『ボイジャーに伝えて』 by  駒沢敏器

ボイジャーに伝えて
駒沢敏器
風鯨社
2022年7月22日 初版第一刷発行

 

 本の編集に関する仕事をしている本のプロが、「これは今まで読んだ小説の中で一番よかった。」とおっしゃっていたので読んでみた。
彼曰く、内容もそうだけれど、書き出し、構成がよい、と。
図書館で借りてみようかと思ったけれど、図書館には蔵書になっていなかったので、話を聞いたその場でAmazonでポチった。

 

 届いてみると、不思議な表紙の絵に黒い帯。なんというか静かなかんじというか、静謐な感じがする。

帯には、
”世界の本質を鮮やかに描いた慧眼の作家、駒沢敏器が残した幻の長編小説
「I’m here.」
「I’m glad you are there.」
私はここにいる。
あなたがそこにいてよかった・・・・。”
とある。

 

駒沢敏器さん。知らなかった。本を薦めてくれた彼も、駒沢さんの本を読んだのは初めてだったらしく、他の作品も読みたくなった、と言っていた。

調べてみると、駒沢さんは、2012年に亡くなっていた・・・・。しかも、殺人で・・・。事件の詳細はでていなかったけれど、「母親に絞殺された・・・。」といった記事がでてきた。なんだか、小説みたいだ・・・。

 

本書著者紹介によれば、駒沢さんは、1961年東京生まれ。雑誌『SWITCH』の編集を経て作家、翻訳家に。主な著書は、小説に『人生は彼女の腹筋』、『夜はもう開けている』、ノンフィクションに『語るに足る、ささやかな人生』、『地球を抱いて眠る』、『アメリカのパイを買って帰ろう』、翻訳に、『空から光が降りてくる 』(ジェイ・ マキナニー)、『魔空の森 ヘックス ウッド』(ダイアナ・ウィン・ジョーンズ)、『スカルダガリー』 (デレク・ランディー)とある。

本書、『ボイジャーに伝えて』にでてくる衛生ラジオ局「St.GIGA(セントギガ)」にも関わっていたそうだ。

とにかく、読んでみた。


感想。

読みだしたら、とまらない・・・。
最初の1ページで引き込まれた。
Amazonで注文した本を郵便ポストから受け取ったのが、夜遅い帰宅の日だったので、1ページを読んで、すぐに、本を閉じた。やばい、、、、これは、読みだしたら止まらない、、、という予感が1ページ目から・・・。

そして、日にちをおいて、再度本をめくった。一気読み。なんというのか、ワクワク読み進むというより、美しい音楽を聴くかのように読み進んでしまう・・・。心情の描写や情景描写で主人公たちの姿が思い浮かぶだけでなく、生き生きとした音が聞こえて来るような感じなのだ。。。真摯に生きる姿が美しい。いいこと、わるいこと、色々あっても毎日、、生きていくのだ・・・。

 

これは、音にまつわるお話である。
そして、生と死にまつわるお話である。
男と女の話である。
死者と生きている者との話である。
一緒にいても、一人で生きる男と女の話である。

生きる、というお話である。

 

いやぁ、、、よかったなぁ。なんというか、すごーーく感動するというより、美しい小説をよんだなぁ、って感じ。旅にでたくなる。沖縄に行きたくなる。自然の中で何時間でもじっと生き物の声や風の音をきいていたくなる、、、そんな一冊だった。
うん、素敵な話。

 

以下、ちょっとネタバレあり。

 

物語は、篠原恭子が恋人の北山公平のことを回想しているかのようなシーンから始まる。まるで、公平は既にいない人のような気がしてくる。死んでしまった恋人のはなしなのかな、、、って。

 

レコーディングディレクターとして音楽業界で働いている恭子(1977年8月20日生まれ)と、自然の音の録音再生に人生をささげる公平(1988年9月5日生まれ)の物語なので、音楽、音に関する話がたくさん出てくる。音楽の趣味で意気投合したのが二人の出会いのきっかけ。

 

友達に誘われたライブハウスで、恭子が初めて公平の声をきいたとき、
「I’m here.」
「I’m glad you are there.」
という歌詞に心ひかれ、地球から宇宙への発信のようなイメージをもった。そして、マニアックな音楽の趣味を共有していることが分かった二人は、その日のうちに一夜を共にする。

 

「I’m here.」
「I’m glad you are there.」

この歌詞は、タイタンの妖女』(カート・ヴォガネット・ジュニア)にでてくる、謎の生命体ハルモニウムの歌詞だった。美しい音を聞くと、キラキラと輝くハルモニウム。公平が求める自然の音は、ハルモニウムがキラキラと光り出すような音なのだという。

 

読みながら、この「I’m here.」「I’m glad you are there.」って、どこかで知っている気がしたのだが、まさか『タイタンの妖女』だったとは。読んだ時、ハルモニウムってどれほど美しいのかな、、と思ったから、なんか、あの切なさが伝わってきた。。ボアズが居残った水星で出会った謎の生物。ボアズに「イカナイデ」と泣いた謎の生物。

megureca.hatenablog.com

 


公平は、バンドをやっているとはいえ、物静かな青年。物語の最初、恭子の公平への説明がそうなのだ。

”一人の人間を表現するのに、北山公平ほどなにから説明すればよいのかわからないひとはいない・・・”と。

そして、出会ってそうそうに、公平は30歳になる前に自分のやるべきことを見つけるために、一人旅に出る、といって恭子を東京に残して全国放浪の音探しの旅にでてしまう。

 

本のタイトルになっているボイジャーは、宇宙探査機ボイジャーのことで、2号と1号の打ち上げの日が恭子と公平の誕生日。8月20日、9月5日ときいて、ボイジャー打ち上げの日だとお互いにわかる若者がどこにいるのか?!とおもうが、そういう二人だったのだ。ボイジャーは、宇宙の果てまで旅する宇宙探査機。公平も、恭子も、人生を探索するたびにでている若者。そういう、宇宙を身近に感じている二人が出会って、それぞれに自分の人生を歩みつつも、ともに歩むという物語。

 

 初めて恭子が公平の部屋に泊まったとき、恭子は、一人の女性の写真が飾ってあるのを見つける。だれだろう?とおもいつつも、公平に訪ねることはしなかった恭子。しかし、公平が一人旅に行ってあつめてきた自然音の音源を聞いたときに、恭子はその中に写真の女性を感じる。公平は、、、写真の女性とのつながりのために自然音を求めているのか・・・・・と。

 

 物語には、公平の回想が挟まれる。写真の女性との回想だ。公平が高校3年生の受験生で図書館通いしていた時に、図書館で出会ったのが写真の女性、沢口美紗子だった。当時24歳だった美紗子は、建築士を目指して図書館で勉強していた。そんな二人がであい、公平は美紗子に受験のアドバイスをもとめ、美紗子の家へ通うようになる。公平の初めての女が美紗子だった。その美紗子との日々が回想されている。大学受験、資格試験、それぞれ違う目標ではあるけれど、受験という同じ目標をもってそれぞれに頑張る姿が美しい。
 あれこれ手を付けては、これでいいのか?と悩んでいた公平は、美紗子に「何をするにも法則性がある」と言われて、1週間数学だけを勉強することで、基礎固めということを学ぶ。そうすると、苦手だった英語も、基礎があれが応用もできるようになっていくことに気が付く。

これは、人生には法則がある。基礎を固めないと、応用はできない、、、っていう教えかな・・・。

共通試験が終わったら、お預けにしていたクリスマスパーティーを2人でする約束だった。
しかし、共通試験が終わった翌日、悲劇が起きる。公平は永遠に美紗子を失う。
1995年1月17日、阪神淡路大震災

 

なんと、まさに昨日、2023年1月17日に本書を読んでいたら、阪神淡路大震災の話が出てきた・・・・。

 

 公平は、美紗子との過去にこだわっていたわけではないけれど、公平の中に美紗子をもとめてあちら側の世界へ行きたがっているように感じる恭子だった。そして、沖縄への旅へでた公平に、とにかく元気で、無事でいてほしいと告げる恭子。

 

放浪する公平。自分の仕事に真剣な恭子。
なんというか、よんでいてこういう二人がカップルになったらかっこいいな、という感じなのだ。

 

恭子が、「同性だけで充足している男性は美しい」と、男性2人が真剣に仕事に向き合う姿を賞賛するセリフがでてくる。会社の先輩たちであったり、公平が知り合いのBarでカウンターの中を手伝っている姿をみて言っている。
ようするに、依存せずにお互いに尊重しあっている二人が美しいのだろう。とてもわかる気がする。それは、男女のカップルだってそうだ。いってみれば、同性同士のカップルだってそうだろう。相手に何かを求めるのではなく、相手に何かを提供することを喜びとする二人の関係。

 

公平は、恭子とであってからすぐに一人旅にでている。一緒にいた時間は短いけれど、信頼し合っている二人の感じがいい。お互いに、一緒にいなくても提供できる何かを持っている二人だったのだ。帰る場所、待ち人、、、それも大事な提供物だ。


9月の誕生日前に日本の北半分の旅に出た公平は、年末に東京に戻ってくる。そして、恭子に送った自然の音を、素晴らしいスピーカーで聞かせてくれる店へと出向く。そこは、恭子の上司の友人の店で、スピーカーの作成者はその弟で沖縄の人だという。公平の音をきいて感動した店の主人は、是非、沖縄の弟のもとへいって、もっと自然音をとってきてくれ、という。
公平は、再び、旅にでる。
そこで、公平は沖縄の戦争の苦しみ、開発による自然破壊の現実を見る。
そして、それらのことによって傷つき、心のバランスを失ってしまった人にも・・・。

 

沖縄で、公平を迎えてくれたのは、スピーカーづくりの名人とその知り合いたち。そのうちの一人、大城さんが建てた山の中の小屋に、公平は籠り、音をとる。沖縄の自然の音、星空、美しい景色と音が生き生きと描かれている。

公平が送ってくる自然の音を聞くうちに、その中に女性の声を聴くようになる恭子。これはあの写真の女性の声ではないかと思い始める恭子。そして、そのことを沖縄の公平へ手紙で訪ねる。しばらく返事が来なかったのだが、直接話したいから、沖縄に来ないか、と。そして、沖縄へ飛ぶ恭子。

 

公平は、やさしく恭子を迎え入れる。二人で斎場御嶽を訪れ、その美しい景色の中で、美紗子と震災の話を聞く恭子。公平は、美紗子が自分の原点にあるわけでなく、「美紗子さんの死が原点」という。とにかく、過去の原点に過ぎないのであって、今大事なのは、自分であり、恭子である、、と。

そんな幸せな時間を過ごした恭子と公平だったが、その晩、沖縄で家を世話してくれた大城さんが海に出て行方不明になる。大城さんを追いかけて、暗闇の中、海に一人ででる公平。引き留める恭子を振り切って、一人夜の海に漕ぎ出す公平。。。。。
美紗子のもとへいってしまうのか、、、、公平。
公平の行方は・・・・・。

 

次の章で、場面が沖縄から東京になる。

”その部屋には花がいくつも用意され、空気をおごそかなものにしていた。公平を知る関係者たちが次々とおとずれ、受付で記帳してから・・・・・”

読み手は、すっかり、お葬式か・・・と思だろう。私もそう思った。。

 

そこから先は、ネタバレなし、にしておこう。

 

少なくとも、悲しみに涙する物語ではない。

公平、恭子、がんばれ!

と言いたくなる物語。

 

読み応えあったなぁ。

あっという間によんじゃった。

もう一度読み直してもいい。

これ、映画にしたら美しいだろうな、、、、って、そんなお話だった。

 

そして、読みながら映像や音を感じるところが、なんか、原田マハさんの作品とも似ている気がした。

駒沢敏器さん、色々書いているようなので、他も読んでみたいと思う。

 

 

 

『高校生のための法学入門 法学とはどんな学問なのか』 by  内田貴

高校生のための法学入門 法学とはどんな学問なのか
内田貴
信山社 民法レクチャーシリーズ
2022年6月25日 第1版第1刷発行

 

著者の内田さんは、1954年大阪生まれ。東京大学法学部卒業。現在、東京大学名誉教授・早稲田大学特命教授・弁護士。2007年から法務省参与として再建法改正と呼ばれる民法の大改正にあたったとのこと。

 

目次
第1章 法学とはどんな学問なのか
第2章 いま法学(民法学)をどう学べば良いか
第3章 質疑応答

 

内容は、2021年6月12日に行った高校生へのレクチャーの記録。参加したのは、会場で開成高校の生徒、オンラインで筑波大学附属駒場高校の生徒、そして法科大学院生1名だったとのこと。

 

感想。
面白い!これは、良本!
 たまたま目に付いたので借りたのであって、大して期待していなかったのだけれど、とても面白かった。はしがきに、「通常の法学入門で書かれていることとは内容がまるで異なる」と内田さんが書いているのだが、本当にその通り。法律の中身が書いてあるのではない。或る意味、法律に関する歴史書のようなモノでもあり、法律を学ぶというのはどういう意味があるのか、ということが、書いてある。
 

 そして、第3章の質疑応答の内容がとても高度。高校生の質問なのか?!と驚いてしまう。第    1章、2章のレクチャーの合間、内田さんの問いかけに生徒たちが応える場面もあるのだが、それもすごい。そんなこと、知ってるんだ!!と、私が50歳を過ぎてから学んだようなことを、生徒たちがポンポンと口にする。法の話とは別に、生徒たちの発言から日本の未来も明るい!とおもえる感動もある。

 

全208ページのうち、第1章で半分以上。法学とはどういうことなのか、ということが法律が作られた歴史から語られている。法律の中身ではなく、日本国憲法が作られるに至った歴史的背景や、それに奔走した人々の思考とか。

説明の中で面白いと思ったのは、憲法をふくめて法律をつくるときには、「法の継受」ということがおこり、それは言語変換つまり「翻訳」のような工程が含まれるという話。

「法の継受」というのは、文化や言葉の垣根を超えて法律が移植されるということ。明治時代に日本の憲法を作った人々は西洋からの法を継受した。最初は、模倣のようなモノだったかもしれないが、それが日本文化、日本語のなかで人々にわかりやすく解釈され、翻訳されていくことで、日本の法律になっていく、っていう話。言語の翻訳でも、その外国語に相当する概念が日本語にないと、翻訳語を新しくつくらなくてはいけない。例としてキリスト教文化のある西洋における「society」を日本語にどう訳したかという話が出てきた。

  幕末に海外の法律を学んだ西周「相生養の道」といい、福沢諭吉「人間交際の道」と訳した。いまでは、「society」を「社会」と訳すことが一般的であるけれど、もともとは人と人とのかかわりを意味した。だから、コロナ発生時に海外で「social distance」といったら海外では人と人との接触を減らすという意味ですんなり使われたが、日本では「社会距離」となって、なんだかよくわからない言葉になってしまった・・・・と。
言葉本来の意味がそのまま反映されていないと、翻訳したときに十分に元の意味が伝わらなくなってしまう、そのようなことが法律の世界でも起こりえる、という話。

「江戸っ子」という言葉を、「江戸の住民」と訳しても、本来持っている「べらんめぇ風」な様子は伝わりにくい。文化と言葉は切り離せない。

第三章で、生徒が「言語の概念を抽象化して考えていくという点で、言語学法律学はちかいのか?」という質問をする場面があり、「ソミュールの言語学を学ぶことがあるから、概念のズレ」ということに興味あった、と言っている。今どきの高校生は、ソミュールの言語学を高校の授業で学ぶのか、と、、、感動。
この質問に、内田さんは、「法的概念も言語だから、全体構造のどこにどの言葉を当てはめるかということだけで法を継受すると、言語のズレのように、法学全体としてのズレが生じるかもしれない」と言っている。

法律を職業とする人は、「事実」を「法という仮想空間」に移管して物事を整理する。それもまた、翻訳作業と似ているのだという。

 

 明治時代に日本の憲法を作ろうとした歴史の話では、板垣退助が「市民平等」の必要性を感じた逸話が面白い。

 板垣はもともと土佐藩の上級武士階級の出身で、官軍を率いて幕府軍を追い詰めた。最後に幕府軍の中心であった会津藩を攻めることになった。兵を進めて会津の国境まで来た。そしてここで考えてみるに、
会津は全国屈指の雄藩である。政治はうまくいってるし、民は富んでいる。もし武士も農民も心をひとつにして全力で自分の国(会津藩)に尽くそうとすれば、たかが3000人未満の官軍でこれを打ち破ることができるだろうか」
と思った。
 しかし、官軍がその国境の臨むと、なんと驚いたことか、一般の人民、農民たちは妻子を伴い、家財を抱えて四方に逃げて行った。一人も自分たちと戦おうとする者がいない。のみならず、しばらくすると戻ってきて、官軍のために用を足して、駄賃をくれと言って恥じることもない。板垣は何ということだ、とショックを受けた。
 これをなんとかしないと外国から攻められた時、日本国民はみんな逃げていくぞ、と危機感を持った。日本の国を守るために命をかけるような国民を作るには、どうすればいいのか?
 武士は会津城に立てこもって命懸けで戦っている。農民は逃げる。要するに武士と農民の身分の差があるからこれがいけないのだ。これをなくして「四民平等」みんな等しいという国を作らなきゃいけない、というのが板垣退助の発想で、そこで「自由民権運動に立ち上がった。
という話。

なるほど。。。
そして、「国民」をつくる、という概念が生まれてくる。


福沢諭吉が、日本が西洋の法律を日本に持ってきたとき、そのために海外に留学した人々は東洋文化をよくよく理解していたことがよかった、と語った本『文明論之概略』が紹介されている。
 穂積陳重(ほづみのぶしげ 1855~1926)らの留学生は、東洋の教養をみっちり仕込んでから西洋に行ったので、西洋の法概念の一つ一つを、儒教でいえばどの概念に対応するのかということを考えながら理解した。その結果、法律用語の翻訳にあたっても、自分たちで翻訳語を作り出すことができた。それが日本にとって幸運だったのだ、と福沢諭吉が語っている。


 福沢諭吉の文章を現代語に直すと、
「今日の西洋の学問を学ぶものは、少し前まではみんな、漢学を学ぶ書生だった。ことごとくみんな、日本の神様仏様を信じていた。だから西洋文化を学ぶ前に完全に東洋の文化を学び、東洋の教養を身につけていたそういう体ができていた。そこに西洋のことを学ぶもう一つの体がやってきた。一人の人間が二つの人生を生きるかのように、また一人の人間が2つの身体を持っているかのようである。」と。

真っ白なキャンパスで新しいことを学ぶというのも大事だけれど、既にある世界に新しい概念を重ね合わせる学び方というのは、時としてすごい武器になることがあるというのは、わかる気がする。

 

 本書は、法律に関する本だけれど、日本と世界の歴史背景を理解していないと、どうやって日本の法律がつくられ、そこにはどんな意図があったのかがわからない、ということが見えてくる。そして、それを理解したうえで、これから先の未来の法と向き合い続ける必要があるということ。

 

 法律にそれなりに理解をもつ「リーガル・リテラシー」のある人を増やすというのは、社会にとって意味あることだというのが、この本を読むと伝わってくる。 

弁護士という職業だけでなく、公務員であれ、ビジネスマンであれ、リーガル・リテラシーがあるというのは、法律という言語の仮想空間で物事を考えられるということであり、誰にも必要な教養なのだということが伝わってくる。

 

 別に、弁護士になるのではなくても法律を学ぶって意味ある事なんだなぁ、と思った。

 

 実際に、会社で仕事をしていると、通常の生活では関わることのない法律に関わることがある。下請法とか、親書法とか、、、。知らずに、ついうっかり法に抵触する事って意外とある。ただ、それが大事にいたらないから気が付かないでいるだけ。身近なところでは、道路交通法だって、法だ。信号無視をしたことが全くない人なんていないだろう・・・。

 

 リーガル・リテラシーを持つということと、ノブレスオブリージュはセットだ、という話しが第3章の質疑応答の中で出てくる。

以前、官庁の友人が、「国立大学に安い学費で学ばせてもらったのだから、国に何かを還元しないと、と思って国家公務員になった。」と語っていた。私には、まったくない発想だった。世の中、そういう風に考える人がいて、公務員になる人がいて、国がなりたっているのか、、、、。


公務員になることだけが国に貢献する道ではないけれど、ノブレスオブリージュを若いころから自覚するって、すごいな、って思う。本来エリート教育って、そういうことなんだろう。

教育を受ける権利だって、憲法で定められている。
意識しないだけで、私たちの生活は法律で守られているのだ。

 

ほんと、面白い本だった。
学ぶことの意味を考えさせられる。

これは、いわゆるエリート校、進学校に通う高校生に、是非読んでほしい。

勉強するということの深い意味が、伝わってくる。

また、同世代の人が、第3章にでてくる中身の濃い質疑ができるということにも、刺激を受けるのではないだろうか。

 

法を理解し、わかりやすく伝える。それも法を学んだもののノブレス・オブリージュだな、と思う。 

 

うん、面白い本だった。

高校生の時に出会っていたら、もしかしたら法学部に進んだかもしれない。。。

 

 

『マーケティングインタビュー 100の法則』by 日本能率協会マネジメントセンター

マーケティングインタビュー 100の法則
定性調査のテクニックをつかみ消費者理解の解像度を上げる
アウラマーケティングラボ代表 石井栄造
ライター 佐藤智
日本能率協会マネジメントセンター
2022年9月30日 初版第1刷発行 

 

 全く別の本を探していたのだが、 図書館で 「解像度」で検索していたら出てきた本。出版元の日本能率協会マネジメントセンターはサラリーマン時代、コンサルタントとしてよくお世話になった組織。書籍で言えば、業務に関する教科書的な本を出版してる。私は、マーケティングは全くのド素人だけれども、昨年、会社をスタートしたこともあって、マーケティングが何なのかに興味があったので、借りてみた。

 

本の表紙には、
”データ分析だけではわからない消費者の本音に迫り、商品開発・改善へとつなげる方法が一冊でわかる” とある。

小型の単行本。横書き。さ~~っと読める。読むというか、見るという感じだろうか。100の項目が、1項目数ページでまとめられていて、太字になっているサマリーだけに目を通しても、なんとなくざっくりわかる本という感じ。

マーケティング素人の私には、言葉の定義だけでも、勉強になった。中には、へ~っ、そんな言葉あるんだというものも。入門編の入門ってかんじ。

 

目次
第1章 マーケティングインタビューの特徴
第2章 インタビュー調査の種類
第3章 インタビュー調査の手順
第4章 インタビュー実施時のポイント
第5章 目的別のインタビュー調査
第6章 定性調査の新たな展開

 

001:マーケティングリサーチは市場を知るために必須である。
002:定量調査は数値で定性調査は言葉で結果を語る。
003:定性調査を行うと数値の先の深い分析ができる
などなど、、、、、そんなのあたりまえじゃろが、、、と突っ込みたくなるような基本的なことから始まって、まさにビギナー用の教科書なのかもしれない。

私自身が、マーケティングリサーチをしたり、インタビューをする予定は今のところないけれど、マーケティングされる側、インタビューされる側として読んでみても面白かった。

 

私にとっては新鮮に響いたものを、ちょっとだけ覚え書き。

 

マーケティングリサーチにはアスキングとリスニングがある。アスキングは、仮説構築したうえで、構成された質問文で質問し、対象者に回答を求める。リスニングは、ゆるやかな仮説の上で、質問はせず、テーマを提示するのみ。

 

・定性調査の種類:①ヒアリング、②インタビュー調査、③行動観察、④生理計測機器を使った調査(アイトラッキング、脳波など)

 

・FGI:フォーカスグループインタビュー:5人前後の小集団で行われるインタビュー。ネットリサーチよりコスト高だが、司会進行役であるモデレーターが状況に応じて質問をできるので、より深い消費者理解が得られる。

 

マーケティングエスノグラフィー文化人類学の方法論(エスノグラフィー)をマーケティングに取り入れること。 文化人類学のフィールドワークの中には、研究対象の集団の中に住み込んで行動観察とインタビューを組み合わせてその集団の「文化の構造」を解明しようとする方法がある。消費者理解を「消費者の異文化を理解する」と読み替えたマーケティングリサーチの方法。

 

リエゾンインタビュー:対象者二人の自由な会話から、普段は隠されている言葉をリエゾンしてもらい、思いがけない発見を目指す方法。 実施に当たっては、対象者2人の間の、上下関係(主体・客体)をなくすことが重要。

 

・コグニティブインタビュー: コグニティブインタビュー(認知面接法)は事件や事故の際に正確な証言を引き出すためにアメリカの警察で開発されたものをマーケティングリサーチに適用したインタビュー法。回答者は記憶を頼りに応えるので、誤った回答をすることがある。文脈再現(復元)、悉皆報告、出来事の逆順再生、視点の転換などのテクニックを利用する。 

 

・仮説作りは、厳密すぎると逆効果。

 

・インタビュー調査のアイスブレイクは「ラポール(信頼関係)形成」が目的。ラポール形成とは自由に話せる状態に導くこと。

 

・良い発言録とは脚色せず、意味が通るように整理したもの。

 

エクストリームユーザー:メーカー担当者以上の感覚と知識をもっている消費者

 

プローピング:「発言者の意図を確認する」「発言の不足を補う」「発言の理由・背景を聞く」こと。 モデレーターの仮説や先入観を押し付けないようにする。 

 

などなど・・・。

 

全体に、カタカナ文字が多いところが、JMAMっぽいというのか、、、、。カタカナをすべて日本語にしたら、もう少し格調高いかんじになるのかも、、、。

 

全体に、初めて社会人になったビジネスビギナー用、って感じかな。

報告書には起承転結をはっきりさせましょう、とか、調査の目的を明確にしましょう、、、とか、、、。

 

こういう、ハウツー本、参考になることもあるけど、まぁあくまでもテキストだなぁ、という感じ。読んでいてワクワクする感じではない・・・・。

 

ちょっと、頭の体操になった。

1時間程度のさらっと読み。

マーケティングのプロが読んだら突っ込みどころ満載のような気もしなくもないが・・。。

 

図書館で検索したキーワード「解像度」をあげる、っていう意味では、結構方向性はあっているかも。

大枠をとらえたうえで、詳細を確認する。それで、100の法則ってことなのかな。

 

パラパラ読みに適した本。

2022年の本だけれど、ちょっと古くさい感じもした。

基本の法則は、いつの時代もかわらないってことか。

 

マーケティングに興味があれば、入門編としてお薦め。すでに社会人数年やっている人が読むと、なんじゃこりゃ、、、物足りない・・・ってなるかも。

 

 

 

 

 

 

『貝と羊の中国人』 by  加藤徹

貝と羊の中国人
加藤徹
新潮新書
2006年6月20日

 

 2022年12月の勉強会で、中国がテーマとなり、『中国の論理 歴史から解き明かす』(岡本隆司 中公新書)が課題本だった。勉強会も『中国の理論』も、中国の二面性を理解するという意味で興味深かったのだが、その際に、本書『貝と羊の中国人』も中国を理解したければとても参考になる、と薦められたので、図書館で借りてみた。

 

 表紙の裏には、
”財、貸、賭、買・・・。義、美、善、養・・・。貝のつく漢字と羊のつく漢字から、中国人の真相が垣間見える。多神教的で有形の財貨を好んだ殷人の貝の文化。一神教的で無形の主義を重んじた周人の羊の文化「ホンネ」と「タテマエ」を巧みに使い分ける中国人の祖型は、3000年前の周殷革命にあった。漢字、語法、流民、人口、英雄、領土、国名などあらゆる角度から、斬新かつ大胆な切り口で、中国と中国人の本質に迫る。” 
と。

 

感想。
めっちゃ、面白い!!!
これは、今まで読んだ中国に関する本の中では、ダントツに面白い。2006年の本なので、今ほど中国が存在感を高める前ではあるけれど、とても参考になる。
いったい、この筆者は経済学者なのか、歴史学者なのか、なんだろう???とおもって読んでいたのだが、最後に、
筆者の専門は、「京劇」という中国の伝統演劇である。”とでてきた。京劇の専門家だからこそ、社会的で人間臭い中国の特徴を良くとらえている、ということだったようだ。なるほど、なるほど。身近な感じで読めたわけだ。
日本との比較だけでなく、ローマ帝国や欧米各国、ソ連(ロシア)との比較の説明などもあって、とてもわかりやすいし、身近に感じられる。
 こりゃ、いい本だ。
 勉強会で、大先輩の男性(とある会社の取締役社長でもある。かつ、とても柔らか頭な方)が薦めてくれた訳だ。図書館で借りてから、だいぶ放置していたのだけれど、ほんと、面白かった。

筆者の加藤さんは、1963年東京生まれ。広島大学大学院総合科学研究所助教授。東京大学文学部中国語中国文学科卒業。90~91年、北京大学留学、だそうだ。


目次
第一章 貝の文化 羊の文化
第二章 流浪のノウハウ
第三章 中国人の頭の中
第四章 人口から見た中国史
第五章 ヒーローと社会階級
第六章 地政学から見た中国
第七章 黄帝神武天皇
終章 中国社会の多面性

 

 最初に、タイトルとなっている「貝」と「羊」の文化について。漢字の字源と国民性について語られている。
しょっぱなから、えぇぇ?!?!という、漢字の字源の説明から始まり、ぐっと好奇心をわしづかみされる。

「県」「民」「祭」の文字の字源が衝撃的な話しだった・・・。

 

」は、「首」を上下さかさまにした形で、原義は「切断した首をさかさまにつりさげる」
「民」は、「針を目でつぶされた奴隷」。最後の一画の斜め線は、「ひとみを突く針」の名残。
「祭」は、肉のヨコに手(又)を添え、その下に「示」を書いた会意文字。「犠牲の肉を手に持って神霊に捧げる」

だそうだ。


筆者にとって、「県民祭」という看板は、おもわずにやりとわらってしまう、、と。

と、そんな漢字の話から、貝と羊について。それぞれの文化を持つ2つの祖先が出会ったのが中国人(漢民族)の始まり。

ここでも導入説明も面白い。人が父と母の出会いから生まれるように、民族の誕生も異質な二つの集団がぶつかり合って始まる、というのだ。事例をあげられると、たしかに!

インド人の祖型は、3500年前の「先住民・ドラヴィダ人」と「征服者・アーリア人」の衝突
日本人の祖型は、2千数百年前の「在来系・縄文人」と「渡来系・弥生人が混淆してうまれた。
イギリス人の祖型は、1500年前に「外来・アングロ・サクソン人」が「在来・ケルト人」を征服することで生まれた。

なるほど。

そして、中国の祖型は、3000年前の「殷」と「周」の二つの民族集団がぶつかってできた

 

 「殷」の本拠地は、豊かな東方の地だった。目に見える財貨を重んじ、農耕民族的多神教的で神々は人間的だった。八百万の神々は、酒やごちそうなど、物質的な供え物を好んだ。殷人は、自分たちの王朝を「商」とよび、周に滅ぼされた後には、土地を奪われて亡国の民となり、いわば古代中国版ユダヤとなった。「商人(しょうひと)」と自称していた殷人は各地に散った後も連絡を取り合い、物財をやり取りすることを生業とした。「商人」の語源は、ここにあるらしい。これが、「貝(有形の財にかかわる漢字)」を代表する文化。老荘的=道教的文化

 

 一方の「周」は、中国西北部遊牧民族と縁が深く、血も気質も、遊牧民族で「羊」と縁が深かった。そして、農耕民族が豊かな自然環境に住んでいるために地域密着型の多神教になりやすいのに対し、広漠たる大草原や砂漠地帯を移動しながら暮らす遊牧民族は、空から大きな力がふってくるという普遍的な一神教を持ちやすいという。そして、唯一至高の神である「天」を信じる。「天」はイデオロギー的な神であり、物質的な捧げものよりも、善や義などの無形の善業を好む。無形の「よいこと」にかかわる漢字には「羊」が含まれる。義、美、善、祥、養、儀・・・・。なるほどぉぉ!!そして、周は孔孟的=儒教的文化となる。

物質的な「貝」の文化と、精神的「羊」の文化を併せ持っているのが中国、と言われると大きく頷いてしまう。

ここを読んだだけで、なるほどぉぉぉ!!と膝を叩きまくった。

 

第二章では、いにしえより流浪してきたので、中国人は他国に行ってもタフに生き抜くって話。
 1860年代、アメリカの大陸横断鉄道建設時、労働者として多くの中国人がアメリカに渡った。日本人や、黒人も、多くの人が大陸に渡り、多くは悲惨な運命をたどったが、中国人だけは違った。中国人は、数千に及ぶ歴史の中で広大な国土をあちこち移動してきたために「流浪のノウハウ」を持っていた。用心のために生水や生ものは口にしないし、疲れが溜まれば仲間同士で鍼をツボにさし、独特の指圧やマッサージのよって体調不良を治し合った。中国人は、どこにいっても秘密結社や互助組織などネットワーク作りが巧みで、同郷人のコミュニティーに飛びこみさえすれば、餓死する恐れはなかったのだ、、と。
 その逞しさ、わかる気がする。
 1868年の戊辰戦争で官軍に敗れ、賊軍といわれた旧会津藩士ら40人は、カリフォルニア州ゴールド・ヒルに渡った。彼等は「若松コロニー」を作り、懸命に働いたが、疫病で次々倒れた。バックアップしてくれるネットワークもなく、開拓資金はたちまち底をつき、若松コロニーは二年足らずで閉鎖となった・・・そうだ・・・。むむむ、さもありなん・・・・。

 

第三章では、中国人の合理的な考え方について。中国では、病院の前に葬式屋があるのは当たり前だそうだ・・・。
「お茶はひとりでにはいらない」という項があったのだが、何のことかと思ったら、日本人はお客さんにお茶を出すとき、「お茶が入りました」と自動詞的な表現をつかう。「お茶を(あなたのために)入れました」等とは言わない。しかし、中国では、「私は、あなたのためにお茶を入れました」という言い方をするのだそうだ。そして、それを恩着せがましくいっているのかというと、そういうことではないらしい。
 中国人にとっては、「大恩」と「小恩」があって、食事をご馳走したりお茶を入れたりするのは「小恩」で、その場でお礼を言っておしまい。日本人のように「先日は、御馳走になりありがとうございました」なんて数か月後に言うと、「この人はなぜ、そんな昔のことを蒸し返すのか?もう一度おごってほしいのか?」と勘ぐってしまうのだそうだ。
 貸し借りの感覚はあるけれど、大と小で使い分ける、その感覚が日本人とは異なるようだ。


第四章の人口の話では、中国は常に過剰人口→(飢餓などによる)大量死→人口過剰を繰り返してきているのだと。そして、慢性的に人口過剰な中国では、文明は必然的に「政治的文明」になった。
また、面白いのが、釈迦やキリストは政治家ではないのに対して、孔子老子孟子は政治について熱弁をふるった、と。仏教やキリスト教の「聖人」は宗教者だが、儒教道家思想の「聖人」は理想的な政治家を意味するのだと。
これも、なるほど!と、膝を打つ。

 

第五章では、ヒーローと英雄について。三国志で言えば、諸葛孔明は英雄。曹操劉備はヒーロー。うん、わかる気がする。ヒーローは、失敗や欠点があっても「人間味」が豊かで、大衆がみとめればいいのだ。諸葛孔明は、英雄でありヒーローでもある。
そして、中国では「易姓革命」によって「天子の姓を易え、天命を改める」ことがしばしば行われ、そのたびに登場したのがヒーローであり、英雄。多くは、田舎の貧しい地域からトップの座を射止めている。前漢の高祖劉邦なんて、田舎の農民で、生まれも両親の名前も不明。それでも、中国では「天子」になれてしまうのだ。

 中国では、田舎の出生のわからない人でも民衆は「皇帝」として受け入れた。太古の「神話」ではなく、「天命」すなわち民衆の総意が重要だったから。
日本では、下剋上があっても、「天命」という総意はない。豊臣秀吉も天下人とはなったけれど、自分が天皇になるという野望はもたず、関白で満足した。中国なら、秀吉が天皇にとってかわっても珍しいことではなかったのだ・・・。なるほど、なるほど。 

 

長くなるので、ここまでにするけれど、他にも、なるほど!ということがいっぱいだった。

薦められた本は、読んでみないとね。

読みたい本がたまっていく・・・。

嬉しい悲鳴。

 

やっぱり、読書は楽しい。 

 

 

『リズムの生物学』 by  柳澤 桂子

リズムの生物学
柳澤 桂子
講談社学術文庫
 2022年3月8日 第1刷発行
*本書は、1994年10月に中公新書より刊行された『いのちとリズム 無限の繰り返しの中で』を改題したものです。

 

益田ミリさんの『痛い靴のはき方』で、柳澤さんの話が出てきた。

megureca.hatenablog.com

 

 引用されていたのは、『二重らせんの私』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)からの一節で、読んでみたいと思ったのだけれど、図書館になかったので、放置していた。そして、先日図書館の新着本の棚に、本書をみつけたのだ。違う本だけれど、生物学者の柳澤さんの本だし、タイトルもおもしろそう!と思って、借りてみた。

 

本書の裏の説明には、
”地球上のあらゆる生物は、 生まれ落ちた瞬間から、太陽の周期や月の満ち欠けなど、天体の動きに同調しながら35億年以上もの間、体内でリズムを奏でてきた。眠り、痛みと快楽の刺激、脳波、心臓・・・。小さな細胞が分裂を繰り返す構造(メカニズム)とは?”繰り返し”が脳に与える効用とは? 原子の世界から宇宙現象まで、雄大な視点で「リズムの謎」を探る意欲作!”
とある。

 

著者の柳沢さんは、1938年東京都生まれ。お茶の水女子大学卒業。コロンビア大学大学院修了 。Ph. D.( 遺伝学専攻)。お茶の水女子大学名誉博士生命科学者。サイエンス・ライター。 

 

感想。
久しぶりに、自分の専門に近いサイエンスで、気持ちよく読んだ。生物、遺伝子、生理作用。あぁぁ、、、学術的にこういうことを研究し続ける人生も、ありだったなぁ、、、とおもいつつも、サイエンスとは程遠い最近の生活に、ちょっと 物足りなさを覚えてしまった。もう、生化学探求の人生は終わりでいいや、とおもっていたけれど、やっぱり好きだ。私には、彼女の文章が音楽のように響いてくる。マニアック過ぎるかもしれないけど・・・。
 読みながら、ここ数年使っていなかった脳みその一部が、活性化するのを感じた。あぁ、、、脳内に染みついているバイオテクノロジーの思考が私の中にある、、、と思った。さら~~~っと読みで、日常生活とは異なる世界を旅した感じ。
面白かった。


目次
1 天体の動きと生物
2 サーカディアンリズムの進化
3 サーカディアンリズム分子生物学
4 眠りのリズム
5 刺激の伝達のリズム
6 脳波のリズム
7 心臓の拍動
8 非線形振動
9 線虫の運動のリズム
10 受精波
11 細胞分裂のリズム
12 細胞という繰り返し構造
13 細胞性粘菌の集合のリズム
14 ベローソフ・ジャポチンスキー反応
15 体節という繰り返し構造
16 進化のリズム
17  DNA の繰り返し構造
18 遺伝子の繰り返し構造
19 非平衡系と生命現象
20 繰り返しと心の安らぎ
21 文化とリズム 

 

 どの話も、リズムに関する事。天体としての地球のリズム。哺乳類、遺伝子や虫にいたるまで、命あるもののリズム。物理学のリズム。文化のリズム。。。サーカディアンリズムは、生物が宇宙から生まれたことを思い起こさせる。

 

 私が社会人になって最初の研究所で、女性の先輩で、細胞性粘菌を扱っている方がいらした。粘菌ワールドのマニアックさったら。。。まさか、あれから30年もたって、再び粘菌の話にワクワクしている自分がいるとは・・・。粘菌は、一匹ずつばらばらになってアメーバ状態になったり、みんなで集合して子実体を作ったり、それが肉眼で観察できるのだ。
 通常の微生物は、試験管やフラスコ、シャーレなどで培養するのだけれど、粘菌はどんどん広がっていくので、バケツの中で培養していた。。。懐かしすぎる。。。きっと、普通の人が見たら、ちょっとぎょっとする代物だとおもう・・・。
 その粘菌の話では、そのリズムを作り出すために、サイクリックAMPの分泌がカギになるという話。サイクリックAMPは、cAMPとも表されるのだが、AMP(アデノシン一リン酸)のリン酸基が環状になっている。細胞のさまざまな生理的応答を媒介する細胞内情報伝達物質として働く。
 私自身が、研究の中でcAMPを含めた核酸関連物質について調べていたので、とても身近で懐かしい・・・。

 と、粘菌を懐かしく思い出していたら、今朝、2023年1月15日 日経新聞の朝刊の42面(サイエンス)”生物に学ぶ”の記事で、粘菌の写真が!!そうそう、これこれ、こうやって平面の中を広がって育っていくのよ。なんというタイミング。粘菌が新聞に掲載されることなんて、そうそうないと思うけど、、、。記事では、「粘菌がネットワークを作る様子」が写真になっていた。

 そう、ネットワークのように管を伸ばして形を変える粘菌のリズムは、cAMPで刺激をうけているのだ。

 

ほかにも、懐かしい言葉がたくさん出てきた。ロドプシン、mRNA、転写、カルシウムポンプ、二価カチオン、キナーゼ、プロモーター、SD配列。。。。。毎日のようにキーワード検索し、論文を読み漁っていたあのころは、今より英語を読む速度も速かったと思う・・・。やっぱり、興味のある分野の英文なら、どんどん読めるんだよなぁ・・・。


 むかし、1/fゆらぎ、って言葉が流行ったことがある。そう、人は、くり返しのリズムに安心したりする。柳沢さん自身の経験談で、腹部の激痛で救急車で病院に運ばれていく中、あまりの痛さにたえきれす、「ダルマさんが転んだ ダルマさんが転んだ 」と口の中でつぶやき続けたという。すると、よくわからないけれど痛みが和らぐ気がした、、、と。
「ダルマさんが転んだ」という言葉に痛みを和らげる効果があるのではなく、どんな言葉でもそれが口調よく繰り返せるものであれば、くり返しとなえていると体に何らかの効果がることがわかってきた、、と。

なるほど。
なむあみだぶつ、なみあみだぶつ、、、も、繰り返すことに意味があるのかも?!?!

緊張したときに、「大丈夫、大丈夫、大丈夫」と口の中で繰り返すのも、やっぱり何か安心効果があるのかもしれない。呪文なんて、実は、言葉そのものは、なんでもいいのかも。。。。「ちちんぷいぷいのぷい」だって、わけわからないけど、、、、効きそうな気もする。。。

 

本当に様々なリズムについて語られているのだが、そう考えるとあらゆるものは何らかのリズムを持っているという気がしてくる。そして、リズムがいいことは美しいことでもある。自然も、街並みも、人生も、歴史も、、、、。

「リズム」で語ると、色々な見方ができるのだ。

 

たしかに、生物学の本だけど、専門用語も多いけど、知らない言葉があっても、きっとリズムよく読める気がする。本そのものがリズムだった。

柳澤さん、すごいなぁ。。。。

でも、名誉教授じゃなくて、名誉博士なんだね。

時代かなぁ。。。。なんて思う。

 

マニアックに楽しい本だった。

とくに科学者でなくても、楽しく読めるんじゃないかと思う、、けど、専門家にはさらに楽しい一冊だった。

 

 

『いちばん大切な食べ物の話』 by  小泉武夫 井出留美

ちくまQブックス いちばん大切な食べ物の話
小泉武夫
井出留美
筑摩書房
2022年11月15日 初版第1刷発行

 

図書館の新刊の棚にあったので借りてみた。

 

著者の小泉武夫さんは、東京農業大学名誉教授。専門は食文化論。発酵学、醸造学、発酵の第一任者として発酵技術を社会に役立てる提案を多数配信している。
井出留美さんは、食品ロス問題ジャーナリスト『SDG’s 時代の食べ方』など著書やネットメディアでの連載で、食料問題に関する提案を多数発信している。

 

裏の説明には、
”きみの未来は「なぜ」からはじまる

私たちの体は食べたものでできている。だけどその大切な食べ物のことをずいぶんおろそかにしていない? まだ食べられるのに捨てられる食品、低い食料自給率、狭い場所に閉じ込められる家畜、栄養不足で育てられる野菜、価格優先の食品メーカー等々。 今こそ日本の食を立て直そう!

 

表紙には、
”どこで誰がどうやって作っているか知ってる?”の吹き出し

表紙裏には、ちくま Q ブックスに説明。
”ちくま Q ブックスは、ノンフィクション読書を全力応援!
身近な「なぜ?」(Question)がスタート地点。「知りたい」に答えます。

正解することよりも探求(Quest)することの大切さを伝えます。

読み終えたときには、次のQが生まれてくるかも? スタート地点とはちょっと違った世界が見えてきます。”
と。

 

薄いソフトカバー単行本で、表紙のイラストを見る限り、わかりやすく、簡単に書かれた本のよう。実際、小泉さんと井出さんの対話形式で書かれているので、とてもわかりやすい。私自身が発酵の専門家なので、小泉さんの言われることは100%理解できる。まさに、「発酵が世界を救う!」と思って、仕事をしてきたのは、私も小泉さんと一緒だ。

簡単な啓発本って、感じかな。私にとっては、そんなに新鮮でびっくり!という内容はなかったけれど、食、健康、環境に興味があるならとっつきやすい本だと思う。世の中の知識が網羅されているというよりは、小泉さんの知識が簡単にまとめられている本って感じ。

 

目次
まえがき
第1章  とっても低い日本の食料自給率
第2章 改革で成功した先人から学ぼう
第3章 ものの価値を知る
第4章 日本の食のために今すぐ取り組むべきこと
第5章 日本の伝統的な食生活を見直す

 

第1章 では、「カロリーベース」での日本の食料自給率は38%で、他国に比べても低いし、ウクライナの戦争や自然災害など、有事の際には食料不足になるリスクがあるというはなし。もちろん、だからこそ備蓄もあるのだけれど、農業従事者の数も減る中、このままでは必要な食べ物が足りなくなっちゃうかもよ、という話。
1965年度には73%だった数字が38%まで下がってしまったのは、食の変化の影響が大きいという。魚から肉食へ、お米からパンやパスタへ、食習慣がかわったことで、日本では生産していないものを食べるようになってきた。
農林水産省は、自給率をあげるための方法として、農業従事者への支援、食品ロスを削減する、といういったことに取り組んでいる。

 

食品ロスを減らすことは、私たち一人一人が出来る取り組み。「食べ残さない」もそうだけれど、そもそも、買ったけど冷蔵庫で腐らせてしまった、、、、ってこともないようにしなきゃな、って思う。

 

第2章では、フランスのシャルル・ド・ゴール大統領が、積極的に食料自給率をあげる取り組みをして、今でも131%の自給率を維持している、って話に始まり、米沢藩上杉鷹山が農家の収入を大きく増やした話など。
シャルル・ド・ゴールは、学校給食を基準に必要な食料量を決めて、各県で独立してまかなえるように農作物を作らせた。100%地産地消をめざしたら、どの県も100%を超えてしまった。
上杉鷹山は、漢方薬の原料となるウコギを全農家に植えさせて、漢方薬として売った。農家が豊かになると、さらに土地にあった作物を調査し、お米を作るために、牛を飼うようにした。牛は食べるためではなく、牛の糞尿を対比にして発酵させると米作りによい肥料になるから。そして、お米も米沢牛も名産になっちゃった。ついでに、紅花もつくって染料としていたのだけれど、今では紅花油として絶大な人気商品になっている。
紅花油は、酸化しにくくて体にいい油なので、今でも人気商品。

たしかに、農家が豊かになるというのは、地域が豊かになることにつながるのだと思う。

 

第3章では、本物を食べよう、という話。日本では、発酵食品ではない「キムチ風漬物」が売っているけれど、それは、本来のキムチのような健康効果は全くない。それを「キムチ風」と売るのは、キムチを大切な民族文化としている韓国に大変失礼なことだし、間違っている、と。確かに。言われてみればそうだ。日本人が海外で、マヨネーズだらけの寿司をみて「これは寿司ではない」と思うのと一緒かも・・・・。キムチを買うときは、本当の発酵キムチなのかを確認して買おう。専門店なら間違いないけど、スーパーに並んでいるキムチは、「キムチ風」が結構ある・・・・。
また、アトピーの子どもが旬の野菜をおかずに玄米を食べて、自分で仕込んだ味噌をつかったみそ汁をたべてたら、アトピーがきれいになおっちゃった、って話。まぁ、加工食品をやめるだけでも、結構効果あると思う。

私は、別にアレルギー体質ではないけれど、スーパーで売られている長期保存のきくお豆腐(充填豆腐)を食べると、お腹がシクシクする。お腹を壊すわけではないけれど、腸内細菌が泣いているような気がする・・・・。

加工品を買うときは、原材料や製造方法をチェックしよう。

 

第4章では、農業をもっと応援し、自然な食品を取ろうということと、なぜ発酵食品が体に良いか、という話。ついでに、生ごみ処理問題にも言及されている。
私は、生ごみをベランダでコンポスト処理しているのだけれど、きっかけは生ゴミの焼却に使われるエネルギーの多さに衝撃をうけたこと。生ごみは水分が多いだけに、大量のエネルギーを使用してしまうのだ。
また、水分が多い生ごみの焼却灰は、不完全燃焼によってダイオキシンが含まれている可能性があり、その廃棄場所も問題になる、と。
コンポストにすれば、また畑の栄養になる。コンポストにするということは、生ごみを発酵させて土にするということ。発酵技術はこんなところでも活躍しているのだ。
発酵食品がなぜ体に良いかといえば、無数の菌体が住んでいるから。微生物は、とても小さい。納豆菌なら0.4ミクロンくらい。納豆1gには、10億~15億個の納豆菌がいる。一粒だと、700万個の納豆菌。そして、納豆菌や味噌、ヨーグルト、チーズ、漬物、といった発酵食品を食べるということは、これらの微生物が体に入ってくるということ。最近、菌体成分が、腸で免疫細胞をつくりなさい!という信号を送っているということがわかってきた。
中でも、納豆は最強の免疫強化になるそうだ。生きている菌なら、菌そのものが作り出す有用物質もあるのでより効果的だけれど、スイッチを押すという意味では死んでしまった菌体でも効果があるそうだ。

大切なのは、自然な食品であるということ。チーズなら、ナチュラルチーズじゃないとね。

ちなみに、納豆は冷蔵庫にしまってあれば賞味期限が過ぎていても大丈夫。ちょっと、ニオイがきつくなるけど・・・とのこと。漬物だって、本物の発酵させた漬物は、酸っぱくなるだけで腐りはしない。腐った発酵食品というのものはないのだ。発酵と腐敗は、まったく違うものだから。

 

第5章では、伝統的日本の食習慣をみなおそう、という話。江戸時代はどこに行くにも歩いていかなくてはいけなかった。そんな時代のスタミナ食は、毎朝のお味噌汁だったそうだ。豆腐の味噌汁に、ひきわり納豆を入れて、油揚げの千切りをちらす。そのスタミナ汁ぶりは、牛肉がたっぷり入っているスープと変わらないのだそうだ。
タンパク質として、イワシが薦められている。生もいいけど、イワシ丸干しがいいですよ!って。生なら3枚におろして、天ぷらにして、天丼にしてもいいいって。
あぁ、なんか、イワシが食べたくなる。

日本人は、食べ物に関しては安いもの、安いもの、と選ぶ傾向があるそうだ。まぁ、毎日のことだから、、、と思うけれど、3本セットで120円の遠くでとれたキュウリより、1本80円の近くでとれたキュウリを選ぼう、って。新鮮であること、地元でとれたのであれば輸送エネルギーも少ないこと、、を選ぶってこと。

私たちの身体は、食べたものでできている。やっぱり、食は大事だ。食を支える農業を応援するつもりで、1本80円のキュウリを選ぶっていうのも、大事かもしれない。

 

簡単に読める一冊。
健康のためにも、もっと食を、農業を、大事にしよう!って思えた。 

 

 

『歴史総合パートナーズ⑯ 北方領土の何が問題?』 by  黒岩幸子

歴史総合パートナーズ⑯ 北方領土の何が問題?
黒岩幸子
清水書院
2022年8月22日 初版第1刷発行

 

図書館の新刊の棚にあったのだが、どうやら学校の副読本のような感じで使われているものみたい。薄くてすぐに読めそうだったので借りてみた。シリーズになっているようで、本書は、⑯とある。

 

表紙裏には、本シリーズの説明が。
”歴史する?
「歴史は暗記もの」、自分とは関係ない過去の話。そう思っていませんか?
身の回りの物事や出来事を探っていくと、きっと奥深い歴史が見えてくるでしょう。私たちはその見え方に縛られもしますが、歴史を捉え直すとき、変わりようもないと思った現在の先に、別の道が見えたりもします。私たちは決して歴史と無関係に存在しているのではありません。いつも「歴史している」のです。
 混沌とした今日の世界で、より良い一歩を踏み出すには、お仕着せでなく私たち一人ひとりが「歴史する」、つまり未来を想像/創造するために、日々直面する問題を過去の豊かな経験を頼りに考え、行動することが求められます。それは自ら歴史を編み上げる営みであり、また時空を超える旅でもあります。
 2022年から高等学校の必修科目として「歴史総合」が始まり、歴史の学びが変わります。これを契機に、いまを生きる私たちにとって意味ある歴史とは何か、問いかけようと思います。
本シリーズをパートナーにあなたも「歴史して」みませんか?”
とある。

 

目次
はじめに: 北方領土歴史してみよう
1.日本の北側の国境はどのように決まったの?(18世紀~1930年ころ)
2.第二次世界大戦で千島はどうなったの? (1930年代~1945年)
3.占領された千島の日本人の運命は?
4.日本は千島占領にどのように対応したの?
5.「北方領土」はいつになったら出てくるの?
6.ソ連邦解体後の日ロ関係はどうなったの?
おわりに:解決策はどこに?

 

感想。
難しいよ。というか、やっぱり、覚えられないよ、、、。北方領土の話は、佐藤優さんの著書などでもよく目にするけれど、やっぱり、、、、覚えられない・・・。
でも、一応、流れがわかるのと、千島列島の地図と、それぞれに島の名前を文章と見比べながら読むことができるので、わかりやすくはある。

 

二島返還なのか、全島返還なのかという課題は、良く取り上げられるけれど、単に一部の返還ということではなく、日本国としては「国後島択捉島」は、もともと一度も外国の領土となったことがないから、「返還」ではないという主張。一方で、「国後島択捉島」に住んでいた根室国の人々にすれば、戦争によって島を追い出されてしまったので、帰りたい土地。戦後の日ソの交渉でソ連側は、「歯舞・色丹」の日本への引き渡しを提案してきた。日本は、国後・択捉の返還も要求する方針をとって、問題は解決に至らず。

 

その後、佐藤宗男事件で交渉頓挫、プーチン政権に代わって安倍首相との交渉が行われるも、交渉まとまらず、、、。

 

どの二島なのかが、人によって優先順位が異なるってことなんだろう。国後島択捉島に住んでいた人からすれば、歯舞・色丹だけが帰ってきて解決ってされてしまってはたまらない。実際、北海道の中でも、北方領土返還については複数のグループがことなる意見をもって存在するらしい。

 

もともと千島列島には、南千島・中千島・北千島、という地域があった。日ソの交渉で日本は、「サンフランシスコ平和条約で放棄した千島列島に国後島択捉島は含まれない」と主張し、そのころから国後島択捉島に歯舞・色丹を含めた土地を「北方領土」と呼ぶようになったのだそうだ。

 

本書の中で、北千島に位置するシュムシュ島(千島列島の最北の島)に住んでいた千島アイヌが、カムチャッカ半島への出入りを規制するために、色丹島強制移住させられた歴史がでてくる。一番北の端の島から、ぐっと南の島へ。生活環境の大きな変化、加えて日本政府が強いる教育を含めた生活環境になじめず、多くのアイヌが亡くなってしまったそうだ。

期せずして、またアイヌの話・・・・。

 

本書が出版されたのは、2022年8月。最後の方には、ロシアのウクライナ侵攻によって、北方領土問題は再び凍結状態になってしまった、と。

 

そして、このような領土問題が長く続き、解決が難しいことの要因は、日本とロシアとでは、「パラレルヒストリー」が存在するからだという。つまり、日本にとっての歴史解釈と、ロシアにとっての歴史解釈は異なるストーリーで存在するということ。並行して存在するヒストリーだ。

 

イマヌエル・カントの言葉が引用されている。
将来の戦争の種を密かに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない。
なぜならその場合には、それは実は単なる休戦であり、敵対行為の延期であって、平和ではないからである。

 

本当に、そうだ。

目の前をみれば、即時休戦は必要。でも、戦争の種を解決した平和条約が結ばれない限り、常に戦争への不安がの残ることになる。 

 

高等学校の参考書、難しいなぁ。

各章に「レッスン」として、課題がでている。答えは記載されていないので、自分たちで調べなさい、ってことなんだろうけれど、どのレッスンも、私には即座にこたえることができない。

たとえば、4.日本は千島占領にどのように対応したの?のレッスンは、


”① サンフランシスコ平和条約の第2条を全て読みましょう。日本は、南樺太と千島以外にどんな領土を放棄したでしょうか。
② 北海道東岸と北方四島の間の実質的な海の境界線を確認しましょう。ソ連(ロシア)が主張する領海を日本は中間ラインと呼んでいます。”
とある。


サンフランシスコ平和条約は、1951年9月8日に日本が連合国48カ国と調印した条約。翌年4月の条約発効によって日本は主権を回復した。
第2条(c)
「日本国は千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利権限および請求権を放棄する。
つまり、日本は千島列島と南樺太を放棄するとなっている。でも、放棄した領土の帰属先は書かれていない。ソ連に返すともいっていない。また、千島列島の地理的範囲が示されていない。だから、国後島択捉島ははいっていた、はいっていない、、、という議論になる。 

 

私が高校生の時は、こんな難しいことまで考えなかったなぁ、、、という気がする。というか、当時の教科書には北方領土問題は、さらっとしか書かれていなかったのかもしれない。なんせ、、、昭和だから・・。

 

高校で取り入れられた「歴史総合」というのが、どういうものか知らないけれど、日本史と世界史をつなげる歴史って感じだろうか。多分、それが大事だ。私がそれに気が付いたのは、ここ最近のことだ。それをしないと、「パラレルヒストリー」があるということを忘れてしまう。

 

歴史は、今につながっているのだ。

歴史を学ぶというのは、今をまなぶということなんだなぁ、、、。

 

このシリーズも、なかなか面白そう。だいぶ、説教くさい?!感じはあるけれど、一応、自分の頭で考えるためのヒント本のような感じ。やっぱり、教科書、教材って面白い。こういう読書も、楽しい。