日本インテリジェンス史
旧日本軍から公安、内調査、 NSC まで
小谷賢
中公新書
2022年8月25日 発行
2022年11月12日の日経新聞の書評に載っていた。興味はあるけれど、インテリジェンスはよくわからない、、、。買うほどの興味ではないから、図書館で予約していた。ようやく順番が回ってきたので、借りて読んでみた。
著者の小谷さんは、1973年京都生まれ。立命館大学卒業。ロンドン大学キングス・カレッジ大学院修士課程修了。京都大学大学院修士課程修了。博士(人間・環境学)。英国国立統合軍防衛安保問題研究所客員研究員。防衛省防衛研究所研究センター主任研究官。防衛大学兼任講師などを経て2016年より日本大学危機管理学部教授、だそうだ。2020年に、リチャード・サミュエルズ著『特務』(日経新聞出版)を翻訳したのも小谷さんとのこと。
新書なので、コンパクトにまとまっているけれど、内容はかなり充実している。専門知識と、それをまとめる能力のすごい人だなぁ、という印象。他にもインテリジェンス関係の著書を出されているので、この著者の他の本もいつか読んでみてもいいかな、と思った。
表紙裏には、
”国家の政策決定のために、情報分析や防諜活動を行うインテリジェンス。公安や外交、防衛を担う「国家の知性」である。戦後日本では、軍情報部の復活構想が潰えたのち、冷戦期に警察と内閣調査室を軸に再興。公安調査庁や自衛隊・外務省の情報機関と、共産主義陣営に相対した。冷戦後はより強力な組織を目指し、 NSC( 国家安全保障会議)創設に至る。 CIA 事案やソ連スパイ事件など豊富な事例を交え、戦後75年の秘史を描く。”
とある。
国家のインテリジェンスがどうなっているかということは、一般の人が普通に生活していたら平時なら興味を持つことではないだろう。2013年に特定秘密保護法が制定されたとき(施行は2014年)、多くの反対活動があったけれど、本書を読むと、本法律がなぜ必要だったのかがよくわかる。日本は、情報だだもれ社会だったのだ。あるいは、情報が有っても必要な官庁で共有されないから、対応できない。北朝鮮による日本人拉致事件だって、インテリジェンスがちゃんとしていれば、防げたかもしれない話だ、という一文は、結構衝撃だった。何年も前から知っている組織はあったのだ。なのに防げなかったのだ。
当時、特定秘密保護法については、個人的にはどうでもいいじゃない、そんなこと、、、って思っていたのだけれど、平和ボケしている社会だったのではないか、、という気がする。
軍隊を持たない国だから、自分たちには関係ない、、、って思っている。でも、昨今の北朝鮮の動き、ロシアがウクライナに侵攻したこと、中国の動き、どれをとっても、いまや日本も国と国との争いに無関係、無関心でいることはできない。そういう時代になってしまったのだ、、、という気がする。
目次
序章 インテリジェンスとはなにか
第1章 占領期の組織再編
1 旧陸軍のインテリジェンス
2 公安系インテリジェンス
第2章 中央情報機構の創設
1 内閣総理大臣官房調査室
2 村井闇ドル事件
3 ラストポロフ事件
4 内閣調査室への改編
第3章 冷戦期の攻防
1 日本の再軍備化と軍事インテリジェンス
2 秘匿される通信傍受活動
3 冷戦期の公安警察と公安調査庁
4 外務省の対外インテリジェンス
5 迷走する秘密保護法制
6 ソ連スパイ事件
7 ベレンコ亡命事件
8 秘密組織「調別」と大韓航空機墜落事件
9 中央情報機構の再編
第4章 冷戦期のコミュニティの再編
1 冷戦後の公安組織
2 米国からの自立とコミュニケーションの統合
3 中央情報機構の改革
4 インテリジェンス改革をめぐる提言
5 冷戦の機密漏洩事件
第5章 第2次安倍政権時代の改革
1 特定秘密保護法
2 国家安全保障会議(NSC)と 国家安全保障局(NSS)
3 国際テロ情報収集ユニット(CTU-J)
終章 今後の課題
各章の最後にまとめが付いているので、まとめを読むだけでも歴史的流れがわかる。
戦後は、旧軍隊が占領軍に取り込んで自分たちの活動を再開させようとしていたけれど、失敗に終わる。吉田茂もがんばったけれど、日本のインテリジェンスは骨抜きのままとなってしまった。軍部の復活がなくなり、警察が頑張る時代となり、共産主義陣営と戦った。いわゆる公安が活動した時代。そして、冷戦終結後は、日本国内での地下鉄サリン事件、日本赤軍、在ペルー日本人大使館公邸人質事件、イスラム過激テロ、北朝鮮のミサイル発射と、インテリジェンスが必要とされる範囲が変化していく。ペルーの人質事件の時も、日本は何もできなかったのだ。
本書の中で紹介される、日本での情報漏洩事件、スパイ事件(情報駄々洩れ日本はスパイ天国でロシアは日本を使ってアメリカの情報を簡単にえることができた)などは、日本の幼稚さを露呈してる。
特定秘密ではないけれど、個人的な話でも、どうして人はこうもペラペラと自分が知っていることを他人に話すのだろう、、、と思うことがある。それは日本人の特徴なのか、世界共通なのか、、と言えば、人の性かもしれないけれど、日本人は特に人と何かを共有したがる傾向があるのではないかと感じることがある。
インテリジェンスとは違う話だけれど、以前、『閉された言語』の中ででてきた、日本の中学生・高校生の自殺が増えて、その原因に「自分の心をすっかり打ち明けてとことんまで話のできる相手が誰もいない悩み」が大きな比率を占めている、という話の中で、アメリカの大学生にそれを笑われた、ということ。アメリカの大学生は、本当に大事なことは、人に話したりしない、というのだ。
日本人は、人に話すことで安心するという傾向があるのではないだろうか・・・・。人と共有したいという気持ちが強いというのか。
本書の中でも、特に第4章以降になってくると、私の記憶にも残る事件がでてくるし、政治家の名前も顔が浮かぶメンバーがでてくるので、より興味をもってよんだ。後藤田官房長官が活躍した時代。そして、町村氏、北村滋さんへと続く。
1983年の大韓航空機、ソ連防空軍による迎撃事件は、日本が通信を傍受していたことをアメリカが記者会見で発表してしまう。その状況を後藤田氏は、「これでは日本は奴隷部隊」と言っている。実際、そうだったのだろう・・・。事件で混乱していたとはいえ、日本では情報のコントロールすらできなかった。
1993年、北朝鮮が中距離弾道ミサイル「ノドン」を発射しても、日本は気が付きもしなかった・・・。
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ。その時、アメリカの要人たちがどこにいるのかをペラペラと記者団にはなした田中真紀子。ただのおしゃべりなおばちゃんじゃないか、、、。
2000年の「アーミテージレポート」と言われる、日米同盟強化のための日本の安全保障面での改善点レポートが紹介されている。その中で、リチャード・アーミテージは、
縦割りで、政府内でも情報が共有されないから、活用されない。そんな幼稚な組織体制を指摘しているのだ。それは、、、日本の大企業でもよくある話だ・・・・。
2005年、手嶋隆一・佐藤優の著書『インテリジェンス 武器なき戦争』発行で、インテリジェンスという言葉が、市民権を得るようになったのだという。
現在のインテリジェンスの構造ができるまで、外務省と警察庁、組織間でのポジションの取り合いがあった話も紹介されている。
なるほどなぁ、と感心する内容がたくさんあった。
本書の中に、これまでの日本のインテリジェンスに関する組織体制、そして今の体制についての図もあるので、図を見ながら読むと、より分かりやすい。ほんと、よくまとまっている本だと思う。一方で、これは小谷さんの視点からの話なので、別の視点のインテリジェンスに関する本も読んでみないと、全体を俯瞰することはできないだろうな、という気がする。
企業秘密にしても、何が秘密なのかを特定しないと、たとえ第三者に新技術情報を取られたとしても、秘密漏洩として訴えることもできない。私自身、技術情報漏洩事件に巻き込まれたことがあるので、よくわかる。
個人情報保護法もいいけど、クラスメートの誕生日すら個人情報だから共有しないって、なんだかなぁ。。。。って思う。
何が秘密なのか、何が話してはいけないことなのか、、、そのセンスって人によって異なるのだろう。。。。
情報駄々洩れ人間にならないように、気を付けよう・・・。特定秘密だとか個人情報とか言う事ではなく、大人としての礼儀ってあると思う。
インテリジェンスから、だいぶ至近な話になってしまうが、噂話はほどほどに・・・。
あ、そういえばずいぶん昔、中学の先生が、
「誰かの噂話をするなら、最後に”でもとってもいい人よ”って、付け加えておきなさい」って言っていた。
大人の智恵、だね。
何かするっと、口から出てしまったら、「な~~んてこと、あったりしてね」ってごまかす、とかね。
政治家がよく「○○ということがないというわけでもないという話もある。。。」みたいな回りくどい言い方をするのは、逃げ道を作っているのか。。語尾によって意味が正反対になってしまう日本語というのは、実に通訳しにくい言葉なのだ・・・。
言葉尻に、気を付けよう。
いやいや、発言に気を付けよう。
修辞学を学ばないと、ね。