『まいまいつぶろ』 by 村木嵐

『まいまいつぶろ』
村木嵐  
幻冬舎
2023年5月25日 第1刷発行
2023年12月15日 第12刷発行

 

新聞の広告でみかけて、気になった。図書館で予約しようかと思ったら、ものすごい数の予約者だったので本屋で購入。

帯には、
第9代将軍徳川家重を描く落涙必至の傑作歴史小説
第170回 直木賞候補作
第12回 日本歴史時代作家協会賞 作品賞受賞
第13回 本屋が選ぶ時代小説大賞 受賞

口がまわらず、
誰にも言葉が届かない。
歩いた後には
尿を引きずった跡が残るため、
まいまいつぶろ(カタツムリ)と呼ばれた君主がいた。
常にそばに控えるのは、 ただ一人 彼の言葉を解する何の後ろ盾もない小姓・兵庫。
だが、兵庫の口を経て 伝わる声は本当に主のものなのか。
将軍の座は 優秀な弟が継ぐべきではないか。
疑念を抱く老中らの企みが2人を襲う。
麻痺を抱え廃嫡を噂されていた若君は、いかにして将軍になったのか。”

とある。

 

第九代将軍徳川家重については、『将軍の世紀』を読んだ時に、私ははじめて半身不随だったことを知った。

megureca.hatenablog.com

 

名将軍と言われた8代吉宗の長男であり、本来ならそのまま嫡男として九代将軍となるはずが、身体に不自由があって、周囲からはこれでは無理だと思われていた。それでも、将軍となった歴史には、どういう背景があったのか、、、。本書が語ってくれている。

本書を読んでから、どれくらいが史実なのか、、とおもって、歴史をしらべてみた。おそらく、登場人物や主な出来事は史実に基づいてプロットされているようだ。

 

著者の村木嵐さんは、1967年、京都市生まれ。 京都大学法学部卒業。 会社勤務を経て、95年より 司馬遼太郎家の家事手伝いとなり、後に司馬夫人である福田みどり氏の個人秘書を務める。2010年『マルガリータ』で第17回松本清張賞 受賞。
え?家事手伝い?と思って、ネットで確認したら、村木さんは女性なのね。司馬遼太郎歴史観を横で学び取った女性って感じだろうか。作品には、時代の流れの力強さと、やわらかさがある感じ。とても、読みやすく時代を語ってくれている、まさに、「時代小説」。

史実に基づきつつも、あくまでも時代小説で、フィクションな部分もあるってところが、司馬遼太郎仕込み?!って、知ってみれば思わなくもない。家重を美化して書いてあるところもあるのかもしれない。

 

家重は、評判が悪かったという歴史の見方もあるけれど、吉宗亡きあと、田沼意次の力をえながら、財政難や飢饉を乗り越えた将軍ともいえる。田沼政治そのものが、かつては「賄賂政治」と言われていたけれど、最近では重商主義をおしすすめた大きな成果もあったことが見直されている。本作を読んでいると、家重を応援せずにはいられなくなる。周囲の心無い悪口にも耐え、身体の不自由にも耐え、、、将軍として何をすべきかを考え続けた。

顔面にも麻痺があって、歪んでいるところはあったけれど、かなりの美男子だったらしい。
いやぁ、こんな徳川将軍がいたとは、、、教科書だけでは触れられない一幕。
本当に、、、、心動かされる1冊。

 

目次
第1章 登城
第2章 西之丸 
第3章 隅田川 
第4章 大奥 
第5章 本丸
第6章 美濃 
第7章 大手橋
第8章 岩槻

 

感想。
いやぁ、、、一気読み。
読んでよかった。。。

 

本当に、涙無くしては読めない・・・。身体に障害があり、思うように発話もできなかった家重が、どれほど辛く、悔しい想いを抱えながら生きていたのか。今の医学で言えば、脳性麻痺のひとつであったといわれている。頭脳明晰、心根もやさしいのに、言葉をうまく発せられない、身体が思うように動かないから筆談もできない、、、そんな状況にいじけることもなく、頑張る姿、それを支える人々、あるいは、障害のある人間に将軍など務まるはずがないと廃嫡を推す老中。

 

父の吉宗でさえ、長子の家重(幼名・長福丸)ではなく、4つ年下の二男の宗武(むねたけ)に継承させることを考えた。老中・松平乗邑(のりさと)は、宗武を推し、吉宗が将軍を家重に継ぐことを決心し発表した場では、唯一人、反対までした。それを押しとどめたのは、家重の息子、まだ幼い家治だった。

 

以下ネタバレあり。

 

長福丸は、生まれもった障碍のために、誰にも言葉を理解してもらえずにいた。それが長福丸14歳のある時、客人の付き人として登城してきた少年が長福丸の言葉を理解し、会話をするという事件が起こる。兵庫というその少年は、大岡忠相(ただすけ、大岡越前)ゆかりの小倅であったが、家柄はとても将軍家と直接口をきけるような身分ではなかった。

しかし、兵庫は、長福丸の小姓としてつかえることとなる。兵庫が長福丸の言葉を理解できたことで、長福丸のしずみがちな性質も一変し、人と対話することができるようになる。兵庫が、後の大岡忠光(ただみつ)。生涯、家重を支え続けることとなる。兵庫が長福丸の小姓として仕えることは、「側用人の復活」と取られるむきもあり、老中の中には「兵庫が、本当に長福丸の言葉を語っているかはわからない。悪だくみがかくれているにちがいない」という者もあった。けれど兵庫は、忠相にいわれた「長福丸の口となっても、目や耳となってはならぬ」を守り通したことで、理解者が増えていく。

 

口となる、というのは、家重が発した言葉を、そのまま声にするということ。一方で、目や耳になってはいけないというのは、城内でいかなる家重の悪口を聞こうが、礼を失した行動を目にしようが、それを家重につたえることはまかりならない、ということ。そういう行動を取れば、裏では「家重を操っている」といわれかねないからだった。

 

本作は、それを忠実に守り続けた兵庫、大岡忠光の一生の物語でもある。数々の侮辱、非礼、、、家重に代わって物申したくなったとしても、忠光はただ家重の言葉を待った。そんな二人の相互信頼は、本当に心にじ~~~~~~~ん、とくる。

 

将軍継嗣となるからには、家重にも男の子ができなくては困る。伏見宮家の比宮(なみのみや)が嫁ぐこととなる。そして、女房として江戸に同行したのが幸(こう)だった。幸と比宮は同じ乳母で育った間で、幼き頃からの心を許す姉妹のようにしてそだっていた。そして、運命のいたずらか、、、、幸が、のちの家治の母となる。

 

家重に嫁いだ比宮は、最初は、おしっこは漏らすし、話す言葉も理解できない夫に驚き、悲嘆にくれる。でも、比宮は、これが自分の運命ならばと、家重と心を通わせる努力をすることを誓い、二人は仲睦まじい夫婦となり、子どもも授かる。だが、その子どもは死産となってしまう。また、産後まもなく比宮も亡くなってしまう。

比宮は、「生まれてくる子が口がきけないならば、生まれてきてくれるな」と願ってしまったのだと幸にうちあける。そして、「私はもうながくない。幸が私の代わりに家重の男の子をうんで、立派な将軍にしてくれ」と言い残して亡くなる。

幸は、忠光に比宮の遺言を伝え、自分に家重の子をうませてくれと頼む。それが叶うのだ。そして、家治がうまれる。家治は、すくすくと育ち、みなが恐れていた「口がきけない子」となることもなく、聡明な少年となる。ただ、家重は、幸に対して、比宮に見せた様な愛情を表すことはなく、家治が生まれたのちは、幸のもとに通うことはなかった。

 

吉宗は、孫の家治を大事に育てる。そして、家重を次期将軍とすることを発表する。その際、家重には将軍職は務まらないと言って反対したのが、松平乗邑。宗武とつるんで、家重と忠光を貶めようとする。忠光が政を我が物にするために家重に取り込んでいると言って、家重を将軍にするのであれば、忠光を遠ざけなければ認められない、といいはる。忠光を悪人に仕立てようとする。それをきいた家重は、何かをくちにするが、いつものように忠光は家重の口となろうとしない・・・。

「忠光を遠ざける、くらいないら、私は将軍を・・・・」でとまると、忠光はただ突っ伏したまま激しく頭を振る。

「忠光が言わぬならば、私が言おう」と口を開いたのは、家治だった。

そして、
「忠光を遠ざけよう、権臣にするくらいなら。私は将軍ゆえ、」と。

権臣(けんしん)とは、権力をもった家臣のこと。忠光は、権力など持とうとしていないし、家重は権臣を必要とするほど、自分はアホではないと啖呵をきった、と、家治は言ったのだ。


本当は、忠光を遠ざけるなら自分は将軍を辞するといったのだろうが、息子がさらに気をまわして父に啖呵をきらせた、ということだと思われる。


そして、乗邑と宗武は、過去に重ねてきた数々の家重や忠光に対する非礼が露呈し、失脚する。家重は、無事に第九代将軍となる。

 

それからのお話は、実際に史実としてあった、「郡上一揆美濃国郡上藩でおきた農民一揆)に対する采配、宝暦治水事件(幕府の命で「薩摩藩」が木曽川長良川揖斐川氾濫の治水工事を行ったが、工事の難航、藩同士の対立で多くの死者が出た事件)を当事者の立場にたって指南した件など、家重の活躍が語られる。そのそばには、何時も忠光がいた。

 

吉宗は、忠光がどれほど家重を支えてくれていたかを理解していた。そして、自分の育てた隠密を、家重と忠光とに引き継ぐ。万里というその隠密は、忠光が心から家重の支えとなり、目や耳にならない苦しみも自分で抱え、家重の為だけに生きていることを、長福丸と兵庫の時代から吉宗につたえていたのだった。

 

1760年、忠光が52歳で他界。家重は忠光が床についた時点で、家治に将軍職を譲ることを決意。そして、1761年、忠光を追うように家重も亡くなる。

 

最後は、それから15年後の二人の息子、大岡忠喜と徳川家治が、互いに自分の父親のことを語り合う。幸が家治を生んだ年、忠光にも男の子が生まれていた。同い年の二人が、父親たちの親交と同じように、語り合う場面で終わる。
家治が、「さすがは忠光の子だ」と忠喜に笑いかける場面で、おしまい。


およそ50年にわたる歴史の一幕。

これは、本屋大賞になるわ。

面白かった。

 

教科書にならないひとり一人にも、いろんなストーリーがあるのだよなぁ、とつくづく思う。脳性麻痺を抱えながら、15年に渡って将軍職を務めた家重。それを支えた忠光。

何が何でも、と男の子を生んだ幸。政治をささえた意次。

 

読み応えがありつつも、物語として楽しく、あっという間に読める一冊。江戸時代、徳川将軍時代に興味があるならば、貴重な一冊だと思う。

 

読書は、楽しい。