「人生面白くする本物の教養」by  出口治明

人生面白くする本物の教養
出口治明
2015年9月30日 第1刷発行
幻冬舎新書

図書館で目に入ったので借りてみた。

 

なんてストレートなタイトルだろうか。 
『人生を面白くする本物の教養』、出口さんならではのタイトルの気がする。
ライフネット生命保険株式会社代表取締役会長兼 CEO をやられていた時代の書籍。
若者へ向けての叱咤激励、という感じ。

ズバリ、ズバリと、シンプルに表現されていて、小気味いい。

本書の構成は以下の通り。

第1章 教養とは何か?
第2章 日本のリーダー層は勉強が足りない
第3章 出口流・知的生産の方法
第4章 本を読む
第5章 人に会う
第6章 旅に出る
第7章 教養としての時事問題 国内編
第8章 教養としての時事問題 世界の中の日本編
第9章 英語はあなたの人生を変える
第10章 自分の頭で考える生き方

 

本 ・人・旅、は、出口さんの三種の神器?!というくらい、いつもお話に出てくる。人が成長するのに欠かせない、本・人・旅。
強く共感!
私も、本・人・旅が大好き。

 

あと、考える軸としてのタテとヨコ、もよくおっしゃる。
タテは、時間軸。
ヨコは、空間・世界軸。
歴史は時間軸だからタテ。同時代の日本と世界など、空間を越えて考えるのがヨコ。
第一章 教養とは何か、の中で、人はいくつになっても学ぶ意志さえあれば学べるので、教養を付けよう!と。行動を起こすのに遅すぎるということは無い。そして、その時にタテ・ヨコで考えるとよい、と言う話。

 

タテとヨコは、ばらばらのものではなく、つながるから面白いのだと思う。
タテの中の点、例えば日本が尊王攘夷だ!と、すったもんだしている頃に、アメリカではリンカーン奴隷解放宣言!(1863年)とか。そういう時代背景のなかで、アメリカは日本へ開国を求めに来たのだ。

 

タテとヨコで考え、数字でものを考える。

少子化が問題だというのなら、出生率がいくつになって、2030年の日本の人口は何人になるのか、とか具体的な数字で考える。
数字があると、果然、具体的な思考になるという。
たしかに、言葉で言えないことは思考できないともいうが、数字が無いと具体的な行動につながらない、という事もある気がする。
具体的方策のない、口ばっかりの評論家?!と感じる発言は、たいてい数字の具体性が無かったりしないだろうか。

ちょっと、数字、意識したいな、と思う。

 

自分の体重が今何キロなのかを知らなければ、何キロダイエットする、という目標はたてられない。。。(出口さんが言っているのではない、私が勝手にたとえとして考えたこと。)

 

出口さんは、教養というのは、知識があることをいうのではない、と言う。自分のアタマで考えるために必要な知識を身に着ける、ということ。つまり、得た知識は自分の行動に落とし込まないと、教養があるとは言えない。

ただの物知りさんと、教養があるなぁ、と思う人は違う。
サラリーマン時代、高学歴のエリートがたくさんいたので、よくわかる。
よくそんなことまで知ってますね?!?!という知識の持ち主が、いざ、仕事になると問題発掘はおろか、問題解決も苦手、で、すべて指示待ち、、、なんてことも無きにしもあらず。。。

まぁ、物知りと言うだけでもすごいと言えばすごいのだが。面白い人かと聞かれると、ちょっと、違う、、、。

 

第9章では、英語の話も出てくる。やはり、英語は最低限のコミュニケーションができるくらいは出来る方がいい、と。べつに、ブロークンイングリッシュでもいい、だんまりではなくコミュニケーションすることが大事、だと。そして、やる気になれば、留学したり高い英会話教室に通わなくても、NHK英会話でも充分に必要な英語力は身につけられると。

本当にそうだ。
結局は、母語でない言葉と言うのは、毎日コツコツ続ければそれなりに身についていく。
使わなくなると、落ちていく。だから、週に一度の英会話学校に通うより、毎日NHKラジオで学習する方が、学習効果は高いだろう。
これは、私の通訳の先生もよくおっしゃっている。留学なんて必要ない。毎日ヴォーカライゼーションせよ、と。

やっぱり、英語の勉強はつづけようっと、勇気づけられる。

 

259ページの新書。サラーーーっと気持ちよく読める。

一番、心に響いたのは、
手本が無くても生きていける」というのが、「自分のアタマで考える生き方」と言う言葉。

本当に、そうだな、と思う。


「前例がないから認めない」とは、組織の中でよく言われることだけれど、それも思考することを放棄している人のセリフだ。

ルールと言うのは、ルールだから守るのではなく、守るべき何かがあるから分かりやすくルールにしたのであって、私はルールだからといて何も考えずに従うのはちょっと違うと思っている。

 

赤信号は止まるのがルールだけれど、自分が歩行者のとき、まったく車の往来が無ければ、私は結構躊躇なく信号無視をする。

視界に、子供がいると一応信号をまもる。自己判断できるようになるまでは、ルールだから守る、でよいと思っているから。でも、大の大人が、危険ゼロの時になぜ止まって待ってなきゃいけないの、、、と思ってしまうのだ。ま、せっかちなのかもしれない。

まぁ、これは自己正当化しているだけの論理なので、マネすることを人に薦めるわけではないけれど。あ、あと、イヤホンで「聞き読」しながら歩いているときは、信号を守る。余計なことに判断能力を使いたくないから。ルールと言うのは、判断能力の節約になるということだ。

 

世の中は、変わっていく。
コロナで飲食店のテイクアウトの規制だって、いつのまにかゆるくなった。
昔は、飲食店での食べ残しは、「保健所がNGというので、、」と持ち帰りをさせてくれない店が多かったけれど、いまでは、「フードロス」が社会問題となり、積極的に持ち帰りをすすめる店もある。

誰かがそうしているから、自分もそうする、というのも思考の放棄だ。

 

手本が無くても生きていける」、って、かっこいいと思う。

 

自分のアタマで考えよう。

 

自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。

 

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人生を面白くする本物の教養 by 出口治明