『JR品川駅高輪口』 by  柳美里

JR品川駅高輪口
柳美里
河出文庫
2016年11月20日 初版発行

 

柳美里のJR山手線シリーズ。図書館で借りて読んでみた。
これまた、、、『JR上野駅公園口』に負けずと、、、社会の闇の話。

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裏表紙の紹介文には、

”誰か私に、生と死の違いを教えて下さい――ネットに飛び交う「自殺」「逝きたい」の文字。電車の中、携帯電話を手にその画面を見つめる少女、市原百音・高校一年生。
形だけの友人関係、形だけの家族。今日、少女は21時12分品川発の電車に乗り、彼らとの「約束の場所」へと向かうのだがーー。
居場所のない「一人の少女」の「魂」に寄り添い描かれた傑作。”

と。
文庫『まちあわせ』新装版、改題して出された一冊。

 

主人公が、女子高生なこともあって、わたしには馴染みのない言葉が出てくる。
スクバ?!?! スタバじゃないし、何かと思ったら、スクールバックのことらしい。
フィルタリング解除。子供の閲覧制限、知ってはいたけれど、親が簡単に解除できちゃうものなのね。
ハブるって、女子高生の日常会話でつかうのか?!?!
とか・・・。

日常に携帯電話があって、友達との会話がメールというか文字が当たり前の高校生活。子供でもSuicaを持っていれば、現金が無くても簡単に買い物ができてしまう日常。

わたしの時代とは変わったなぁ、、、、と、つくづく思う。

学校をさぼれば、一人になれた時代とは違うんだよね。

誰かと一緒にいる孤独。

いつでも連絡が付くから、連絡がこない孤独。。。

10代だったら、しんどいだろうなぁ、と思う。

 

以下、ネタバレあり。


主人公は、父、母、弟と暮らす女子高校生、市原百音。学校も、家庭も楽しくない。ネットで一緒に自殺してくれる人募集のスレッドを立てている。一緒に住んでいたおばあちゃんは、やさしく、良識のあるひとだったけど死んじゃった。美しいお箸の所作を教えてくれたのもおばあちゃん。今じゃぁたいして会話もしないお父さんも、おばあちゃんの教えで、お箸持ち方は綺麗だ。

修学旅行のお土産に、長寿箸をプレゼントしたけれど、おばあちゃんはお風呂場で死んでしまう。姑の死んだお風呂のある家には住めないとママがいうから、家族は引っ越した。ママは、家族の健康を気遣ってたくさんお料理を作ってくれるけれど、今は弟のお受験に夢中で、わたしのことなんてちっとも興味がない。わたしのご飯に、おばあちゃんにあげた長寿箸を平気で出す。。。


何をしていても、たいして面白くない。それでも通学に使う山手線は毎日、ゴーー、ゴトゴト、ゴー、、、、。
ある日、珍しく弟から「いますぐ話したい」とメールが来る。小学6年生の弟が何を言いだすのかと思ったら、「ぼくは、大坂の学校に行くんだって。ママと。パパは会社の女の人と不倫しているから、この家を出ていくんだって。お姉ちゃんは、高校に行き始めたばかりで、もう学費もおさめちゃっているから、転校はできないって。」
パパとママは、いつもケンカしてばかりだから驚くわけじゃないけど、、、、。


自殺者募集でやり取りをしていたメンバーとの実行に踏み切る。一人が持っている車で4人で練炭自殺の予定。
友達の家に泊まるからと言って、翌日の制服と化粧道具をスクバに入れて、家を出る。お父さんは、お友達の家にお土産を買っていきなさいと1万円くれた。
品川駅で、スクバをコインロッカーに入れて、お財布、携帯だけで待ち合わせの湯河原駅に向かう。Suicaは、、ポッケに入れた。

集まった4人は、それぞれ。。。動物園はどこですか?の合言葉で、相手を確認する。
車をとめて、窓に目張り。練炭に火をつけ、、、睡眠薬を飲んで、いざ実行へ、、、。車には、新しい川崎大師のお守りがぶら下がっていた、、、。

 

百音は、クスリを飲んだ振りをして、、、セーターの首元へ滑り込ませる。目張りを力ずくで押してドアをあけて車の外へ飛び出す。三人は、眠ったままだ、、、。
でも、ドアを開けたから死なないだろう、、、、。

 

湯河原駅。始発電車で品川駅に戻る。


電車は、今日も、いつものように動いている。
品川駅でスクバをとりだし、私服から制服に着替える。
いつもの通学電車。
いつもの学校。
昨日、仲間のメールにレスしなかったから、ハブにされるかもしれない。
いつもの授業。
隣の子が、寝ていた私を肘でつついてくれて、先生が読めと言ったところを教えてくれた。
まだ、自分の窮地を救ってくれる人がいるなんて。
立ち上がって、教科書を音読する。
声がふるえた。
唇が閉じて、声が戻ってくるのを戻った。
涙が、ひと雫ひと雫とあふれだし、、、、。


突然泣きだした百音に、同級生も先生も驚く。
だいじょうぶですか?

”真っ白だ。
泣いているのではない。
違う。
全然違う。
でも、違ってもいい。
生きているのだから。
わたしは、いま生きている。”

で、物語は終わる。


自殺を思いとどまることで、読者は胸をなでおろすだろう。
これからの人生の安泰が約束されたエンディングではないけど、たとえ両親が離婚しようが、学校で仲間外れにされそうになろうと、生きている。それでいいじゃないか。。。

リアルにありえそうな世界だ。
それだけに、切なく、悲しいストーリーではある。


でも、何があっても、生きていてほしいな、と思う。

独りぼっちだと思っても、一人じゃない。

ぜったい、誰かが見ててくれているから。

 

どこかで、あなたのことをおもっている人は、かならずいる。

と、百音に伝えたい。

おばあちゃんに対する愛があるなら、生きていける。

 

自殺しようとする車にお守りがぶら下がっているって、、、本当は、死にたくなんてないのではないか?

百音も、本当は、本気で死ぬ気なんてなかった。だから、帰りのことを考えてSuicaはポッケに入れておいた。

百音が救ったのは、自分なのか、一緒に死のうと言った仲間だったのか、、、。

両方かな。

 

百音は、湯河原で出会った人たちとはもう会うことは無いだろう。でも、いつか、生きることを選択したその時を、思い出して、勇気にするのかもしれない。

過去は思い出だ。

変えようのない、歴史だ。

変えられないことを、クヨクヨ言っても仕方がない。

あぁ、あんなことがあったな、って笑える時が必ず来る。

 

と、そんなことを思ったら、懐かしい顔や色々と頭に浮かんできた。

向こうは、私のことを忘れていたとしても、こっちは忘れていない、、、ってことはある気がする。

 

あ、その究極の恋愛小説の一つが、伊集院静の『白い声』だ。

先日読んだので、その覚書もおいおい、、、。

そこにも、生と死があった。

人は社会的生き物であり、ただの生き物でもある。

 

読書は楽しい。

 

 

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『JJR品川駅高輪口』