「人生で大切なことは月光荘おじさんから学んだ」 by 月光荘画材店

「人生で大切なことは月光荘おじさんから学んだ」

月光荘画材店 著

水野スウ、立原えりか、水森亜土 寄稿

2017年12月13日

 

なかなか、素敵な、愛らしい本でした。

 

大正6年創業。1940年に自家炉にてコバルト・ブルーの製法を発見。純国産の顔料から作る第一号の油絵の具を開発。

その店の店主は、橋本兵蔵さん。

店名の名付け親は、与謝野晶子

その店の名は、「月光荘画材店」

 

与謝野晶子さんから、店主、橋本兵蔵さんへ送られた詩

 

「大空の  月の中より君来しや ひるも光りぬ 夜も光りぬ」

(あなたは大空にある、月からの使者。昼の間も夜と同じように優しく光っています。)

 

月からの使者は、「月光荘おじさん」と、呼ばれる。

 

本書は、知人が読んでいて、画材屋さんということで興味をひかれ、図書館で借りてみた。

そして、本を手にして驚いた。

あ、ホルンのマークの、あのお店!

 

私は、2年前位に月光荘でキャンバスとスケッチブックを買ったことがあった。

でも、こんなに素晴らしい歴史のあるお店とは知らなかった。

伝説の月光荘おじさん。

1990年に月光荘おじさんはなくなってしまっているので、私があのお店に足を運んだのは、おじさんはなくなってしまった後。

その日、どうしても、キャンバスが買いたくて、でも普段いく画材屋さんに行く時間がなくて、銀座で「画材屋」と検索して出てきたのが、「月光荘」だった。

銀座8丁目あたりの、ビルの片隅のような感じにひっそりと、月光荘の看板があった。

でも、店に入った瞬間に、「なんだこの世界は?!」と、強く惹かれたことを思い出す。

数人が店内に入れば、いっぱいになってしまいそうな小さなお店。その壁から天井から、、、画材が所狭しと、でも、美しく、、、鎮座している、、、そんなお店だった。

そう、私が買い物をした時も、品物は包装しない、という方針は変わっていなかった。

支払いは、さすがにブリキの缶に自らチャリン、お釣りは自分でとっていく、ではなかったけど。

私が買った小さなキャンバスを、お店の人が汚れるといけないからと、表面をチラシでくるんでくれた。そんなお店。

本当は、キャンバスを買いに行っただけだったけど、ほかにも何か買わずにはいられなくなるような、そんなお店だった。

そして、私は、本書のなかでもでてくる、「ウス点のついたスケッチブック」を買ったのだ。1センチ四方の淡いブルーの点が打ってある、「ウス点」は、松下幸之助氏の依頼に応じた製品だったそうである。

そんな歴史は知らずに、気に入って買っていた。

銀座に、こんな画材屋さんがあったのね、と、ちょっと発見した気分でうれしくなったことを思い出した。

 

そうか、あのお店は、こんなにすごい人のお店だったのだ。。。

 

月光荘おじさんは、18歳で富山から一人上京。書生として住み込みで働いていた家の向いの家が、与謝野晶子の家だった。そんなご縁。

そこから、画家たちを支援すること、絵具を届けることを仕事にし始め、ついには、自分で絵具を作るまでになる。

 

その間、たくさんの経済人から、経営の教えをいただく。

 

新宿 中村屋相馬愛蔵さん、富士銀行 創始者安田善次郎さん、などなど。

「お客さんに二つの値段があってはいけない。」

「売れるものを考えるのではなく、人が喜ぶものを売る」

「自分で売るものは自分で作り、自信のあるものだけを売りなさい」

 

月光荘おじさんは、がんこに値引きをしなかったのは、これらの教えがあったから。

 

コバルト・ブルー、セルリアン・ブルー、バイオレット・コバルト。。。

絵具の色の名前。

私は、子供の時、コバルト・ブルーに、あこがれた。

月光荘おじさんが作った色とはしらなかった。

 

月光荘は、月光荘おじさんのあと、娘さん、日比ななせさんが引継ぎ、今はななせさんの息子さん、日比康造さんが引き継いでるらしい。

猪熊弦一郎藤田嗣治梅原龍三郎中川一政宮本三郎、、、、。

みやぎまりこ、いわさきちひろ、、、

そうそうたる面々を支えた月光荘

これから、長く、続いてほしいものだ。

それにしても、本書に出てくる人物の名前を並べると、こういった人々が同じ時代に生きていたのか、と、その時代をうらやましく思ったりもする。

 

私は、いわさきちひろに憧れて、学校の授業以外でも絵筆を持つようになった。

小学生の頃の話。

だから、いわゆる絵具。

展覧会で入賞したりなんかすると、賞品に絵具がもらえたりして、それがうれしくてよく書いていた。

いわさきちひろの作品を支えていたのも月光荘おじさんだったとは。。。。

人の輪って、楽しい。

みやぎまりこさんと月光荘おじさんがつながるのだって、楽しい。

「ねむの木学園」の白木の調度品が月光荘おじさんつながりだった。

 

 

月光荘おじさんは、マッカーサーとも仕事をする。

マッカーサーに、
「大戦中に絵具を作り続けたのは、世界中にお前一人だ」と言われる。

 

アメリカ軍と絵画といえば、先日読んだ、原田マハの「太陽の棘」を思い出す。

megureca.hatenablog.com

さすがに、沖縄の画家たちのところまでは、月光荘おじさんの絵具は届かなかったけど、マッカーサーは、月光荘おじさんの絵具を買っている。

 

戦争があっても、絵を描き続ける人は必ずいるのだ。

絵の力。

伝えられるというのは、すごい。

 

 

世の中、知らずにお世話になっていることがたくさんあるのだと、気づかされる。

ありがたや。

 

晩年の月光荘おじさんのことば。

 

「平和な時、波風のないとき、人の本心は中々みえません。非常時になって初めてわかる。人の親切も、真心も。人間に、国境はありません。人の足元を見るような商売だけはしたくないのです」

 

おっしゃる通り。。。

 

ホルンのマークの月光荘

近いうちに足を運んでみようと思う。

コロナのなか、お店はどうなっているのだろうか。

絵を描くというのは、コロナだろうがなかろうが、いつでもどこでもできる。

もしかすると、すごもり消費で、絵具の売れ行きが伸びていたりして。

 

「自信のあるものだけを売る」

大事なことだと、気づかされた。

そして、

「人が喜ぶものを売る」

ということ。

 

私も、月光荘おじさんから、大切なことを教えてもらった。

ありがとうございます。