ヌマヌマ
はまったら抜け出せない現代ロシア小説 傑作選
沼野充善・沼野恭子 編訳
河出書房新社
2021年10月20日
知人が読んでいてなかなか興味深いと言っていた。気になった。図書館で予約したら、結構な人数の待ちだった。そのうち、2022年1月8日、日経新聞の書評にもでていた。ようやく予約が回ってきたので借りて読んでみた。
『ヌマヌマ』というのは、小説のタイトルではない。本書は、ロシア文学の12の短編が一冊になっているのだが、翻訳しているのは沼野充善さん、沼野恭子さん。二人の名前がタイトルになっている。ヌマヌマのお二人は、40年近くずっと、現代ロシア文学の最先端とともに走ってきた、という。
お二人とも、ロシア文学者。
沼野充善さんは、1954年東京生まれ。名古屋外国語大学副学長・教授。東京大学名誉教授。
沼野恭子さんは、1957年東京生まれ。東京外国語大学教授。ロシア文学・比較文学・翻訳家。
本書におさめられた12編は、禁欲的ロシア古典文学とは、かなり趣が異なる・・・。救いの無さがロシア文学っぽいというか、、、何というか。まさに、ロシア文学の独特のわけのわからなさ、、、というか。ロシア古典を理解しているわけではない私が読んでも、なにか、ロシアっぽさを感じる。。。社会を斜に構えて生きる人々、、とでもいおうか。
爆笑するのではない。
苦笑いというか。。。
最後のあとがきに
「なお、本書は未成年者にお勧めできない作品を含んでいますので、保護者の方はご注意ください。」とある。
まぁ、いわゆる性描写があるってこと。
しかも、ひどい。。。
12作品、どれも、独特の個性。
お二人が実際に作者にあったことがあるのが、9名。うち、7名は、来日した折に講演会やトークショー等のイベントを開催しているという。本書で初紹介の作家が6名。いずれも、その後フォローされることもなく、他の作品が翻訳されることもないまま、、、と。
個性豊かな、12作品。
私には、どれも、、、救いようがない、、、という感じ。
面白いのか、つまらないのか、わからなくなってくる。
でも、一つ一つは短いので、ついつい読み進め、、気が付けば読み終わっていた。
339ページ。単行本。
ロシアに興味がある、大人?なら、楽しめるかもしれない。
あぁ、ロシア人の価値観って、たしかにそんなところあるな、、、みたいなかんじ。
万人にお薦めではない。
物好きにおすすめ???
最初の作品『空のかなたの坊や』(ニーナ・サドゥール)は、息子ユーリィ・ガガーリンの母親の物語。息子を亡くしてから、身を潜めて、薄暗い生活をしている。隣に住むろくでもない男との、しょうもない日常の物語、、、。
どの作品も、しょうもない日常の物語、、という感じなのだが、『空の彼方の坊や』からちょっと引用。
”私の愛する坊やは帰ってきて言った。
「母さん、ほんとだったよ、神様なんてどこにもいない。僕たちが正しかったんだ」。偉業を成し遂げたことを誇りにおもう息子の青い目が笑っていた。なにしろ生命の存在する境界を越えた、世界史上初めての人間なんだもの。息子がどんなふうに姿を消したか、どうして身を滅ぼしたか、誰にも言うまい。ただこう仄めかすだけにしよう。あるとき、酒を飲む癖を自分に叩きこんだブレジネフに我慢できなくなって、ユーラはブレジネフの顔に唾を吐きかけてやった。そしたらそれ以来、杳として行方が知れなくなったのだと。”
ガガーリンは、人類初の宇宙飛行をした。でも、実はその死は、謎と言われている、ある日、忽然と姿を消したかのように言われている。
そんな史実が、さらっと、物語に紛れ込んでいる。
ソ連時代なら、禁書になったかもしれない。。。。
そんな雰囲気の12編が並ぶ。
『ロザンナ』という物語では、主人公が 三角関係の相手を精神分裂症患者(シゾフレニク)として、「シザ」と呼ぶ。そして、最後の注意書きに、
”この作品は、『ロシア文学史上もっとも汚い言葉で書かれた小説』として亡命ロシア文壇を騒然とさせた。”
とか。。
ヒドイ表現は他の作品にも散見される。
”生まれたのは50年ぐらい前でナターシャと名付けられた。そんな名前だったら大きなグレーの瞳に柔らかい唇、やさしい輪郭、楽しげにきらめく髪の持ち主になってもよさそうなものなのに、ゆくりなくもあばただらけのオカメ顔、ナスみいなだんごっ鼻、しょぼくれた胸、自転車みたいにこんもり膨らんだ短いふくらはぎだった”
なんていう、表現だ・・・。
”自分の心の中に、腐りかけたキノコみたいに身をよじらせているどろどろしたゴミ箱があることを、人にも星にも知られたくなかったし、ふつう人が口にしない心の秘密も悟られたくなかった。”
腐りかけたキノコ、、、。
表現力の豊かさというのだろうか。
なんじゃこりゃ、、とおもいながら、読んでしまった。
表紙は、なんとも愛らしい熊とマトリョーシカなのだけど、中身は、まったく子供向きえではない。
勉強になったことを一点。覚書。
ロシアでは、サンタクロースを「マロースおじいさん」と呼ぶ、らしい。
ただ、その表現も、
”生鮮食料品店のショーウィンドーに野獣のような「マロースおじいさん」とひどく頭のいかれた「雪娘」を描いている。”
不思議な?一冊だった。
各短編に、作者が写真付きで紹介されているのだが、こう言っては何だけど、指名手配犯か?という写真だったり、カメラ目線の美しい写真はない。。。
これが、ロシア文学の奥深さか、、と思わずうなってしまう一冊。
救いを求めて、純粋なロシア文学が読みたくなる一冊だった。。。
ドフトエフスキーは、重いけれど、いつかちゃんと読破したい。
『人間の運命』とは、まったく違う印象の一冊だった。
やっぱり、読書は楽しい。