『草枕』 by  夏目漱石

草枕
夏目漱石
新潮文庫
昭和25年11月25日 発行
平成17年9月20日 129刷改版
平成28年10月5日 151刷

 

先日、『生成と消滅の精神史』を読んでいて、夏目漱石が気になった。『草枕』も記憶になかったので読もうかなぁ、と思っていたところ、図書館で文庫本の棚で目についたので借りてみた。

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薄い文庫本。本文は、178ページ。あっという間に読めるか、、、と思いきや、そうはいかなかった。文体が少し古いのと、出てくる言葉が難しくて、いちいち注解を確認しながらでないと、解読できない。これは、もう、気合をいれて精読だ!とおもって、じっくり読んだ。

 

裏表紙の紹介文には、
智に働けば角が立つ 、情に棹させば流される。
 住みにくい人の世を芸術の力で打破できるかと思案する青年画家。
 あるとき、温泉街の出戻り娘・那美に惹かれ、絵を描きたいと思うが 何か物足りない。やがて彼が見つけた 「何か」とは—。
豊かな語彙と達意の文章で芸術美の尊さを描く漱石初期の代表作。”
とある。

そう。そうだった、『草枕』だった。
かの有名は、
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
の冒頭。

こうして読んでみると、はたして、私は一度も草枕を読んだことがなかったと思われる。。
と、『草枕』を読んだあとだと、私自身の文章まで文語調になってしまったりして・・・。

 

草枕』は、1906年明治39年)に『新小説』に発表された。夏目漱石が、1867年生まれだから、40歳を前にした時の作品。「那古井温泉」(架空の場所。熊本県玉名市小天温泉がモデル)を舞台に、30歳の洋画家の男が、あれこれと、ぐずぐず、ブツブツ、世の中に物申す、、、って感じ。漱石の最初の作品『吾輩は猫である』が1905年なので、まさに初期の作品。

 

感想。うわ。なんだこれは。。。小説?エッセイ?漱石の愚痴を画家に代弁させている?


文章が固い。でもなんか、リズムがいい。難しい言葉もでてくるので、日本語であっても注解をみないと意味がわからない。故事からの引用や、儒学、仏教にまつわる言葉、あるいは日本語であっても今日ではあまり使われない熟語とか。

知らず知らずに、思わず音読したくなるような、リズムがある。精読すると決めたからには、実際に声をだして読んでみたりもした。朗読するつもりで読んでみたり。。。これは、現代の口語版で朗読したら、楽しかろう、、、と思った。

でも、ほぼ、半分くらいは小説というよりは、青年が温泉宿を目指して山道を歩きながら、世の中に対してあーでもない、こーでもない、といっているエッセイの様でもある。ようやく目当ての温泉宿に到着して、那美が登場すると、少し、小説っぽくなる。

何とも、不思議な小説だった。

 

なるほど、夏目漱石の複雑でいて整理された頭の中を垣間見た様な感じ。これだけ、あれこれと考えていたら、そりゃ、精神症にもなるわなぁ、、という気もする。でも、ずっと何か気がかりなことがあって、頭の中のおしゃべりが止まらない感じは、共感してしまう。あれもこれも、あっちもこっちも、考えが跳びまくるのだけれど、つながってはいる。で、アウトプットしないと頭の中がパンパンになってしまうので、夏目漱石は文学にすることで自分の頭の中を整理したのではないだろうか。でも、この小説をよんで、この画家青年の思いが、漱石の思いを代弁しているのだとすると、漱石は、小説というアウトプットだけでなく、絵にしたり、歌にしたりもしたかったのではないだろうか?という気がしてくる。

はて、漱石は絵をかくのか???

 

小説の中で主人公は、ミレーのオフィーリアの絵を何度も回想する。ハムレットのヒロイン、悲しみのあまりに狂ったオフィーリアは、川で溺死してしまう。花に囲まれて亡くなったオフェーリアが川に流されていく様子を描いたのが、ミレーの「オフィーリア」。

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主人公は、温泉宿の女、那美に、自分を描いてくれと言われた後に散歩しながら、ミレーの絵のオフィーリアが那美に入れ替わった絵を想像する。でも、なにか違うと思って、ずっと絵を描けずにいるのだ。

青年は、那美に会う前から、山道を歩きながら、
「ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を持って、一つ風流な土左衛門をかいてみたい。」とつぶやいている。


描きたいけど、描けない。書きたいけど、書けない。何かが、足りていないような焦燥感。世の中に対する諦めがありながらも、諦められないから焦燥感を持ち続けている青年。それは、若いころの漱石自身なのかもしれない。それでいて、非人情だと。強がってみる若者。。。。

 

最後に青年がみつけた、那美を描くのに足りなかった何かは、「憐み」の表情だと思い至る。世の中に対する、憐み。結局、自分のなかにあったのもそんなものだったのかもしれない、という思いを表現したかったのだろうか。

 

まぁ、楽しい小説でもないし、悲しい小説でもないし、それでいて、描く景色は美しい。なるほど、他に類をみない名作なんだな、と思う。淡々としていて、まぁ、人の世がどんなにせわしなかろうと、山や自然は、いつでも人を包んでくれる。。。。そんな、淡々とした想いがしてくる。

 

美しい景色といえば、途中、「あ、草枕だったんだ!」という文章が出てくる。羊羹をベタホメする場面。温泉宿で、女がお茶と一緒にだしてくれたのだ。その女こそ、後に、出戻りの那美であることがわかるのだが、謎めいた女が美味しそうな羊羹を出してくれた時のくだいり。

あの肌が滑らかに、あの緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青みを帯びた練上げ方は、玉と蠟石の雑種のようで、甚だ見て心地がいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い練羊羹は、青磁の中から生まれたようにツヤツヤして、思わず手を出して、撫でてみたくなる。

 

なんかで、読んだぞ?!と思ったら、長谷川櫂の『和の思想 日本人の創造力』だった。

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笑えるほどに、羊羹が美しく見える。思わず、羊羹がたべたくなる。しかも、つややかな羊羹が。

 

また、椿の花を表現する場面。主人公は椿の花は毒々しい赤で、目にしてしまった事で心がささくれる。椿の花が、花びらがちるのではなく、ボトリと花全体が池の水に沈んでいくのをみて、つぶやいている。


「余は、ええ、見なければよかったと思った。あの花の色は唯の赤ではない。目を醒ます程の派手やかさの奥に、言うに言われぬ沈んだ調子を持っている。(中略) 椿の沈んでいるのはまったく違う。黒ずんだ、毒気のある、恐ろしい味を帯びた調子である。(中略)屠られた囚人の血が、自らの人の眼を惹いて、自らの人の心を不快にする如く一種異様な赤である」

ここで、はたと気づくのは、漱石が「赤」に執着していたということ。
『それから』の最後も、「赤、赤、赤」

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なるほど、、、、。 

 

赤が出てきたと思ったら、本当にどうしようもなくくだらない会話がでてくる。ちょっと、坊ちゃんの系統に近い感じ。

青年と那美が、互いを知り合うための会話の名で、

「東京に永く居ると屁の勘定をされますよ」と、おならについて、どこまでもくだらなく、淡々と会話を繰り返す。

あまりのくだらなさに、このくだりは、ぷっと笑ってしまう。

 

ほんとうに、夏目漱石って不思議な人だ。ものすごく物知りでもあったのだろう。日本言の勉強にもなる。

太公望」って、釣り好きの人のことをいうことがあるけれど、単に街中で見かけた釣り人の事を釣りをしているとは言わず、「太公望の前を通る」とだけ表現している。

今回、注解をみて、初めてその出典が『史記』であることを知った。

 

注解には、次のように記されていた。

太公望(たいこうぼう):周の文王の師で、武王を助けて周を建国した功臣呂尚(りょしょう)の号。渭水(いすい:川の名前)で釣りをしているときに文王に見いだされたことから、釣りを好む人のことをいう。出典は、『史記』。

 

一つ一つの言葉の意味や、背景をしらないと、全てを楽しみつくすことは難しいと思う漱石文学。海外の文学からの引用もたくさんある。さすが、英語達者な漱石

 

夏目漱石、まだまだ読んだことのない作品がある。

やっぱり、読まなきゃなぁ。読みたいなぁ、と思った。

 

さて、自分はどうこの世を生きるのか。

智に働く?

情に掉さす?

意地を通す?

 

とかく人の世は住みにくくとも、青年は、この世を悟っていくのだ。

 

薄いけれど、読み応えのある一冊。小説と思わず、漱石の呟きと思って読むといいかも。小説というほど劇的展開があるわけではない。淡々と、それでいて、登場人物は正直にまじめに生きている人たち。

だから、魅力なんだろう。

正直は、魅力である。

たとえ、馬鹿正直と言われたって。

 

読書は楽しい。