「世界史に学ぶコロナ時代を生きる知恵」by 出口治明 鹿島茂

「世界史に学ぶコロナ時代を生きる知恵」
出口治明 鹿島茂
2020年10月13日 第1刷発行

文藝春秋

 

文春ブックレット、99ページという、ちょっと薄めの一冊。

週刊文春に掲載されていたものを増補しつつ、単行本にした一冊。

 

コロナ関係はいくつも読んできているけれども、出口さんと鹿島さんの対談の本ということで、面白そうなので読んでみた。

 

さらっと、読める一冊。

 

第1章 感染症が世界を変えた
”世界ヨーロッパの人口の1/3以上が死んだペスト。
コロンブスが新大陸に持ち込んだ天然痘などの感染症は、人口を激減させ、新しい世界の扉を開いた。”
など、歴史にのこる、感染症のお話が第一章。

 

出口さんが、マンゾーニの「いいなずけ」をイタリアの高校の校長先生が引用し、医学を信頼して落ち着いて行動しましょう、と話したことを言及されていた。「いいなずけ」は、ペストでパニックになったイタリアが舞台となった、若者の恋愛話。小説で、歴史を学べる一例。私もコロナの流れで読んでみた。お話としても面白かった。

megureca.hatenablog.com

 

もう一つのパンデミック第一次世界大戦中に始まった、スペイン風邪。最初の感染者はアメリカで報告されているのに、戦争中で国内のことをあまり報じなかったため、中立国であったために世界中に報じられたスペインが感染源のようにおもわれて、「スペイン風邪」と言われるようになってしまったらしい。
これは、知らなかった!
でも、スペイン風邪のせいで、戦争している場合ではなくなって、戦争が終わった。

 

ペストは、ルネサンスを生んだ。
人がバタバタと死んでいくと、「これは天罰か?!」とおもって、神様を拝む。でも、みんなが教会に行って、密になって、さらに感染する。神様が助けてくれない。
祈っても助からないことで、教会の権威が凋落する。そして、明日死ぬかもわからないのだから、もっと人生を楽しもう!ってことで、ルネサンスが生まれる。

 

ペストにしても、スペイン風邪にしても、生きるか死ぬかとなると、集団として生き残るための道、享楽への道を選ぶのが、人間の本能か?

パンデミックは、社会の進歩を促す、のかもしれない。
であれば、コロナもきっと、、、何かの進歩をうめるはず、と思う。

 


第2章 コロナが変える日本
”在宅勤務リモートワークの増加は日本社会にどのようなインパクトをもたらすのか。
コロナをきっかけに日本をより住みやすい社会にするための処方箋は?”
と、日本のこれからを語る第二章。

 

コロナで、協力金や助成金が出されているけれど、一時収入として、結局課税されるのだから、国もケチンボだな、とおもっていたら、本の中にもっとしょうもない話がでてきた。


困窮する学生に「学生支援緊急給付金」として20万円を配布しますと言いながら、外国人留学生に限っては成績優秀であることや、出席率8割以上に限りますといった条件をつけたそうだ。
知らなかった!
そんな対策で、よく、「留学生を増やしたい」とか言ったもんだ。
条件をつけるのなら、日本人だって同じ条件だろう。
よくわからない、条件だ。

 

建前では、グローバル化、とかいいながら、「日本人ファースト」なのは、コロナ禍のような非常時にはよろしくないのではないか、、、と思う。
そいうところ、これから変わっていけばいいのに、と思う。

 

リモートワークがもたらしたメリットについて、語られていた。

個人的には、リモートワークは、これからもある程度続くのではないかと思う。リモートワークが増えて、家族が一緒に食事ができること、ありがたくもあり、大変でもあったと思うけれど、やはり、昔のようにサラリーマンは毎晩外で付き合いの宴会、という日はそうそう戻らないのではないだろうか。家庭で過ごすことの当たり前を認知していしまうと、もう、そんな時間の使い方はしなくなるのではないだろうか?と思う。

 

バブル時代から考えても、経済成長と外での宴会回数はパラレルに右肩上がりだった。その時代を知っている年代(今の50代以上)にしてみれば、仕事の後に飲みに行くのは当たり前。でも、20世紀のような経済成長ではない21世紀の日本、経済も宴会も、ちょっとスローなペースで良いように思う。かつ、持続可能であることも求められているわけだし。

 

経済成長より、家庭の幸福や、子供の未来。そういう価値観への移行が、少しコロナで後押しされているような気がする。そうであったらいいな、、、と思う。

成長は、永遠に右肩上がりという事はあり得ない。

立ち止まっている時間、停滞している時間も、価値を見直すためには大切なのではないかと思う。

 


第三章 コロナと米中激突の行方
”コロナに対して人類は一致団結するどころか米中が対立を深めるなど連帯よりも分断が目立っている。混迷を深める国際秩序の行方はいかに?”

 

2020年10月の本なので、コロナによる米中激突は、トランプ大統領が拍車をかけた、というトーンになっている。それは、それで、事実だ。
バイデンさんになって、かわったか???
あんまり、そこは変わっていないように思う。中国より、アフガニスタンやメキシコとの国境問題の方が忙しいから、かもしれないけれど。

鹿島さんは、
”見方を変えれば、(中国は)実はとても付き合いやすい相手ともいえます。なぜかと言えば、中国の行動原理は二つしかないからです。「強いか、弱いか」「損か、得か」。”
と言っている。
それはわかりやすい。
その分かりやすさは、実はトランプ大統領も一緒だったかも、、、、なんて思う。


最後に、出口さんのまとめのコメント。
”歴史から学べる大切なことは少なくとも二つあります。
それは時と場合に応じて様々な時間軸を自分の中で使い分けて、複眼的に物事を見ることと、エビデンスや記録の重要性です。コロナ後の世界ではその二つのことがもっともっと大切になるはずです”


複眼的に物事を見ること
エビデンスや記録の重要性

 

国として、社会としても大事だけれど、個人にとってもやっぱり重要だ。

物事は、複数の側面からの見方・認識がある、という事を理解したうえで、自分にとっての解釈をするよう気を付けようと思う。

 

あとから見直すことが、未来のより良い一手になる。そこに必要なのは計測と記録。

やっぱり、記録すること、大事だ。

一行日記でもいいから、これからも続けようと思う。

 

緊急事態宣言が、2021年9月30日をもって解除された。
今週は、開けて、初めての週末。
そこかしこで、昼飲みを楽しむ人々がいた。
私も、その一人だ。

 

人と会って話すことの楽しさ、大切さ、痛感した。
コロナで長引くステイホーム、色々なことを見直す機会になったと思う。

人と会って話せる、食事ができる、そして、その食事を提供してくれるお店がある、お店に材料を提供してくれる人がいる、人と物を運んでくれる人がいる、、、。
これも一つのバリューチェーン

感謝したい人がたくさんいる。

 

昨日、私が美味しく楽しく食事して、ビールもワインもウイスキーも楽しめたのはたくさんの人に支えられた経済活動があるからだ。

皆さん、ありがとうございます。

美味しかったです!

 

感謝したい人がいるというのは、幸せなことだ。

 

コロナがくれた立ち止まって考える時間、自分になりにも記録しておいてもいいかもしれない、と思う。

 

 

 

 

 

 

歴史の正解とは?

歴史は、勝者が作る。。。

はたして、本当の歴史は?

 

歴史には、解釈がある。

だから、ただ、教科書を読むだけではなく、色々な解釈を学ぶ必要があるんだな、と思う今日この頃。

 

学生時代、歴史にはあまり興味がなかった。

通っていた県立高校は、進学校だけれどまんべんなく授業があった。高校三年生、理系進学コースでも日本史の授業があったし、漢文の授業があった。

物理や数学を勉強しているほうが楽しいから、歴史にはあまり興味がなかった。

共通一次試験に必要な範囲しか、勉強しなかった。

その程度の知識だし、その程度の記憶。

 

ところがだ、歳をとるにつれて、歴史を学ぶことが楽しくなり、その大切さを認識するようになる。あぁ、もっと、歴史を勉強しておけばよかったなあ。と。

なぜなら、歴史は繰り返していることを、人生のなかで経験するからだ。と思う。

 

と、だが、しかし!だ。

今の教科書は、鎌倉幕府設立も、「イイクニツクロウ」1192年設立、ではないらしいではないか。

江戸時代の「士農工商」もないらしい。

私が勉強して、テストで間違いでバッテンをくらったものも、実は、テストの答えが間違っていましたって、、、そんな勝手な、と思う。

学校で習ったとおりに答えることを求められる教科が好きではなかったが、心のどこかで、「そんなの誰か確認したの?」と思っていたからかもしれない。

歴史を学ぶというのは、教科書を信じるという事ではない。

 

1192年、それがどうした?

 

そう、歴史を学ぶといっても、細部の年号とか、誰が、とかいうことでなく、どうしてそうなったのか、そこにあるストーリーが大事なのだ。

でも、ストーリーにするという事は、その時代の登場人物の個性というのか、特徴、人間としてどういう人であったのか、が説明されないとわかりにくいのだ。

 

でもって、その人はすでに故人なわけで、直接本人に会ったことのない人が、過去の文献などからその人のキャラを紐解こうとする。文献にのこっていたり、人々に言い伝えられていることというのは、その故人の特徴だったことだったりするかもしれないけれど、その人の全人生ではない。取るに足らないと思われるような日常の過ごし方などが文献などに残るはずもない。

 

と、そうすると、それぞれの故人への理解は、極端なものに傾いてしまうのではないだろうか??

 

と、そんなことを最近、「明治維新」をテーマにした本を数冊よんで、つくづく思った。

 

始まりは、

「ドーダの近代史」鹿島茂

東海林さだおさんの「ドーダ学」にならって、近代史をドーダ学で読みといた一冊。

「ドーダ、オレ、すごいだろう」という自己愛に源を発する表現行動で、尊王攘夷へ走った水戸学の藤田東湖、それにならった西郷隆盛、などなど。

そうか、そういう見方があるのか、と面白く読んだ。

西郷どん、といえば、もっさいけど、人の良い人、、、という印象があったけど、なるほど、そうとも言えるかもね、と思った。

megureca.hatenablog.com

 

そして、続けて読んだのが、

明治維新とは何だったのか」祥伝社 半藤一利出口治明

明治維新という過ち」 毎日ワンズ 原田伊織

「大西郷という虚像」 悟空出版 原田伊織

 

いずれも、「明治維新」に対する解釈は、私が中学・高校で学んできた歴史解釈とはことなっていた。

教科書は、「明治維新」があって日本の近代化が進んだ、というプラスの側面として書かれていた。

でも、これらの本は、「明治維新」という名称そのものも、「幕末~明治」の出来事を正当化するためにつけられたもので、実際には、薩摩・長州の世の中になっただけで、勝てば官軍、だっただけだと。

赤報隊」なんて、ただのテロ集団、といえばその通りだ。その集団の世の中になったのが明治維新。テロ集団が、勝てば官軍になってしまった。

 

そして、その「官軍」が陸軍、海軍の中心となり、太平洋戦争へ陥っていく、、、。

 

そうか、そうかもしれない、と思わず、納得する。

まぁ、これも、一つの解釈であり、正解であるかはわからない。

 

教科書以外で知る幕末というと、司馬遼太郎さんの数々の名作で、近代日本が形作られる成長の時代、と理解しがち。でも、司馬遼太郎さんは自分の理想で書いたのであって、坂本龍馬坂本竜馬は違う。坂本竜馬はフィクションだ。

 

歴史だけではない。

 

何かを理解しようとすると、事実を知るという事と、その解釈を知るという事は、別物であって、自分で解釈できるほどの知恵がないから、人の解釈を聞いてみる。新聞、雑誌、テレビで人の意見を聞くのも、解釈を聞いているという事だ。

 

事実と解釈。

 

自分で解釈できないことは、複数の解釈をきいてみるというのが大事だな、とつくづく思う、今日この頃。

 

池上彰さんや、佐藤優さん、新聞は複数読むべき、とよくおっしゃる。

頭ではそうだろうと思っていたけれど、いくつも新聞を購読するのはお金もかかるし、読むのに時間もかかる。

でも、たしかに、大事なんだな、と思う。

 

ネットでも、大きな記事は無料で読むことが出来る。

無料で読める範囲で、同じことを扱った記事を読み比べてみると、面白いかもしれない。

 

眞子さんのご結婚。

岸田内閣。

新聞によって、どう書かれているのか、ちょっと読み比べてみようかな、なんて思った。

 

歴史は、勝者によって書かれる。

教科書だって、所詮、誰かの視点で書かれたもの。

それをわかったうえで、歴史をみなおしてみると、なお、面白いかもしれない。

 

起きていることは正しい。

それを、どう解釈するかは、自分次第。

 

歴史も、政治も、人生も。

人間は、どう解釈するかの答えをもとめて思考する動物なのかもしれない。

そうでなければ、哲学なんてものは生まれない。

 

そうだ。

だから、

自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。

 

自分の人生の解釈は、自分で決める。

 

 

 

 

 

 

「ふたつの海のあいだで」 by カルミネ・アパーテ

「ふたつの海のあいだで」(TRA DUE MARI)

カルミネ・アパーテ 著
関口英子 訳
新潮社 (CREST BOOKS)
2017年2月25日 発行
(原作は、2002年)

 
書類の整理をしていたら、「ふたつの海のあいだで」という走り書きのメモがでてきた。読もうと思って、書きとめていたのだと思う。忘れていた。
図書館で借りてみた。
 
やっぱりそうだった。

裏表紙に、「ヤマザキマリ」のコメントが付いている。ヤマザキマリさんのお薦めだから読んでみようと思ったのだと思う。
 
感想。
美しかった。
読み終わったとき、鳥肌がたった。
久しぶりだ、この感じ。
映画のラストで鳥肌がたつのと、似た感じ。
心が持っていかれた。
あぁ、小説も好きだ、、、と思った。
海が、海岸の景色が、まぶたの裏にまざまざと浮かぶ。
イタリアに、今すぐ飛んでいきたくなる。
そんな、一冊だった。

作者のカルミネ・アバーテは1954年。裏表紙にあった写真は、ちょび髭をはやした、おでこの広いおじさん。。。
多分、初めて彼の作品を読んだと思う。
本書の説明によると、
イタリア南部カラブリア州の小さな村カルピスに生まれた人。少数言語アルバレシュ語の話される環境で育ち、イタリア語は小学校で学んだ。バーリ大学(南イタリアの大学)で教員免許を取得。ドイツ・ハンブルクでイタリア語教師となり1984年にドイツ語で初めての短編集を発表した。その後イタリア語で執筆した「サークルダンス」(1991)で本格的に小説家としてデビュー、2002年に発表した本作が高い評価を得る。
ということ。
言葉に対する、繊細さをもったひとなのかもしれない。
文章を読んでいると、女性が書いたのかな?という気がしなくもない。
 
翻訳は、関口英子さん。 翻訳も上手いと思った。私は、イタリア語は読めないから原語と比べることはできないけれど 、たぶん、元の文章が素晴らしいということもあるだろうけれど、とても読みやすい。
「月を見つけたチャウラ ピランデッロ短編集」で第一回須賀敦子翻訳賞を受賞された方、ということ。
須賀敦子さんは、大好きな作家さん。イタリア語、イタリアの物語と言えば、須賀さん、という方。その方の名前が付いた賞を取られた方ということなので、翻訳も素晴らしいということは、間違いないだろう。

 

とても素敵な本に出合えた。

 

以下、ネタばれあり。

舞台は、イタリア南部、カラブリア州の田舎町、ロッカルバ。
カラブリア州は、イタリアの長靴のつま先の州。西はティレニア海に、東はイオニア海に囲まれている。

 

”彼のことなどなにひとつ知らなかった。7月のあの日に逮捕されて以来、何年ものあいだ僕の人生から姿を消したきりで、誰も彼の話をしてくれなかった。・・・・・”

と、始まる。


彼とは、「ジョルジョ・ベッルーシ」。主人公の僕、フロリアンの母方のおじいさん。

物語は、僕の語りで始まる。
ロッカルバは、お母さんの故郷。ハンブルクから車で家族と一緒にお母さんの故郷にやってきた僕。夏休みを過ごすためにやってきた。そこには、叔父さん家族、従兄のテレーザ、ジョルジョ・ベッルーシの妻である僕のおばあちゃんが、待っていた。そして、海の方向には、将来、「ジョルジョ・ベッルーシ」が再建をはたすべき、一族の象徴《いちじくの館》、旅館が廃墟になっていた。

 

物語りは、ジョルジョ・ベッルーシが23歳の時の旅に時間がもどる。23歳の一人旅。

旅の途中でであったのは、僕のお父さんのお父さん、つまり、僕のおじいちゃん。ドイツ人。ドイツ人は写真をとる旅の途中で、23歳のイタリア人の青年と出会う。

 

ドイツとイタリアをまたいだ家族の話になっていく。

「ジョルジョ・ベッルーシ」が逮捕された理由は、殺人だった。街の暴れん坊からさんざん嫌がらせを受け、畑の木を切られ、買っていた羊を殺され、金をせびられ、、それでも、静かに耐えていたのに、堪忍袋の緒が切れた・・・・。

 

刑期を終えて還ってきたジョルジュ・ベッルーシは、街のみんなに歓迎される。だって、悪いのは、街の暴れん坊だ。
そして、《いちじくの館》の再建を始める。


しかし、再建の途中、ふたたび、街の暴れん坊一派から、《いちじくの館》の爆破というしかえしを受ける。
資金が底をついている。でも、再建にすべてをかけるジョルジュ・ベッルーシ。
手伝う僕。


資金不足を助けてくれたのは、ドイツ人のもう一人のおじいちゃんだった。今や有名なカメラマンとして世界中を飛び回るお金持ちのおじいちゃんが、《いちじくの館》の再建を助けてくれる。

 

再建された《いちじくの館》は、一族の象徴どころか、街の象徴になる。
県知事までがお祝いに駆けつけた、オープニングセレモニー。
人々の記憶に残るパーティーになる。
僕は、お父さんとお母さんが身体を寄せ合って踊る姿を、初めて見る。
僕も、恋人のマルティーナと幸せな時をすごす。

幸せの象徴のような、《いちじくの館》。

が、物語はそこで終わらない。。。


パーティーの後、二人のおじいちゃんは、ふたたび一緒に旅をする。
そして、街の暴れん坊が二人の命を奪う・・・。

 

え?!
という、はなしの展開。

美しい風景の描写と、どこまでも残酷な死。

 

物語の最後は、
”マルティーナと僕は結婚します。ここ《いちじくの館》で盛大な披露宴をひらくつもりです。”


何世代にも渡る、愛の物語。
最後は、僕の未来に向けた愛の物語。

鳥肌がたった。 

 

なんだろうか、この感じ。

生命力。

 

ただのハッピーエンドではないけれど、生きるエネルギーを感じるというのか。

無念でも、理不尽でも、それでも生きていく。

世代をつなぐことができるという幸せ。

 

素敵な本に出あえた。

 

カルミネ・アパーテの本を他にも読んでみたくなった。

関口さんの訳した本を他にも読んでみたくなった。

イタリアに行きたくなった。

 

読書は世界を広げる。

読書は楽しい。

 

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「伊勢の海千尋の底の一つ石」 禅の一言

伊勢の海千尋の底の一つ石

今朝、教えていただいた、禅の一言。


伊勢の海千尋の底の一つ石 (いせのうみ ちひろのそこの ひとつのいし)

 
臨済禅の公案の一つ。
  
伊勢の海、というのは、伊勢神宮のある伊勢の海のこと。
日本が舞台の公案


「伊勢の海 千尋の底の一つ石 袖をぬらさで 取るよしもがな」

意味
伊勢の海の深いところにある石、石碑みたいなものを、袖をぬらさないでとる方法はあるか?

禅の師匠が弟子に問いかけた。

 

師匠の答えは、「境界(きょうがい)で見よ」ということだった。
頭で考えないで、心で解いてみなさい、ということ。

 

袖が濡れることを気にしていては、石はとってこれない、あれこれ考えないで、ザブンと水に入って取ってくればいい。
石がとりたいのであれば、濡れることなんて気にしないで、飛び込めばいい。。

と。

そういうこと。

 

あんまり解説しても仕方がない、と言いつつ、

もう一つ、同じようなこととして紹介されたのが、

 

「舌を使わず話してみよ」


これは、幕末の志士である山岡鉄舟(谷中に全生庵を作った人)が弟子の一人であった噺家三遊亭円朝に言った言葉。


「舌を使わずに噺をして見よ」


解説

「今の芸人は、人が喝采さえすれば、すぐにうぬぼれて名人気取りになるが、昔の人は自分の芸を始終自分の本心に問い掛けて修行したものだ。
しかし、いくら修行しても噺家であれば、その舌をなくさない限り本心は満足しない。その舌や身をなくす法は、禅をおいてほかにはない。」として、禅で指導し、何度も桃太郎の話をさせた。

そしてある日、「今日の桃太郎は生きているぞ」と許し、円朝に「無舌居士(むぜつこじ)」の号を付与した。

 

 

ちょっとわかりにくかったのだが、
どちらの言葉も、「心の底から自分が欲するものに素直になれ」、という事なのかもしれない。

 

よけいなことを気にするな。
人がどう評価するかを気にするな。

そういう、こと?

 

三木清さんの「人生論ノート」に、虚栄心の話が出てきたが、虚栄心というのは”消費”と結びついているという。ここでいう消費というのは、貨幣で変換される価値。

噺家としての自分の価値。消費者にとっての自分の価値。

消費者からの評価によってかわる価値。

そんなものを気にしない、というのが虚栄心を捨てるという事であり、舌を使わずに噺をする、ということなのかもしれない。

megureca.hatenablog.com

ちょっと、難しいな。

 

自分の欲するものに素直になる。

でも、独り善がりでないこと。

私にとっての、海の底の石は、何だろうか?

 

袖が濡れるのも気にせずに、取りに行きたいものがあるだろうか?

それくらい、夢中になっているもの、頑張りたいもの、今の私にあるだろうか?

 

そのことの方が、今の私には問題なような気がする。

石が何だかわからないままに、色々インプットばかりに夢中になっている今日この頃。

あれもやりたい、これもやりたい。

やりたいことは満載だ。

 

人生100年時代、半分の節目に、ちょっとゆらゆらと浮いてみるのも悪くない。

いつも全力で石を取りに潜っていたら、疲れちゃうよ。

今は、体力をつける時だとおもって、インプットを楽しもう。

 

そういうときがあってもいい。

そいうことにしよう。

そのかわり、全力でインプットしよう。

波に、浮いていられるくらいの脱力と全力で。

 

 

 

 

 

「人生論ノート」 by 三木清

人生論ノート 他2編
三木清 著
岸見一郎 解説
角川ソフィア文庫
平成29年3月25日初版発行

 

これまでも何度も読もうと思ったけれど、難しそうだなと思って手にしていなかった。
まずは図書館で借りて読んでみることにした。

 

人生論ノートは、もともと1938~1943年、『文学界』に断続的に連載されていたもの。1941年、創元社から、「人生論ノート」単行本として刊行された。
今回、手にしたのは、平成29年、2017年に岸見さんの解説付きで、角川ソフィアから発行されたもの。

 

難しそうで、敬遠していたのだけれど、すっと入ってくる感じのエッセイ集だった。

 

著者の三木さんは、1897年兵庫県生まれ。
旧制第1高等学校を経て京都帝国大学文学部哲学科に入学。西田幾多郎に師事するために京都大学へ行った。大学卒業後は、岩波書店の後援を受けて、ドイツ・フランスへ留学。当時のドイツ哲学を代表していたリッケルト、気鋭の哲学者ハイデッカーの元で学んだ。パリでは パスカル の研究に着手。帰国後1926年に『パスカルにおける人間の研究』として刊行された。1929年に結婚。結婚翌年、共産党に資金を提供したとして治安維持法で検挙起訴。拘留されていた間に一人娘が生まれた。
1936年の夏、妻喜美子が急病に倒れ、亡くなる。まだ33歳だった。
その後1939年再婚。しかし再婚した妻も、1944年に病気で亡くしてしまう。戦時中のことだ。
娘とともに埼玉に疎開。農家の2階に間借りし、穏やかな暮らしをしていたが、この疎開先で1945年3月17日に逮捕される。反戦容疑だった。思想犯として拘留されていたところを逃走した旧友の高倉輝が、三木を頼って尋ねてきた。それが警察の知れるところとなり、逮捕された。
三木さんは、結局、敗戦後もすぐに釈放されることなく、そのまま48歳で獄死した。

 

なんて、、、不運に振り回された人生だったのか、、、と思う。


本書の「人生論ノート」は、テーマごとに、
死について
幸福について
懐疑について
習慣について
虚栄について
名誉心について
怒りについて
人間の条件について
孤独について
・・・・・・・

と、つづられていく。

 

どの項も、覚書として書き残しておきたいことが満載。
全体に特徴的なのは、多くの哲学者らの名前、言葉が引用されていること。

言論の自由が今ほど保障されていなかった戦前、レトリックを駆使することを、想いを伝えるための手段としてつかったのだろう、と岸見さんは解説している。


死について
パスカル人は誰ひとり、死ぬるであろう


偽善について
ラ・ブリュイエール人間は生まれつき嘘つきである


健康について
ベーコン「何が自分のためになり、何が自分の害になるのか、の自分自身の観察が健康を保つ最上の物理学である。

 

引用だけでなく、三木さんの言葉にも心うたれるものがたくさんある。

幸福は徳に反するものではなく、むしろ幸福そのものが徳である。もちろん他人の幸福について考えねばならぬというのは正しい。しかし我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の善い事をなし得るであろうか。”

大切な人の幸せのためには、自分が幸せであること。


愛は統一であり、集合であり、連続である。怒りは分離であり、独立であり、非連続である。” 

行き過ぎたナショナリズムは、統一であり、排他的であり、、、、排他的なものは怒り、恐れ、から来るのかもしれない。。。国民国家がある限りは、戦争はなくならないのか、、、。

怒りについては、

怒りを避ける最上の手段は、機智である。”とも言っている。

名誉心(自分に対するもの)と虚栄心(世間に対するもの)との区別があいまいになり、怒りの意味があいまいになる。怒りの意味をあいまいにしないことが、怒りを避ける手段、ということか。

 

孤独というのは独居のことではない。独居は孤独の一つの条件に過ぎず、しかもその外的な条件である。むしろひとは孤独を逃れるために独居しさえするのである。隠遁者というのはしばしばかような人である。”

孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。”

よくわかる。

一人でいることは、孤独ではない。一緒にいるのに、心の中の何かを共有していないことが孤独を呼ぶのではないだろうか。

離婚間際の夫婦が、別居を選ぶのは、一緒にいる方が孤独だからだではないのか。

 

また、三木さんは、

”孤独を味わうために、西洋人なら街に出るであろう。ところが東洋人は自然の中に入った。”と言っている。

東洋人にとっては自然は社会のひとつであり、東洋人にとっては人間と自然とが対立的には考えられないからだ、と。

なるほど、面白い視点だと思った。

キリストという神を信じるていきているのか、アミニズムに生きているのか、、そういうことなのか?ちょっと、難しいけど、孤独を味わうために自然に入るっていうのは、わかるような気がする。自然に見捨てられることほど、恐ろしいことは無い・・・。

 

 

”もし無邪気な心というものを定義しようとするなら、嫉妬心でない心というのが何より適当であろう。

自信がないことから嫉妬が起こるというのは正しい。もっとも、何らの自信もなければ嫉妬のおこりようもないわけであるが。”

嫉妬心についての項にでてきた言葉。自信がないから、嫉妬する。いや、ちょっとだけ自信があるけど、自分より高みにいる人に嫉妬する。

劣等感と嫉妬は、もしかすると同じなのかもしれない。

劣等感なんてものは、、、自信があれば持たずに済むものかもしれない。

自信を持てるかどうか、、、最後は自分にしかできない。

 

どんなに人から応援されても、褒められても、自信は自分でしか持つことはできない

と、そんな風に思う。

 

 

誰も他人の身代わりに健康になることができぬ。また誰も自分の身代わりに健康になることができぬ。健康は全く銘々のものである。”

至極、その通り。

自分の健康は、自分で守る。。。。

 

ほかにも、たくさん、たくさん、、、うなずきながら本を読んだ。

 

人は、一人だ。そして、一人では生きていけない。

やはり、自分を幸せにするのも、不幸にするのも、自分なのだ。

 

自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。

 

私は、自分で決めた時間の使い方をしているだろうか?

大切だと、思い込んでいることに振り回されていないだろうか?

 

自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。

 

ちょっと、時間の使い方を振り返ってみたいな、、、と思う一冊だった。

読書は、楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「不思議の国のアリス」 by ルイス・キャロル

不思議の国のアリス」 

ルイス・キャロル

矢川澄子 訳  金子國義 挿画 

新潮文庫

平成6年2月25日 発行  平成26年6月10日 31刷

 

ご存じ、アリスの冒険物語。

隙間時間で、ちゃっと読める本を図書館で探して、

背表紙の薄さから、この本を手に取った。

175ページ。

挿画は、カラー。

文庫本としては、お手ごろ感含めて、なかなか、素敵だ。

表紙もピンクで、かわいらしい。

 

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不思議の国のアリス 新潮文庫

 

物語として読むのは、何十年ぶりだろうか?

子供のときに読んだのは、絵がたくさんかいてある児童書だったような気がする。

改めて、物語として読んでみると、翻訳のうまさなのか、軽快に進むスピード感、アリスの迷いのない決断、改めて、面白いお話だったんだ、と、気づかされる。

 

イモムシの「だれだい、あんたは?」とか、

侯爵夫人の「それでもって、こいつの首をちょんぎっておしまい」とか、

セリフの訳し方が、うまいなぁ、って思う。

ポンポン、テンポよくお話が進む感じ。

セリフは、訳し方で、だいぶ印象が変わるだろう。

こういう、児童書も英語と日本語とを見比べて読んでみても面白いかもしれない。

 

ネタバレ。

と、断るまでもなく、誰もが知っている物語だと思う。

ストーリーそのものを全部覚えていなくても、チェシャネコ、ドードー、トランプの女王様、、、アリスが、大きくなったり、小さくなったり、、、と、シーンは思い浮かべることが出来るのではないだろうか。

 

本を読んで、改めて思ったのは、アリスって、なんて勇敢なんでしょう!ということ。

チョッキを着た白兎を追いかけて大きな穴に飛び込むのも、なかなかの勇気だが、「不思議の国のアリス」のストーリーに引き込まれるのは、穴に入ってからのアリスが孤軍奮闘するからかもしれない、と思った。

 

アリスには、桃太郎のような雉や犬はいない。スタンドバイミーのような、友達もいない。アリスは、一人で冒険を始めるのだ。

アリスは、一人で「ワタシヲオノミ」と書かれたビンの中身を飲むべきか、飲まざるべきか、、、決断するのだ。

持っている知識を総動員して、「毒」とは書いていないのだから、きっとこの家から出るために飲むべきなんだ、と判断して飲んでみる。

「チェリー・タルトとカスタードとパイナップルとロースト・ターキーとタフィーと焼きたてのバター・トーストをいっしょくたにしたような香り」を一気に飲み干す。

 

みるみる小さくなるアリス、、、、。

びっくり!

でも、「これであの小さなドアからかわいいお庭に出らる」と思うと、アリスはぱっと顔を輝かせる。

 

そう、アリスは、やってみることに躊躇しなければ、その結果による変化を前向きに前向きに受け止める。普通、訳の分からないものを飲んで、自分が10インチになっちゃったら、慌てふためくだろう。アリスは、いたって前向きだ。

 

その、テンポの良さが、アリスの景気の良さが、この物語の魅力なのかもしれない。

 

と、出だしからそんな風に楽しく思いながら、あっという間に読んでしまった。

そうだった、こんな登場人物(動物)いたなぁ、と思いつつ、なかなか楽しかった。

 

著者のルイス・キャロルは1832ー1898年、本名、チャールズ・ラトウィッジ・ドジスン。ずいぶん厳めしい名前だ・・・・。イギリスの童話作家でオックスフォード大学の数学と倫理学の教授。本作は、キャロル自身が、幼い三姉妹と出かけたピクニックで、次女のアリス・リデルにせまがれて、即興的に作ったお話。幼い少女たちをこよなく愛し、生涯を独身で通した女性。

 

自分に子供がいなくても、子供を楽しませることができるんだな、って、うれしく思う。

 

時間つぶしに手にした本だけど、なんだか、元気になる気がした。

100年以上、愛される物語なわけだ。

 

子供の時に読んだ本を、読み返すのもなかなか楽しい。

夢の世界。

忘れたくないな、と思った。

 

これから、季節は秋から冬へ。

寒い冬は部屋にこもって本を読むのが好きだった。

外で遊べないかわりに、本を読んで主人公と一緒に冒険する。

そういう時間、好きだったなぁ、と思い返す。

 

大人の読書も、もっと妄想を楽しもう。

読書は、楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もっとコロッケな日本語を」 by  東海林さだお

「もっとコロッケな日本語を」
東海林さだお
2006年6月10日第一刷
文春文庫
 
「ドーダの近代史」に「ドーダの教祖」として紹介されていたのが東海林さだおさん。そして、その教科書がこの「もっとコロッケな日本語を」だったというので読んでみた。
 

megureca.hatenablog.com


えっと、えっと、なんじゃこりゃ??
裏表紙の説明書き、
”長年にわたるドーダ学研究の成果を発表すべく、フィールドワークの現場として選ばれたのは銀座のクラブ。果たしてそこは宝庫であった。
懐かしの歌声喫茶で大声を張り上げ、自分で打った蕎麦に舌鼓を打ち、標高4.5 M の日本一低い山に登る。そして読み物やショージ君の理想とする文章とは!? 解説・倉田真由美
とある。
 
おもなドーダ論は、最初の3項目だけで、あとは、ごった煮のようなエッセイ集だった。歌声喫茶、そば打ち、4.5Mの登山。。。。ごった煮というのは、悪口として言っているわけではない。東海林さだおさんなら、ごった煮万歳、といっていただけそうなので、、、、。
 
でも、ドーダ学を理解することはできた気がする。
 
ドーダな人々 Part I ~ Part III。
と、3項にわたって、事例を紹介しつつ、詳細なる解説が。
文庫本、50ページ強で、語りつくされるドーダ論。
いや、語りつくされては、、、いないのかもしれない。。。
 
本書の最後の方に、ふたたび、ちょろっと、「ドーダ」がでてくるけど、極めて、シンプルなドーダ論である、という事がわかった。
 
まずもって、人々の会話の八割は自慢話だという説明から入る。
自慢話は「ドーダ!」である、ということだ。

コミュニケーションは、「ドーダ!」でできている、ということだ。

 
ドーダ学のフィールドワークの場が紹介される。
フィールドワークにふさわしい場として、喫茶店、ビアホール、居酒屋、レストラン、料亭、スナック、バー、クラブ、キャバレー、、、。この順番で、水商売の水度は高くなっていく。水度が高くなるほど、自慢度も高くなるという。。。。
ま、お金がかかるところほど、ドーダ!の人が増えるという事か。
 
Part I 、銀座のクラブは、「ドーダの館」ともいわれる。
「アーラ、○○センセ、お久しぶり」
「寝てないんだ」
「原稿の締め切りでお忙しくしていらっしゃるから、ゆっくりしてらしてください」
「帰ってから、40枚書かなきゃいけないんだ」
 
これが、噂の「忙し自慢ドーダ」
 
ビジネスマンだと、
「今月は、デュッセルドルフだろ。ニューヨークだろ。ニューヨークからかえってトンボ帰りでボストンだもん。もうやんなっちゃう。」
 
立派な、ドーダ。

 


Part Ⅱ
ブランド、ドーダ。
アクアスキュータムのコートを預けるときに、襟首のところについているラベルをわざと目立つように渡す、、とか。
(ちなみに、アクアスキュータムは、イギリスの高級ブランドだったけど、いったん破綻して2021年現在は中国資本のはず、、、、。高いという事は、変わってないか。)
ベルトだけブランド物で、つるしのスーツのおじさん、、、とか。
 
ブランドの一つ、学歴ドーダ。
あちこちで、「30分以内に、自分が東大卒であることをいう人」が出没する、というドーダ学会員の研究報告があるそうだ。
ちなみに、
「オレの友達のイワムラ、しってるだろ、あいつ、東大なんだけどさ。。。」と、東大の友達が多いドーダ、という変化球もあるらしい。。。
 
ちなみに、ブランドドーダ、学歴ドーダは、女にもてたい男に多く見られる下心ドーダ、、、らしい。
 


Part Ⅲ
有名人をみたドーダ。
田中真紀子とトイレで一緒になった」
(事例が田中真紀子なところに時代を感じる、、、。いまなら百合ちゃんか?)
「タクシーに乗ったら、その前の客がキヨハラだったってさ」
(これも、キヨハラが事例なのが、、、時代だが)
あってもいないのに、同じ席にすわっちゃたドーダ。
なかなか、いじましい。
「○○さんと誕生日が同じでさ」
 
 
とまぁ、、、そんな、ドーダ学。
 
人の会話は、自慢で成り立っている。。。。

 

愚痴だって、見方を変えれば、

「オレはこんなに大変でかわいそうなんだ」っていう、ドーダかもしれない。。。


 
ま、いいじゃない。自慢でも。
コロナで、人と会う機会が減って、「ドーダロス」になっている人々もたくさんいそうだ。
 
無事に、緊急事態宣言が解禁され、お店でアルコールが飲めるようになったら、
「こんなに大変だったんだ、ドーダ!」が増えそうな気がする。
ま、それでもいいじゃないか。
ひとは、コミュニケーションの生き物だ。
ドーダ、ばんざーい。
ドーダできる相手がいることに、感謝しよう! 

 

しかし、タイトルの、「もっとコロッケな日本語」って、何だったんだろう??

ショージ君の世界は、まだまだ奥が深そうだ・・・。