記憶できる言葉

人によって、言葉の記憶のされ方が違うのは、バカの壁なのか?なんなのか?

 

昨日は、コロナで自粛続きでなかなか会えなかった友人と、久しぶりに会食した。

ワインの勉強仲間で、教室の後。

同じ時間帯に、別の教室で勉強したメンバーと復習会を兼ねて、数か月ぶりの食事をした。普通に、美味しく楽しく、元気をもらった楽しい時間だった。

 

で、その時の会話から、なんで私は覚えてないんだろう、、とおもった言葉があった。

 

前回の授業に対しての、あーだこーだ、出てきた話をしていたのだが、同じテキストを使って勉強しているのに、それぞれが記憶に残しているものが、違うのである。

これは、いったい何なんだろうか。

 

昨日、話に出たのは、”ジャンティ (Gentil)”。アルザスのワインは一般的には単一品種のぶどうで作られるが、単一品種ワインの原料にならなかった果汁で作られるワインのことをジャンティと呼ぶ。

 

ジャンティ。

 

ドラえもんのジャイヤンを想像してしまうではないか。でも、私は一週間前に出てきたそれを、覚えていなかった。

今聞いたら、絶対、ジャイヤンのパンティ、、、、ぐらいで記憶できそうだ。

 

なぜ、一回聞いたはずの言葉を、その時は覚えなかったのだろうか??

 

バカの壁のように、自分で興味のないものは、記憶にとどまらず素通りしてしまうのはわかるが、言葉として記憶に残るものが人によって違うのは何なんだろうか?なぜ?というか、本当に、人によって記憶できるものが違うのはどういう仕組みなんだろう??


学校のテストだって、いわゆる記憶を問うテストは、きっと、80点のひとが100人いたら、100人それぞれ、間違える場所はちがうだろう。そんなのあたりまえじゃない、といえば当たり前だけど、どうして、人によって記憶できるものが違うのだろうか??

 

さっき注文したビールがいくらだったか、覚えている人と覚えていない人がいる。それは、その値段がその人にとって、高いとか安いとか、今日はビールにいくら出してもいいとか、それぞれのお財布事情で値段に対する注目度が違うのだから、人によって、覚えている人と、覚えていない人がいても全然不思議じゃない。執着度がちがうから。

 

でも、人によって、おなじ400文字の原稿を読んだとしても、記憶に残るものが違うのはなんなんだろう?

そんな、考えてもしょうがないこと、しらんよ!といわれそうだけど、

どうして、記憶できるものと、できないものがあるんだろう??

 

ワインのぶどうを育てる土壌で特徴的なものには、固有の名前がついていたりする。

キンメリジャン。シャブリの古代地層からなる土壌。いわゆる、貝殻とかの堆積土壌。

キンメリジャンって、なんだか、金目鯛がじゃりーん、みたいな、、、私にとっては、耳障りがよくて、それが何かを覚えるというより、キンメリジャンという言葉が耳に残って、覚えてしまった。

 

その言葉の音=オン、から、何かが想起されるものは覚えられるけど、ただの音でしかないものは、覚えられないのだろうか?

これは、外国語の言葉だからそうなのであって、じゃあ、日本語でだったら覚えられるのか?

 

脳に記憶できる仕組みって、何なんだろうか?

考えてもしょうがないけど、何なんだろう、、、って気になっちゃったのよね。

 

そして、ワインの試験勉強対策に、固有名詞を記憶できる方法はないのだろうか、、、と思ったりしている。

 

ジャンティ、は、もう忘れない気がする。音は。

それが、何のことなのかを覚えるのは、また別問題なのだけど、今日、こうやって書きながらもう忘れない気がしてきた。

アルザスの単一品種ワインになれなかった果汁で作られたワイン、ジャンティ。

 

記憶の仕組みって、不思議だ。

こんなことに、興味を持つ自分の頭の中が不思議だ。

役に立たないことほど、時間をかけて考えてしまう。。。

いや、役に立たないかどうかなんて、誰にも分らない。

世の中、役に立つことだけで成り立っていたら、もっと、、、平和?

いや、世の中どうでもいいことがたくさんあるから楽しいのだ。

こんな、どうでもいいことをつぶやける場があることが、、、どうでもいいけど、私にはありがたいことなのだ。

 

今日は、ジャンティを覚えて寝よう。

 

”ジャンティ”は、本日をもって私にとって記憶できる言葉の昇格候補になったらしい。