『ヴィーナス・シティ』 柾五郎

ヴィーナス・シティ
柾五郎
早川書房
1992年11月10日印刷
1992年11月15日発行


SF好きの友人が「当時読んでもなんだかよくわからなかった。でも、今ならもっと楽しめる。」と言っていた本。図書館で借りてみた。

1992年、30年前の本。
出版社が早川書房であることからも察しが付くように、SF小説だ。

 

著者の柾五郎さんは、1957年神奈川県生まれ。第13回ハヤカワ SF コンテストに入選し、入選作「邪眼(イーグル・アイズ)」で SF マガジンにレビュー。その後多くの短編を発表。短編集「邪眼(イーグル・アイズ)」ハヤカワ文庫 JA がある。本作は SF マガジン1992年7月号から連載され大反響を巻き起こした処女長編。

 

1992年というと、ポケットベルからPHSに変わり、PHSから携帯電話が一般的になり始めたころ。インターネットも、ピーヒョロロロ、、、と電話回線を使っていた頃。
当時は、スマート家電やAIは夢の話だったし、パソコンの利用だって、ワープロ代わりか表計算くらい。理系のわたしにとっては、大学時代から使っていたNECMS-DOSコンピューターから、Macintoshに乗り換えたくらいの頃。アプリ、ソフトの種類も限られていたので、まだアナログ主流の世界だった。
そのころの作品としては、本当に画期的だったのだと思う。

AR(Augmented Reality : 拡張現実) とVR(Virtual Reality:仮想現実)が、入り混じったような世界の話。

 

まさか、こんな世界にはいくらなんでもならないだろう、、、と思いつつ、50年くらい先はわからないかも、、、と思うような。
面白かった。
結構、一気読み。

先日、『アルゴリズムの時代』を読んだばかりだったので、尚更面白かった。

megureca.hatenablog.com


 
以下、ネタバレあり。

「決めた。あたし今夜は性転換してやる。」という一文で始まる。
今の時代なら、LGBT問題か、と思うところだが、読んでいくとそうではないことがわかる。
性転換してやると言ったのは、国際情報資料調査会社で働くOLの森口咲子、26歳。時代設定は明確にされていないけれど、未来の日本。
パックス・ジャポニカとなっている日本に多くの外国人が労働者として流入していて、人口の入超に音をあげた政府は、外国人に対して厳密な入国資格審査を実施している。睡眠学習で日本語を学習した貧乏外国人による犯罪が増えて、日本の治安が悪化している。そんな世界。
咲子は、仕事で出かけた先で、本屋で立ち読みしてさぼっていたことを上司のジム、37歳独身男性の外国人に口うるさくとがめられ、イラついて「今夜、性転換してやる」とつぶやく。
咲子が、性転換するのは現実の世界ではなく、「ヴィーナス・シティ」でのはなし。「ヴィーナス・シティ」は仮想空間。専用のデータ・スーツ、ゴーグルをつけて3D磁気ステージに横たわり、予めプログラムされた世界へ没入する。データ・スーツは、細かい折り目の結節点に筋電検出用センサー素子と、磁気ステージの磁場変化に対応して各種の感覚を与えるリアクター素子とが織り込まれている。運動出力と感覚入力の両者を3D磁気ステージに中継するのが専用データー・スーツ。「ヴィーナス・シティ」に入ることは、体力と感覚の双方を消耗するので、咲子は普段から体力作りに余念がない。
「ヴィーナス・シティ」では、容姿も名前も現実世界とは違うものになれる。咲子の場合は、サキと呼ばれるかっこいいだ。

 

要するに、特殊なスーツとゴーグルで、特殊な装置の上に横たわると、全身で性格含めてバーチャル体験できる、というわけだ。

 

「ヴィーナス・シティ」に入れるのは、そんな特殊な装置を持った人々だけ。超高額なスペシャルeスポーツ、という感じだろうか。「ヴィーナス・シティ」では、仲間と遊ぶこともできるし、バーでお酒を楽しむこともできる。

 

物語は、「ヴィーナス・シティ」でサキつまり咲子とその遊び仲間が、トラブルに巻き込まれた美少女ジュンコを救おうとすることで、現実の世界と「ヴィーナス・シティ」の双方でトラブルに巻き込まれていく。
本来なら、交じることのない「ヴィーナス・シティ」と現実の世界。それが、咲子が務める情報会社のデータベースへのアクセスを狙う犯罪集団が、咲子の上司ジムの弱みに付け込んで「ヴィーナス・シティ」を通じて、会社のデータベースへ侵入を企てることで、「ヴィーナス・シティ」と現実の世界が錯綜する。

 

犯罪集団は、「ヴィーナス・シティ」のなかだけでなく、現実の世界でも咲子へ危害を加えてくる。そこで、咲子は、「ヴィーナス・シティ」で助けた美少女ジュンコが、奴らに脅されて「ヴィーナス・シティ」に連れ込まれたジムであることを知る。自分が助けた美少女は、現実の世界では毛嫌いしていた上司ジムだったのだ。

 

犯罪集団が狙っているのは、かつて国際的に研究された現実認識を仮想世界へと反転させる技術を使って日本を抹殺すること。つまり、仮想現実が現実として認識されるようになる技術、それをつかえば、意図した情報を好きに書き換えることができる。奴らの狙いは、すべての人々の認識を仮想現実に置き換え、日本という国を情報的に世界地図から抹殺すること。

サキとジュンコは、現実の世界では不仲な部下咲子と上司ジム。しかし、犯罪集団の目的を知ってしまった以上、会社のデータベースへの不法侵入を何が何でも食い止めなくてはいけない。

そして、現実世界と「ヴィーナス・シティ」の両方で二人は協力しあい、日本を守る、、、という話。

 

うまく説明できないけれど、小説の中に、様々なコンピュータ用語やら、脳科学用語がでてくる。なにが、本当で、なにがSFか、一瞬分からなくなる。

うまく言えないけど、面白かった。

そんなことあるわけないじゃない!というのと、もしかしたらそんな世界、できてしまうのか、、、という世界。

仮想現実が、現実として認識されてしまうというのは、いまだって一歩間違えたら、、、ということが起こっているのではないか?
小説の中では、それが第三者によって意図的に書き換えられようとしているところに恐ろしさがあるのだけれど、本人が知らない間に自分で認識違いをしてしまう、、ということは、あり得るような気がする。

 

梅干しの写真をみると、口の中に唾液がでてくる、というのもある意味、脳が勝手に想像から身体に反応をもたらしている。

脳というのは、現実と想像を区別できない、ということでもある。
だから、なんかをうまくやりたいなら、「成功している自分を想像しろ」と言われるわけだ。
ダメだ、ダメだ、と思っているとうまくいかない。
大丈夫、自分がうまくやれる、と思いこませることで、うまくいく

脳は、騙されやすい、、とでもいおうか。。。。

 

1992年のSF小説
確かに、画期的だっただろうなぁ、と思う。
面白いことを考える人がいるものだ。

まぁ、わたしはTVゲームのようなものには、まったく興味がないので、「ヴィーナス・シティ」に行ってみたいとは思わない。
本で仮想世界を読むだけで充分だ。
ポケモンGoも、どんなものだか知りたくて、少しやってみたことはあるけれど、確かに技術的に面白いと思ったけれど、ゲームとしてはとくに何も感じなかった。
なにかを収集するという事に、興味がないからかもしれない。

本を紹介してくれた友人が言っていたのは、

コンピューターゲームは、どうしたって作った人には勝てない。だから面白くない。」と。
あぁ、なるほど!そりゃそうだ! 

 

SF小説を読むのは楽しいけれど、現実の世界はリアルな仕事やリアルな遊びの方が楽しい。

 

僕らはみんな生きている。

そんな感じ。

 

読書は楽しい。

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ヴィーナス・シティ