『真夏の航海』 by トルーマン・カポーティ

真夏の航海
SUMMER CROSSING (2006)
トルーマン・カポーティ
安西水丸 訳
講談社文庫
2015年3月13日 第一刷発行
*本書は、2006年9月にランダムハウス講談社より単行本として刊行されました。

 

図書館の平置き棚で見かけたので、借りて読んでみた。

 

裏の説明には、
” かくも危うく、みずみずしい。安西水丸が熱烈に惚れ込み、 自ら翻訳した若きカポーティまぼろしの傑作。 まだ女ではなく、 もう少女でもない、 上流階級の娘グレディが、 心をかき乱された初めての恋。華々しい 40年代のニューヨーク 社交界と、 その陰りの中に生きる人々のコントラストをくっきり 描く長編を初文庫化。”
とある。

 

著者のトルーマン・カポーティは、1924年ルイジアナ州ニューオリオンズ 生まれ。17歳で「ニューヨーカー」誌のスタッフになり、1946年「 ミリアム」でO・ヘンリー賞を受賞。48年には、長編小説「遠い声 遠い部屋」を刊行し、”早熟の天才ーー恐るべき子供”と注目をあびる。『ティファニーで朝食を』の著者。

本書は、カポーティの死後に見つかった原稿をもとに出版された幻の作品だそうだ。

 

訳者の安西水丸さんは、イラストレーター。電通平凡社などをへて独立。私にとっては、エッセイスト、という印象が強い。

カポーティの名前は、映画『ティファニーで朝食を』で知っていただけで、読んだことはなかった。本書は、装丁にえがかれているのが安西さんの透き通った作風の女の子。主人公のグレディを描いたのだろう。女でもなく、少女でもない。そんな女の子の儚さと強さとか描かれている感じが、なんともいい。。。

 

感想。
あぁ、、、青春。。。
はじめての恋。どれが本当の恋だかわからないけれど、恋してしまう少女。やっぱり、まだまだ少女なのだ。。。

 

セツナサがあふれている。思春期の女の子、男の子。
自立したがる10代に娘をもてあましつつも、距離をとりつつ、見守る母親。そして、なんとなく距離をとる父親。親のしつけを守る姉に対して、自由奔放に生きる妹。親子であろうと、姉妹であろうと、それぞれがそれぞれの人格をもつという、あたりまえのこと。それでいて、家族という放ちがたい絆。

 

主人公は、グレディ・マクニール。8歳年上の姉・アップルはすでに結婚していて、いわゆる平凡な主婦。まだ17歳のグレディは、姉のようになりたいとは思っていない。そんな自分を母親はアップルのような可愛げがなく、扱いにくい娘とおもっている、と感じてる。

と、あくまでもグレディがそう思っているのだ。思春期の、いってみれば反抗期のような・・・。

 

そして、家族が揃って旅行に行くという夏、グレディは1人でニューヨークに残ると言い出し、結局お留守番。

その間、二人の男の間で揺れ動くグレディの恋心・・・・。
セツナク、ひりひりするような、、、あぁ、、若い・・・。

 

町で出会ったちょっと不良っぽいクライドに惹かれつつ、幼なじみでもあるグレディと同じ上流階級の子息であるピーターがいてくれることに安心感をいだきつつ、、、。
親が留守の間の、地元でのひと夏。

そして、最後は、二人の青年がクレディを巡って、、、、。
どうなるかの結論はでないままでお話は終わる。

なんて、、、子どもっぽい話なんだ、、、と思いつつ、楽しく読んでしまった。

 

あぁ、、、こういう、上流階級の小娘の恋物語。ありきたりといえばありきたりだけれど、やっぱり、きゅんとセツナサがよぎる。

もう、私には、こういう時代はこないなぁ、、、、なんてね。

 

でも、これが、日本人の話だったら?明治維新後の貴族の娘の話だったら?多分、グレディのような恋の話にはならないだろう。。。『真珠夫人』のほうが、いかにも日本っぽい。結婚後も父親の敵である夫に対して、指一本触れさせようとしない瑠璃子。そこに感動してしまう日本文化?!

megureca.hatenablog.com

 

日本の貴族の女の子が、グレディのような恋をするとは思えない。庇護されることを拒み、自分の意思で行動し、自分の心のままに恋する。そんなグレディが可愛い。けど、そんなグレディの恋の話を戦前の日本人が楽しめたとも思えない・・・・。

 

そこに、、、異国、アメリカの風を感じるから、ちょっとセツナク、楽しく読めるかもしれない。自分とは遠い世界。映画のような世界。

 

あの人も好き、この人も気になる、、、

私をみて、、、

の初々しさ。

 

あぁ、これは、真夏に読むべき一冊だったかも。

そしたら、私も、こういう風に恋したい、なんて思えたかもね。

 

やっぱり、読書は楽しい。