なんとなく、この自然に対する態度は、今現在のコロナ禍での対応にもつながっているような気がしなくもない。インド、日本、ヨーロッパ、それぞれに対応が異なっている源流が、自然に対する態度からするのだとすると、ちょっと面白い。

今のインドの状況は、自然を憎んでいるに違いない。。。

 

なんだか、不思議な本だった。

 

結局、彼は生きて日本に帰ってきたわけで、その生命力のたくましさがつづられているかというとそうでもない。生きる勇気が湧く、、、というタイプの本でもない。

 

ただ、会田さんが生きて帰国しなければ、この本を私が読むことも無かった。

 

やはり、一人の人が、たくましく生きた証なのかもしれない。

だから、2021年の今なお、読み継がれるのだろう。

 

人に薦めたくなる本ではないと冒頭に書いたけど、うん、一度読んでみるといいかもしれない。

でも、楽しい本ではないので、ワクワクは期待しないでね。

 

今、平和であることに感謝しよう。