『訂正する力』 by 東浩紀

『訂正する力』
東浩紀
朝日新書
2023年10月30日 第一刷発行

 

新聞広告でみかけて、気になった。図書館の予約はすごい人数になっていたので、買ってみた。

 

表紙の帯には、ヨシタケシンスケさんのイラストが!!これは、貴重だ。私の大好きな絵本作家のヨシタケシンスケさん。かれも、本書の内容に共感したということなのだろう。

 

そして、さらには
”哲学の魅力を支える 「時事」「理論」「実存」の3つの視点から、
現代日本では「誤る」こと、 「訂正」することの意味を問い、
この国の自画像をアップデートする。
人は間誤ったことを
訂正しながら生きていく

デビュー30周年を飾る集大成。『訂正可能性の哲学』を実践する決定版!”
とある。

 

裏には、
日本には、まさにこの変化=訂正を嫌う 文化があります。 政治家は謝りません。 官僚も間違いを認めません。 いちど決めた計画は変更しません。(・・・) 特にネットではこの傾向が顕著です。かつての自分との意見とわずかでも異なる意見を述べると、「以前の発言と矛盾する」と指摘され、集中砲火を浴びて炎上する。 そういう事件が日常的に起きています。(・・・) そのような状況を根底から変える必要があります。 そのための第一歩として必要なのが、まちがいを認めて改めるという「訂正する力」を取り戻すことです。  (「はじめに」より)”とある。

 

表紙の裏には、
”保守とリベラルの対話、成熟した国のあり方や
老いの肯定、さらにはビジネスにおける組織論
 日本の思想や歴史理解にも役立つ、隠れた力を解き明かす。

それは過去との一貫性を主張しながら、実際には過去の解釈を変え、 現実に合わせて変化する力ーーー過去と現在をつなげる力です
持続する力であり、 聞く力であり、 記憶する力であり、
 読み替える力であり、「正しさ」を変えていく力でもあります。
 そして、 分断と AI の時代にこそ、 人が 固有の「生」を
肯定的に生きるために必要な力でもあるのです。”

と。

 

著者の東さんは、1971年生まれ。批評家。東京大学大学院博士課程修了。株式会社ゲンロン創業者。わたしは、彼の『ゲンロン戦記』をよんで、彼への認識を改め、『日本の歪み』をよんで、さらに彼のことを見直した。なんとなく、知りもしないのに、外見のとっつきにくさから毛嫌いしていたのだけれど、(東さんごめんなさい、めっちゃルッキズム)、言っていることはかなり正しい。正しすぎて、既得権益をもった層からは、嫌われちゃうんだろう。今回も、厳しいけど、正しいこと言ってるよな、っていう点がいくつかあった。すべてに共感するわけではないけれど、「訂正する」力を取り戻すべきって、とても共感する。

megureca.hatenablog.com

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目次
第1章  なぜ 「訂正する力」は必要か
第2章 「じつは・・・・・・だった」のダイナミズム
第3章  親密な公共圏を作る
第4章  「喧騒のある国」を取り戻す

 

感想。
うん、そうだね、って思う。
修正ではない。訂正。


帯や表紙裏に描かれていることが、本書の内容を十分に表現していて、本当に、まさに、、、って感じ。

 

正しいことほど、言い方に気をつけないと反感をかうのが人間社会というもの。しかも、正しいとはいうものの、絶対の真理なんて、、、ない。あるとすれば、生まれた人間は必ず死ぬということくらいか。。。そんな中で、ここまで「正論」っぽいことを言っていて、ちょっと嫌な感じがしそうなものだけれど、私自身の東さんへの印象が最近変わったことで、どちらかというと好感をもって読めたし、その発見が楽しい一冊だった。

 

「じつは・・・・・だった」というように訂正することは、日常生活でだれもがやっている。そして、その「じつは、、、」の発見があるから、人間は過去の経験を見直して新たな行動を起こすことができる。かつ、過去の経験の意味づけをがらりと変えてしまうことがあるのだという。

たとえば、結婚詐欺。これまで優しい恋人だと思っていた人が、ある日突然詐欺であることが分かったとき、過去の美しい想いではすべて最悪の過去となる。これは、AIには起こらない、過去評価の転換!

 

なるほど、人間とAIの大きな違い。逆に、あることをきっかけに、悪いイメージであった人が、素晴らしい人だったとわかったとき、過去の思い込みは書き直される。
最近の私の東さんへの印象が、まさに、悪→良への転換。


無意識に行動していることに「あれ?」と違和感を感じた時、人は初めて行動を見直す。人の行動に対しても、しかり。ガーシー元元議員や、安倍首相銃殺犯人の山上被告についての言及があり、そんな人間がでてくることは想定していなかった。だから、議会参加ルールを見直すということにつながったり、統一教会と政治家の関係みなおしにつながる。
実は、ルールがわるかった、ということならば、ルールを見直す、ということにつながる。

訂正は、必要なのだ。AIにはできないけれど、人間にはできる!

 

”前にいっていたのとちがうじゃないか!”と、やたらと責める今のネット社会にも警笛をならしている。前言撤回すると、責められる。そんな世界では建設的な対話が成立するわけがない。

「じつは、・・・・だった」と、訂正することが受け入れられる社会には必要だ。 

うん、本当にそうだね、って共感した。

 

話題は、サブカルチャーの話から、ウィトゲンシュタインの話まで、多岐にわたる。東さん自身が哲学家って感じは私にはまだあんまりしないのだけれど、哲学を勉強してきたひとなんだな、って感じはすごくする。

 

最後の方で、ルソー『社会契約論』をかきつつ『新エロイーズ』という恋愛小説を書いていることに言及し、ルソーも「自然に生きろ」といいつつ、そうはいかない世界も描いて見せた、大きな矛盾を抱えた思想家だったのだ、という話がでてくる。社会契約が大切だといいながら、自然でいたほうがいい、でもそれもできない。。。ルソーは、「訂正する力のひと」だったのではないかと。晩年の『告白』という自伝については、自分の人生のすべてを読者の目にさらし、、後世の文学者に大きな影響をあたえた。

 

ルソー、真面目に読んだことが無いけれど、いつか、、、、もう少し自分の頭の中の整理ができた時によんでみようかな・・・。

 

最後は、では日本はこれからどうするべきか?という話となる。

社会が、「友」と「敵」の分断に支配されないことが重要。そして、日本は古来、いろいろなひとが政治的な立場とは関係なく結び付き、色々なことを語りあう喧騒を重んじる文化的な伝統があったはず。だから、その伝統を活かし、

”「平和主義」を世界に発信していくこと。訂正する力を取り戻すこと。平和を再定義すること。それが、日本復活の道となります”、と。

 

昨今の自民党の政治資金キックバックの話も、あきれ返ってしまう話ではあるけれど、ただ凶弾したところで政治がボロボロになるだけ。そういうことが起きない社会にすべき、「訂正する力」が必要なのだろう。

 

毎日朝令暮改では困るけれど、やはり、違ったと思ったときには、訂正してやり直す勇気は大切だ。いうことがコロコロ変わる人も付き合いづらいけれど、頑固過ぎてもつらい。

 

「しなやかに生きる」って、「訂正する力」を正しく発揮するってことかもしれない。

 

しなやかに生きよう。

 

うん、読書は楽しい。