立花隆

立花隆さん、亡くなってしまった。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

たくさんの「知」を提供くださいまして、ありがとうございました。

私が、理系の道に進んだのも、立花さんの影響がなかったとは言えない。

 

学生の頃、彼の本を夢中になって読んだ。

こんな頭の中になれたら楽しいだろうな、と思って。

すでに、内容は忘却の彼方だが、、、。

 

先日、「江副浩正」を読んでいたら、彼に出会ったのである。

megureca.hatenablog.com

 

そして、思い出していたところだった。

そういえば、立花さん、闘病されているはずだけど、どうされているのかなぁ。

新刊、でたりしないかなぁ。

と、ほんの数日前におもっていた。

 

江副さんの本をよんでいなかったら、思い出したりしなかったと思う。

 

1960年、日米安全保障条約反対のデモ隊が道を占拠している時代、江副さんが「大学新聞広告社」を立ち上げる。

就職のための情報誌だ。

入社案内制作事業、名簿事業、小さいながらも江副さんの会社は新しい事業を着々と進めていく。

加えて、「適正テスト」の作成も着手していた。

いわゆる、就職などで使われる「適正テスト」だ。

まだまだ、精度が問題だったというその事例に、立花さんがでてくるのである。

個性的なキャラとして。

 

以下、「江副浩正」から抜粋。

「・・・例えば、この春入れた東大文学部の橘隆志というあるバイト。適正テストでは、向上心が強く困難な仕事程やる気を示すとでた。そこで、二部上場会社や中小企業の営業を任せたが、いまだ契約の一本もとれず、燦燦たる状況だ。もっと適正テストの精度をあげなければ、第四の事業化はほど遠い。ため息をつく江副の前に、その橘が現れ、切り出した。

『営業に向いていないこちらも問題だけど、どう考えても仕事の範囲が限られるそちらにも問題がある。そんなに将来有望な会社とも思えないし、辞めさせていただきます。』」

 

そう、この、橘隆志こそ、立花隆だ。

 

1996年、その橘から、江副のもとに包みが届いた。

「先日は取材の協力ありがとうございました。今度ようやく本ができあがりました。」

そう、それが、

素手でのし上がった男たち」 立花隆 著 番町書房

 

素手でのし上がった男たち」は、立花隆のデビュー作となった。

 

江副さんと立花さんの関係性は、たんなるノンフィクション作家とその取材対象ではなく、会社立ち上げ当初の経営者とバイトの関係であったとは・・・・。

 

久しぶりに、立花さんの本が読みたくなった。

素手でのし上がった男たち」も、読んだことはないけれど、いつか手に取ってみよう。

 

立花さん、たくさん、ありがとうございました。

 ご冥福をお祈り申し上げます。