今朝教えていただいいた、禅の言葉。
無常観
「寒時は闍黎を寒殺し、熱時は闍黎を熱殺す」
無常観を表すものとして、二つの古典が紹介された。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」(方丈記、鴨長明)
「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。沙羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。」(平家物語)
どちらも、日本人には馴染みの文章だろう。
無常というのは、現実の事実として100%納得すれば、その流れに乗るしかない。その無常を積極的に考えるというのが、禅の考え、だそうだ。
河はとどまることをしらず、とうとうと流れ続ける。流れる。それが河。だから、なんでも流してくれるような気がする。「水に流す」、というのは日本独特の表現だ。流れる。とどまらない。
盛者必衰の理。今流に言えば、持続可能な成功者というのはない、、とでもいえばいいのか。環境の変化に対応せず、現状維持では、必衰、というわけだ。
無常とは、「常」が無い。
とどまることがない。
変化しないことがない。
そう解釈すればいいのかもしれない。
無常観= 無常の流れに乗れば、わくわく感!
ということ。
わくわく!だそうだ。
そして、古典文学だけでなく、『碧巌録』から、
僧曰く:「如何なるか是れ 無寒暑(むかんじょ)の処」
山曰く:「寒時は闍黎(じゃり)を寒殺し、熱時は闍黎を熱殺す」
「闍黎(じゃり)」とは阿闍梨(あじゃり)の略で僧の尊称、ここでは、「お前さん」
「暑いのもかなわないし、寒いのもかなわない、どっちもないところっていうのは、ないもんかね?」という僧に対し、
「何を言っているか、お前さん、寒いときは寒さに徹し、暑いときは暑さに徹すればいい。寒さを楽しんで、暑さを楽しめばいい」
ということ。
無常というのは、世の中の現実なのだから、現実逃避をしない、ということ。
そして、公案の紹介。
「地獄から赤鬼青鬼が火の車を引いて出てきて、さあー乗れと迫ったらどうする?」
と。
これは、わからん。
地獄であろうと、とりあえず、乗ってみるのが答えなのか?
正解はわからない。
でも、人生を積極的に生きていくためには、世の中の無常をポジティブにとらえればいい、という事らしい。
なら、乗ってみるか。。。
「寒時は闍黎を寒殺し、熱時は闍黎を熱殺す」は、寒さ、暑さの話だが、これは、生と死の話でもあるそうだ。
生きる時には生きる。
死ぬ時には死ぬ。
そりゃそうだ。
無常観というのは、「今ここ」を大切にするという事なのかもしれない。
結局のところ、私たち人間は、「現在」しか生きることはできない。「現在」の繰り返しが「過去」であり、「現在」の積み重ねが未来を作っていく。
田坂広史さんの本の中に、現代物理学の世界では、過去・現在・未来は同時に存在している、という話が出てきた。
周辺を見渡せる景色を「ランドスケープ」というように、過去・現在・未来が同時に存在している世界を「タイムスケープ」と言い表すらしい。「タイムスケープ」は、カリフォルニア大学の理論物理学者、グレゴリイ・ベンフォードのSF小説のタイトルだ。でもその考え方が、受け入れられているという事らしい。
「タイムスケープ」の中にあっても、私たちが存在していると認知できるのは「現在」であり、「今ここ」しかない。
「今ここ」を大切にしよう。
11月もあっという間に、月末。
2021年も、残り40日足らずというだ。
40日もある。
もうちょっと、頑張ろう、と思う。
2021年も残りわずか!と、言ったところで、残りが増えるわけではない。
今日できることを、今日頑張ろう。