『太陽のない街』 by 徳永直

太陽のない街
徳永直
岩波文庫
1950年8月5日 第1刷発行
2018年7月18日 改版第1刷発行 
*作品は、1928年~1929年にかけて書かれた。

 

プロレタリア文学代表作の一つ。小林多喜二蟹工船と同じ頃に書かれた作品。
先日、日本近代史の勉強をしていた時に、本書が言及されていて、読んだことが無いと思ったので、図書館で借りてみた。

 

感想。
正直、辛い・・・。読んでいて辛くなる。
小林多喜二の『蟹工船もそうだけれど、本当にこういう時代があったのかと思うと、辛くなってくる。人の愚かさに、悲しくなってくる。この延長に、日本赤軍事件、あさま山荘事件があるのだとおもうと、ほんとに、どんより暗くなる・・・。
読むに堪えなくなって、途中からはざ~~~っとななめ読み。

 

岩波文庫の表紙に書かれた紹介文には、
”ここは東京随一の貧民窟。印刷工場の労働者がひしめき暮らす。ある日工場が行った首切りは大争議に発展。「太陽のない街」の住民たちも苛烈な戦いの渦に巻き込まれていく。実際の争議の中心にいた作者が、労働者の言葉を持って読ませることを第一条件として描く、プロレタリア文学の代表的作品。改版”

 

徳永直は、1899~1958年。彼自身が体験した労働争議を題材にした小説。争議の最中に起こる様々な悲劇は、より悲劇的な事件として描かれ、争議の最後は、まだ戦い続けるのだという労働者たちの意思表明のような終わり方。実際には、闘争終結を語る執行部の説明に労働者たちは涙しながら納得する、、という悲劇的な最後だったらしい。
双方、なにも得るものなく、失うだけの闘争、、、、。
それが、労働闘争だった、、、のだろうか。

プロレタリア文学と言われても、令和の今の時代にあってはなんだか想像がつかない世界。

ただ、最初のシーンが、柳美里の『JR上野駅公園口』を思い出させた。

megureca.hatenablog.com

 

物語の最初、摂政宮(昭和天皇東京高等師範学校の高台から、森の蔭になって見えてはいない「太陽のない街」である貧困街を含む景色を目にされ、
「向こうの山と、こちらの山との間に、谷がある訳だが、、、みたいものじゃ」と口にされる。老校長は「以前は、立派な渓谷で川も綺麗でありましたが、今では工場が立って、3,4万の町民が暮らしております」といって、それ以上の興味を持たれないようにする。

天皇と言うのは、底辺の暮らしは目にすることがない。
そういうのは、平成になっても、令和になっても、かわっていないのだ、きっと。


物語は、まさに、労働争議。労働者側、会社側、そこにからむ政治的思惑、共産主義者の思惑。そして、そういう社会で普通に生きていきたい男と女。
物語の中心になっている二人の姉妹は、それぞれ争議活動の中心となっている男と付き合っている。そこに住む人たちみんなが同じ会社の労働者。そういう社会。会社と家庭もあったもんじゃない。生きるために、働き、働くために争う。

男と女なのだから、愛し合いたい。妊娠もする。でも、まっているのはひたすら悲劇。犯罪に手を染めているのに、自分たちの生活のためだと信じて、他者を犠牲にする。。。

何がそんなに人を狂わせるのだろう・・・。

 

ほんとに、暗く、辛い物語だ。
蟹工船』よりも、女性が物語の中心にいることで、まさに市井の人々の生活に影響を与えた労働争議、という感じが、余計に読んでいた辛くなるところのような気がする。

私が1991年に社会人になったときには、すでに労働組合の活動は、たんなるサークル活動のような感じで、特に、労働条件について会社と敵対して交渉する、という雰囲気はなかった。一応定期昇級の交渉などはしていたけれど、組合員が一致団結して何かする、ということは皆無で、なんか、一部の組合の幹部が頑張ってくれているから、まかせておこう、、と言う雰囲気だった。

本書が書かれたころは、治安維持法ができて、不本意に取り締まられるケースがあった時代。主人公たちも、度々、警察とも衝突している。

誰が悪いのか。
財閥の資本家が、労働者を搾取しようとするのが悪いのか。
だまし合い。
裏切り。

 

なんとも、、、後味の悪い一冊だった。
作者は、最後の労働者たちの抵抗継続にロマンをかけたのだろう、、、と、解説で鎌田彗が書いている。

 

事実とは異なる結末。
けど、私には何のロマンも感じられない。

ひとは、どこまで愚かなのか、、、。
そんなことを、考えさせられる、一冊だった。

蟹工船』に比べると、だいぶ長い作品。それだけに、疲れもひとしお?!?!

 

でも、これが日本で実際に起きていたことの描写なのだろう。

目を背けずに、読まなきゃいけない本の一冊なのかな、と言う気もする。

あまり、救いのない本だけれど、時代を知るという意味で読むべき一冊、という感じ。

 

救いがあるとすれば、このような労働争議は、現代においては、ほぼなくなった、ということかもしれない。

その代わりに、ブラック企業が台頭している?!

 

何時の時代も、どんな会社も、雇用主と被雇用者との間で建設的対話が行われなければ、待っているのは双方にとっての悲劇。

悲劇を繰り返さないためには何をするべきなのか。

資本主義とは、何なのか。

そんなことに思いがめぐる一冊だった。

 

ま、読んでみてよかった。

プロレタリア文学

渋いな。。。