適応力
羽生善治
扶桑社文庫
2015年8月10日
初版第一刷発行
なんか、面白そうな本ないかなぁ、、、、と、図書館の中を徘徊し、目に入った本。思考とか、自己啓発とか、そんな棚にあったような気がする。
羽生さんの本は、ちょっと気になっていたけれど、読んだことがなかったので借りて読んでみた。
感想。
やっぱり、賢い人だ。とても読みやすく、分かりやすくご自身の考えがまとめられている。こねくり回した難しい表現があるわけでもない。とても簡潔に、丁寧に書かれている感じ。
そして、引用されている様々な言葉、どなたかのコメント、書籍、、どれも、日本人の教養として身に着けておきたいよな、と思うようなこと。
さすが、将棋の世界でこれだけの活躍をされてきた方だ。
羽生さんの他の本も読んでみたくなった。
羽生さんは、1970年、埼玉生まれ。棋士。小学6年生で、二上達也九段に師事し、奨励会に入会。6級から4段までをわずか3年間で通過。中学3年生で四段。史上3人目の中学生のプロ棋士となる。
1989年、19歳で初タイトル、竜王位を獲得。
2014年、44歳、最年少、最速、最高勝率で史上四人目の1300勝達成。
子供のころは、私も多少は将棋をしたけれど、父には ちっとも勝てず、夢中になるほどではなかった。社会人になってから、囲碁がはやって、囲碁の方が面白いと思ったけれど、時間がかかるのと、やはり、置き石を9個しても父にはかなわず、、、いつの間にか興味を無くした。
いまでも、どちらかと言えば、囲碁の方が人が打つのを見ていても楽しいかも。
ま、将棋と言うのは、先読みが必要なわけで、すご~~く頭を使うゲームだ。実は、ひたすら、「型」があるのだそうだ。そして、人によって指し方にも特徴があり、羽生さんの場合は、
”棋風は自他共に認めるオールラウンドで、幅広い戦法。特に終盤に繰り出す妙手は、「羽生マジック」と呼ばれ数多のファンを惹きつけている。”のだそうだ。
藤井聡太君は、コンピューター相手で訓練しているというくらいだから、きっとまた違うのだろう。
表紙の裏には、
”東京大学大学院薬学系研究科教授 池谷裕二氏推薦!!
「羽生さんの言葉には、たとえ些細なことでも、普遍性と根源性を秘めています。実践論と精神論を持ち合わせつつ、そのどちらとも違うから、何にも負けない力があります。
だから人生に焦ったり、失敗した時に読むと、ふと心落ち着く癒し系の鎮静剤として作用してくれます。”
と。
なるほど、うまいこと言うなぁ、と思う。
たしかに、普遍性のある語りなんだな。心落ち着く癒し系、わかる気がする。
だいたい、見た目も優しそうで、癒し系と言えば癒し系だし。
「はじめに」で、「行き先が見えない不透明な時代と言う表現がよく使われるけれど、何時の時代も不透明である。」ということを言っている。そして、先がはっきり見えている方が退屈でつまらないのではないか、と。
五里霧中であることから逃れられないのであれば、その中に活路を見出すしかない。そして、そのとき必要になるのは、「野生の勘」ではないか、と。
野生の勘、動物的嗅覚が、重要なのではないか、とおっしゃっている。
理論と知性の棋士とおもいきや、やはり、五里霧中の時は野生の勘、だと。なるほど、おっしゃる通りですね、って思う。
目次
1章 「豊富な経験」をどう役立ているか
経験こそが智恵と強い精神力を生む
結果だけにとらわれず、内容を重視する
経験値があるからこそ、直感が生きる
先を読む、、、正確性を上げる智恵とは
あって当たり前の不安や恐怖
上手に使い分けたい「集中」と「気配り」
「責任のある立場」に立ったら考えること
トライ・アンド・エラーが身の丈を延ばす
2章 「不調の時期」をどう乗り越えるか
時間を有効に使うための、様々な方法
「 基本」がなぜ大切なのか
迷わず判断が振れない心境とは
「誰からも必要とされていない」と感じたら
負けることでツキと力を蓄える
新たな「発見」を呼び込むものとは
”整理整頓”の大いなる効用
集中力の高め方・持続する集中モードの作り方
3章 「独自の発想」をどう活かすか
お酒に頼らず、しっかり眠るために
無理に「プラス思考」を続けない
「シンプル・イズ・ベスト」が生む画期的なアイディア
棋士はなぜ和服を着て対局するのか
成長するそれぞれの段階で、いかに練習するか
情報を生かし分析し、捨てるか
熟慮を重ねることのメリットデメリット
”構想力”には想像力と創造力が不可欠
4章 「変化の波」にどう対応するか
仕事の軌跡・記録を残すということ
たったひとつの”歩”が勝負を決める理由
他者との違いから独自の魅力を知る
大きな変化を受け入れられるか
複数の視点や基準があれば、燃え尽きずにすむ
体感するからこそ旅は楽しい
実現可能な小さな目標をたくさん作る
乗った波に乗り続けるために
5章 「未知の局面」にどう適応するか
自分の個性を発揮する際の問題点
自分なりの美学を持つということ
変化し続ける状況に、いかに適用するか
進歩し続けているか否かの判断基準
勇気をもってリスクを取らねばならない時代
”制約”があるから素晴らしい智恵が生まれる
明確な答えのないものを、どう理解するか
年齢ごとの節目をどう考えるか
と、おもわず、こまかなタイトルまで覚え書してしまった。いいな、と思ったから。
最近、私自身が「日本型リベラルアーツ」をテーマとした勉強会に参加しているのだが、そこで出てくる言葉と、多くのことが重なった。羽生さん自身がリベラルアーツを体現している方なのかもしれないな、と思った。
いくつか、気になった言葉を覚書。
「不易流行」:芭蕉の俳諧用語。不易とは永続性。流行は新しいということ。変わらないものと変わるもの、どちらも根本においては一つである、ということ。
羽生さんは、この言葉を、「役に立たなくなった知識にしがみついているのは、経験を活かすどころか阻害要因になる」として引用している。成功体験にしがみついて、新しいことに挑戦できなくなるって、そんな時かもしれない。
将棋にも「型」があるという話。ただ、「型」だからそうしているのだけれど、そうしているうちにそれがなぜ型になっているかが分かってきた、と。武道、華道、茶道、みちといわれるものはすべて「型」からできている。ルールではなく、型。先日読んだ山極寿一さんと太田光さんの『言葉が暴走する時代の処世術』で語られていたことと、まさに、重なる。
「型」から離れてしまうと、わからなくなってしまう。音楽の世界の絶対音感と似たようなものではないか、と。
なるほど。
「秘すれば花、秘せずば花なるべからず」世阿弥の言葉。気配りの要諦として。上質な気配りは、さりげなく自然に行うもので、あてつけがましくするものではない、って感じかな。
リーダーに課せられる10か条 (梅原猛『将たる所以』)からの引用
一 明確な意思を持たなければならない
二 時代の理念が乗り移らなければならない
三 孤独に耐えなければならない
四 人間を知り、愛さなければならない
五 神になってはいけない
六 怨霊を作ってはいけない
七 修羅場に強く、危機を予感しなければならない
八 意思を自分の表現で伝えなければならない
九 自利利他の精神を持たねばならない
十 退き際を潔くしなければならない
なるほど。ごもっとも。言うは易し、行うは難し、、ってこういう事。
羽生さんは、知人に色紙を頼まれると、「玲瓏」と書くということ。
玲瓏:れいろう:透き通り、曇りのないさま
あまり、耳馴染みのない言葉かもしれないが、私の高校の校歌に出てくる言葉なので、へぇ、こんな言葉を大事にしている人がいたのか、、、って感じがした。
ちなみに、私の通った高校の校歌、一番は、こんなだ。
”光は希望
その光あふれる陵に
陽に向かう芽ばえの息吹き
玲瓏大気は澄みて
若き生命に薫る
友よ
青雲の心は高く
英知未来を探るもの
光陵高校
われら ここに 生きる”
Webで検索したら、すぐに出てきた。便利な時代になったものだ。
”玲瓏大気は澄みて”って、なんだか、記憶に残る歌詞だった。
不調の時の乗り越え方のところで、マザーテレサの言葉を引用している。
”この世の最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。人から見放され、「自分は誰からも必要とされていない」とかんじることなのです”
と。
そして、羽生さんは、そんな孤独を感じたとしても過去に誰かが同じような境遇にあっているもので、決して孤独ではないのだ、と。そして、その問題を解決する事ができたら、その境遇にであう未来の人から感謝してもらえるかもしれない、と。
「孤独」というのは「死」と同じくらい、やっぱり、人間の永遠のテーマなのかもしれない。
分析力の話では、佐藤優さんの言葉を引用している。
”必要な情報の8割は、公開情報から得られる”と。新聞を読むときにも、行間を読めるようになれば、本当の意味が分かるようになる。つまり、情報というのはそれを手にしたところで、しっかりと自分で咀嚼分析し、意味を理解しないと使うことはできない、ということだろう。ただ、耳に入れたことをそのまま流すのは、情報を活用しているのではなく、情報の垂れ流し、、、と言えるかもしれない。
何が自由で、何が不自由か、と言う話では、安部公房の『砂の女』が引用されている。
これは、ほんとに面白い本なので、お薦め。自由とはなにか、とても、深い。
未知の局面にどう対応するのか、という話では、
「理解したくないと思っているものは、どんなに頑張っても理解できない」と。時に、理解するためには、よくわからないことでも、許容する気持ちがあれば理解できるのではないか、と。将棋の対局でもそうかもしれないし、人間関係なんて、その最たるものかもしれない。
締めくくりには、『論語』が引用されている。
”吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳従う。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰えず”
有名過ぎて、説明の必要はないだろう。
六十にして耳従う、というのは、きちんと心を傾けて人の話を素直に聞く、と言う意味。
なかなか、、、知っているのと、それを実践できるのとは違う。
いやはや、、、、私なんて五十にしてもまだまだ、惑い続けております。。。
うん、なかなか、面白い本だった。
ほんとに、表現もシンプルなので、あっという間に読める。
何かに煮詰まった時とか、大変な時にも、心に余裕を持てそうな、お薦めの一冊。