考古学の大発見をめぐる八つの冒険
マイケル・スコット
府川由美恵 訳
青土社
2025年6月15日 第1刷印刷
2025年6月30日 第1刷発行
日経新聞、2025年8月30日の朝刊書評で紹介されていた本。気になったので図書館で予約していた。4か月近く待って順番がまわってきたので、借りて読んでみた。
記事には、
”古代エジプトの文字や文化を解き明かす鍵となったロゼッタストーン、インカ帝国の遺跡〝空中都市〟マチュピチュ、中国最初の皇帝となった秦の始皇帝を死後の世界で守る兵馬俑(へいばよう)――。世界的な注目を集めた8つの考古学上の大発見をまとめた。
もちろんエピソードの紹介にはとどまらない。マチュピチュの存在は多くの地元民が知っていた。世界に知らしめた米国の探検家ビンガムは「発見者」と呼べるのか。ロゼッタストーンは現在、ロンドンの大英博物館に所蔵される。貴重な文化的遺産を現地から持ち出すのは許されることなのか。数々の〝偉業〟を現代の視線で再検討することで、考古学という学問の進化の軌跡をたどっていく。
往時の政治状況が考古学に与えた影響の分析も興味深い。中国で秦の始皇帝は長く「過去最悪の皇帝」とされていた。文化大革命の頃、旧文化の破棄を掲げた紅衛兵は歴史的遺産を破壊していった。が、始皇帝と毛沢東の類似が指摘されると、毛の支持者たちは始皇帝を「古きを一掃して新しきを採り入れることで歴史を前進させた」人物として急速に評判を回復させる。農民が偶然、兵馬俑を見つけたのはそんな時期。わずかに時代が違えば、「20世紀最大の発見」は違う形になっていたのかもしれない。”
とあった。
別に、私は考古学の発見が大好きっていうわけではないのだけれど、、、ちょっと面白そう。
著者のマイケル・スコットは、 1981年生まれ。 ウォーリック大学(英国)古典学・古代史教授。
訳者の府川さんは、 明星大学通信教育部 教育心理コース卒業。翻訳本に『面白い物語の法則』『作家の旅』『探偵コナン・ドイル』など。
目次
はじめに 過去なんて誰が気にする?
第一章 石に話させる
第二章 砂、紙、そして絹の道
第三章 (失われず、都市でもなかった)失われた都市
第四章 われわれの起源
第五章 井戸を掘ったらでてきたもの
第六章 耳のついた金属製ビスケット
第七章 氷から帰ってきた貴婦人
第八章 時を経てみつけたもの
エピローグ 我々の過去の未来
感想。
へぇ!そうだったの!というお話が8つ。べつに、私にとってはどうでもいい話だな、、、とおもいつつも、大発見にいたった経緯の話が面白くて、通読。目次だけでは、何の発見の話かがわからない。でも、それぞれにその発見の舞台となった場所の地図が付いている。
私でもしっている発見だったり、初めて聞いた発見だったり。考古学者が求め続けた果ての大発見だったり、農民が井戸をほっててたまたま見つけたものが大発見だったり。そして、第三章のように、周辺の人は昔からよく知っていたけれど、世界に知らしめた人がいて、大発見といわれるようになったマチュピチュなど。
エピローグが面白い。たしかに、大発見はだれの成果なのか?見つけた人なのか?そこに意味を見出した人なのか?また、海外から勝手に持ち帰って分析して「大発見!」としてその国に留め置かれてよいものなのか?
第一章は、さすがに私でもその名前を知っていた「ロゼッタストーン」の発見にまつわる話。1799年、ナポレオンのエジプト遠征でフランス軍に発見された。でも、イギリスとの戦いに敗れたフランスは、ロゼッタストーンをイギリスに持っていかれちゃう。そして、今なお「大英博物館」所蔵のロゼッタストーン。20代か30代のころ、ロンドンに遊びに行ったとき、その実物を見たことがある。ロンドンの友達に「無料だから行ってきなよ」と言われて、一人で大英博物館を散歩した。へぇ、おっきな石。。。ってなくらいで、そこに3種類の文字が書いてあって、それが象形文字解読の大発見につながったとは、、、知らずに眺めてきた。
第二章は、タクラマカン砂漠で見つかった東西をつなぐシルクロード途中にある様々な宗教的書物など。敦煌、莫高屈、ジャイナ教寺院、玄奘の足跡など。そういった文化的遺産を国外に持ち帰ったハンガリー出身のマーク・オーレル・スタイン。果たして、宗教的な生活が今なお進行している地から、現地の人をだますように持ち帰ったのは、世紀の大発見と褒め讃えてよいのか??
しかし、敦煌の遺跡、ちょっと気になる。まぁ、行くことはないだろうけど、、、、なんかロマンを感じる。
第三章は、マチュピチュの話。ハーバード大学の南米研究家が、1911年に見つけ、世界に知らしめた。が、現地の人は昔からその存在をよく知っていたということ。しかし、何の目的の居住地だったのかは不明だったが、後の研究でマチュピチュは都市ではなく、皇帝の別荘のような場所だったということがわかった。
第四章は、人類の祖先となる化石の発見。その研究者の人生。1947年、メアリー・リーキーは、プロコンスル・アフリカヌスの頭蓋骨を発見。その後、不倫でルイス・リーキーと共にアフリカで極貧の発掘調査の人生を送る。が、人類の進化の歴史を塗り替える発見をしたということ。
第五章は、中国の兵馬俑(へいばよう)の発見。始皇帝の時代の遺跡は、1974年、農業労働者たちが井戸を掘っている最中に発見。労働者の中の一人が、博物館に届けたことで報道される。当時は、共産党・毛沢東による文化大革命の流れで孔子批判、始皇帝への賞賛がみなおされていた時期であり、 その発見は大いなる発見とされた。発見された時期が数年ずれていれば、焚書と同じ運命だったかもしれない、と。しかし、発見をとどけたことで、そのあたりの農園で働いていた人たちは、住む場所を奪われた。発見しなければよかった、、、という声もあったとか。
しかし、中国に孔子批判の時代があったとは、理解していなかった…。
第六章は、紀元前1400~1300年頃の沈没船の発見。ウルブルンの船の発見。1982年に海綿とりのダイバーが、発掘調査に協力したことで発見につながった。 ダイビングの道具や技術の進化が水中考古学調査の発展に大きく寄与したということ。それにしても、ローマ帝国の時代より古い船の発見はすごい。エーゲ海は水野透明度が高く、サメがいないということも発見に大きく寄与した。
第七章は、墓からミイラの発見。それは、アルタイ共和国の伝説の英雄女王オチ・バラのミイラと言われ、1993年に凍結した氷の中で見つかった。しかし、アルタイのウコク高原からロシアに持ち出されてしまった。その後、そのミイラに関わる人たちの不幸が続き、なんならロシアでそのミイラをみたヒラリー・クリントンのその後の不幸もその呪いと現地の人は信じている。2012年、ミイラはアルタイに返されたとのこと。
第八章は、1873年にエーゲ海のケロス島で発見された宝。その後、デジタル機器やGPSの発展により、より正確に発掘の記録がつくられるようになり、荷物は海を越えて広く運ばれていたということ、このあたりが世界最後の臨界聖地であったことが明らかになってきた。
エーゲ海は、先史時代における海上輸送の中心地であったということ。
エピローグにある著者の問いが、なるほどな、と感じた。
”問題は、発見とは何を意味するのかということだ。対象物を最初に見つけることなのか、それともその意味や重要性を明らかにすることなのか? その存在を地元に知られるのも発見なのか、それともその重要性を世界に認知されれば発見なのか?”
なるほど、、、、でも私にはどっちでもいいけれど。
昔のことがわかってしまうって、、、ちょっとすごいな。
まぁ、あとから歴史が塗り替えられるのも、考古学だけどね。
人はなぜ、遺跡に魅了されるのだろう。なぜ、熊野古道があんなに人を惹きつけるのだろう。遺跡を通じた過去の人々との対話に、人は癒されるものなのかもしれない。遺跡は嘘をつかない。人がつくったナラティブは、嘘のこともあるけど、ね。
歴史学と考古学の境目はどこなんだろう。学問的にはあるのかもしれないけど、、、100年後にはその定義も変わっているのかもね…。
ちょっと、楽しい冒険のノンフィクションでした。
読書は楽しい。
