『愛に始まり愛に終わる 瀬戸内寂聴108の言葉』

愛に始まり愛に終わる 瀬戸内寂聴108の言葉
瀬戸内寂聴
宝島社
2021年5月10日 第1刷発行

 

表紙の写真は篠山紀信さんによるもの。なんとも寂聴さんらしい、首の傾げ方、歯を見せた笑顔、眉毛も漫画のように可愛い弧を描いている。にこちゃんマークみたい。素敵な笑顔だ。

 

108個の寂聴さんの言葉が並んでいる。
見開き右に、言葉。
見開き左に、その言葉の所以やら意味やら、解説。

 

まえがきにかえて、「生きたあかしとは」というページで始まる。
2021年5月吉日、とあるから、2021年11月9日、99歳で亡くなる半年前の寂聴さんの言葉だ。

 

人は愛するために生まれてきたのです
九十九歳、数えで百まで生きてきて、さすがに『死』を目の前にして、つくづく思うことは、この一事です。今夜死ぬかもしれない今になって、つくづく思うことは、長く生きてきてそれだけたくさんの人を愛し、愛されたという事実だけです。なかには、辛い愛も、くやしい愛もあった筈なのに、それらは全てかすんで忘れてしまって、熱い甘い愛の思い出だけがみずみずしくよみがえってきます。」

まさに、愛に始まり、愛に終わる、ということ。

 

108個も言葉が並んでいるので、どれも甲乙つけがたいのだが、 3つだけ、覚書。

 

007:人の愛、特に男女の愛は、相手を思っているようでいても、すべて結局は自分本位ですよ。自己愛です。
(2013年7月。比叡山延暦寺小林隆彰大僧正との対談で、「恋人を本当に愛しているならば浮気も許すべき?」という読者からの相談に答えて。)

「男女の恋愛ではよく、『あなたのためなら何もいらない』『あなたのためなら何でも出来る』なんて言いますが、そんなことは絶対にない。人間の愛、特に男女の愛は相手をおもっているようでいても、全て結局は自分本位ですよ。自己愛です。要するに相手には自分の望むようにしてほしいということ。だから男と女の間には本当の愛っていうのはないんですよ。」

自分本位。その通り。

「尽くすのが好き」といかいうのは、尽くしている自分が好きなんだ。相手が思い通りにならなくて、苦しいとか言うけれど、苦しまなくてはいけない相手を選んでいるのは自分なのだ。

だから、苦しかった後、ふと我に返ると、何がよくてこの人だったのか、、、と思ったりするのだ。恋愛だけでなく、仕事もそうかも。。。

 

そして、もう一つ、思わず笑ってしまったのが、

040:本当にやりがいのある仕事をしていたら、亭主なんてめんどくさいよ。四六時中一緒にいてごらんなさい。大変だから。

たしかに、結婚だけでなく、恋愛もそうだ。自分が他のことに夢中になっているときは、恋愛だって面倒くさい・・・・。そして、仕事がひと段落したり、なにかのイベントが終わって暇になったとき、ちょっと思い出して会いたくなったりするのだ。

自分本位以外のなにものでもない。
相手に尽くしているときだって、相手に尽くしている自分に酔っているだけ。

そんなものなのだなぁ、、と思うと、なんでも笑い飛ばせるような気がしてくる。


勇気をもらった一言。
070:悪口を言われたっていいでしょ。人に合わせたところで、その人が税金を払ってくれるわけでもなし(笑)

(2009年3月。「自分の中にどんな才能があるかはやってみなければわからない」と一歩踏み出す勇気を持つことの大切さについて語って。)

「人間は自分で思っているより素晴らしいものです。『どうせ』なんて自分に見切りをつけてはいけません人の目を気にする必要もなし。悪口を言われたっていいでしょ。人に合わせたところで、その人が税金を払ってくれるわけでもなし(笑)。私も優等生の頃は褒められていましたけれど、出奔で道を踏み外してからは、人の目や悪口を気にしたら生きては来られませんでしたね。人は気にせず、自分に見切りをつけず、自分の可能性を押し開く。それが自分の人生を生きるということです。」 

 

そうね、人を気にせず、自分に見切りをつけず、というところが大事。他人からみた優等生の自分に見切りをつけたとしても、自分の可能性に見切りをつけてはいけない。自分の可能性を切り開き、自分の道をすすむのは、自分にしかできないこと。

だれかが、扉を開いてくれたとしても、その先を歩くのは自分。

自分で行動することでしか、先には進めない。

でも、人のいう事を気にしないというのは、けっこう難しい。

多分、誰のいう事も気にしないという事ではなく、自分の人生に影響を与えないような外野のいう事は気にしなければいい、という事なのではないだろうか。

そう、税金を払ってくれるわけでもない人(笑)。

 

人の言葉に耳を傾けたほうがいいこともある。

聞かなくていいこともある。

それを聞き分けるのは、やはり自分の頭で考えるしかない。

自分が心から欲していることって、意外とわからなかったかりする。

だから、「自分探し」なんて言葉があるのだろう。

 

養老孟司さんは、「自分探しなんてやめちまえ」という。

坐禅は、「自分探し」であるという。

megureca.hatenablog.com

 

養老孟司さんは、「本当の自信」を育てろという。

 

本当の自信をもつということが、自分がわかる、ということなのかもしれない。

 

50歳をすぎても、これは自信がある!なんて言えることはあまりない。

でも、これは好き、と言えることは結構ある。

見返りがなくとも、好きなこと。

それも、愛かもしれない。

 

何を愛するかを決めるのも自分。

誰を愛するかを決めるのも自分。

 

自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。

 

 

 

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『愛に始まり愛に終わる 瀬戸内寂聴108の言葉』