『50代からの人生戦略 今ある武器をどう生かすか』  by 佐藤優

50代からの人生戦略 今ある武器をどう生かすか 
佐藤優
青春出版社
2020年1月15日 第一刷

 

図書館の棚で見つけたので借りてみた。
「50代」からどうのという本は世の中にもたくさんあるけれど、佐藤さんの本なので手に取った。50代からの戦略なので、本当は50代じゃなくて40代で読むといいんだろうな、って気がした。
佐藤さんは1960年生まれだから、これを書いた時はもうすぐ還暦を迎えるという時。同級生たちは、まさに2019年に定年を迎えていた。一方で、佐藤さんは2002年に鈴木宗男事件にまきこまれて背任容疑で逮捕され、2009年6月30日に最高裁判所で有罪が確定した。執行猶予がついたので刑務所で服役することにはならなかったけれど、2002年5月14日から512日間東京拘置所の独房に拘留された。そして執行猶予期間が満了した2013年、自動的に国家公務員の身分を失った。そんなことがあったために、定年を待たずして執筆家という道に進んだわけだ。

 

目次
第1章 50代からの「残り時間」
第2章 50代からの「働き方」
第3章 50代からの「職場の人間関係」
第4章 50代からの「お金」
第5章 50代からの「家族関係」
第6章 50代からの「自分磨き」

 

私は、もう脱サラしてしまったので「職場」らしきものはないし、「お金」もそんなに困っていないし、「家族関係」といっても子供も配偶者もいないので気楽なもんだ。

気になるのは、やっぱり「残り時間」と「自分磨き」というところだろうか。

私は自分では人生150年時代、と言っているのだが、100歳までは現役で働いていたいという意味で言っている。別に、長生きしたいというのではなく、やりたいことをやるにはまだ50年以上の時間が必要だと思っているってこと。
実際、50代になって、残り時間は、多少意識するようになった。現在、53歳。55歳までには、稼ぎの軸を作りたいなぁ、、と。お金の問題ではなく生きている目的の問題として。

「50代」へのキーワードは、やはり「定年」だろう。多くのサラリーマンは60歳前後で定年を迎える。人生100年時代と言われるのだから、まだまだお金が必要だというのに。定年以降を、ストック(貯蓄)で生きていくのか、フロー(収入)で生きていくのか、それは大きな問題だ。

私はストックで生きていくのは嫌だと思っていたので、50代でサラリーマンを辞めた。30代に課長になった時から、55歳ぐらいでやめようと思っていたのだが、期せずして51歳を迎えた翌年に脱サラすることになった。

佐藤さんは、50代で安易に脱サラを考えるな、と言っている。周りに迷惑にならないように会社にしがみつくのも一つの生き方だと。そして、そうしている間に、ゆっくり定年以降を考えておけ、と。


いやいや、もう、私、やめちゃったし!
ま、お金に困っていないからよいのだ。
佐藤さんは、お金が必要なら、サラリーマンにしがみつくのだって、賢い選択の一つだ、と。正し、周囲の迷惑人物になってはいけない、と。

 

「50代からは存在自体がパワハラという言葉には笑った。


ちょっとわかる気がする。どれだけ若手から慕われていようと、やっぱり20代、30代からすれば世代の違いによる価値観の違いがあるだろう。つい、「私が新人の頃は、女の子がお茶を入れるのが当たり前だった」なんて口走れば、それを推奨しているつもりではなくても、そのように取られかねない。昔の話はしないに限る。たとえ成功話でも、失敗話でも。

それを踏まえて、これ以上の出世が見込めないなら、周りに迷惑をかけない存在でいればいい、と。起業して成功するなんて、ほんの一握りのひとなんだから、と。
まぁ、もともこもないこといいなさる。
でも、事実だろう。

 

本書の最初に、50代がまずやるべきことは、
今後するべきこと、今後したいこと、を書き出して整理すること、とある。

5つずつ、書き出してみろ、というのだが、私の場合「今後したいこと」はいくらでもかけるのだけれど、「今後するべきこと」というのが、見当たらない。

はて?
子供もいない、配偶者もいない私が「今後するべきこと」ってなんだ??
と考えてしまった。

ま、少なくとも両親が健在の間は、「両親より長生きする事」だ。
けど、それって、「今後したいこと」でもある。
あまり、「するべきこと」と思っていることがないってことか???

いや、もしかすると、「したいこと」を「するべきこと」と思えるかどうかの問題かもしれない。

たしかに、「三味線のお稽古」はしたいことだけれど、きっと「するべきこと」ではない。
英語の勉強は、「したいこと」でもあり、英語を誰かの役にたてるというのは「するべきこと」のような気がする。。。

 

「お金」の話では、なんだかんだいっても健康でいるのが一番お金の問題に煩わされずにすむ、と。ほんとに、大いに同意。病気になれば治療費がかかることに加えて、就業できないという事態に直面するかもしれない。少なくとも、調子が悪いと生産性は落ちるだろう。
腰が痛い、、、肩がこる、、、ということだって、生産性低下に繋がる。そもそも、辛いからいやだ。
お金と健康は、切っても切り離せないのだ。
心身の健康、大事、大事。


最後の「自分磨き」の章が、一番面白かった。
・教養は単なる知識ではない。
・相手の立場に立って考える。
・自分の中の悪を認める。
・学び直しには、高校の教科書が一番。
・見た目より頭のアンチエイジングが大事。
などなど。

 

50代の自分磨きって、若いころのそれとは明らかに違うような気がする。
若いころの自分磨きは、自分の中のを育てて、将来それが職になって世のため人のためになる、っとことが大きい気がするけれど、50代の自分磨きは、それが直接稼ぎになるということより、自分の軸をしっかりさせるための補強、、、って感じ。

50年も生きていれば、それなりの幹はあって、それをさらに補強するための付帯事項?みたいな。

 

佐藤さんは、50代で目的のない語学はやめた方がいいと言っている。よく、英語は必須だとも言っているのだけれど、たしかに、50歳を過ぎて目的もなく語学をやっても、、、時間つぶしにはなるかもしれないけれど、使う機会もないなら、日本語磨きをして、後進に何かを伝えるスキルを磨いた方がいいかもしれない。


日本語ってあえて勉強しないけれど、さまざまな文章を読むことで、さまざまな表現方法をインプットすることができる。TVから流れる壊れたような日本語のインプットではなく、ちゃんとした?日本語に触れる機会を増やすのも、日本語のブラシュアップかもしれない。

英語の先生も、よく、「語彙が乏しくなると、ボケる。」と言っている。

一応、私は目的をもって英語を勉強しているのだ、いいことにしよう。一応、英語もゼロから勉強しているのではないし。今ある武器のひとつでもある。

 

最後の方で、佐藤さんが拘置所にいたときに同志社大学神学部の恩師から直筆の文字で書いて送ってもらい、救われた、という旧約聖書の「コヘレトの言葉」が紹介されている。

 

『何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬとき
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、繕う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。
人が苦労してみたところで何になろう。
私は、神が人の子らにお与えになった勤めを見極めた。神は全てを時宜にかなうように創り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」
(コヘレトの言葉 3章1節~11節)
 

聖書は、ちゃんと理解しているわけではないので、最後の文はよくわからないけれど、

何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
というのは、そうだよね、って思う。

50代には、50代なりのスタートがある。
きっと、どの年齢でもそうだし、人によってはタイミングは40代できたり、50代できたりいろいろ。
それで、いいんだと思う。

年を取るほど、”今ある武器”は増えているはず。だから、それらを繋げて活かすタイミングは年をとってからやってくる。きっとそうなんだ、という気がする。

まさに、見た目のアンチエイジングより、脳と体内のアンチエイジング

たっぷり動いて、たっぷり食べて、たっぷり寝る。

その合間に、学ぶ、遊ぶ、奉仕する。

その時間がある脱サラ生活は、幸せだ。

 

サラーーっと読める一冊だった。

私の”今ある武器”は何なのか、今の勉強は続けつつも、もうちょっと考えてみようと思う。

まだまだ、人生長い。

とはいえ、残り時間を考える。

そういう、時も人生ではくるのだ。

何事にも時がある。

 

「焦るな、あきらめるな、人と比べるな。」

これは、私が単身で海外赴任していた時に、元上司が送ってくれた言葉。

20年近くたった今でも、大事にしている。

 

焦るな。

でも、残り時間も考えよう。

 

『50代からの人生戦略 今ある武器をどう生かすか』