ネットフリックスの人材管理 について。
先日のHBRの『人材育成・人事の教科書』から、ネットフリックスについての章の覚書。
「シリコンバレーを魅了したネットフリックスの人材管理」
パティ・マッコード(パティ・マッコード・コンサルティング)著
パティ・マッコードは、元、ネットフリックスのチーフタレントオフィサー(最高人材責任者)。
ネットフリックスと言えば、その企業文化の自由さ、人事ルールの無さ、書籍
『NETFLIXの最強人事戦略』が有名だ。これは、パティ・マッコード女史の著書。私は、読んだことは無いけれど。『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』を読んで、ちょっと、特殊すぎる、、、と思って読んでいない。
言われればごもっともとも思うのだが、「解雇」が当たり前のアメリカの仕組みだから成り立つこともあり、日本にはそぐわないような気がする。
でも、そうだよな、そうであったらいいよな、と思える、理念の基本的考え方は共感するところもある。実際に、日本に適応できるモノかは別途して。
理念の一つ、
「一人前の大人だけを雇用し、報い、裁量を与える。」
一人前の大人としての行動とは、自分の上司や同僚、部下とさまざまな問題についてオープンに話し合う事。
これは、ある時、人事整理によって3人いた部下が解雇され、一人で仕事していた男性社員との会話がきっかけでうまれた、ネットフリックスの基本理念。
マッコードは、彼に「あなたの負担を減らせるように、すぐにでも誰か採用できたらいいわね」と話した。すると、
「急ぐ必要はないですよ。今の方がハッピーですから」との返事。
つまり、解雇したメンバーは特に優秀ではなく、かろうじて合格と言う程度だった。彼にしてみると、部下の仕事を監督し、ミスを正すのに時間を取られすぎていたと気が付いた。
「平均以下の部下と仕事をするぐらいなら、自分一人でやった方が良いとわかったのです」と。
いや、確かに、そうかもしれないけれど、、、。
そして、ネットフリックスは、
「一流の人材だけを採用して、一緒に働いてもらうことが、従業員のためにできる最善のこと。」との思想にいたった。
いや、確かに、そうだけど、、、、。
「それは、職場にテーブルサッカーの台を設置したり、無料で寿司を食べさせたりすることより優れた社員サービスだ。有能な同僚は何よりも勝るのだ。」
いや、確かに、そうかもしれないが、2-6-2現象は、おこらないのかな?と思ってしまう。
底辺の2は解雇するのがネットフリックスのやり方だから、維持していけるのだろう。
やっぱり、日本を拠点にする法人にはそぐわないでしょう。。。と思う。
いいか悪いかはべつとして。
そして、どんなに活躍していた社員だとしても、時代の流れでその人のスキルが会社にとって不要となれば、十分な退職金を与えたうえで、解雇する。
その人に、新しいスキルを身につけてもらうまで育てよう、という発想は無いようだ。
日本の企業の多くは、社員の成長のために投資する。だから研修をしたり、社内キャリアコンサルをしたりするわけだ。
私には、日本のやり方には、「部下を育てる」という楽しみがあるように思うのだけれど、、、。「育てる」というと語弊があるかもしれない。「部下が育っていくのを支援する」楽しみ。
結局、その人が変わっていくかどうかはその人次第だから、上司はサポーターとなって、その成長を支援することしかできないけれど、それって、結構楽しいことだと思っている。
一方で、時代の変化で、本人にこの先の活躍の場がないようなケースをみていると、会社にあわなくなったら、別の道を考えてもらうというのも、それはそれで、正しいと思う事もある。
実際、日本の製造業では、 生産現場の自動化などで、以前ほど工場要員がいらなくなり、そのメンバーをどうするかが問題になった時代がある。
工場が自動化し、効率化するほど人はいらなくなる。AIで仕事がなくなるということの一昔前バージョン。
会社は、営業メンバーとして活躍してもらうとか、出向して別会社で働いてもらうとか、色々施策はうったものの、それで、本人たちがハッピーだったのかはわからない。慣れない職で、メンタルでやられるケースがあったり、ただ、稼ぐためだけの仕事になったり、、、。
あの時、まだ30代で、「あなたの仕事はもうこの会社にはありません」といって、外で活躍するチャンスを探してもらった方が、本当の意味で、その人のためになったのではないか?と、、、そんなことを思ったことがある。
人材というのは、モノではない。
1.0、当てはめればいいというものではない。
ネットフリックスは、他にも、
「成果についてありのままに話す。年次評価ではなく、都度、評価する」
「マネージャーが理想とする優れたチームを作る。理想的人材でやる」
「経費使用ルールは無し。経費の使用は、会社の利益を優先して行動する」
「休暇は、妥当だと思えば好きなだけ取っていい」
など、
つまるところ、「大人の判断」ができる人材であれば、ルールはなくていい、ということ。
それは、確かに共感する。
性悪説に基づいて、ほんの1%のずるい人を想定して、がちがちのルールをつくることは、のこりの99%の正直社員の負担を増すだけである。
「人事担当は、チアリーダーではなくビジネスパーソンであるべき。福利厚生を充実させるより、会社の業績にとってなにが重要かを従業員全員に理解してもらう事のほうに労力をさくべきである」、と。
それはその通り、と思う。
会社の福利厚生と言うのは、基本的に平等ではない。利用する人と利用しない人でその恩恵は異なる。通信講座の半額補助、レジャー施設や冠婚葬祭の割引、などなど。。。。どうでもいい人にはどうでもいい。
それよりも、会社の事業を理解することで、自分の仕事の意味を理解し、やりがいのある仕事だと思えることの方が重要だ。
大人の集団に、チアリーダー入らない。たしかに、そう思う。
テンションの高い集団ではなく、ポテンシャルの高い集団。
成果がでなければ解雇されるのだから、自分にそれなりに自信のあるポテンシャルの高い大人人材が集まってくるのかもしれない。
優秀な同僚と働くのは、それは楽しいだろう。
一人一人が自立し、責任を自覚して働けば、理想の職場になるのかもしれない。
でも、ちょっと、怖いな、と思う。
人は、良い時も悪い時もあるし、
常に100%で走り続けろ、と言われているようで、ちょっとしんどさを感じる。
「平均以下の部下と働くなら、自分一人の方がいい」というのも怖い。
人は、誰でも自分は平均以上と思っているものだ。
「自分一人がいい」と思っている自分が平均以下かもしれない。
そうか、なんか危うさを感じるのは、自信過剰集団かもしれない、と思わせるからかもしれない。
私は、ちょっといいや、、、。
ネットフリックスには転職しません。
そもそも、論文のタイトルが「人材管理」だもんなぁ。
管理されたくない。
でも、考え方としては興味深い。
人の話を聴くというのは、同意するという事ではない。
というように、
本を読むというのは、内容に同意する、という事でなくても楽しめる。
そういうものだ。
読書は楽しい。