『いまを生きるカント倫理学』 by 秋元康隆

いまを生きるカント倫理学
秋元康隆(あきもとやすたか)
集英社新書
2022年7月20日 第1刷発行

 

ずーーっと、わかったようで、わかっていないカント。最近の読書を通じて、 やっぱり「カント倫理学をもっと理解してみたい、と思った。具体的にどの本だったか、明確には覚えていないのだけれど、たぶん、木澤佐登志の『ニック・ランドと新反動主義』を理解するのにも必要とおもったから。

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たしか、この本の中で具体的に本書が引用されていたのだと思う。わかりやすそうだし、比較的最近の本なので、図書館で借りて読んでみた。

 

表紙をめくると袖には、
”さまざまなテクノロジーの発達も手伝い、善悪の基準がますます曖昧となっている現代社会。
ビジネス、道徳教育、生殖・医療、環境問題、AI、差別問題……。
現代社会で巻き起こるあらゆる倫理的な問題について、私たちはどう判断すればよいのか。
その答えは「カント」にある。
哲学・倫理学における重要な古典としてつねに参照され続ける一方、難解と評されることの多いカントだが、本場ドイツでカント倫理学の博士号を取得した著者が、限界までやさしくかみ砕いて解説。
その上で、現代を生きる私たちが「使える」実践的な倫理として提示する一冊。”
とある。

 

著者の 秋本さんは1978年生まれ。 トリア大学講師、 トリア大学附属カント研究所 研究員。専門は倫理学、特にカント倫理学日本大学文理学部哲学科を卒業し、日本大学大学院の修士課程修了後、カント研究の本場ドイツに渡る。トリア大学教授でありカント協会会長であるベルント・デルフリンガー教授のもとで博士論文を執筆し、博士号取得。ドイツ在住。著書に『意志の倫理学--カントに学ぶ善への勇気』(月曜社)がある。

 

本文の中で、一度は会社員になったけれど、なにかが違うと感じて学び直しに戻った、という経緯が説明されていた。だから、ドイツまで行って、カント研究にはまり、そのままドイツ在住、ということなのだろう。

 

目次
序章 カント倫理学の骨格
第1章 ビジネス倫理
第2章 道徳教育
第3章 生殖・医療倫理
第4章 環境倫理
第5章 AI倫理
第6章 差別に関わる倫理

 

感想。
面白かった。
そして、たぶん、比較的わかりやすい。

お薦めできる本。

 

カントといえば、『純粋理性批判』。だけど、それを自分の言葉で説明できるかと言われると、私には、できない。でも、本書をよむと、カント特有の言葉を丁寧に説明してくれていて、ちょっとはわかったような気になる。

 

本書を読んでいて、一番感動したのは実は、著者が「おわりに」で述べている同業者への言葉。倫理研究をしている人たちへのメッセージ。自分も含めて、~すべき、という提言。

 ①  自分の研究成果を一般の人にわかるように伝える努力をする。
 ②  自らが研究している理論を、 どのように自分の生き方に反映させているのかについて、 わかりやすく描き出す努力をする。

 

これは、まさにカントの教えの実践なのだ。どちらも、「・・・努力をする」という文章になっている。つまり、カントの教えとは、「自分でできる努力をする」ということ。 持って生まれた才能で、 努力なしに 何かを成し得たとしても、それを道徳善とはみなさない。 たとえ 結果が世間の標準からして卓越したものではなかったとしても。自分のできる範囲で最大限の努力をすることこそが、道徳善だ、ということ(と、私は理解した)。

 

カントは、四六時中道徳善をなせ、とは言っていない。利己的に、 好きなものを食べて 好きなだけ寝てもいい時もある、と言っている。自分が「~しなくちゃ」と自分で思い、それが利己的な目的だけでなく、普遍的にすべきことであると自らが考える時、それを行動にうつすことこそ、道徳善だ、ということ。

 

ただ、何かに優れている卓越性があることは良いことではあるけれど、そこに道徳善はない。スポーツ選手が技に優れていること、ビジネスで莫大な利益をあげること、そこにあるのは卓越性であって、必ずしも道徳善ではない。そして、卓越性を持つ人は、他者への影響力が大きいので、「道徳善」も強く求められる、と。

 

スーパースターが、不道徳な人だったら? 億万長者が不道徳な人だったら?その悪影響は一般の人の不道徳より大きくなる。だから、卓越性を持つ人こそ、道徳善を持たねばならないということ。では、一般人は?著者は、「決して学業優秀だったわけではない私にもできることがある」という。それは、

 

自分の頭で考え、判断を下すこと。

 

まさに、
自分の人生は自分で考えて、自分で決める
だ。

 

わたしが、いつからこの言葉を多用するようになったのかは覚えていないけれど、知らず知らずのうちに、カントの影響を受けていたのかもしれない。もともと、私は一人で何かするのが好きだし、自立したい、とずっと思っていた。でも、人に頼らないことが自立・自律ではないという事を身をもって経験した30代、海外赴任したころから、「せめて、自分でできることは自分でがんばる」という意識がより強くなった。

 

日本人が、海外で仕事できるのは、「日本」というブランドがあるからなのだよ、実は。。。日本のパスポートが信頼されているから、私たち日本人は好きなように海外へいける。自分の信頼力ではなく、日本の信頼力ということ。私たちは、一人では生きていない。住んでいるお家だって、だれかが建ててくれたから、存在している。私たちは、自分で家を建てることを強いられない。代わりに、自分ができることを社会に提供する。その姿勢こそが道徳善なのだ、、、と、思う。

 

と言ったカント倫理学については、序章を繰り返し読むと、大枠がつかめた気がする。とても分かりやすく書いてくれている。

 

それを具体的課題に当てはめて説明してくれているのが第1章以降。ビジネスなら、「何のために?」という根拠の重要性について。道徳倫理では、日本の高校野球の問題について。多くの高校が生徒に求める「監督への絶対服従」は道徳善ではないのでは?という話。著者自身が高校球児だったらしい。生殖・医療では、出生前診断にまつわるはなし。どれも、何が善くて何が悪い、という単純なことではなく、「何のために?どう考える?」が問われている。

 

高齢の母親が、寝たきりになっても「生きたい」という欲のために、全てを介護にささげた娘の人生を狂わせた、という話が出てくるのだけれど、これは、わたしには母親の利己心の問題ではなく、娘の問題、という気がした。著者は、「娘の人生を狂わせた」といっているのだが、それを選択したのも、娘ではないのか?という気がするのだ。。。まぁ、これは難しい。。。

 

本書の面白いのは、環境問題やAIなど、カントの時代にはなかったであろう課題についても、カント倫理に順えば、どうかんがえられるか?というヒントを著者が示してくれていること。環境問題でいえば、自然というの人の感情を育むのに必須なもので、自然を破壊してしまうと感情が薄まってしまう。だから、自然破壊は良くない、という話になっている。
あぁ、なるほど。たしかにそうかも。。。と思える。

 

全体に、
「一般の人にわかるように伝える努力」
を、全力でしてくれているように思う。
そういう、著者の姿勢に、感謝の気持ちがわいてくる。

各章の終わりに、「まとめ」という節もあり、まとめを読むことで頭の整理もできる。

う~ん、ちょっとうなりながらも、良い本だった。

 

すこし、覚書。
定言命法:「汝が・・・・・せよ」という命令文。カントが「定言命法」と名付けた。「定言」とは、「絶対的」「無制限的」ということ。道徳性を説いている。

 

仮言命法:自己の利益に照らし合わせて行動するもの。

 

格率:自らに設けた規則。
 定言命法では、格率を「道徳法則」(みんなが則るべき規則)と一致させるべき、とする。

 

・” 人は 卓越性を有していればいるほど、 その振れ幅は大きくなるのであり、それはいわば 諸刃の剣なのです。 だからこそ、 卓越性を備えている人ほど、 一層の道徳性が求められるのです。”
 *ここでの「その振れ幅」=その人の影響力、善い影響も悪い影響も、その振れ幅。

 

・カントの言葉。
「 汝は汝の人格、ならびに、あらゆる 他人の人格における人間性を常に目的として使用して、決して単に手段としてのみ使用しないように行為せよ。」(『人倫の形而上学の基礎づけ』)=目的の定式。
人を、道具として利用してはならない、ということ。
例えば、お金に困ったとき、お金をもらうだけの目的で人に近づくな、ということ。手段としてのみ使用してはならない、ということ。

 

・道徳的悪:道徳性が問われる状況において、
①利己的な動機から
②自覚的に
③道徳法則を犯す
こと。

 

利己性を優先すると、それに囚われてしまうことで、実は幸福な生き方にならない

 

・子供がその根拠を理解していないものを大人が無理やり押し付けても教育にはならない。
「 教育というのは確かに強制が伴うが、そうかといって決して 奴隷的であってはならない」
高校野球の監督が生徒を思考停止に追いやるようなやり方は、教育ではない。

 

ポリアンナ効果アメリカの心理学者 チャールズ・E・オスグッドが1964年に唱えた理論で、人はネガティブな言葉より、ポジティブな言葉の方が記憶に残り 影響を与えるというもの。

 

・カントの言葉。「 自分自身を煙に巻く不誠実」 本来は正視しなければならない問題であることを自覚しているにもかかわらず、自分にとって都合の悪い事実だからと言ってそこから目をそらすこと。
 

 

『エミール』:ジャック・ルソー著。カントは、『エミール』の中の、エミールという名前の少年が教育を通じて立派な大人になっていく過程を読んで、 無知なのは 教育の機会がないためであり、 教育の機会があれば誰でも理性を発揮できるはずであるとの思いに至った。

 

う~ん、ちょっと、カントの言わんとすることがわかるような気がする一冊だった。新書なので読みやすいし、けっこうお薦め。著者の謙虚で真摯な姿が、読んでいて心地よい。上から視線がゼロ、という感じ。

 

結果は大事だけれど、結果が全てではない。

なぜ?なんのために?」がなければ、結果に意味はない。

 

自分の人生は、自分で考えて、自分で決めよう。

 

参院選に投票に行くのも、「格率」の一つ。だから、100%政策に賛成できる政党なんて一つもないけれど、ベストの選択をして、投票にいく。そのベストは、「利己」ではなく、「将来の日本」にとってのベスト、で考えてみよう。。。。

ま、それが難しいから、悩むんだけどね。

 

私は、日本の将来をよくしたいと思っている。

だって、私を育ててくれた国だだもの。。。。

だから、自分でもできることを考えて、行動する。

自分のできる範囲で・・・・。

それでいいのだ、とカントなら言ってくれそうな気がする。