『言語はこうして生まれる』:続き by モーテン・H・ クリスチャンセン、 ニック・チェーター

言語はこうして生まれる
「即興する脳」とジェスチャーゲーム
モーテン・H・ クリスチャンセン
ニック・チェーター
塩原通緒 訳
新潮社
2022年11月25日 発行
*THE LANGUAGE GAME 
 How Improvision Created Language and Change the World (2022) 

 

目次
序章 世界を変えた偶然の発明
第1章 言語はジェスチャーゲーム
第2章 言語のはかなさ
第3章 意味の耐えられない軽さ
第4章 カオスの果ての言語秩序
第5章 生物学的進化なくして言語の進化はありえるか
第6章 互いの足跡を辿る
第7章 際限なく発展するきわめて美しいもの
第8章 良循環ー 脳、文化、言語
終章 言語は人類を特異点から救う

 

昨日の続き。

ある言語障害が、ある遺伝子の損傷につながっていたことから、一時は、言語を遺伝的資質とみなす人もいた。でも、言語を持たないネアンデルタール人、世界各地の人間集団の何百もの下のゲノムを比較した結果、特定の遺伝子が淘汰され、言語を話せる遺伝子が残ったわけではないということが分かった。

人の言葉に関する脳の機能について。
脳の左前頭葉にあるブローカ野は発話に重要であることが分かっている。左側頭葉の上部にあるウェルニッケ野はしばしば言語の理解に関連付けられる。大人が脳卒中や頭部外傷によってこれらに損傷が起きると、発話や言語理解に問題が生じる。同じように、識字能力というのは、脳の特別な領域が関与することがわかっている。どんな文字を使っていて、どんな言葉を話している人でも、識字には、「視覚性単語形状領野」というところが関わっているそうだ。そして、それは人が読むことを学ぶにつれて徐々に出来上がる。文化的に進化した機能であるということ。 話すこと、手話をすること、を学ぶにつれて発達し徐々に言語機能に特化していく既存の神経機構に依存するそうだ。そうして子供は言葉を覚えることができる。

 

言語学習は、それこそ子供の遊びのように簡単なのである。なぜなら言語は人間に学習されるよう、特に子供に学習されるように進化してきたからだ。
言語学習が人間にとってこんなにも容易なのは、人間が人間の言語を学習しているからであり、自分と同じ脳と同じ認知機能を備えた過去の何世代もの人間からそれを学習しているからである言語学習が可能なのは、コンピューターや地球外生物命によって作られた抽象的なパターンや意味の一式を学んでいるのではなく、自分とまるで同じような過去の学習者を踏襲することによって学んでいるからなのである。”
とある。

同じような脳をもった、親をまねするから簡単。そして、その脳の構造は、何語を話している人でも同じなのだ。であれば、第二言語母語と同じように学ぶことは可能なのだ。

それでも、人によって言語の習得、識字等はことなる。それは、あくまでもその言語にどれだけ触れているかということで、脳の機能がことなるわけではないという。
子供が家庭内で触れる言葉の量によって、子供の言葉の発育が異なる。多くの言葉に振れている子供ほど、言語は発達する。でも、結局は学校に通い始めるようになれば、振れる言葉は家庭内だけではなくなり、みんな同様に言葉を発達させていくのだという。

 

奇跡の人、ヘレン・ケラーは、とても有名だが、実はヘレン・ケラーより50年も前に、ローマ・ブリッジマンという人が、 目も耳も不自由な身で、英語を習得した初めての人、だそうだ。そもそも、1880年代の初めにアン・サリヴァンに指文字の技術を教えたのがローラであり、それをサリヴァンが使って、ヘレンを言語の世界にいざなったのだと。
知らなかった。

 

チンパンジーがコミュニケーションとして”指さし”は理解しない、という話が出てきて興味深かった。人は、言葉の奥に潜む意味を理解するように、だれかが何かを指させば、それを指して何かを伝えようとしている、と理解する。たとえば、ペンを探している風な人を見かけたときに、ペンを指させば、言葉にしなくてもペンのありかを教えていると理解する。でも、チンパンジーには、これが出来ないのだという。だれかがバナナを指さしたとしても、それをバナナがある場所を教えているとは理解せず、相手がバナナをとろうとしていると理解する。他人が親切にも有益な情報を教えようとしている、という理解はできないのだそうだ。
へぇ。。。

 

人は、いつから言語をつかうようになったのかは、未だにハッキリとはわかっていない。文字は化石になっても、言葉は化石にならないから。。。

言語は、ただの文化の一要素ではない。知識の蓄積と保存と伝達を可能にした。言語があったからこそ、人間の文化、社会が変化し、進化した。言語が無ければ、私たちは、目の前にいる人からのジェスチャーゲームでしか学ぶ事ができない。言語があることで、過去の発見、専門知識なども学ぶ事ができるし、ルールをつくって社会で共有することもできる。言語の出現以来、文化は変化の原動力として、遺伝をはるかに上回るものになった。

言語は、文化の変化を伝える媒体となり、更には、思考するためのツールになった。ジェスチャーから始まった言葉は、言語となり、思考のツールとなった。
とすれば、ジェスチャーゲームができないAIは、言語を使ってプレーする工夫にあふれた創造的なゲームに参加することはできない。

それこそが、「終章 言語は人類を特異点から救う」ということだ。

コンピューターには、答えられる問題と、答えられない問題がある。


コンピューターなら、
Q:1801年には誰がアメリカ合衆国の大統領でしたか?
A:1801年にはトマス・ジェファーソンアメリカ合衆国の大統領でした。
とできる。
だけど、
Q:1600年には誰がアメリカ合衆国の大統領でしたか?
A:1600年にはエリザベス一世アメリカ合衆国の大統領でした。

と、大間違いをすることがある。

 

あるいは、
Q:蜘蛛は何個の目を持っていますか?
A:蜘蛛は8個の目を持っています。
Q:私の足は何個の目を持っていますか?
A:あなたの足は二個の目を持っています。
となるとか。。。。

 

ちなみに、我が家のGoogle miniに
OK google、1600年には誰かアメリカ合衆国の大統領?”
ときいたところ、
アメリカの大統領は、ジョーバイデンです”って答えた。。。。

コンピューターは、どれだけBigdataを積み上げても、文脈を理解して答えらえるわけではないのだ・・・・。

シンギュラリティーでAIが人間を凌駕するなんて、計算の速さの世界の話だけで、宗教、哲学、芸術、、、、やはり人と人とがコミュニケーションするために生み出される文化をAIが作り出せる事はない。。。

AIが音楽や、文学を作る事例はあるけれど、それだって、所詮誰かからの借りものの組み合わせ。

言語は、文化だ。


ちなみに、著者のひとりモーテン・H・クリスチャンセンはデンマークの人だけれど、デンマーク語というのは、とても難しいらしい。母音が40個以上あるのだそうだ。日本語は、あいうえお、5個しかない。英語で13~15個(国によって違うのだろう)。それに比べて、40個って、、、。英語を学ぼうとしていることが、ラッキーなことであると思おう。。。

 

『言語はこうして生まれる』、つまり、コミュニケーションを取ろうというところから生まれる。子供も、自分から発信していくことで言葉を覚える。と、考えると、第二言語の学習も、相手の発信を聞いているだけではなく、自分から発信する訓練が有効なのかもしれない。でも、正しく発信(発話)するためには、正しい音がきき取れないといけない。だから、リスニングとスピーキングはセットなのだ。

 

なかなか、読みごたえのある、面白い本だった。

言語に限らず、研究というのは、さらなる研究で学説が覆されることがある。そうある可能性があるとわかっていても、今できる最大限で研究し、自分の仮説を証明しようとするのが、学者だ。本書は、著者らの言語研究へのそんな熱意溢れる一冊。

面白かった。

 

やっぱり、読書は楽しい。

 

 

 

 

 

 

『言語はこうして生まれる』 by モーテン・H・ クリスチャンセン、 ニック・チェーター

言語はこうして生まれる
「即興する脳」とジェスチャーゲーム
モーテン・H・ クリスチャンセン
ニック・チェーター
塩原通緒 訳
新潮社
2022年11月25日 発行
*THE LANGUAGE GAME 
 How Improvision Created Language and Change the World (2022) 

 

最初は、何かの広告で見かけて面白そうだと思って図書館で予約した。そして読み始めていたら、先日、1月21日の日経新聞の書評で紹介されていた。

書評の中では、
”誰かが設計したわけでもないのに秩序が生まれ、生き物のように変化する言語の不思議を存分に楽しめる本である。”とまとめられていた。

うん、まさに、そんな感じ、
一応、通訳を目指している私としては、第二言語をどう習得するのかというのは、とても興味がある。いつも通訳の先生には「4歳児だって言葉をおぼえるのだから、大人が出来ないわけがない」といわれる・・・。本書を読んでいて感じたのは、まさに、そりゃそうだ、ということ。それでも、「だって、出来ないから苦労しているんだ・・・・」と思っているのだが、やはり、日常生活でその言語使っているかどうか、その言葉のシャワーをどれほどあびているかが、大いに関係するのだということで、納得した。

 

著者のモーテン・H・ クリスチャンセンジは、デンマーク認知科学者。アメリコーネル大学のウィリアム・R・ケナンJr心理学教授。デンマークオークス大学でも言語認知科学の教授を務める。ニューヨーク在住。

もう一人の著者、ニック・チェーターは、イギリスの認知科学者・行動科学者。英ウォーリック大学行動科学教授。著書に『心はこうして作られる:「即興する脳」の心理学』がある。オックスフォード在住。

認知科学者の二人が、人はどうやって言語を習得していくのか、ということについて語っている本。 学術書ではないけれど、かなりサイエンスの話。面白かった。時々でてくるアメリカの日常生活や人気TV番組からの事例は、深くはわからないものもあるけれど、本全体としては、分厚いけれど、読みやすい。

 

表紙の裏には、
”言語についての根本的な謎に答え、言語がどのように発生し、進化してきたのかを明らかにする。

・私たちの短期記憶は、日常会話における音の大洪水にどのように対処しているのか。
言語学者にとってすら言語のしくみを理解するのは難しいのに、なぜほぼすべての幼児が4歳までに言語を習得できるのか。
・世界の言語が一つではなく、驚くほど多様であるのはなぜか。そして全く同じ言葉を話す人が2人いないのはなぜか。
・なぜ私たちには言語があるのに、チンパンジーにはないのか。
・言語は私たちの脳と進化の過程をどのように変えたのか。”
とある。

これらの質問を頭に思い浮かべながら読むと、結構、読みやすい。結論を言ってしまえば、まだまだ言語習得の仕組みが解明されたわけではないのだけれど、ネアンデルタール人のDNA解析もできるようになった現代、特定の言語習得遺伝子があるわけではなさそう、、、ということがわかってきた。それでも、Nature(生得)か?Nurture(習得)か?の積年の疑問はまだまだ続く、、、って感じ。
 

目次
序章 世界を変えた偶然の発明
第1章 言語はジェスチャーゲーム
第2章 言語のはかなさ
第3章 意味の耐えられない軽さ
第4章 カオスの果ての言語秩序
第5章 生物学的進化なくして言語の進化はありえるか
第6章 互いの足跡を辿る
第7章 際限なく発展するきわめて美しいもの
第8章 良循環ー 脳、文化、言語
終章 言語は人類を特異点から救う

 

なるほど、と思ったことを覚え書き。

最初に、1769年イギリスのエンデバー号に乗ったクック船長たちが南米大陸に到着し、ハウシュ族に出会ったときのコミュニケーションについて語られる。
当然、お互いに言葉は通じない。でも、敵か味方かもわからない中で、両者はジェスチャーなどをつかって、コミュニケーションを成し遂げた。

著者らが言うのは、言語というのはブリコラージュ的なものであり、人間は必要に迫られれば、ありあわせのもので集めて何とかやりくりする。その即興ジェスチャーゲームが、何度も繰り返されるうちに、言語として定着していったのではないか、ということ。


人は、伝えるべきメッセージを持っていながらも頼れる言語的手段が手元にない時には、即興でその場しのぎのコミュニケーション方法を見出すことができるのだ。
最初は、誰かが作った「水」を表すジェスチャーかもしれないが、繰り返していくうちに誰もが同じジェスチャーを使った方が便利なことがわかってくる。そして、そのジェスチャーをつかった人々の間に定着する。そして、ジェスチャーが、音になり、声になり、言葉になっていった、ということ。
さもありなん。

そして、私には、大きく響いた一節が。
コミュニケーションは一方通行路ではないのだということを忘れずにいれば、人は誰でも他人とやり取りする能力を向上させられる。自分が何を言いたいかに集中しすぎるよりも、相手が何を理解しているかに注意を払っていれば、コミュニケーションが成功する見込みは格段に上がる。”

これは、まさに!


自分が何かを発信するとき、相手が理解しているかに注意を払うって、極めて重要。勝手に一人で話して、何がいいたいのかわからない人が時々いるけれど、それは、受け手のことを考えていないから。
そうならないように、気を付けないとね。
とても、重要な事だと思う。

相手が何を理解しているかに注意を払う。

 

人の記憶能力について。
人間の記憶力は、 コンピューターのそれとは違って驚くほど限られているのである。いま聞いていることをその場で理解しない限り、何を言われたかについての私たちの記憶はたちまち直後の話によって押し出され消失してしまう。瞬時に言語を使用しないとメッセージは永遠に失われてしまう。そして意外にもこの事実が言語の仕組みを理解する上で決定的な役割を果たすことになる。”

これは、通訳をやるときに「新幹線でいっちゃった」ってやつ。。。相手が話した音が、ぴゅー-っと新幹線のように耳を通過してしまい、まさに脳の中を通り過ぎるだけで終わって、まったく記憶に残らない。当然、通訳としては失敗。

日本語のニュースを聞いていても、理解しようと思ってきいていないと、正確な場所の名前や数字などは、意外と記憶に残らないものだ。コロナ感染者の数をニュースで聞いても、聞いたときにはざっくり「あー多いな」とか「あー減ったな」とか思ったとしても、数字を正確に復唱しようとしても、そこに注視していないと記憶には残っていないものだ。かつ、次から次へと新たな情報が提供されると、どんどん前の情報は、新幹線のように去って行ってしまう・・・・。

記憶させようと思えば、「瞬時に具体的に理解する」ことが必要なのだ。だから、通訳をしていると、ものすご~~~く、頭が疲れる・・・。

 

第3章で、言葉の曖昧さについて語られる。
”単語は安定した意味を持っていない。”というのだ。あくまでも、その場で使われるツールなのだという。そう、だから、辞書を引いたからといって文脈にしっくりくる訳語が見つかるとは限らない。
”子供にとっても大人にとっても言語は不安定なものであり、だからこそ世界には類推と隠喩が充ち溢れている。言語の不安定性は、言語の本質。”なのだという。
だから、使われる場面によって、意味が変化することがある。そして、時代とともに変化することもある。

「言葉の乱れ」といわれるのは、よく耳にするだろう。若者言葉とか、ギャル言葉(古いか・・・)に「日本語が乱れている」と嘆く大人がいるけれど、言語は変化するものなのだとわかっていれば、そういうもの、、、と割り切る、、、しかないのだろう。

サミュエル・ジョンソンの有名な1755年『英語辞典』の序文には、「言語は政府と同じように、自然に堕落する傾向がある」と書かれているそうだ。
さもありなん・・・。

 

様々な言葉の普遍的原理があるのか、という問いがたてられてているのだが、どうやら、それはないようだ。言語は、骨の髄まで変則的だ、という。
面白い、一覧表がでていた。
S:主語
O:目的語
V:動詞
の順番について

日本語で、「マリーは 犬が 好き」 は、SOV。
英語では、「Mary likes dogs」となって、SVO。

この違いが、日本人にとって、英語を学ぶのが難しくなる一つの要因になるのだが、世界にの言語は、
SOV 43.4%
SVO 40.4%
VSO 9.5%
VOS  3.3%
OVS 0.7%
OSV 0.3%
どれでもいい 2.3%
なのだそうだ。

英語より、日本語のようなSOVの方がちょっとだけ多いのだ。これは、ちょっとびっくり。。。。。日本語が特殊なのかと思っていたけれどそんなことはないのだ。

究極、「私 好き 犬」といっても意味は通じる。「私 食べる お昼」って中国人が話す日本語は、中国語がSVOだからだけど、ちゃんと相手が言おうとしている意味はわかる。

言葉は、文法的に間違っていても、通じる時には通じるのだ。だがしかし、、、、通訳にはそれが許されない。言葉のプロに文法のミス、発音のミスはゆるされない・・・だから、大変だし、高品質通訳が高給なわけだ。

第5章では、スティーブン・ピンカーの「言語は、人の進化的適応による」という説について否定的見方がでてくる。人の進化より言語の進化(変化)のスピードの方が圧倒的に速いのだから、人の進化によって言語ができてきたのではないだろう、という。
うん、確かに。
昭和から平成にかけて、人が進化したとは思わないけど、言語はそれより早いスピードで変わっている。しかも、、、別に、言葉は遺伝しない・・・・。

この、言葉は遺伝しない、ということ。これこそ、言語学の長年の疑問。確かに、言語を持っているのは人間だけで、これは人間の生物学的機構に大きく関係している。言葉を話す能力があるけれど、オギャーと生まれてすぐに話せるわけではない。とはいえ、子供は話すようになる。
”問題は、「生まれ家育ちか」(Nature vs Nurture)ではなく、「生まれの本質」(Natuer of Nature) だということ。”これは、世界的に有名な言語科学者の故エリザベス・ベイツの言葉。

 

先にも述べたが、昨年のノーベル賞のように、現代ではネアンデルタール人のDNA解析が可能になっている。ある言語障害の家庭の遺伝子解析から、FOXP2という遺伝子が、言語遺伝子ではないかといわれていたのだが、ネアンデルタール人から現在の様々な人の遺伝子を解析した結果、FOX2が言語に特化した生物的適応に関与したということはなさそうだとのこと。

 

と、長くなりそうなので、今日はここまで。

続きは、また明日・・・。

 

 

 

 

 

『広き迷路』 by  三浦綾子

広き迷路
三浦綾子
公益財団法人三浦綾子記念文化財
令和3年10月30日初版発行 


図書館の新刊の棚で見つけた。紙が白くて字も大きい。読みやすそうと思って借りてみた。
三浦綾子記念文庫の手から手へ 三浦綾子記念文学館復刊シリーズ、というものの一冊だった。三浦綾子記念文学館は、北海道旭川市にあるそうだ。

三浦綾子さんといえば、『氷点』、『塩狩峠と、号泣間違いなしの作家さん。目次を見て、短編集なのかな?とおもったのだが、一冊が一つの物語だった。

 

感想。
なんと、まぁ、、、。
読み始めて、こんな俗っぽい話も書いていたのか、三浦綾子さん!と、驚いた。でも最後には、やっぱり、悲しい・・・・悲しい・・・なんともやるせない最後だった。でも、涙は、ジワリとも出ない・・・。

馬鹿な男と、馬鹿な女の物語。
そして、それを利用した、もっと馬鹿な男たち・・・・。
おろかな・・・・。
でもそれが、人間なのかもしれない。
そんな、人間の弱さを描いた物語、って感じ。

そして、時代を感じる。
底本は、「三浦綾子全集 第7巻」主婦の友社 1992年4月8日。というけれど、描かれているのは、昭和30年代とか、40年代とかだろうか。高度成長期の日本だと思われる。でてくる「銀座Mデパート」は、三越のことだろうし、「六井財閥」は、三井でも三菱でもいいけれど財閥が日本経済を動かし、デパートが流行の最先端といった時代。そんな時代に、出世のために女を道具とした男の悲劇の物語、、とでもいおうか。
ろくでもない男の話、、、、だ。
そして、そのろくでもない男に恨みをはらすために、結局ろくでもないことになった女の話だ。。。

 

ね、暗いでしょ。
救いようのない話しだ。
話しの中には、こういう人と出会ってみたいと思う人は一人も出てこない。。。。
ハッキリ言って、どいつもこいつも!!と思ってしまう。
でも、高度成長期って、そういう人を人ともおもわない、人を利用するということが特別なことでもなく、出世のための政略結婚も当たり前の時代だったのかも、、、しれない。もちろんそんな人ばかりではないけど。
ほんと、TVのワイドショーのような物語。昼ドラか・・・。

こんな話を書いた三浦さんの意図は何だったんだろう・・・。
こういう、ばかな生き方はしなさんな、、、、ってことだったのか。
普通に生きている普通の人も、こうまで弱く愚かになるのだということか。

読んだら、びっくりすると思う。
こんな絵にかいたようなろくでなし、、、、。

 

以下、ネタバレあり。

ストーリーは、わかりやすい。

 

社内の派閥闘争で溝渕専務派についていた町沢加奈彦(27歳)は、銀座Mデパートの店員の早川冬美と付き合っていたが、冬美を捨てて、溝渕専務の娘・登志枝と結婚する。

 加奈彦は、自分の出身を偽り、憧れの同級生のハイソな家庭であるかのように冬美に語っていた。また、同級生の家で出会った彼の兄嫁・六井財閥の令嬢・六井瑛子と不倫関係でもあった。

 登志惠と無事に結婚できたものの、瑛子との不倫関係を溝渕家に出入りしていた謎の男、田條(でんじょう)九吉に指摘され、ばれされたくなければ瑛子から六井財閥の動きを探って報告しろと言われる。加奈彦は、瑛子もダマしながら情報を流し始めるのだった。そして、その情報を流していたある日、田條に「冬美から永遠に逃れたい」と言い、「消す」ことを依頼する。冬美は、田條によって、千葉の海岸断崖「おせんころがし」から突き落とされたのだった。

ある日、加奈彦は社内の別の派閥だった上原常務の結婚式に参加する。花嫁が別の専務の娘・琴子で、加奈彦は登志枝と共に披露宴に出席するのだが、そこに「冬美に瓜二つ」の女性「川島トミ子」が参加していた。冬美のお化けをみているのか、はたまた、田條が殺したと言ったのは嘘だたったのか・・・。加奈彦は、冬美にそっくりな女とであったことを田條につたえ、「川島トミ子」の素性調査を依頼する。30万円という高額で。

給料を掏られてしまったと嘘をいい、30万円を瑛子に用立ててもらった加奈彦。田條の調査によれば、「川島トミ子」は大阪に住む川島興産KK社長令嬢で、冬美とはまったくの別人であるとのこと。一度は安心する加奈彦だった。

その後、加奈彦は札幌支社へ転勤となり、登志枝と札幌の社宅に住むようになる。そして、その隣に引っ越してきたのが、上原常務の妻・琴子だった。琴子は、静養のために一人で札幌にきていて、友人「川島トミ子」が付き添っていた。再び、冬美の酷似したトミ子の顔を見るようになった加奈彦は、やはり、冬美ではないかと、びくびくと暮らす。

そうしているうちに、札幌にきた瑛子との不倫現場のホテルで、登志枝や琴子にあったり、、、、で、結局、瑛子とのことが登志枝にバレる。かつ、「川島トミ子」は、「私は、早川冬美です」といって、すべては田條が仕組んだことで、加奈彦が田條にダマされていたことに気づく。

瑛子との不倫、冬美殺人未遂だったことが溝渕専務にもばれ、全てを失った加奈彦は、その日の夜に睡眠薬で自殺する。

冬美は、加奈彦が死んでやっと恨みがはらせたと思うとともに、むなしさに襲われる。そして、加奈彦が死んだことでようやく加奈彦を独り占めできる、、、と感じ、加奈彦の元へと旅立つ。

”冬美は、海をめがけて身を踊らせていた。”

THE END

 

なんて、暗い話だ・・・・。

でも、思わず読み切ってしまった。
途中で、ろくでもない話しに、読むのをやめようかと思ったのだが、加奈彦がどうなるかが気になって、結局読んでしまった。
なんて、愚かな男だ・・・・。

そして、最後に死んでしまう冬美も愚かだ・・・・。

 

自分の人生を、誰かに乗っ取られてはいけない・・・。
ただそれだけをおもった。 

 

ちょっと、後味が悪い物語。

でも、こういうサラリーマンの派閥闘争物語も昭和の話で、過去のことのように思うから小説として娯楽にもなるのかもしれない。

 

出世失敗物語。。。サラリーマンだなぁ。。。

不倫失敗物語。。。人間だなぁ。。。

 

もうちょっと、明るい小説が読みたくなった。

まぁ、こういう本も、たまにはいいか。。。

三浦綾子さんの本でなければ、最後まで読まなかったと思う。

 

 

『私の半分はどこから来たのか 』 by 大野和基

私の半分はどこから来たのか 
AID (非配偶者間人工授精)で生まれた子の苦悩
大野和基
朝日新聞社出版
2022年11月30日 第1刷発行


2023年1月7日、日経新聞朝刊、書評欄に出ていた一冊。 不妊治療の一つとして AID(非配偶者間人工授精) が選択肢になっている一方で、日本ではその法制度が進んでいないという問題について取り上げている本。 

 生殖補助医療といっても、色々あるのだが、本書はその中でも男性側の無精子症等が原因で妊娠が望めない場合に、三者からの精子提供で出産するというAIDにまつわるレポート。特に、生殖医療に興味があるわけではないのだけれど、「私の半分はどこから来たのか」というタイトルが気になって、読んでみた。図書館で予約したら、すぐに借りられた。

 

 著者の大野さんは、1955年兵庫県生まれ、ジャーナリスト。大阪府立北野高校、東京外国語大学英米学科卒業。79年から97年米国滞在。コーネル大学で化学、ニューヨーク医科大学基礎医学を学ぶ。帰国後も海外取材豊富。ポール・クルーグマンジャック・アタリジョセフ・ナイ、リンダ・グラットン、ジャレド・ダイヤモンド、ユヴァル・ノア・ハラリ、マルクス・ガブリエルら世界的な識者への取材を精力的に行っている、とのこと。すごいな・・・。

 

表紙裏には、
”近年、家族間は劇的に変容した。社会が新しい家族の形に対して驚くほど寛容になってきたと思う。いずれ AID で生まれた事がスティグマにならない社会がやってくることが期待される。それは「なぜ AID を使ったのか」、親が自信をもって子供に説明することから始まる。必要なことは法整備とカウンセリングの充実である。子供に伝えるべきかどうかではなく、いかに伝えるかが重要になってくるのである。  ー本文より。”とある。

 

感想。
う~~~む。
よくわからないなぁ。。。。

AIDで生まれることはスティグマなのか???

stigma:汚名、恥辱、不名誉、、、。アメリカが長い著者だから、そういう感覚なのか?日本でも??
子どもを持たない私には、よくわからない。。。。子どもを持ちたいけれど生殖機能の問題で持てない人が、AIDで子どもをもちたいということそのものが、私にはよくわからないのだ。否定するつもりもない。技術の進歩で、AIDによって子供を授かれるようなっているのは、それによって救われるひとがいるのなら、素晴らしいことだと思う。でも、いったい、だれが救われるのか???親なのか?生まれてくる子供なのか??はたまた、祖父母なのか?!?!

 

読んでいて、本文中にでて来る、精子提供バンクの人の言葉に違和感をおぼえてしまった。彼の設立した精子バンクを利用する人が増えたことについて、
”自分から宣伝する必要がなくなりました。ドナーの選択、精子の数や状態などから見ても最高の精子を提供したからです。”
とあるのだが、生理的な最高だけでなく、そもそもドナーに遺伝的病気がないかなどが調べられ、精子を買う側は、人種や学歴、などなど、、、、の条件の中から精子を選べるというのだ。

「最高の精子」って、何????って、違和感を覚えてしまうのだ。


まぁ、そういう私の個人的感想は別として、本書が掲げるAIDの問題とは、日本での法整備の遅れについて。 

 

海外ではAIDで生まれた子どもたちが、父親のことを知りたいという希望からそれを支援する団体が生まれ、精子提供者の情報管理、AIDで生まれた子供がそれを知る権利などが整備されているのだという。
「あなたはお父さんとは血がつながっていない」と言われた時の衝撃を考えると、AIDであることは、子どもが幼いうちに告知しておくべきだという。告知するかどうかの問題ではなく、告知するのは当然で、いつするか、ということ。幼いほど良いという。しかも、一度話しておしまいではなく、繰り返し、そうして生まれてきたあなたを愛していると伝え続けることで、血のつながらない父親であることを自然にうけとめられるのだという。

 

本書の中には、実際にAIDで生まれた人たちのインタビューが複数でてくる。大人になってから知ったことで、母にも父にも愛情を感じられなくなったという人、子どもの時から聞かされていたので、違和感なく受け入れられたという人、さまざまなケースが存在している。それぞれの人が、本人の顔写真付きで紹介されている。

 

一人目のケースが、日本人だ。慶応大学医学部生だった加藤英明さんは、2002年、医学部5年生のときに研修のなかで自分と両親の血液の分析を行った。そして、「お父さんと血がつながっていない」ということが判明したという。学校での検査結果を母に話すと、「そんなこともあるかもしれないね」と言われたという。母親は、なかなか子どもができず、原因が夫にあることがわかったので、AIDで英明さんを授かったのだという。
英明さんは、母親から真実を聞かされるまで、父親と血のつながりが無くても、ひょっとすると親戚からの養子だったのかと思っていたそうだ。知っているおじさんが血のつながったお父さんということなのかもしれない、と。でもAIDとわかり「自分の父親が誰だかわからない」ということに、突然怒りを覚えるとともに、「喪失感」を覚えたのだという。自分の半分が、何だかわらなくなってしまったのだ。

 

AIDとは、Artifical Insemination by Donor。「非配偶者間人工授精」。夫のものではない精子を子宮に注入して、妊娠・出産する方法で、日本では1949年8月に慶応病院で、初めて提供精子による子供が誕生した。精子を提供するのは主に慶応大学医学部制の学生であるが、匿名を条件としているので、あとから血のつながった父親を探そうとしても大学は教えてくれない、ということだそうだ。

 

加藤さんは、AIDを実施した医師に会いに行き、「遺伝病の心配」「知らずに血のつながった女性と結婚してしまう心配」を話したが、「そんな確率は低い。生まれたことに感謝しろ」と笑ってごまかされてしまった感だ、という。

 

自分の遺伝子がどこから来たのかわからない、という事実も衝撃だが、これまで血のつながった親だと思っていた人がそうではなかった、と大人になってから知ったときの衝撃はまた別の意味で大きいという。大人になってから自分がAIDで生まれた子供だと知った人にとって「アイデンティティの半分喪失」という感覚は、皆共通のようだ。
それは、そうかもしれない・・・。

 

そして、その半分をもとめて父親捜しをした時、それをサポートできる仕組みが海外ではととのってきたが、日本ではまだだそうだ。かつては匿名提供が一般的だった精子提供者は、海外の精子バンクでは非匿名となっている。かつ、子どもが望めば自分にコンタクトすることを認めることが求められる。ただ、法的に養育の義務は負わないなど、あくまでも「子供が自分の出生を知る権利」を守るための法律だ。


「子供が自分の出生を知る権利」は、あったほうがいい気がする。たしかに、AIDでうまれたのであれば、情報管理ができればそれは実現できる。でも、実際には、非配偶者間子どもの誕生は、AIDだけではないだろうし、、、、とも思う。

 

本書の中で、自分の精子で数十人の子供が生まれているという人の話がでてくる。不妊カップルを助けているのだ。それは、人助けなのだろう。いい悪いではないけれど、もしも、私の父親が精子ドナーになっていて、実は世界中に父の子供が何人もいる、って言われたらどうだろうか??子供の時からそう聞かされていたら、そういうものかとおむかもしれないけれど、もしも大人になってからいわれたら、、、、。私なら、あってみたいって思ってしまう。そして、ある意味お互いの人生が交わることのない赤の他人にもかかわらず、赤の他人とはおもわないのではないだろうか。。。。

 

子ども側の視点、ドナー側の視点、ドナーの家族の視点、、、、。言いだせばきりがないけど、ただ一つ確かなのは生まれてきた命はどんな背景であれ、尊いということだ。

 

遺伝的つながりは、生物としてはそれ以上のつながりはない。でも、人間社会では遺伝的つながり以上のつながりが多くありえる。それでも、やはり、自分のアイデンティティを遺伝に求めるのは生き物の本能なのだろう。だからこそ、養子ではなく、攻めて半分でも自分の遺伝子を、、、、ということでAIDを選択するのだろう。

 

生殖医療って、科学ではない。科学の力で解決できるということと、それを実際に行うというのは違う。以前、同世代の産婦人科の医師が、「出生前診断」をすることの意味に疑問を呈した講演をしてくれたことがある。命の選択、、、、。難しい問題だと思った。

 

生まれてきた子供の権利を守る法整備、確かに大事だと思う。でも知らないでいる権利もあっていい気もする。簡単にDNA検査ができてしまう今だからこそ、知る権利も、知らないでいる権利も、大事だ。

 

生殖医療は難しい。命に優越はつけられないけれど、「精子を選ぶ」って優越を付けている気がする。結婚相手を選ぶっていうのも言ってみれば優越を付けているのかもしれないけれど、「人」を選ぶのと、「遺伝子」を選ぶのって、違うだろう・・・・。

 

科学が発達するほど、倫理的悩みは増える。理性の限界、ってやつかな・・・。

サイエンスとして難しいのではなく、倫理的に難しい一冊だな、って思った。

 

それでも、こういう問題が世の中にあるっていうことが伝わる一冊だった。

 

AIDで生まれたことがスティグマである必要なんて全然ない。シングルマザーだって、愛人の子供だって、なんだって、生まれてきたことにスティグマなんてこれっぽっちもない。生まれてきた事、それだけで素晴らしい。

それでも、「アイデンティティの欠如」を感じてしまう人がいるのであれば、それをサポートできる法整備ができればいいと思う。

 

 

 

 

『楽園のカンヴァス』 by  原田マハ

楽園のカンヴァス
原田マハ
新潮文庫
平成26年7月1日発行
令和2年5月20日17刷
*この物語は史実に基づいたフィクションです作品は2012年1月新潮社より刊行されました 

 

原田マハ、1962年東京都小平市生まれ。関西学院大学文学部日本文学科及び早稲田大学第二文学部美術史科卒業。馬里邑(まりむら)美術館、伊藤忠商事を経て、森ビル森美術館設立準備室に在籍時、ニューヨーク近代美術館に派遣されて同館にて勤務。その後2005年に『カフーを待ちわびて』で日本ラブストーリー大賞を受賞しデビュー。本書『楽園のカンヴァス』は、山本周五郎賞、 R‐40本屋さん大賞、 TBS 系王様ブランチブックアワードなどを受賞しベストセラーに。『暗幕のゲルニカ』がR-40本屋さん大賞、『リーチ先生』が新田次郎文学賞を受賞。その他の作品に『本日はお日柄もよく』、『ジヴェル二ーの食卓』、『デトロイト美術館の奇跡』、『太陽の棘』、『サロメ』、『たゆたえども沈まず』、『モダン』などなど・・・。

 

 本書は、原田さんを代表する作品だけれど、まだ読んだことがなかった。図書館で、文庫本が目にとまったので借りてみた。

 

裏表紙の説明には、
ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンはある日、スイスの大邸宅に招かれる。そこで見たのは巨匠ルソーの名作「夢」に酷似した絵。持ち主は正しく真贋判定したものがにこの絵を譲ると告げ、手がかりとなる謎の古書を読ませる。リミットは七日間。ライバルは日本人研究者・早川織江。ルソーとピカソ、二人の天才がカンヴァスに込めた思いとは。山本周五郎賞受賞作。”
とある。

 

感想
一気読み。
すでに、原田さんの多くの作品を読んでいるので、史実なのかフィクションなのかが入り混じった物語の展開は、馴染みがあるものの、やっぱりドキドキ、ワクワク。主人公は、ティム・ブラウンというより、早川織江だろう。織江の現在から物語が始まり、織江の回想が物語の中心となる。さらに、回想の中に回想があり、時代が3重に交錯する。最後は、また現在の織江の場面にもどり、ああぁ、、、、どうぞ、幸せになってくれ、、、って感じ。

アンリ・ルソーピカソの作品名がたくさんでてくる。タイトルからすぐにはどの絵だかわからないので、時々、ネット検索してどの絵だか確かめつつ。見れば、あぁ、これか、とすぐわかる絵ばかり。ルソーもピカソも、独特の世界観。好き嫌いが分かれる画家とはおもうけど、知らない人はいないだろう。私は、どちらも強烈すぎて、長時間みていると体力を消耗する感じがする。。。好きだけど、ずっとは見ていられない、、そんな感じ。

 

本の表紙は、ストーリーの主題になっているRousseau Henri(アンリ・ルソーのThe Deram(夢、1910)。森の中で、裸の女性がソファーに横たわり、左手で何かを指さしている、、、鳥や動物、月、笛を吹く人、、、。何じゃこりゃ?!と思わず口から出ちゃうような絵だ。でも、なにが書かれているのだろう???と、思わず見入ってしまう。そして、自分まで森の中に迷い込んでしまいそうな、、、。
そんなアンリ・ルソーの「夢」に酷似した「夢をみた」という作品をめぐるものがたり。

 

以下、ネタバレあり。

 

 物語は、2000年、倉敷、大原美術館で監視員として働く早川織江が、エル・グレコの『受胎告知』を見学する女子高一団を向かえる場面から始まる。絵の解説には興味もなさそうな女子高生たち。遅れて一人の美しい生徒が入ってくる。織江は、その生徒がガムを食べているといって注意するのだが、「なんもねえよ」と反抗的。あきらかに白人の血が混じっていて栗毛の美しい少女は、じつは、織江の娘だった。織江は、娘の真絵と母と三人暮らし。
 かつて織江の父は、大手商社でフランス支社長を務めていたが、不慮の事故で無くなり、当時パリ大学に通っていた織江はそのままパリに残り、母は実家の岡山にもどった。そして数年後、織江は未婚のまま子どもを産むと決意して岡山に帰ってきた。田舎の町で、未婚で子どもを産み、生まれてきた子どもがハーフで、近所では格好の噂のネタだったけれど、母はそんな織江をいつでも優しく見守ってくれていた。反抗期になった真絵も、祖母には素直だ。

そんな、女三人生活をしていた織江は、ある日仕事中に館長に呼び出される。ただの監視員が館長に呼び出されるとはただ事ではない。女子高生を厳しくしかったことを叱責されるのかとびくびくした織江だったが、呼び出されたのはもっと驚くべきことだった。

そこで待っていたのは、新聞社の高野という男で、美術展をするためにMoMAからルソーのコレクション貸し出しを交渉しているという。そして、MoMAのチーフ・キュレーター、ティム・ブラウンから、
「オリエ・ハヤカワを交渉窓口にせよ」
と言ってきたのだと。だから、一緒にMoMAへ行ってほしい、と。

織江は、実は26歳で博士号を取得し、かつて美術史論壇をにぎわせた美術史研究者だったのだ。だが、真絵を身ごもったのを期に、全てを捨てて日本へ戻ってきた。。。。だから監視員として仕事をするにあたっても、研究者としての経歴はあえて伝えていなかった。

ティム・ブラウンの名前を聞いて、固まる織江。17年の時を越えて、あのティム・ブラウンが私を指名した・・・・。

 

と、読者はここですっかり真絵のお父さんは、ティム・ブラウンなのか、と思う。が、違うのだ。物語は、もっと劇的なのだ。

 

織江が、MoMAへ行くことを決断したのかがわからないまま、物語は1983年に遡る。そこからは、織江とティムが出会った時の物語。それが本書のメインストーリー。

 

1983年、ティムはまだMoMAのアシスタント・キュレーターだった。そして上司であるトム・ブラウンの部下として、ルソーの展覧会の準備をしていた。そんなある日、上司宛の手紙を整理していたら、ティム・ブラウン、自分宛ての手紙を見つける。よくあることだった、ティムとトム。一字違いのスペルミス。でも、まぁ、ティムとなっているのだから、とその手紙をあけてみると、なんと、伝説の絵画コレクター、コンラート・バイラーから、ルソー展覧会を企画しているティム・ブラウンを「招待する」とある。
ティムは、トム宛ての手紙だろうとおもいつつも、この手紙のことは他言無用とあるのをいいことに、夏休みを利用して、バイラーの元へ飛ぶ。自分の運命が大きく開けるチャンスになるかもしれない!と。

 

そこで待ち受けていたのは、「夢」に酷似した「夢をみた」という作品の真贋判定の依頼だった。時間は7日間。しかも、そこには、もう一人のルソー研究第一人者・早川織江という日本人女性も同じ条件で招待されていた。バイラーは、二人にこの絵を見せ、正しく評価したものにこの絵の権利を譲渡する、というのだった。バイラーはすでに95歳。相続人もなく、この絵の未来を誰かに託したい、そんな想いとおもわれた。

こうして、ティムと織江は、対戦相手として1983年、スイス、バーゼルで出会う。

 

「夢をみた」という作品を、最初に見た時、織江は贋作だといい、ティムは真作だという。だが、バイラーがこの絵を購入したのは、テートギャラリーのチーフ・キュレーターであるアンドリュー・キーツの「証明書」が付いていたからだという。アンドリューの証明書がありながらも、真贋を確認したいというのだった。また、バイラーは、アンドリュー本人にも招待状を送っていた。そして、自分の代わりにアンドリューがバイラーの元へ送ったのが織江だった。織江は、アンドリューの命をうけてバーゼルにきていたのだ。

 

そこから7日間をかけて、二人は1冊の本を読むように言われる。本は1冊しかない。それを、一人ずつ、交代でに読むのだ。本のタイトルは、「夢をみた」。そこに書かれていたのは、1906年から1910年、ルソーとヤドヴィガ(「夢」に描かれている女性)、そしてピカソの物語だった。

 

ティムと織江は、最初はあまり口も利かない。仲良く一緒に検討していくというよりは、明らかにライバル同士。しかし、ティムが上司にだまって上司のふりをしてここにきている引け目から、時々、神経症のようになる。ティムは、バーゼル滞在中に、「あなたがトムと偽ってそこにいることはわかっている」という電話をうけとったり、「あの絵を守らないといけない」とインターポールを名乗る女性に脅迫するかのように言われたり、、、。時々ひどく落ち込むティムの様子をみて、織江はティムに気晴らしをしようと声をかける。「美術好きは、美術ばかりに囲まれていると気が休まらないから、関係ない動物園にいくとよいのだ」と父におしえてもらったから、といって動物園に連れ出したり。
あくまでも、ライバル同士で気を許す訳ではないのだけれど、朝昼晩、一緒に食事をし、同じホテルにとまり、だんだんと二人の距離は近づいていく。それに、何といっても織江は美しかった。その美しさにティムは惹かれていく自分にきづいていた。


或る食事の時、織江はバイラーのもとで働くコンツにひどく意地悪をされる。「あなたがお酒を召し上がらないのは、妊娠しているからじゃないですか?どうせ捨てられるだけなのに。アンドリュー・キーツは、あなたを利用しているだけだ。」と。食事を残して飛び出す織江。追いかけるティム。コンツは、ティムに対しても、織江に対しても、きちんとしてはいたけれど、どこか意地悪かった。コンツも「夢をみた」をめぐる陰謀に加担する一人だったのだ。

 

織江は、ティムにお腹に子どもがいることを打ち明ける。子供のお父さんには言っていない。あなたが私以外に世界でたった一人、この子のことを知ったことになる、と。


物語は、幾度もティムが偽物だとばれそうになりつつも、最後の判定の日を無事に向かえる。

 

二人が読んだ、「夢をみた」の物語は、7章に別れていて、それぞれの章にイニシャルがついていた。
第1章 安息日  S
第2章 破壊者  P 
第3章 預言 O
第4章 訪問 A
第5章 夜会 S 
第6章 楽園 I
第7章 天国の鍵 

描かれていたのは、60歳を過ぎても絵が売れないルソー。そして、ルソーが好意をよせてくることをうとましくおもいつつ、画商の夫ジョゼフと共にルソーを応援し始めるヤドヴィガ。ピカソに言われて、ルソーのためにモデルになることを決意するヤドヴィガは、ルソーに描かれることによって、「永遠に生きる」という言葉を実行する。

そう、この物語こそが本書の第三の物語。3重構造なのだ。


第6章まで読んだ二人は、イニシャルの意味を考え始める。これは、もしかすると組合わせるとPICASSOなのか?あるいは、PASSIONなのか?

最後の第7章には、イニシャルがなかった・・・。いったい誰が???

 

「夢をみた」をめぐっては、だれもがそれを手に入れたいと願い、様々な陰謀が渦巻いていた。なぜなら、その絵のしたには、ピカソの絵があるのでは?と思われていたからだった。子供の下手な絵とも言われるルソーの絵を取り除き、ピカソの作品として価値を求める人達がいたのだ。

 

トムを装っていたティムだが、それらの陰謀には負けることなく、だんだんと織江にこの勝負に勝ってもらい、アンドリュー・キーツと幸せになってほしいとさえおもうようになっていた。

そして、ティムは、自分が負ける事を前提に、「偽物」といい、織江は「本物」という。。。それぞれの自論をきいたバイラーは、ティムが勝者だとする。そして、権利はティムの手に。


とたんに、ティムは、であれば今この場でその権利をある人に譲ります、と言い出す。
それは、インターポールといってティムに近づいてきたジュリエットだった。
ジュリエットは、なんと、バイラーの唯一の孫だったのだ。。。ジュリエットは判定の日の前にティムにあったとき、自分が「夢をみた」にこだわる理由はインターポールとしてだけでなく、祖父が大事にしていた絵だから、、、と自分の身元をあかしていたのだった。そして、なにより「夢をみた」をルソーの作品として大切にしたいと思っていた。

もう、自分の天涯孤独と思っていたバイラーは、孫のジュリエットとの再会に感動。「夢をみた」が孫のジュリエットの手になることを喜ぶ。なぜ、バイラーがこんなにもこの絵に執着したのか、なぜなら、バイラーこそが小説「夢をみた」の著者であり、ヤドヴィガの夫、、、?!?!

 

と、そんな1980年の物語から、場面は、ニューヨーク行の飛行機の中の織江。そして、とうとうMoMAへと足を踏み入れる織江。
そこには、ティムがまっていた。
二人は、互いに、言葉を探して見つめ合った。用意に言葉は出てこなかった。
ティムは、もう一度織江に会えたなら、そのときには言おうと決めていた言葉があったのけれど、別の言葉が浮かんだ。

夢を見たんだ。 君に会う夢を・・・。

ティムのささやきに、織江がふっと微笑んだ。その笑顔は、もう、夢ではなかった。 

 

THE END

 

夢のような物語。物語の三重構造。シングルマザーの織江の現在。ティムと織江の出会い。ピカソとルソーの年の離れた友好物語。

まぁ、よくぞ、こんな構成の物語をわかりやすく、かつ美しく書かれたものだ、と改めて感動。

時代が交差しすぎることもなく、読みやすい。原田さんの史実&フィクションによくある構成だけれど、その原点はここにあったのか、、、と。

 

やっぱり、小説って楽しい。

しかも、また、美術館に行きたくなる。

大原美術館の『受胎告知』で始まるところも、真絵の誕生とつながっていて渋い。

大学生のころ、初めて大原美術館にいったときに『受胎告知』のポストカードを買って帰ってきた記憶がある。色、筆遣い、その力強さと柔らかな構成に感動した。

 

あぁ、美術館に行きたい。

そう思う一冊だった。

原田マハさん、まだ読んでいない作品があるはず、、、やっぱり、全部読みたい。

 

やっぱり、読書は楽しい!

 

 

 

 

 

 

「大学入学はゴールではなく、スタート」

「大学入学はゴールではなく、スタート」

 

佐藤優さんの『16歳のデモクラシー』を読んでいて、受験生に今こそ伝えたい、、、と思った。

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「大学入学はゴールではなく、スタート」

 

大学受験に限らず、大人の資格試験において大事なことだな、と思う。


大学は、本来なにかの勉強をしたくて行くのだから、当たり前といえば当たり前だけれど、大学に入学すること、大学を卒業したという学歴をつくることが目的ではないからね、って。大人の資格試験なら、資格マニアっていうのもありかもしれないけれど、、、きっとそれは満たされない何かをもとめているだけ・・・。資格マニアって、承認欲求なんだろうな。本来は、その資格を何かに活かすために受験するのだろう。ま、勉強そのものが楽しい、っていうのもある。私は、決してマニアではないけれど、資格試験のための勉強をするのが嫌いではない。勉強が好きっていうのとも違う。ま、どっちかっていうと、新しいことへの好奇心が満たされるのが好き。私自身が、承認欲求が強いのかもしれない。

 

そして、佐藤さんは、高校生たちに大学を選ぶ際に重要なのは、「家庭の財力で、金銭的負担が可能なところ」にすること、と言っている。これも、大事だ。奨学金は人生の借金になるから、できるなら奨学金をあてにするな、と。下宿をすると、生活費を稼ぐためにアルバイトが必要になり、勉強する時間がそがれる。だから、自宅から通える大学を選ぶというのは、大事なことなのだ、と。

 

そう、大学というのはこれからの人生において、大事な基礎固めをする時間なのだ。金銭的不安なく勉強が続けられるというのが、どれほど恵まれたことなのか。

 

本の中で、佐藤さんは映画「ビリギャル」の話をする。ビリギャルの主人公さやかちゃんだって、塾に通うお金のある家庭の子の物語。塾に通えるお金があるというのは、めぐまれているのだ、と。そして、はたしてさやかちゃんは慶応大学にいって幸せだったのか??と佐藤さんは問いかける。

 

たしかに、学生時代、下宿して、奨学金をもらって通学していた友人たちは、生活費を稼ぐのに忙しく、アルバイトという口実で授業をさぼることがよくあった気がする。私は、幸い自宅から通っていたし、生活のためのアルバイトは不要だったので、随分と楽な学生生活をさせてもらったんだ、と今更ながら思う。学費だって、あまり気にしたこともなかった。両親に感謝。

 かといって、真面目に勉強していたかというと、、、、そうでもなかったけど。私は、時代に恵まれていた。家庭にも恵まれていた。ただ、運がよかったのだ。つくづくそう思う。今だからわかることだけど。もっと高校生の時に勉強すればよかったなぁ、って思う。50歳を過ぎた今でも、高校生の教科書を読んでも新たな発見がいっぱいある、、、。まぁ、それはそれで、学びの愉しみを人生後半にとっておいた、、、といえばそうかもしれないけれど、自分の無知をかみしめる今日この頃・・・。確かに、一応、博士であり、ある専門性は持っている。でも、リベラルアーツといわれれば、まだまだ、もっともっと、勉強したいことがたくさんある。勉強だけをしていればいい学生というのは、人生において本当に貴重な時間なのだ、って、今になるとわかる。

 

私が人生で一番勉強したのは、間違いなく会社に入ってからだ。研究が面白かったというのが一番の理由だけれど、好きな勉強をして好きな研究をしてお金がもらえて、余計なバイトをしなくていいというのはなんと幸せなんだ、と、入社当時おもったものだ。

もちろん、会社で必要とされた資格試験を受ける勉強もしたけれど、その基礎知識は会社の中で研究、マネジメント、色々なところに活かされたと思う。

だから、「大学入学はゴールではなく、スタート。」というのは、大学という言葉を、「資格試験」に置き換えてみると、大人にも当てはまる

 

勉強したことは、かならず後で何かに役に立つ。そのときにはわからなくても。

点と点がつながることがある。

 

その資格試験を受験するために勉強をしている間は、たしかに新しい知識がはいって楽しい。で、その資格とってどうするの?って聞かれると、その先がなかったりする。
でも、それでもその勉強をする愉しみ、「合格」とうい言葉の達成感、そういうものがあるから大人も勉強する。あとから、つながることも、あとから楽しい。

 

資格試験というのも、大学入試試験も、結局のところ何かを極めるための基礎固めなんだと思う。受験勉強でつくった土台の上に、更に何を築いていくのかは、自分次第

合格はゴールではなく、スタート。

 

合格したら、受験で覚えたことをぽっかりわすれちゃったりするけど、ツンツンと記憶の底をつつくと、記憶がつるつると繋がって出てくることがある。それが、基礎なんだろうし、その積み重ねで知識、スキルは自分の血肉になる。


 時を表すのに、カイロスという言葉がある。24時間、誰にも流れる「クロノス」に対して、「カイロス」というのは、何かの変換点。佐藤さんが高校生たちに語ったのは、「高校入学試験に合格した日」が彼等のカイロスの一つ。結婚、就職、離婚、退職、人生の区切りになるような点。

カイロスは、終わりであり、常にスタートでもあるということだと思う。

 

1945年8月15日、戦争が終わって、戦後が始まった。まさに、新しいスタートを切った。


一方で、ゴールしたと思ったらすぐにスタートでは、休む暇がない。
だから、時として点ではなく線のカイロスもあるのではないか、という気がする。

若い時は、点のカイロスが多くて、歳をとると線のカイロスが増える、、、そんな気もする。

 

『仕事はたのしいかね?』のなかに、「今日の目標は明日のマンネリ」という言葉があった。

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目標のマンネリ化って、人生のマンネリ化。出来れば避けたい。加えて避けたいのは、ゴール到達後の燃え尽き症候群。。。そうならないように、ゴールのその先をいつもイメージしていると、目の前の小さなゴールだけに燃え尽きない。

 

ゴールは、スタートのためにある。

 

資格試験は合格するまでずっと目標だ。でも合格したら、その目標は一旦おしまい。そんな時、すぐに新たなスタートを切ることも大事だけれど、線のカイロスとおもって、じっくり目標を考え直す時間もいい。

 

人生のロングバケーションだって、たまには必要だ。

 

それを味わうためにも、まずは、ゴールをめざそう。

次のスタートのために。

 

受験生、がんばれ!!!

私は、努力は必ず報われる、とは言わない。

でも、自分の血肉になる。

それは、誰にも奪うことのできない自分の中の財産になる。

 

良い師に学べ。

学ぶ方法はいくらでもある。

それでも、効果的であり、効率的な学び方を学んだら、実践するのは自分しかいない。

 

新しいスタートのために、今の目標がある。

まずは、今の目標達成に向けてがんばろう!

 

そう、これは、いまもってロングバケーション中であり、受験生でもある自分に向けての言葉である。いくつになっても、学成り難し・・・・。

 

『16歳のデモクラシー  受験勉強で身につけるリベラルアーツ』 by  佐藤優

16歳のデモクラシー
受験勉強で身につけるリベラルアーツ
佐藤優
晶文社
2020年1月25日 初版

 

 図書館の棚で見つけた。2020年の本だけれども、多分読んだことがないと思ったので借りてみた。ソフトカバーの単行本。内容は佐藤さんが埼玉県立川口北高校の2年生たちに行った特別授業4回分を書籍にしたもの。

 佐藤さんが高校生たちを相手にした講演を本にしたものは他にもあるけれど、いつも難しい話を分かりやすく、かつ難しいかもしれないけれど、頑張って考えてみて、と高校生たちを励ましているところが結構好きだ。実際、内容は私にも難しい・・・。

 

表紙の裏には、
”「君たちが社会で活躍する頃には、日本のファシズム傾向は今より強まっているかもしれない。過去の歴史を知ることは、現在を読むために必要だ。」
インテリジェンスの泰斗が高校生たちに呼びかけ、学校での授業内容をベースに世界と社会の見方を伝える。デモクラシー論の古典であるラインホールド・ニーバー『光の子と闇の子』をテキストに、時に英語原文にも当たりながらデモクラシーの本質を探究していく。高校での勉強や大学入試のさらにその先を見据えた、確かな教養を身につけるための全4講義。
力強く歩みだすための知力とは何か
学びはじめ、学びなおし、学び続ける知的メソッド。”とある。

ラインホールド・ニーバーの『光の子と闇の子』は、佐藤さんがいつもデモクラシーを理解するのに最も重要な本、と言っているので買ってはあるのだが、じっくりと読んだことがない。高校生達と一緒に勉強するつもりで読んでみた。 

説明にあるように、本書の中に時々、英語の原文が引用されている。そして、その日本語訳も。そして、都度、英語の勉強は大事だから、こうして日本語と英語が一緒になっていれば辞書を引かなくても、どの言葉がどの言葉なのかを分析すればいい勉強になる、と。

目次
第1講 歴史の年号はなぜ重要なのか
第2講 デモクラシーの起源
第3講 世界戦争が起こるメカニズム
第4講 未来を見通す力をつける

 

感想 。
う~~ん、勉強になるなぁ・・・。
高校生が受けた授業、私も一緒に受けてみたい・・・。
ほんと、私にとっても、とても勉強になる一冊だった。
このところ、中国関連の本を続けて読んだので、中国の体制にかかわる言葉がすらすらと分かって、あぁ、、、点と点がつながった・・・って感じが面白い。
conecting the dots!
冊封体制(さくほうたいせい)とか、易姓革命(えきせいかくめい)とか、デモクラシーの話をしながら、中国の体制との比較で話が出てくると、中国の特殊性がきわだっていることが更に理解できた気がした。

沖縄は、かつて中国の冊封体制の中にあったのだという話も、琉球が日本に勝手に沖縄にされた経緯のなかででてくると、沖縄の歴史を振り返るという機会にもなった。

あと、高校生向けに、言葉の定義を徹底的にやってくれているところもいい。カタカナ言葉で、ホワッとした意味でつかっている言葉を、高校生たちに辞書を引かせながら、徹底的にその意味を理解出来るようにすすめている。

例えば、イデオロギー。「○○のイデオロギーが、、、、」と日本語になっているけれど、辞書の定義で言えば、単なる政治的思想ではなく、「その人の行動に影響を与える考え方」となる。
リバタリアニズム」も、そのまま使いがちだけれど、ヨーロッパのリベラル(自由主義)が国が干渉しない自由であることに対して、アメリカの「リバタリアニズム」は、国民が自由になるための制度を国がつくること、と説明されると、よりヨーロッパとアメリカの思想の違いがわかる。


第1講では、佐藤さんお得意の年号テストがでてくる。世界史の出来事の年号を書きなさい、という小テスト。以下10個。


ウェストファリア条約 1648年
・第1次世界対戦勃発 1914年
・第2次世界大戦勃発 1939年
真珠湾攻撃 1941年
・広島長崎原爆投下 1945年
サンフランシスコ平和条約の発効 1952年
ソ連崩壊 1991年
・ロシア社会主義革命 1917年
・9/11米国同時多発テロ 2001年
明治維新 1868年

 

そうか、今の高校生には、2001年の9.11米国同時多発テロも、歴史で習う事なのか・・・・。
サンフランシスコ平和条約の話は、先日読んだ『高校生のための法学入門』の憲法ができた経緯の話で何度も出てきたので覚えていた。

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でも、戦争以外は、普段年号を見る機会が無ければ、曖昧だ。佐藤さんは、年号を覚えていた方が、他の出来事とのつながりで考えられるから、世の中のことを理解するには便利なのだ、という。年号がわからなくても、すくなくとの上記10の出来事の順番は理解しておこう、って。

第2講から、本格的に『光の子と闇の子』を読み始める。一緒に読むのが『世界史B』の教科書。『光の子と闇の子』は、1944年にラインホールドがスタンフォード大学で行った講義がもとになっている。この、1944年というのが重要。ようするに、第二次世界大戦の最中で、まだナチスが存在していた時。戦争のさなかで考えたことが本になっているのだ。

ナチスは今では完全否定されているけれど、ナチスが台頭してきたのは時代の流れだったということ。ヒトラーは、健康オタクだった。だから、健康診断でガンがあったらガンを切除するように、人種にも欠陥があれば排除する・・・と。そして、ヒトラーベジタリアンで、大好きなお肉、ケーキはずっと我慢していたのだけれど、自殺する1週間前は、肉をたべてケーキを食べて、もう死んじゃうからいいんだも~~んという、シニシズムに至っていた、、と。そして、その変化は社会の変化の流れもそうなりえる、と。
社会に「世の中はなるようにしかならない」というシニシズムが蔓延することの恐ろしさは、ヒトラーの最後と同じ流れになること、と。

 

『光の子と闇の子』をもとに、政治形態の大きな流れを佐藤さんが解説している。

人が増え、社会ができる。さらに大きくなると国家ができる。一つにまとまるために、君主政治が始まる。

君主政治が続くとだんだんと君主が勝手なことをし出すので、それが僭主(せいんしゅ)制、独裁制になる。 その様子を見た人たちが、何人かの優秀な人たちで集団指導していこうと考える。これが貴族制になる。貴族政が堕落すると、寡頭制になり、普通の人たちが集まり政治を行う民主制になる。しかし民主制も堕落し、衆愚政になる。このだらしない状態を解決するためには、一人の人が治めた方が良いと考えるようになり、また君主制に戻る。君主制が堕落すると僭主制になって行き…”
と、変遷をたどるのだと。

わかりやすい。

そして、この誰かひとりに決めてもらえば、、、という「強い人に全部決めてもらった方がいい」という思想こそが、ヒトラーに権力を与え、ナチスをうむ出すことになったのだ、、と。そして、ヒトラーの時代、ドイツには、「当時の世界で最も民主的な憲法」といわれた「ワイマール憲法」があった。ヒトラーは、憲法はかえていない。ただ、ヒトラーが出す命令を憲法とすればよかった。

 

佐藤さんが、とても怖いことを言っている。
どんなに立派な憲法を作っても、実際に政治を行う人がそれに反する行為をして、国民がそれを阻止しなければ、ナチスのようなものが生まれる。

うむ、さもありなん。さぁ、今の与党はどうか。。。。

 

そして、
ナチズムも怖いけれど、民主主義やデモクラシーを信じ、「自分のことは絶対正しい」と思っている人も怖い!”と。

うむ、さもありなん。

 

高校生相手に、真剣勝負しているな、って感じがいい。
どの勉強も、受験勉強のためだと思ってやるのでは、されかに搾取されて自分のものにならない。自分のものにするような勉強の仕方をしなさい、とすすめている。
「大学入学はゴールではなく、スタート」
本当にそうだ。
受験ものって、なんでもそうだ。
合格して始まる新しいキャリアのために、受験するのだ。
こういう、「勉強の仕方」って、私は教わったことなかったなぁ、、、と思う。学校の授業もそんなに真剣に聞いていたわけではないし、いわゆる塾や予備校に通ったことがないので、勉強の仕方をしらずに独学でずっとやってきたような気がする。

 

ボイジャーに伝えて』で、美紗子に勉強の仕方にも法則がある、と教えてもらって成績を伸ばしていく公平が羨ましく感じた。

megureca.hatenablog.com

学校の先生でもなく、親でもなく、はたまた塾の先生でもなく、、、普通ならば接点がないような大人とかかわることって、10代にとっては、とても大切な気がする。

先生や親は、「正しいことを教えてくれる人」って信じているなかで、ちょっと違う視点ではなす大人に接すると、自分の頭で考える訓練になるのかな?そうやって、「親が先生が言っていることが100%正しいわけではないのかもしれない」とか、世界には色々な見方があるってことを覚えていく。

 

高校生でこういう授業うけていたら、また違う道を進んでいたかもしれないなぁ、、、と、本書や『高校生のための法学入門』を読んで思った。

 

まぁ、直接口で伝授されなくても、こうして本を読むことでいくつになっても学ぶことはできるけど、ね。やっぱり、10代で聞くのと、社会人になって聞くのでは違う。

 

「大学入学はゴールではなく、スタート」

今、受験真っ最中のすべての若者に伝えたい。

勉強するのは、〇〇大学卒という学歴を作るためではない。その先の基礎固めをするためってこと。身についた知識や思考は、一生使える。

今こそ、思いっきり勉強して、大学での勉強を楽しんでほしい。

勉強だけしていればいいときというのは、人生において、今だけなんだから。

 

頑張れ!受験生!!

私も、頑張ります!

 

佐藤さんの言っていることが100%正しいとも思わない。でも、間違いなく刺激になる一冊。

読書は楽しい。