『コレラの時代の愛』
G・ガルシア=マルケス
木村榮一 訳
新潮社
2006年10月30日 発行
村上春樹の『街とその不確かな壁』の中で、主人公と心を許し合う、福島Z**町のカフェの彼女が読んでいた本。気になったし、マルケスの『Until AUGUST』を読んで、もっと、マルケスの昔の作品が読みたくなったので、図書館で借りて読んでみた。
解説含めて526ページの単行本。
感想。
いやぁぁ、、、充実!!
訳者の木村さんの解説がまた、私にとってはとても充実した解説で、いい一冊だった。じっくり読んだ。楽しんだ。おそらく、1ページ1分、全部で500分くらいかかって読んだ。
解説では、
”ガブリエル・ ガルシア=マルケスは、『百年の孤独』や『族長の秋』において、独自の幻想性をたたえた世界を描き出している。こうした作品に親しんだ読者が、『コレラの時代の愛』をひもとくと、おやっ、これが同じガルシア=マルケスの作品か?と思われるかもしれない。それほど文体も作風も以前に書かれたものとは異なっている。作者自身が19世紀風の小説を書こうとしたと語っているとおり、写実的な記述、描写がどこまでも続き、 しかも会話らしい会話がほとんど出てこない。 にもかかわらず 読者を退屈させたりうんざりさせないのは語り口の巧みさによるものだが、20世紀のそれも 80年代に19世紀風のリアリズム 小説を復活させようとして彼がこの作品を書いたのではないことは改めて指摘するまでもないだろう。”、と。
そう、たしかに、記述・描写なのだ。マルケスが『百年の孤独』を完成させたのは、1967年。本作『コレラの時代の愛』は、1985年。私にとっては、作風は『Until AUGUST』に近いような気がしなくもない。
いずれにしても、本書も大作。時間軸も長い。なんせ、半世紀以上にわたる愛の物語。
私のいつもの読書メモは、4ページに及んだ。人もたくさん出てくる。
以下、ネタバレ含む。
たくさんの人がでてくるけれど、主な登場人物は、3人。
・フロンティーノ・アリーサ:主人公。20代、郵便局で配達員をしていた時、配達先の家にいた娘、年下のフェルミーナ・ダーサに恋して、一度は両想いになるが、破局。その後もダーサへの恋は変わることが無く、70代にその恋を実らせる。読書好き。インテリ。バイオリンがうまい。ダーサに数え切れないほどのラブレターを送り続けた。手紙には、様々な名著、詩からの引用を用い、名論文のような恋文を書いた。でも、売春宿で働く男友達とともに、売春宿に出入りした。ダーサとの恋に破れた後、配達員の仕事として、船に乗るようになり、女を知り、結婚はしなかったけれど、何人もの女と寝た。そして気が付けば、船の会社の社長の座が転がり込み、名の知れた人物となった。
・フェルミーナ・ダーサ:聖処女示現学院に通う15歳のとき、アリーサに恋する。しかし、父のロレンソ・ダーサにアリーサとの恋を禁じられ、1年半もの間父と地元を離れて親戚の住む遠い場所へ旅する。旅から戻ると、世の中の広さを知った17歳は、昔のような純朴な少女ではなくなっていた。旅の間もひそかに文通していたにもかかわらず、直接アリーサを見かけると、とたんに嫌悪感をおぼえ、ふってしまう。そして、体調を崩した時に診察に訪れたフベナル・ウルビーノ博士に、なんだか恋してしまう。
・フベナル・ウルビーノ博士:医師。フェルミーナ・ダーサの夫。ダーサの8歳年上。50年連れ添ってきたが、80歳のある日、逃げだしたオウムを捕まえようとマンゴーの木にかけたはしごを登っている最中、落ちて死んでしまう。
と、フロンティーノ・アリーサとフェルミーナ・ダーサの恋愛が主軸の物語で、その人生の間に、フェルミーナ・ダーサとフベナル・ウルビーノの結婚生活がはさまれている、、、という感じ。
でも、物語の出だしは、
”ビター・アーモンドを思わせる匂いがすると、ああ、この恋も報われなかったのだなとついおもってしまうが、、、”とはじまり、青酸カリで自殺したジェレミヤ・ド・サンタムールの元に駆けつけた、フベナル・ウルビーノ博士の話から。
最初は、殺人事件の現場に駆けつけた検視官のはなしかとおもいきや、、、ジェレミア・ド・サンタムールは、フベナル・ウルビーノ博士のチェス仲間だった、、、というだけの役割。ジェレミア・ド・サンタムールは、戦争で身障者になった人で、フベナル・ウルビーノ博士は、コレラの蔓延を抑えたヒーロー。でも、二人とも高齢者。
フベナル・ウルビーノ博士とフェルミーナ・ダーサは、友人の葬儀と、友人の銀婚式への出席と慌ただしい一日を過ごすことになる。そんな最中、博士がオウムのせいで突然死。
長く続いた結婚生活で、諍いもあり、すでに愛情も尽きていたかに思われる二人だったけれど、突然未亡人となったフェルミーナ・ダーサは、力を落としてしまう。悲嘆に暮れているフェルミーナ・ダーサのもとへ、その夫の葬儀に参列したフロンティーノ・アリーサが、姿を現す。まるで、夫の死をまっていたかのように。。。。
事実、フロンティーノ・アリーサは、フベナル・ウルビーノ博士が死ぬのを待っていた。そして、フェルミーナ・ダーサが、再び自分のことを愛してくれる日をまっていた・・・。
その異常性が、或る意味の天才かもしれない・・・。
夫の葬儀に現れて、昔の恋文のような発言をするフロンティーノ・アリーサに対して、フェルミーナ・ダーサは、「はやく死んでください」という。
でも、未亡人となったフェルミーナ・ダーサは、執拗に送り続けられるフロンティーノ・アリーサからの手紙が、じきに自分の元気のもとになっていることに気が付く。そして、フロンティーノ・アリーサが自宅を訪問することを許すようになり、息子夫婦と4人でカードゲームを楽しむなど、楽しい老後を過ごすようになる。娘は、そんな母の行動をいやらしいといって、非難し、母から絶縁されてしまう。
恋愛のつもりではなかったけれど、互いに70歳を過ぎたふたりは、老いの恐れ、死への恐れをかくしながら、互いの存在へ依存していく。
そして、ある時、フロンティーノ・アリーサの会社の船で、フェルミーナ・ダーサは旅に出る。見送りに来ただけと思ったフロンティーノ・アリーサだったが、フェルミーナ・ダーサと一緒に旅に出る。
そして、、、、船で二人は愛を語る。熱くではない。老人の愛。。。
コロナの時代、緊急の旗をあげていると、船は予定を変更して港に戻ることができた。フェルミーナ・ダーサのために、旅の途中で船を貸し切り状態にして、緊急旗をあげて走っていると、港湾保安局のボートに停船を命じられてしまう。
それを無視して、船長に
「このまままっすぐ、どこまでもまっすぐに進んで、〈金の町〉まで行こう」というフロンティーノ・アリーサ。驚く船長。
「川を上り下りするとして、いったいいつまで続けられるとお思いですか?」とたじろぐ船長に
”フロンティーノ・アリーサは、53年7か月11日前から、ちゃんと答えを用意していた。
「命の続く限りだ」と彼は言った。”
THE END
まぁ、筋書きとしてはこんな感じなのだけれど、50年以上に渡るさまざまな日常のあれこれが、写実的な記述、描写で続くのだ。結婚生活の些細な諍い。浮気。売春。女同士の嫉妬。見栄のはりあい。フロンティーノ・アリーサがつきあった数々の女。黒人から、少女まで。。。。フベナル・ウルビーノ博士の浮気を、臭いでわかってしまったフェルミーナ・ダーサ。夫と観劇にでかけて、女と一緒にいるフロンティーノ・アリーサと鉢合わせする場面。
老いに悩む人々。フロンティーノ・アリーサは、禿にも悩まされた。6年間で172種類の薬も試した。でも、48歳でスキンヘッドにして、悩みから解放される。
総入れ歯を何度もなくすフロンティーノ・アリーサは、つねに、複数の総入れ歯を身近に置いていた。
フェルミーナ・ダーサの父ロレンソ・ダーサは、娘を淑女に育てようとして高級住宅地に住むフベナル・ウルビーノ博士と結婚させることに成功したけれど、本人は犯罪のような仕事に手を染めていて、国外追放となってしまう。父の過去に悩む、年老いた娘。
などなど。。。。なんとも、日常的であり、50年以上もかつての恋人の夫が死ぬのをまっていた異常性があり。。。フロンティーノ・アリーサの執拗性を表現するのに、
”・・例の鉱物的な辛抱強さで・・・”という文がある。印象的。
嫌い嫌いも好きのうち、、、という感じのフェルミーナ・ダーサ。夫に対しても、フロンティーノ・アリーサ対しても。結局は、かまってくれる人に、愛着をもってしまうってことだろうか。
最後の船の旅の最中、フェルミーナ・ダーサが結婚生活を振り返ってつぶやく。
”しょっちゅう喧嘩をし、いろいろな問題に悩まされ、本当に愛しているかどうかもわからいまま、何年もの間幸せに暮らすことができるというのは、いったいどういうことなのかしら。”
そんなものか。
いやぁ、、、読了の充実感。
小説もいいなぁ。