『日本語は亡びない』 by 金谷武洋

日本語は亡びない
金谷武洋
ちくま新書
2010年3月10日 第一刷発行

 

「日本語と日本人」というテーマで勉強会をした時に、参考資料の中で、引用されていた本。まさに、日本語で世界を救う!・・・ではないけど、まぁ、そういう日本語の将来性を語った本。

 

最近、私は、日本の文化にとって、日本語程大事なものはないと思っている。小学生に英語を学ばせる時間があるなら、もっと美しい日本語にふれる機会を増やしたほうが、よっぽど人間として豊かになる、、と思っている。私の英語学習歴もかれこれ30年以上になるし、英語を使うことを仕事にもしているけど、英語の表現で「美しい!」とおもったことはほとんどない。一方で、日本語で読んでいると「なんて素敵な表現!」と思えることが度々ある。たんに、理解度の違いだけではないと思う。「素敵」なものに出会えることで人は豊かになれると思う。だから、、、、日本語が母語の子どもは、美しい日本語にたくさんふれて育つのがよいと思うのだ。そして、「日本語は亡びない」と言われれば、おぉそうだ!とこぶしをあげたくなる。

ということで、図書館で借りて読んでみた。

 

表紙には、
” 私は日本語が亡びるというような悲観論には与すことができない 。日本語の将来に対して楽観している。 ただ、 日本語の文法には、 正しい姿が未だに記述されていない 不備がある。 日本語を巡る状況が改善されることを祈り、 本書を上梓するのである。・・・・”
と。

 

内容紹介には、
”昨今、日本語の存亡を憂う言説で溢れている。しかし、本当に日本語は亡びるのか?外国語としての日本語は活気に溢れ、学習者は約300万人に及ぶほど、未曾有の日本語人気に沸いている。インターネット時代の英語の圧倒的優位が叫ばれているが、庶民の間では現在も将来も、日本人の生活語は日本語だけに留まるであろう。庶民に支えられている日本語を見つめることから、大胆かつ繊細に、日本語の底力を徹底的に解明する。”
とある。

 

著者の金谷武洋( かなや・たけひろ )さんは、1951年北海道生まれ。函館ラサール高校から東京大学教養学部卒業。ラヴァル大学で修士号言語学)。モントリオール大学で博士号(言語学)取得。専門は類型論、日本語教育。カナダ放送協会国際局などを経て、モントリオール大学東アジア研究所日本語科科長。カナダでの20年にわたる日本語教師の経験から、日本語の学校文法が、いかに誤謬に満ちているかを訴え、新しい日本語文法の構築を提唱している。著書に『日本語文法の謎を解く』(ちくま新書)、『日本語に主語はいらない』(講談社選書メチエ)がある。

 

目次
第一部 日本語は亡びない
 第一章 水村美苗日本語が亡びるとき』を読む
 第二章 日本語は乱れているか
 第三章 日本語を守る「堀川」―五つの免疫効果とは
 第四章 「死にかけた」のは英語の方―歴史的検証

第二部 日本語を発信する
 第五章 偽装する日本語
 第六章 日本語文法と世界平和―日本語の世界観

第三部 二人のみゆき―日本的視点の表現者
 第七章 宮部みゆきの下町
 第八章 中島みゆきの地上
 第九章 ハーンの憂い、クローデルの祈り


感想。
おもしろかった!!

 

第一部では、日本語がなぜ亡びない、柔軟性をもった言葉であるかという話。最初に、水村美苗日本語が亡びるとき』に反論し、「亡びない」と言いたい、と主張し、とはいいつつも、安倍首相、福田首相麻生首相の乱れた日本語を紹介し、問題がないわけではない、、と。この三方は、言葉遣いの問題が取りざたされたことがあったらしいが、ひどいのは、麻生首相の「漢字誤読」だろう。いくつが、具体的な例があげられているのだけれど、ここまでくると、「読字障害」なのではないか、って養老孟司さんがいったらしい。「読字障害」=ディスレクシア(Dyslexia)の著名人て意外といる。アインシュタインエジソンロダン、最近のひとならトム・クルーズもそうだと言われている。まぁ、読み違い位ならいいけど、福田首相は、記者に対して、「あなたとは違うんです」という失礼発言をしたことがあったらしい。


と、一国の首相たる人が、この日本語、、、だけれど、著者はそれでもやっぱり「日本語は亡びない」という。だって、こういった失言や誤読を指摘し、多くの日本人が「問題だ」とおもっているのだから、って。
一般の人々が、間違った日本語を「これはひどい」といえる日本語力の高さを備えているって。うん、なるほど!


第三章で語られる「堀川」とは、 人工的に作られた川のことだが、 江戸時代には東京には堀川がたくさんあり、地震の時の津波も堀川がゆっくりと吸収してくれたという。日本語には、そういう堀川のようなレジリエンス、柔軟性、つまり免疫があるというのだ。それは
1 品詞
2 基礎語彙
3 表記
4 発音
5 語形
ということ。

 

1 品詞でいえば、どんな外来語でも「カタカナ」にして日本語にしてしまうという技。「キュートで、ハンサム」「サインする」「デートする」カタカナに「する」をつければ、直ちに動詞になる。もちろん、日本語に「する」をつけても、、、「ご飯する?」とか。

 

2 基礎語彙とは、品詞とは関係なく 日常生活で最も頻繁に使われる語群のこと。 日本語の基礎語彙は圧倒的に和語が占めていて 外来語はほとんどない。ある、ひと、こと、もの、、、、外来語がカタカナで入ってきても、やはり、よく使うのは日本語なのだ。

 

3 表記上の免疫というのは、「カタカナ」で書くことで、「目立つ」舶来モノとして区別しているということ。だから、和語と混ざらない
トヨタ自動車の車の名前がカタカナであることが例として挙げられている。(鈴木孝夫『日本語と外国語』からの引用。)トヨタ自動車は戦後クラウン(王冠)を発表して以来、車の名称に冠シリーズを考え、コロナ・カローラ・カリーナ・クレスタなどと冠に関係のある名前を長年使ってきた。が、単語が乏しくなったので、ずばり日本語の「冠」をつかうことにした。でも、そのまま「カンムリ」では日本語だとすぐにばれるので、「Kamuri」としようかとしたが、まだ、日本語っぽいので、「Camry」と書いたという。カムリ、まさかの日本語のカンムリだったらしい。

 

4 発音というのは、外国語であっても、母音をいれてカタカナ読みにしてしまうという強さ。Strikeは、野球用語では「ストライク」、労働組合なら「ストライキ」と変身する。

 

5 語形では、「2モーラ単語」が圧倒的に多いことによる免疫。モーラ(mora)とは、「音韻論上の単位。1子音音素と1短母音音素とをあわせたものと等しい長さの音素結合。拍。」つまりは、ひらがな2個の単語が圧倒的に多く、リズムをつくる。
たん、たん、たん、たん、、、というリズム。
だれ、どこ、いつ、なぜ、どう
この、その、あの、どの
あか、あお、くろ、しろ
いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、おく、ちょう、(小っちゃい「っ」や「ゃ」「ゅ」「ょ」は、前の音とくっついて一つ。俳句の5,7,5の数え方)

日本語は、外来語を日本語化するときも、2モーラのセットにして取り込んでしまう。
セクハラ
パワハラ
ハイテク
ローテク
パソコン
エアコン
・・・

日本語の2モーラリズムは、外来語であっても日本語化してしまう。このリズムの心地よさを著者は、幼少期の母の背中で身につけたのでは、、、、って。
「あめ・あめ・ふれ・ふれ・かあ・さん・がぁ」・・・・
「ぴち・ぴち・ちゃぷちゃぷ・らん・らん・らん」
このリズムの心地よさ、日本語ならでは、、、なのだ、と。

 

ついでに言うと、いつのまにか、「5・7・5」も一つのリズムとして体に刷り込まれているから、日本語ってすごい。

 

第二部では、一神教の国の言葉とちがって、日本語は二元論で白黒つけない包容力がある、みたいな話。かつ、日本語にむりやり主語をつけて教えるな、ということ。
愛の告白には「好きです」で十分で、「私はあなたが好きです」なんていったら雰囲気ぶち壊し、って。「おなかすいた?」って聞けば十分で、「あなたはお腹すきましたか?」なんて日本語を話す日本人はいない。主語が無くても、ちゃんと通じ合えるのが日本語なのだ。無駄に主語をつけるな、と。つまりは、共感しあっているから主語はなくてもいい。また、立場が変われば主語の種類が変わるのも日本語だけ。会社なら「私」と言っている人も、家に帰ったら「お母さんが」「お父さんが」あるいは、「ママ」「パパ」。学校の教師なら、「先生が・・・」、侍なら「せっしゃが」。で、時代劇をみて日本語を学んだ外国人が、「せっしゃが」とかいっちゃったりするんだよね、、、って。くすっ。


第三部は、ほとんど、宮部みゆき中島みゆきのファンクラブレターみたい。宮部みゆきがつかう日本語の謎解きをしてくれていて、紹介される作品をもう一度読みたくなる。『理由』『模倣犯』『火車が取り上げられているのだけれど、私はどれも複数回読んでいる。というか、、、古本で同じ本を何度か買ってしまった・・・。そして、登場人物の名前の共通性とか、でてくる犯人の共通性とか、、、おぉ、そういう読み方があるか!って。最後は、胸のすく大団円。あぁ、そうか、だから、宮部みゆきは面白いんだ、って気づける。描く人物は、みんな「居場所」を探している、って。あぁ、そうか、、、と思う。

 

中島みゆきは、いくつかの歌詞が引用されている。詩にして読むと、しみるなぁ、、、、っていうのがたくさん。中学生から高校生の頃、中島みゆきを聞きまくっていたなぁ、と懐かしく思い出す。「空と君のあいだに」(1994)では、

空と君との間には今日も冷たい雨が降る
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる

と、「悪」がどうどうと宣言されている。「君が笑ってくれるなら」という条件で、「悪になる」というのだ。でも、日本語で「悪」といっても、日本には八百万の神がいるから、単純にこれが悪でこれが善ともいえないよね、、、って。

なるほど!

面白い本だった。第三部はネタバレが満載なので詳細は書かないけれど、宮部みゆき好き、 中島みゆき好きなら、第三部を読むだけでもかなり楽しめると思う。


他、ちょっと、覚書。
英語もかつて亡びる危機にあった。今の英語の語彙の半分以上は、フランス語からきている。ノルマンの征服(1066年にフランスからノルマン公ギヨームが英国に攻め入り、前王の義兄ハロルドを破って征服。ギヨームは、ウィリアム1世となってイングランド王に即位した)の影響。 

 

川端康成の『雪国』は、英訳すると景色が変わってしまう。
「 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」を読むと私たちは、汽車にのっている人の視線で景色を想像する。ところが、
「The train came out of the long tunnel into the snow country」となると、途端に、汽車を上方から見下ろした景色を想像する。
実は、原文の日本語には主語がない。ただ、時間の推移を含んだコト(出来事)を表しているのだが、英語にすると「汽車」が主語に躍りでる。そして、「高みから見下ろす神の視点」にすり替わってしまう。日本人は、そこに、違和感を感じる。

 

チョムスキー生成文法では、日本語を記述しようとしても無理がある。

 そういってもらえると、チョムスキーのいう「生成文法」が理解できない自分が慰められる・・・・。私にとっては、社会的な著書ならまだ楽しめるけれど、言語学の著書はほぼ挫折している。

megureca.hatenablog.com

 

・「ただいま」「おかえりなさい」という言葉は、「只今」「お帰りなさい」であるが、英訳すると意味をなさない。相手の気配りが、主語がなくとも「ただいま」だし「おかえりなさい」なのだ。

 

・広島 平和記念公園の慰霊碑の碑銘
「 安らかに眠ってください  過ちは繰返しませぬから」
主語がないところが日本語であり、ここに主語はいらない。

 

・9.11のテロをうけて、ブッシュ大統領は、「誰が俺たちをやったのか」という「Who?」しか頭になかった。問うべきは、「なぜこんな状況になったのか」という「Why?」だった。そして、イラクアフガニスタンの泥沼。著者は、アメリカ正義主義は恐ろしい、と言っている。日本語なら、そうはならないのでは?と。
 
ラフカディオ・ハーンの言葉 (『日本人の微笑み』1984
「 日本人はこれだけ素晴らしい文化と伝統を持っていながらヨーロッパに追いつき追い越そうとするあまりに、欧米人の合理的な心も一緒に輸入しようとしている。
  器用な日本人は、 彼らが作り出す製品は、 近い将来 欧米をはるかにしのぐ製品を生み出すようになるだろう。
  だが、 そうなった時にはもう日本人は日本人ではなく、日本人によく似た 西洋人になってしまっていることだろう。
  そして、そうなった時に日本人は初めて自分の町内の角に必ず立っていた石仏の何とも言えないかすかなほほえみに気付くだろう。実はそのほほえみはかつての彼らの、彼ら自身のほほえみなのだ。」
・・・・日本に帰化した、小泉八雲の言葉。

 著者は、この言葉を引用しつつも、今後も日本人は、日本語を話す限り、「精神的西洋人」には決してならないだろう。と言っている。

 

・ フランス人作家・外交官、 ポール・クローデルの言葉。(1943年
「 日本人は貧しい、 しかし高貴だ。 世界でどうしても生き残ってほしい 民族をあげるとしたら、 それは日本人だ。」


今、生き残ってほしい民族と言ってもらえる日本人になっているだろうか。。。。ならなくてはならないと思う。

 

日本語を学びたがる外国人は多い。先日の観光通訳ガイドで泊まったホテルのスタッフはほとんど外国人。でも、みんな上手に日本語を話す。そして、見た目が明らかに外国籍と思われるスタッフも、日本語が上手だとなぜか仕事もちゃんとできそうな気がしてしまうから、不思議だ。かつ、日本語が上手なスタッフ程、対応も堂々としているような気がする。

 

当たり前すぎて、何も深く考えずに使っている日本語。外来語であっても、発音だけでなく、カタカナで外来語を書いて日本語にしちゃうなんて、、、、もしかすると、日本語にしかできない技なのではないか?アメリカだって、亜米利加なんて書いてしまったり。

 

日本語を大事にしよう。

日本語が母語であることに感謝。

 

日本語のすばらしさを伝えてくれる、良い一冊でした。