『大和を都に選んだ古代王権の謎 日本はこうしてつくられた』 by 安部龍太郎

大和を都に選んだ古代王権の謎
日本はこうしてつくられた
安部龍太郎
小学館
2021年1月2日 初版第1刷発行

*月刊誌『サライ』に連載されている「半島をゆく」を底本に加筆修正したものです。

 

図書館で安部龍太郎で検索したら出てきた本。借りてみた。本を手にして、あれ?みたことある?とおもったら、シリーズの2を読んでいた。

megureca.hatenablog.com

本書は、古代の話。

 

目次
第一章 大和王権誕生編 (奈良)
第二章 謎の丹後王国編 (丹後半島
第三章 出雲国譲り編 (島根半島
第四章 宇佐八幡と対隼人戦争編 (国東半島)
第五章 聖地・熊野と神武天皇 (紀伊半島
第六章 関東と大和政権編 (房総半島)

 

こうしてみると、日本の国の始まりを追求していくと、「半島」にたどり着くのか、、、ということに気が付く。まぁ、四方を海に囲まれた島国なのだから、当たり前といえば当たり前か。。。内部発生ではなく、外部要因によって発生した国、日本、、、ということか。まぁ「半島を行く」という連載なんだから、そりゃそうか、ということなんだけど。

私は、『古事記』や『日本書紀』を熟読、解読しているわけではないので、神話だか寓話だか、歴史だかわからなくなることがあるけれど、神話にしても何らかの起源があるわけなので、辿っていくと日本の国の始まりになる、、、そしてその場所は海に近い場所、ということなんだろう。

 

どの章も、安部さんが他の専門家と一緒に旅をしながら歴史を探求していく旅エッセイのような感じ。

安部さんも”びっくり”なさまざま学説も紹介されている。紹介しては、他の学説で完全否定されていたりするのだが。最近、教科書から「聖徳太子を消す」問題も起きているが、大山誠一さんが「聖徳太子は実在しなかった」という説で注目をあつめている。その大山さんが、『古事記』や『日本書紀』の編者がなぜそうした「捏造」をしたのかを書いているのが天孫降臨の夢』NHKブックス)という本として紹介されていた。藤原不比等が仕組んだことなんだ、という話。

私は、聖徳太子は実在した説の方が夢があっていいなぁ、、、、。個人的感想。

 

第三章 出雲国譲り編では、大国主(おおくにぬし)の国譲りにちなんだお祭りが紹介されている。青柴垣(あおふしがき)神事と諸手船(もろたぶね)神事。天照大神大国主が国を譲ったことにちなんだお祭りだそうだ。そして、出雲が11月に「神有月」となる伝承や政も、この国譲りに由来する。天照大神に、「おまえの国よこせ」と言われて奪われてしまった大国主。かわりに神事を担当するのが大国主となった。神様が集まって、神事を相談するのが11月ということ。

 

大国主が国譲りを迫られたのが稲佐の浜出雲大社から歩いていける距離。私は、出雲大社は数回いっているけれど、稲佐の浜までいったのは一回だけ。忽然と浜に岩があって、岩の上には鳥居がある。安部さんたちは、稲佐の浜にいってから、出雲大社に参拝したとのこと。本当は、その順番が正解なのかな。

 

そして、出雲大社の大注連縄は、一般の神社の注連縄とは縄のない始めの向きが逆になっているのだそうだ。ようするに、左右が他の神社とは逆。これもまた、出雲が影の世界を担当している象徴ということ。面白い。これまで気にしたことが無かった。今度神社にいったら、注連縄の向きを確認してみよう。普通は、右側がない始めらしい。

古い、出雲大社の大注連縄の写真を確認しても、どっちが無いはじめなのか、、、わからなかった・・・。

出雲大社



興味深かったのは、第四章、宇佐八幡の話。歴史の勉強で、称徳天皇(先の孝謙天皇聖武の娘)が、仏教政治の理想を実現するために、「道鏡天皇」にしようとして失敗した話が出てくる。その時に、称徳天皇が「道鏡天皇」にすることの根拠を、八幡神の神託があったからだといった。その神託の確からしさを確認するように言われた和気清麻呂が宇佐にいって確認したところ、「無道の人は早に払い除くべし」との神託があったと報告し、道鏡天皇の野望は失敗に終わった。。。っていうこと。歴史を勉強しながら、なんて宇佐なんだろう?と思っていたのだ。
 安部さんによれば、それは、宇佐八幡宮には、早くから神仏習合の動きがあり、大和朝廷皇位継承に関わるほどの力があったということ。八幡宮は、もともとは「宮」だから神様だ。ところが早くから、戦に臨む武士たちが「南無八幡大菩薩」ととなえるようになるほど、仏教にも帰依していた。やはり、大陸に近いという影響があったのだろうか。。。
宇佐八幡宮は、それほど大きな影響力を持っていたということ。


国東半島には、他も古代にまつわるお寺がたくさんある。薦(こも)神社、熊野摩崖仏、富貴寺、、、。大友宗麟も国東半島だ。やっぱり、大分県もゆっくりじっくり旅してみたい。湯布院もゆっくりいってみたいし、やっぱり、車の運転を再開して、レンタカーの旅をしようかな、、と思う今日この頃。

 

そして、極めつけが、第五章。やっぱり、熊野平安時代神仏習合が浄土信仰となり、熊野三山の神々は仏が権現(権(かり)の姿をとってあらわれること)したものという教えが広く流布した。白河上皇が9回、後白河法皇は34回も熊野詣をしている。

 

熊野本宮大社の家津御子大神(けつみこのおおかみ):来世を救済する阿弥陀如来
熊野速玉大社の熊野速玉大神:過去世を救済する薬師如来
熊野那智大社の熊野夫須美大神(ふすみのおおかみ):現世を救済する千手観音

やっぱり、いかないと。。。。

私にとって熊野こそ、30年以上、行ってみたい思いを募らせて、いまだに行っていないところ。本書によれば、川下りもできるところがあるらしい。「大自然のドラマの中に体ごとはいっていくことができた」って書いてある。うわぁ、、、乗ってみたい。

そして、神武天皇については、秦の始皇帝に不老不死の仙薬を探すように言われて日本にやってきた徐福と、同一人物なのではないか、、、という話が。徐福は、日本列島のあちこちに来航伝説があるのだそうだ。知らなかった。そして、新宮市では、神武天皇の上陸地と徐福の上陸地がすぐ隣り合っているのだそうだ。だから、同一人物かも?!ってことらしい。

熊野については、中上健次の『岬』という本も紹介されている。中上は、昭和21年、和歌山県神宮市に生まれ、被差別部落出身であり、そのことへの怒りや悲しみ、問題意識を文学の出発点として『岬』がかかれたとのこと。知らなかったけれど、ちょっと興味深い。

カラーの写真付きで、あっという間に読める歴史の本。
今回も、なかなか楽しかった。

読みたい本が増えるように、行きたい旅先が増えてしまう・・・。

今年の目標は、熊野か大分に行くことの実現、かな。秋の旅を計画しよう・・・・。